読んだ本のことの最近のブログ記事

 北鮮からミサイルがバンバン飛んで来ます。漁業関係者の方々には申し訳ないですが、もう慣れました。国際社会は、ビビった犬ほどよく吠える理屈をよく理解してますが、飛び回るハエも度が過ぎると叩き潰されるというものです。

 さて、そんな不愉快な話は置いといて、2冊目のお話します。

 ちょっと前に「100万回死んだ猫」という本が話題になりました。わが家にもあります。図書館で本を探す人が覚え間違えて言った本のタイトルを集めた本ですが、実に秀逸で爆笑ものです。
「とんでもなくクリスタル」「わたしを探さないで」「下町のロボット」「蚊にピアス」
「おい桐島、お前部活やめるのか?」「人生が片付くときめきの魔法」「フォカッチャの『バカロマン』」「ねじ曲がったクロマニョンみたいな名前の村上春樹の本」...kokushikan.jpg

 その間違いタイトルの中のひとつ「国士舘殺人事件」がありました。これだと大学キャンパスを舞台にした青春ミステリーの雰囲気ですが、正しくは「黒死館殺人事件」です。

 およそ私がこれまでに読んだ本の中で、最も読みにくい、読み進めるのが苦痛という作品のひとつでした。もうね、大学時代のいろんな教科書の方がよほどすらすらと頭に入ってきましたよ。

 最初、綾辻行人のいわゆる「館シリーズ」のひとつかと思いましたがそうではなく、黒死館はもっと古い戦前の作品です。それがミステリー3大奇書のひとつとして現代でもその名を馳せているのです。作者は小栗虫太郎という、もうこの名前からしてただものではない感が漂います。

 神奈川県の大きなお城のような洋館で外国人女性が毒殺されます。死体は怪しく発光してました。オカルティックな雰囲気の中で物語は始まります。

 この作品の最大の特徴は、いわゆる「衒学趣向」つまり、やたら専門的知識をひけらかすことです。探偵役の人物は法水麟太郎といいますが、このおっさん、とにかくケッタイな知識が豊富で、容疑者の尋問や自分の推理を説明する長い長いセリフの中で、古今東西のいろんな学術分野の専門用語や、文献の説明を延々と引用します。その範疇たるや、文学、医学、薬学、物理学、天文学、心理学、犯罪学、歴史、宗教、暗号、その他極めて広範囲におよびます。
「〇〇といえば、何世紀に〇〇国で〇〇が著した、〇〇全書の何巻にこんな記述がある...」

20230225_105637468_iOS.jpg すべてこんな調子で、普通の人ならばその人生でまず遭遇することのない、極めてマニアックな知識が全編に綴られていきます。本当に歴史上そんな文献や法則・理論が存在したのか、はたまた作者が勝手に創作したフィクションなのかも読者には判別できません。しかも、その説明がやたら長い。ほとんどのページの見開きが、1行目最初から最終行の最後までびっしり文字で埋まってて、すべて探偵法水の演説のような長セリフです。読むのにやたら時間がかかり、まあしんどかったこと。

 衒学(ペダンチズム)は、通常の会話の中ではヒンシュクを買うことが多いのです。飲み会で盛り上がってるときにしたり顔で「〇〇の権威である〇〇博士がこんなことを言うてるんや。つまりやな...」なんてひとりが演説をはじめたら一気にしらけてまうというものです。しかし、この小説はそんな衒学趣味が嫌われることを分かった上で、あえて、わざと、徹底的に衒学を追及する、違った意味での「読者への挑戦」なんやと理解しました。

 殺人事件が起こり探偵が解決に取り組んでいくので、いちおうはミステリーなんやけど、真相として示されたトリックも結局分かりにくくて、加えて読者は探偵のペダントリーに付き合っているうちにさらに分からなくなってしまいます。

 ひとつ面白かったこととして、巻末の解説が、「あえて言ってしまうが、犯人は〇〇である」とズバリ名前書いちゃってるところです。普通ならこれは絶対にありえません。しかし、解説書いた人にしてみたらこの作品の魅力、特徴は、犯人捜しやトリックなど通常のミステリーが備えるべき要素なんてのはもう二の次で、作者が気持ちよく連綿と書き連ねてるペダントリーに、読者がいかに我慢してつきあっていくかという点に尽きると言いたいようです。半ばキレ気味の解説氏に共感できます。

 読後の爽快感は、まあ、ありません。

 「日本のミステリー三大奇書」といわれている3つの作品があります。ミステリー大好きなわたしが、これまで「いずれ機会があれば」と思いながらこれまで読んでませんでした。

  夢野久作 「ドグラ・マグラ」20230205_004154146_iOS.jpg
  小栗虫太郎「黒死館殺人事件」
  中井英夫 「虚無への供物」

 知る人ぞ知るこの3編、先人のあまたの書評や感想を総合するに、「難解」「しんどい」「途中でやめた」等々、読書はもっぱら楽しむために行うものと拘る私をして、避けて通らしめるに十分な理由がありました。しかし、食わず嫌いはダメ、迷ったときはやってみよう、買わずに後悔よりも買って後悔すべし、好奇心とミーハー精神に抗えずとうとう挑戦を決意し、お正月からこっちですべて読んでみました。

 3編とも、殺人事件が起こって読者に犯人を考えさせるという点では、ミステリーの部類と言えます。しかし、昨今の夥しい推理小説、探偵小説、犯罪小説などを念頭に読み始めるとエライ目にあいます。

 まあ、その、なんというか、「三大奇書」の看板に偽り無し。名付けた人に敬意を表します。すごかった。ネタバレしないよう慎重に、順に感想を記してみます。まず今日は「ドグラ・マグラ」。

 長らく「読んだら精神に異常をきたす」と評されて、今なおファンが多く、発表から90年近く経った現在でも専門家の解説、論評も様々に行われてるそうです。

 20230205_005315863_iOS.jpg一人称の主人公が目を覚ますとそこは九州帝国大学付設の精神科病棟の一室であった。どうやら自分は過去の殺人事件に何らかの関与をしているらしいが、何も思い出せない...。

 ミステリーでは、まあありがちなスタートかなという感じで、このあと、くだんの事件の詳細やそこに至る経緯、秘められた様々な事情、そして主人公はじめ登場人物の人間模様が展開していく...であろうと読者は期待します。そして、果たして額面上その通りではあるのですが、えっとですね、その、ここまでです。もう少し言うと、ミステリーの通り相場は、どんでん返しで意外な犯人が明らかになることで読者はカタルシスと爽快な読後感を得るのですが残念ながらそんな展開にはならず、ストーリーのツジツマだけを念頭に読了するとモヤモヤが消えません。いったい読者に何を訴えたかったのか、読み終わって「はて?」となります。それを確かめるべく、志の高い読者は「もう一度読んでみよう」となるのでしょうけど、すんません、わたしはムリでした。

 精神疾患についての突飛な学説や、精神病患者の治療や処遇に関する理論的な考察が縷々展開されるので、作者夢野久作はその方面の専門家であったか、さもなくば相当綿密に取材と勉強を重ねて作品を仕立てたことが読み取れます。かといって患者の人権に関する課題を問うているわけでもない。難解。

 今回読んだのは角川文庫のんで現代仮名遣いに直ってたこともあり、90年前の作品の割には読みやすかった。それでも、作中に長大な論文や「キチガイ地獄外道祭文」なるこれも長大な冊子の内容が入り子の形で入っていたり、さらにお寺の縁起文書がそのまま引用されてますが、これは文語体です。はなはだ読みづらくてしかもやたら長い。ヘコタレそうになります。

 この作品、映画化されていると知って驚きました。この世界観、雰囲気をよくもまあ映像化しようと、またできると思ったもんだわ。しかも準主役級の役どころに、わたしが愛してやまない桂枝雀さんが起用されてます。原作を読み終えた今なら分かりますが、これは上手い。重要な登場人物である精神科博士の雰囲気を見事に体現しているでしょう。機会があったら観てみようかと思いますが、まあ、オンエアはないでしょうな。

復刻名著の趣き

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 未明に大雨が通り過ぎたようでスマホに豪雨警報が届いてますが、目覚めた頃にはすっかり上がり今では爽やかな秋の朝です。昨日、インフルの予防接種打ってからその他もろもろのご用事も済ませてますので、今日は完全休養日とし部屋を掃除したあとはおうちでまったりと読書で過ごします。

 今日の話、不思議なシリーズ刊行物のことです。

 日本近代文学館という、日本の文学に関する資料の収集保存を手掛ける財団法人がありまして、事業の一環として長きにわたってやってきたのが初版本の復刻販売なのです。20221023_001942164_iOS.jpg

 近代文学の名著として今に伝わる作品が、明治から昭和にかけて最初に出版された際の体裁をそのまま複製したものです。本当に初版出版の際のまんまで、繁体の漢字や旧仮名遣いはもちろん、印字のかすれにじみ、箱や装丁に至るまで忠実に再現しています。当時の本にはアンカットつまり小口のところをペーパーナイフで切りながら読み進めるものもありますが、もちろん復刻版ではそのとおりに綴じられてます。

 昭和の頃から今に至るまで地味に人気があり、繰り返しシリーズ化され、なんと185人の作家による480ものタイトルを復刻したというからすごい。最初のシリーズは1968年から69年にかけて126点の初版本を復刻して販売したもので、一括のお値段180,000円やったそうです。今の価値にして約80万円相当やとか。それが、限定3,000セット瞬時に売り切れたそうです。発売を手掛けたのは「ほるぷ出版」という出版社で、文学館と結託してその後もこのシリーズを繰り返し発売したといいますからさぞ大儲けしたやろと思ったところ、なんとその後経営不振で倒産しました。なんでも社員の多くが共産党員で、事業展開が下手くそやったからなんて言われてます。商売っ気がなかったんですな。

20221023_002059263_iOS.jpg それほどの人気シリーズであれば、現在の中古市場でもさぞかしお値段が張るかと思いきや、全巻セットでも1万円以下、バラやと古書店で数百円で手に入ります。不思議な話ですが、古本市などではどのお店のテントでも1冊は見つけることができます。

 私もこれまでに、古本屋さんで何冊かを買いました。令和の現代に至るも高く評価される名著なんやから読んだことがある作品が多く、改めて読むにしても現代版の文庫本の方がはるかに読みやすい。なぜに古い活字で旧仮名遣いの、読み進めるのにいささか苦労する初版本の復刻を買うのか。やはりそれは、今に至る名著が誕生したその時点の空気、雰囲気を感じること、そして、日本の宝である名著が世に出た姿を、その後の現代に至るまでの評価を抜きにして味わってみたいという、素直な知的好奇心によるものです。そういう意味では、復刻ではなくホンマもんの初版本は稀に市場に出ても1冊数十万円から、ものによっては数百万円の値が付き一般ピーポにはまず入手不可能であることを考えると、復刻版の価値も大きいのです。

 初めてこのシリーズのことを知ったのは学生時代。麻雀仲間の友人ちに行ったところ、セットが書架に並んでいたのです。お値段を聞きませんでしたが、その時代でもおそらくは数万円はしたでしょう。彼は「初版の実物ならわかるけど、復刻版なんて買っても仕方ないよね」と自嘲気味に言ってて、実は私もその時そう思ったもんでした。しかし今にして思えば、その頃の私がレコード(まだCD以前の時代)やマンガ本に費やしていたなけなしのお小遣い、彼は日本文学の粋を極め、自身の教養を高めることに投資していたのです。慧眼と言えます。

 これから、古本市で見つけたら少しずつ集めといて、リタイヤして時間ができたら、ゆっくりと読んでみよかななんて思ってます。

 近年、日本人の新聞離れがよく言われています。新聞協会のデータでは、すべての新聞の発行部数はピーク時の5400万部から昨年3300万部と4割も減ってます。

 原因はいろいろあると思いますが、ネットニュースの普及の影響が大きいのでしょう。先日も書いたように、朝晩の通勤電車の光景が如実に紙離れを物語っています。日経新聞を広げるサラリーマンがいなくなり皆さんスマホをいじくってます。その日のトップニュースはじめ主だった情報はすべて、わざわざ購読料を払わなくてもタダで手に入るのです。職場で聴いても「ネットで読めるし、新聞とってません。」という若い子たちが増えてます。shinbun.jpg

 しかし新聞はやっぱり紙で読むべきです。ネットニュースは自分が興味がある記事しか検索しないし、Yahooニュースなどのキュレーションサイトはあるものの、どうしても入ってくる情報に偏りがあります。一方紙面だと多くの記事がいやでも目に入るので、関心がなかった分野に触れるきっかけになります。総体的に得られる情報に大きな差があるのです。職場では周りに「ネットばかり見てないで新聞読め」と言っても「youtubeがあるんでテレビも必要ない」という子までいて、なかなか厳しいものがあります。なんとか紙の新聞に復権してほしいもんです。

 そんな社会一般的な新聞離れの中でも朝日新聞の発行部数はこの10年間で800万部から430万部まで落ち込んでおり、業界全体が部数を減らす中でもその減少率は群を抜いています。当然、会社の経営も悪化し、売り上げは過去最高やった2012年の4762億円から、昨年は2938億円と著しく減って経営危機に陥っています。現下、大リストラを敢行中ですが、耐えきれずに去年とうとう購読料を値上げしたことで読者離れにさらに拍車がかかっています。

 なぜに朝日がこれほどまでに落ちぶれたのか。ひとつにはトレンドに乗り遅れ、電子媒体への移行に失敗した結果といえますが、それよりも何よりも近年繰り返されたかずかずの不祥事によって読者が愛想を尽かしたということと、そもそも、一貫して日本と日本人の誇りを傷つけてきた編集方針がいよいよ国民に受け入れられなくなってきたのです。その詳細はこれまでに再三書いてきたので繰り返しませんが、まあひどいもんでした。「慰安婦」「吉田調書」「池上コラム」いずれも、日本の新聞の歴史にその名を遺す大事件でした。

20220905_051823751_iOS.jpg 先ごろ、そんな朝日新聞をリストラされた元記者が書いたその名も「朝日新聞政治部」という本が話題になってます。朝日の批判を続けるからにはその実態を知っとくべしということで、読みましたよ。1枚のページがぶ厚いのでなんだかすぐに読み終えました。量的には新書で十分なのにハードカバーで出した講談社の商売気を感じます。

 著者の元記者は「吉田調書」誤報事件の中心人物で、当初大スクープをとったと社内で大絶賛されたのに、その後一転誤報の責任を押し付けられ転落していく過程を詳しく書いています。ただ、本人は未だに誤報と認めておらず、単に記事の表現が不十分やっただけと主張しています。そして、それにも拘わらず記事全体を誤報とあっさり認めた当時の社長の事後対応がお粗末やったせいで大騒ぎになったと。なぜ自分のせいにされるのかという憎しみと怨嗟が、つまりはこの本の言いたいことなのでした。

 新聞社内部の政争の有様や、会社に盾突く記者の気骨の様子なんかはそれなりにおもしろかったけれど、そんなものは別に大きな組織ならどこでもありがちな話です。それよりも「吉田証言」に象徴される一連の慰安婦に関する反日策動によって日韓関係を戦後最悪の状態に貶めた責任について、内部の記者は果たしてどう考えてきたのか、オリンピックのスポンサーに名を連ねながら「五輪反対」を声高に叫ぶ狂態を記者はどう評価しているのか、など、知りたいことはほとんど書かれてませんでした。ただただ、「俺は悪くない、社長はじめ上層部がボンクラやったんや」という主張に終始してます。「リストラ社員の恨み節」というサブタイトルをつけるべきでしょう。

理工系作家

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 東野圭吾といえば、現代日本最大の売れっ子作家のひとりです。ガリレオシリーズや刑事加賀恭一郎シリーズなどドラマ化されたものも多く、人気絶大でいまや推理・探偵小説界の第一人者と言ってもいいでしょう。わたしも好きで、その作品はほぼすべてを読んでいます。

 デビュー作「放課後」が世に出たのが私の社会人デビューと同時期で、それ以降新刊が出るたびにずっと読み続けてきました。「実に面白い。」

 およそ推理小説では、犯人当てをめぐって作者と読者の知恵比べなんてことがよく言われます。いかに犯人ぽくない人が、いかに奇想天外な方法で犯行を成し遂げたのか。最後に意外な犯人や犯行の方法が判明し、ときに鮮やかなどんでん返しを演出し、読者にカタルシスを与えるわけです。

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 しかし、私に関していうと、これまでに何百冊という推理小説を読んできましたがこいつが犯人や!と的中したことなんてほとんどありません。情けない話ではありますがこれ、推理小説を手にする大方の読者が同様ではないでしょうか。作者と勝負しようなんてはなから考えてなくて、ただただ作者が紡ぎだす物語の進行に漫然と身を委ねているのではないかと思うのです。それはつまり推理もの以外の小説と同じです。

 単なる「犯人当てパズル」と割り切った作品もないわけではありません。しかし、そんな作品は話のツジツマを合わせるのにきゅうきゅうとしてて、気の利いたセリフのひとつもない。読み終えて「ふーん、なるほどそういうことね」で終わってしまい、ひと月もすると細かな筋書きはすっかり忘れてしまうなんてのが多い。具体的に作品名を上げたりしませんが、例えば旅情あふれるご当地トラベルミステリーなんて、中心となるトリックをひとつ据え付けて水戸黄門のごとく舞台を整えると一丁上がり、という具合です。

 これに対して東野圭吾のミステリーの魅力は、犯人捜しに加えて重厚な人間ドラマが展開されます。仮に事件が起こらなかったとして謎解き要素を取り除いたとしても文学作品として十分に読ませるのです。その多くが映画化ドラマ化されているのも頷けます。

20220901_233112635_iOS.jpg そんな東野作品でこれまで読んでなかった逸品を先週読みました。東野圭吾令和初の書下ろし「希望の糸」です。もちろんここで内容を紹介することはしませんが少しだけ概要を語ると、家族の絆、肉親の絆の大切さ難しさ素晴らしさをかすかに繋がった「糸」に喩えて訴えてくる作品です。さすがです。最後の部分でついホロっとしてしまいました。東野ワールド炸裂です。おそらくドラマ化されるんでしょうね。

 ただこの作品中、めずらしく「それはないわー」と思ったところがありました。刑事が女子高校生を高校に訪ねるんですが、校門で警備の人に用件を告げたところ「ここに名前書いてね」だけで、校内への立ち入りとクラブ活動中の生徒への面会を許します。ありえません。実際なら警備員はすぐに職員室に連絡し、先生がとんできて用件を根掘り葉掘り聞いた上で校長先生に連絡して対応をあおぎ、校長は教員委員会に連絡して前例を探させたうえで、後日あらためて保護者と教頭と担任が同席の上で事情聴取を許可することになるでしょう。警察から校長もしくは教育長あてに依頼文書を出せ、なんてことになるかも分かりません。

 しかしまあ、東野作品に関してはそんな細かな辻褄にこだわることは野暮というものです。物語をテンポよく読ませるために必要な演出ということで納得するべきです。

 ところで東野圭吾は大阪府立大学工学部出身で、卒業後は企業で技術者として勤務していたそうです。いわば理系人間であるにもかかわらず、プロの作家として名を成したわけで、才能には理系・文系関係ないんやなあなんて思います。そいやかの手塚治虫もお医者さんやったし、むしろ自然科学分野に秀でた頭脳が、緻密な物語を構成していくことに向いているのかも知れません。つまり、わたしには絶対にムリです。これからもいち読者として東野ワールドを楽しんでいこうと思います。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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