2022年11月アーカイブ

人語天声

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 誠に申し訳ない。

 サッカーワールドカップ、ぽんぽんぽんと3つ負けて1次リーグで帰ってくるやろなと思ってました。ところがなんと初戦で強豪ドイツに逆転勝ちするとは。一気に今大会の日本代表の活躍に対する期待が高まりました。にわかファンここに極まれりです。doha.jpg

 300万円貯めて大会期間中1カ月ドーハに滞在して観戦する人や、そこまでではなくても休暇を取って現地に赴くサポーターのことをテレビで視ると、言わないけれど「どおせ負けんのに、ご苦労なことやなあ」と思ってました。

 誠にすみません。

 この人たちみたいな熱心なファンの真摯な応援あってこそ、今回の歴史的勝利があったものと思い知りました。不徳を恥じ入るばかりです。

 それにしても、本当にドイツに勝ったのね。未だ信じられません。森保監督の采配が絶賛されてます。1993年、かの「ドーハの悲劇」は、私もリアルタイムで視てました。アナログ時代の四角いテレビでした。試合終了直前のロスタイムに、日本のゴールキーパー松永選手の頭上にふらっと上がったボールがゴールに吸い込まれたあの場面、はっきりと覚えてます。思えばあの試合に森保監督も出場してたんですよね。今回「悲劇」を、ステージを上げたワールドカップ本戦で「ドーハの歓喜」へと変えたわけです。1次リーグ突破できるかどうかは未だ分かりませんが、暗い話題が多い昨今のわが国にあって、MLBの大谷選手といい、スポーツ分野でのヒーローの活躍は本当に元気を貰えます。

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 さて、国内に目を転じて相変わらずの朝日新聞ネタで恐縮ですが、先週の天声人語は、ツィッターのマスク氏が「Vox Populi Vox Dei(ラテン語)」(民の声は神の声)とツィートし、これは天声人語の英訳版タイトルと同じやと喜んでます。そもそも朝日の創刊当時から続くこの看板コラムは「天に声あり人をして語らしむ」という意味で、自らが神であるとする朝日の傲慢な姿勢を如実に表すものです。コラムでは「民の声、人民の声、世論が天の声なのだ」という意味と言ってますが、こじつけというか正反対の曲解です。それなら「人語天声」と表記すべきでしょうよ。

 天声人語を書き始めた明治の昔、当時の朝日は自らの主張こそが尊い天の声であるとする認識であったのです。多分、それくらい強気でなければ当時の論壇は通用しなかったんでしょうよ。けど、後年、もうそんなつもりはないですよというのならタイトル変えればいいいのに、やってない。つまり当時の意識はその後も変わることなく、気に入らない対象は徹底的に攻撃する、自らの過ちは絶対に認めないという今に至る社の風土、論調を育んできたものと思われます。「これはもう、時代に合わんなあ」と思ってるんであればどんどん変えていけばいいのに、古くから使ってるというこだわりを捨てきれず、こじつけの解釈で煙に巻く。なんだか日本の憲法に似てなくもありません。

 さらにこの日コラムは最後に「民の声は重いが、重さは数で決まるものではない」と結んでいます。民主主義の原則を否定する独善的で危険な思想がこの一言にこめられていて、さすがと言うべきです。

 日本中が盛り上がった東京五輪で朝日は、スポンサーに名を連ねながら「五輪反対」を主張し非難を浴びました。そして「やっぱりやめたら?」という否定的な論調から、日本選手が思いのほか活躍し世論の支持が高まると一転して五輪特集の紙面を組むなど、その日和見的な対応が再び嘲笑の的となりました。国民がこぞって快挙に沸く今回のワールドカップ、代表の活躍を朝日がこれからどう伝えていくか、注視したいと思います。

 明日からしばらく出張しますんで、また土曜の夜にブログの更新です。

 今週の朝日新聞に「センセイ呼び 地方では変化」というコラムが載ってました。議員に対して先生と敬称をつけるのはなぜかという話です。結論は「よくわからない」ということでした。

 朝日は広辞苑を引用して「先生」とは、①先に生まれた人②学徳の優れた人 ③教師 ④医師、弁護士などに対する敬称 ⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称 と説明してます。「議員」とは書いてないよ、というのが朝日の言いたいことみたいです。seiji_souridaijin_bg3.png

 先生と言えばまず教師のことでしょうよ。「あの人仕事なんなん?」「先生やで」と言えば普通、教員やと理解します。だから広辞苑が医師、弁護士などの敬称と区別して、しかもそれより先に「学校の先生のこと」という語釈を掲げるのは正しい。しかし、いの一番目が「先に生まれた人」ってこれは広辞苑、どうよと思います。こんな意味で「先生」使ってる例を私は寡聞にして知りません。

 まあそれはいいとして「議員センセイ」の話です。これは④に該当する、つまりは敬称です。相手を敬うために〇〇先生と呼ぶわけで、議員はエライという認識が前提にあります。それが昨今「議員ってエライの?」という疑問が生じて見直しにつながってると。大阪府議会では今年、議員を先生と呼ぶのはやめると決めたんやとか。ほかにも「〇〇議員」「〇〇さん」に改めるところが出てきているけど国会では旧来のままやで、というのが朝日の記事の主旨でした。さて。

 議員も別に「先生」でいいと思います。「先生と呼ばれるほどのバカでなし」という川柳もあります。呼ぶ人は別に議員に尊敬を込めて先生と呼んでるのではありません。名前よく知らないし呼びかけるのに便利やから使ってるんであって、しいて言うなら広辞苑の⑤番目、むしろからかってるのです。呼ばれた方もそう理解でけんとあきません。先生と呼ばれて「俺は偉いんだ」と思うような輩は議員に向いてません。

 school_class_seifuku_aseru.pngかつて、学校の教師になりたてのある若者が「先生と呼ばれると何だか面はゆいです」と言ったところ先輩教師が「アホか。相手は敬って言うてるんやのうて単に職名を呼んでるだけやど。エラなったと勘違いすなよ」と諫めたとか。この先輩、なかなか分かってらっしゃる。先生と呼んどけば相手の名前覚える必要もないし、いろいろ便利なのです。

 どんな仕事の人を「先生」と呼ぶのか、基準はあるのかと考えてみるわけです。士業(弁護士、税理士、会計士、司法書士など)の人はたいてい先生と呼ばれますがこれは、職務上個人顧客と一対一で接するからではないか。その際に客が話しやすいからではないか。例えば、歯科医院でドクターのことは「先生」と呼べて、話をしやすい。一方、歯科技工士さんは先生ではない。名前も知らないと「すみませーん」としか呼べんくて、これはなんとなく不便なんです。しかし、もしそうやとすると理髪師、美容師、ネイリストやなんかも先生でいいよなもんやけどそうではないから、これはやっぱり違うか。

 人を教え導く、指導的地位にある人に対しては先生と呼ぶ、という説もあります。しかし、作家や漫画家も先生と呼ばれるけど、別に誰かを指導してるわけではありません。かの慶應義塾では「先生」というとそれは福沢諭吉のことを指し、それ以外の教員は君づけで呼ぶ、とホームページに書かれてました。「〇〇君の授業今日は休講」なんて通知されるらしい。ほんまかいな。実に違和感があります。学生が教員に対して「〇〇君、質問があります」なんて言うてるんやろか。にわかに信じられません。変な学校。

 桂枝雀さんは生前、古来、寄席の演者のうち講談をかける講釈師だけがなぜか先生と呼ばれると言ってました。もうね、わけ分からん。やっぱり先生呼びの基準は不可解だわ。

笑えないハナシ

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 明日の日曜日は朝からお出かけしますんで、土曜日の夕食後、ほろ酔い気分でブログ更新です。

 先日、皆既月食という久々の天体ショーで日本中が盛り上がりました。同時に「天王星食」もあったって、そんな日本語初めて聞いたわ。ショーって言っても別にお月さんも天王星も人間に見せるためにやってるわけではないんやけど、大自然の壮大な営みを直感的に、それも居ながらにしてタダで感じられる稀有な機会として少しく興奮した次第です。おりしも雲一つないいいお天気で、実にラッキーでした。20221108_102034000_iOS.jpg

 そんな壮大な宇宙規模の自然の営みを感じた同じ今週、地上ではあいも変わらず情けない話が伝わってます。

 「法務大臣がトップニュースになるのは、死刑のハンコ押したときくらい」とコメントして、葉梨というおっさんが法務大臣をクビになりました。実際にそう思ってたとしても、当の大臣本人が軽口としてそんな話をすることは不見識極まりない。人の死をなんと心得るのかという話です。それもあちこちでスピーチする際に同じことを何回も言ってたというから、本人は掴みに使う軽い冗談とでも思ってたのか。笑えません。誰か注意する人が居てもよかったのに、バカの周りにはバカしか集わないという見本かと。

 葉梨という名の国会議員がいて閣僚に名を連ねてたなんて大半の国民が知らないし、時がたてば知らないままに大臣は次の人に交代してたはずです。それが、おめでとう、今回の不祥事で一躍人々の記憶にずっと残ることになりました。

 かつての民主党政権時代に、柳田という当時の法務大臣が「法務大臣は『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と『法と証拠に基づいて適切にやっております』、この二つを覚えておけばいい」と嬉しそうに話して、クビになりました。繰り返されるバカの歴史。

hanko_man.png つい先日、死刑関係のエントリーを書いたところです。先進国で死刑を存置するまれな国であるわが日本に対しては国際社会から厳しい目が向けられている中で、こんな低レベルの人物が法の番人たる法務大臣を務めていたとなると、これはもうね、今後の死刑存廃の議論にも影響を与えるかも知れません。「ハンコひとつで殺される」とは死刑廃止派がよく使う常套句ですが、今回の件で勢いづくことでしょう。実際法務省の関係者は「しばらく死刑の執行はでけへん」と怒ってるそうです。

 思い出されるのは、第一次安倍内閣んときに法相を務めた鳩山邦夫氏です。兄の由紀夫は悪夢の民主党政権で最初の首相に担がれ、その後の日本を無茶苦茶にする先鞭を担ったのみならず、失脚後も「元首相」の肩書をかざして半島国家に媚び続け日本を貶めている国賊ですが、弟の邦夫氏の方は自らの政治信念に忠実な、立派な政治家でした。

 法相就任中に13回もの死刑執行を命じ、死刑廃止各派から批判を浴びるも、法の番人として法律に基づいて粛々と職務を執行する姿勢には威厳を感じたものです。決して軽々にポンポンと死刑命令の書類にハンコをついていた訳ではなく、決裁する際には身を清め祖先のお墓まいりを行ったうえで厳粛に対応していたといいます。過酷な精神的負荷に身を晒しながら、法治国家日本の秩序維持と正義の実現のためにその職責を全うされたのです。

 鳩山法務大臣の命令により死刑が執行された際、朝日新聞はあろうことか記事で鳩山氏を「死に神」と罵倒しました。さすがにこの愚行に対しては犯罪被害者の会をはじめとする多くの団体、読者から夥しい非難、抗議が寄せられ、朝日は謝罪記事を掲載する羽目に追い込まれました。この一見をとっても朝日新聞の反社会性が如実に表れています。吉田証言、吉田調書、サンゴ事件と並ぶ不祥事として国民の記憶に残っています。

 ハナシが逸れました。ようするに、かつてその責任に伴う独特の苦悩を抱えながら真摯に職務を執行してきた法務大臣がいたことと比較して、今回の葉梨のハナシはまったくハナシになりません。さっさと退場してもらいましょう。法務大臣がトップニュースになるのは「死刑のハンコ押したとき」と「失言でクビになるとき」というジンクスができました。「地味な役職」というのは、ある意味当たってるかも知れません。 

図書館戦争

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 先週の朝日新聞、文科省が内閣府の依頼を受けて全国の公立学校の図書館に対して、北鮮による拉致問題関連の本を増やすよう依頼したことに難癖をつけています。社説ではなく社会面の記事として出してるあたり、ちょっと強気です。20221105_034202929_iOS.jpg

 拉致問題の解決に向けて政府が一層の努力を続けなければならないことは当然であり、その一環として被害者奪還に向けての世論喚起を図るために、北鮮のわが国民に対する非人道的行為を学校においても広く周知していくこともまた当然です。政府の対応は何ら間違っていません。

 これに対して学校図書館関係者は「図書館の独立」という概念を掲げ、国が図書館の仕事に口を出すなと抵抗し、似非リベラルの朝日がその尻馬に乗って騒いでいるという構図です。

 図書館協会なる団体がかつて「図書館の自由に関する宣言」という声明を発表してまして、先年「図書館戦争」というラノベが評判となり、アニメ化、実写映画化までされたことでこの宣言が注目されました。ひとことでいえば、戦争の反省を踏まえて、図書館という施設は国民の知る権利を守り国民に対する思想善導や検閲に反対する、という内容です。謳ってる理念そのものについてはなるほどそうかもねって思うけど、この宣言に基づいて国が図書館の選書に口出しすることはけしからんと言われると、ちょっと待ってよってなります。

 だって図書館の自由なんていうけど学問の自由や言論の自由のように憲法で保障されてるわけではなくて、この宣言というのも別に法令でもなんでもないんです。自分たちの都合がいいように定めて発表しただけで、社会一般の国民の思想、行動を規制する規範的な意味はありません。なのにそれを盾にして図書館の選書(どんな本を買って利用者に提供するかを決める仕事)に口を出すなってのはどうよと思うわけです。図書館の司書様はそんなに偉いのでしょうか。図書館は一般人がおいそれと語ることができない聖域なんでしょか。

library.jpg 選書には担当者の思想や信条が介在したらあきません。職員とてオウムや統一教会の信者もいるかも知れないし、左右問わず過激な思想の持主がいてもおかしくない。そんな連中が偏った内容の書籍ばっかり書架に並べたろと思えばできるんやけど、それはやっちゃいけないわけです。選書ってのは、自分が読ませたい本を買うことではなくて、利用者の意向を酌んで図書館が買う本をバランスよく取捨選択する仕事です。そのためには広く希望を聴くことが必要なんであって、政府からの要望に関しても、それが今回のように適正妥当なものであれば門前払いするのはおかしいのです。

 公立学校の図書館は教育のための施設です。文科省の指導、監督下にあるのであって、無制限の自由、得手勝手が許されているわけではありません。拉致問題で北鮮に対抗するために、教育機関においても北の異常さと邪悪さについて啓蒙し、防衛維持のための指導を続けていくことは国の大切な仕事なのです。

 半島の出先機関ともいわれてる朝日新聞にしてみれば、今回の政府の通知に対しては何らかの抵抗をすべしということで記事にしたのでしょう。しかし、またぞろ一方的に政府の仕事を批判するだけの論調で何ともバカ丸出しです。中立公正な報道機関として、識者のコメントを載せるのであれば反対の立場の意見も併記してしかるべきですが、例によってそんなことはしてません。ダメだこりゃ。

WELCOME

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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