2020年10月アーカイブ

孤高の天才

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 毎日通る最寄り駅への道沿いの大きなおうちの庭に金木犀の大木が立ってて、秋にはいつもむせ返るような芳香を周辺に漂わせます。しかし、今年は常時マスクしてたんであまり感じないうちに、もはや花の盛りを過ぎたようです。

 20201019_212035760_iOS.jpg深まりゆく秋、大阪では昨日木枯らし第1号が吹いたと伝わりました。観測史上タイの早さやそうです。そんなに寒かったかな。ついひと月前はまだ真夏日があったというのにもう冬の訪れとは、近年だんだんと春と秋が短くなってます。いずれ日本の四季は夏と冬の二季になってしまうというのであればそれは実に悲しい。そうならないことを希う晩秋の土曜日の夜です。

 さて、明日日曜日は朝から出かけるので、秋の夜長にじっくりと音楽の話題を書いてみます。ここに一枚のレコードと、同ジャケットデザインのCDがあります。モーツァルトのピアノソナタ集で、レコードの方は40年以上前に中学校の音楽の授業で聴いたことをきっかけに買ったもの。CDの方は、時は流れて10年ほど前、たまたまCDショップで見かけて懐かしくなって衝動買いしたものです。

 このCD、デザインが同じなのでずっと昔買ったレコードと同じものと思ってました。ところが昨日、ふと思い出してレコードを引っ張り出したところ、入ってる曲が違います。何十年の時を経て明らかになった真実です。

 音楽の時間に聞いたのは、ピアノソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付」。モーツァルトの楽曲の中でも超絶ポピュラーなナンバーです。ですから学校の教材にもなったわけで、当時の私はこの曲が欲しくてレコードを買ったわけです。

 演奏はグレン・グールド。カリスマ的な人気を博した偉大なピアニストです。全盛期の名声は指揮者のカラヤンを凌ぐ勢いで、一時代を築いた天才といえます。アメリカのNASA が打ち上げた無人惑星探査機ボイジャーには、異星人に向けてのメッセージとして地球上の様々な声や音を録音したレコードが搭載されましたが、人類の文化的傑作としてグールドが演奏するバッハの「平均律」が載っているそうです。

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 天才ゆえにその音楽は独創的な解釈や奏法で有名やったそうです。よく知られているのが、演奏中に「歌う」ことです。このわたしのレコードでも弾きながら気持ちよさそうにメロディーをハミングするグールドの声が入ってます。こんなピアニスト他にいません。

 もちろん中高時代の私がグールドなんて知るはずもなく、欲しい曲のレコード買ったらその演奏がたまたまグールドやったというだけなんです。とろこが、その後今に至るまでこのグールドの演奏を超える11番K.331を知りません。超メジャーな曲だけあって、数えきれない奏者の演奏を聴いてきましたが、どれもダメ、及ばない。例の第3楽章トルコ行進曲、たいがいの奏者は「どうよ私のテクニック。こんなに速く弾けるんよ」という攻撃的な演奏が多い。ところがグールドの演奏は、実に緻密で繊細で、まさにおもちゃの兵隊がとことこ行進して行く様が眼前に蘇ります。トルコ行進曲はこうでないといけない。

 グールドはのちに演奏会を否定するようになり、後半生はコンサートを一切行わずもっぱらスタジオ録音で音楽活動を行ったとか。天才の考えることはよく分かりませんが、演奏が素晴らしくて、その他大勢の演奏家とは一線を画していたことはなんとなく感じました。だからその後、何かピアノ曲を買う際にはグールドの演奏があれば選ぶようになりました。ようはファンの一人ということです。

 どんな分野であれ天才は往々にして孤高であり、他人の目を意に介さず媚びることがない。それでいて人を惹きつけるものなのです。

 先週、労働関係裁判の重要な最高裁判決が相次いで出され注目されました。

 正規社員と非正規社員の待遇格差に関する訴訟で、おおざっぱに言うと正社員には退職金、賞与、扶養手当や病気休暇やなんかがあるのに、非正規社員には無いというのはおかしい、同じにしてよ。という訴えです。最高裁は退職金、賞与に関する要求を退け(大阪医科大学事件、メトロコマース事件)、扶養手当、年末年始勤務手当、夏期冬期休暇手当、有給病気休暇、祝日給の5つについては訴えを認めました(日本郵政事件)。

 これまで長い長いあいだ、非正規社員は就職時にその条件に納得して雇用契約を締結したんやから、周りの正社員を見て自分もそっちに合わせてよってのはおかしいでしょという理屈で、認められることはありませんでした。

3464067_s.jpg 風目が変わったのはバブル以降です。企業において終身雇用の正社員の割合が急速に下がり非正規の社員がどんどん増えるに伴って、非正規労働者の法令上の保護が一気に進みました。かつては労働契約法、今はパートタイム労働法の規定によって、簡単に言うと「正規社員と同じ内容の仕事させてるんなら同じ待遇にしなさい。同じでなくても違いの度合いに応じた均衡処遇をしなさい」ってことになってます。そこで「非正規でも同じように賞与も退職金も手当も出していいんとちゃうの」という要求が出てきたわけです。採用時の約束なんて関係ないんです。

 相次いで出された二つの判決で、賞与、退職金は出さなくてもいいけど、扶養手当や病気休暇は出しなさいってことになりました。それぞれの要求項目について一審、二審、最高裁と判断が二転三転する難しい裁判でした。

 裁判結果をリベラル系メディアは大きく取り上げ、保守系の扱いは小さいということが判決への評価を表しています。雇用する企業側にとってはやっかいな話であることは確かです。

 しかし、今回の最高裁判決、非正規社員にいついかなる場合でも正規社員と同んなじ手当を出しなさいというわけではなくて、個別の事案で正規非正規の職務内容の差異を勘案して決める必要があることに注意が必要です。今回の日本郵政事件で判決出たからといって、全国のパート・アルバイト従業員が「俺にも扶養家族手当ください」という話にはならないんです。

 さらに、企業側は当然、今後、判決に沿った対応策を講じます。それは必ずしも非正規従業員の待遇改善につながるかというとそういうわけのもんでもない。正規非正規均等にというなら正規の労働条件の方を下げるというやり方もあるわけで、結果的に労働者全体で見た雇用条件が悪化することにもなります。実際に日本郵政は下級審で確定していた住宅手当に関する同様の訴訟の結果、引越しを伴う異動のない一般職の住宅手当を廃止しました。非正規と同じになったんで文句ないでしょってわけです。

 社会環境の変化に伴って、非正規労働者保護を進める政策は評価できます。しかし、現状十分に功を奏しているとは言い難い。企業にしてみたら、非正規の給与上げろというのなら不況とコロナで苦しむ事業者側の救済の方をまず何とかしてよってことになります。朝日新聞なんかは「いけるぞ、労働組合がんばれっ!」と喜んでますが、本当にそれでいいの?っていう話です。

 実に久しぶりです。先週、出張で新幹線に乗車しました。

 その前乗ったのがいつやったかと手帳を繰ってみると、なんと今年の1月末ですから実に9カ月ぶり。それまでは月に23回は乗ってたのにこの変わりよう。言うまでもなくコロナのせいです。この間世界中が移動自粛で、仕事も急速にオンライン化が進行し、出張を伴う業務は可能な限り削減されました。休みの日もずっと家にこもるようになり、G.W.や夏休みも含めて旅行にも全く行ってませんでした。

 それが、コロナの第2波が収束に向かい、県をまたいでの移動が解禁され、逆にGo To Travel キャンペーンで旅行が推奨され始め、仕事でも「そろそろいっか」と徐々にリアル出張が生じ始めました。

 それでも、列車内は以前に比べてかなり空いてます。これはゆゆしき事態ですよ。日本が世界に誇るこの高速鉄道は、従前のように多くの人が列島を縦横無尽に移動し続けることを前提にダイヤや料金が成り立っているわけです。この乗車率では採算がとれるはずがなく、今年の客枯れはシステム全体に大きな打撃となったはずです。日本がコロナの影響から完全に脱するにはまだ何年もかかるでしょう。果たしてそれまで持ちこたえられるかという話です。coronaressha.jpg

 それどころか、今年一気に社会のシステム全体がオンラインに舵を切ったことで、コロナ収束後も人の移動量が以前の水準には戻らないことが十分に考えられます。

 そうなると、リニア中央新幹線が果たして必要かという問題が再燃しそうです。作ったはいいけど利用者が当初の見込みほどいなくてどんどん赤字が膨らんでいく、仕方ないから運賃値上げしてさらに利用者が減る悪循環が続き、いよいよ国策事業の継続のため損失補填に税金がジャブジャブ投入されていくと。

 昭和の昔、東京、北海道間の鉄道旅客量の増加で青函連絡船が飽和状態となり、急きょ青函トンネル作りはじめたはいいけど、長距離客は鉄道から飛行機へとどんどん移ってしまって「もう、トンネルなんかいらんやん」ということになり「昭和の万里の長城」と揶揄された歴史があります。津軽海峡は違った意味で冬景色になってしまったのです。今ではなんとか形を整えて新幹線が走ってますが、走れば走るほどわんさか赤字が嵩み続けてます。それでも札幌まで延ばす工事は続けるそうです。

 東京から札幌に行くのに、また鹿児島から上京するのにトコトコ電車で行こかという人が果たしてどんだけいるのか。新幹線が来たことで沿線にどれほどの経済効果があるのか。おそらく投資に見合うだけの効果は無いでしょう。整備新幹線計画は国策として地方振興のためにある程度採算を度外視し、首都圏や大阪で稼いだ分を地方にばらまくことを是としてきたことは分かります。しかし、現時点の人の移動の減少という状況の変化によって、大都会におんぶにだっこ状態が耐えられる限界を超えてしまいそうなのです。

 「コロナ後なんて無い」とも言われてて、人類はずっとコロナウイルスと共存することを迫られてるわけです。計画立案時点と状況がすっかり変わってるんやから、ここはいちど考えなおさんとあきません。当初計画を無理に進めると青函トンネルの二の舞になってしまいます。新幹線やリニアに限らず、その他様々な公的事業も同様で、大きなwithコロナ問題です。

小さなアサガオ

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 中秋の名月が過ぎ、秋が深まっていきます。通勤の電車ではまだ上着着てネクタイ締めている人はほとんどいません。

 日本人が夏のあいだネクタイ締めなくなって久しい。クールビズというやつです。それでもかつては確か9月いっぱいやったのがいつの間にか10月まで期間が延びました。地球温暖化の進行で平均気温が上がり夏が長くなってきた帰結ということでしょうか。何にせよ社会的に一斉にビジネスマンのユニフォームが楽ちんになることは実によいことです。ただ、ネクタイ屋さんは困ったもんでしょうね。

 街を歩いてると、そろそろキンモクセイの芳香が風に乗って漂ってきそうです。よく「運動会の香り」と言われて、私なんか「うまいこと言う」と思う昭和世代ですが、さっこんは運動会を春に行うところも増えてるとか。ともあれ、夕暮れともなるとわけもなく淋しさが募ってくるいつもの秋の風情です。

 そんな新しい季節にあって、わが家のベランダではいまだに夏の名残のアサガオがいくつか咲いてます。大半は種になってそろそろ枯れた葉っぱを撤収しようかと思いながらも、花が咲き続けてるうちは手をつけずにいました。

20200922_211451141_iOS.jpg そのうちのひとつの鉢はどうやら土の栄養が足りなかったみたいで、いくつか撒いた種のうち発芽して伸びたのは1本だけ。すこし経ってから同じ鉢にもう2つ撒いたところ、芽が出てきました。ほかのんより1カ月ほど遅れての成長開始でした。やっぱり土が悪いので、ツルは細くて伸びるのも非常に遅い。50センチほど伸びてどうやらこれが限界といった様子です。

 思えば毎年ズボラして同じ土を繰り返し使ってきたので、土そのものの力がもはや限界です。今年の春先に古い土を捨てたのですが、この鉢まだいけるかなと思って肥料を混ぜてごまかしました。やっぱりダメやったみたいです。

 ところが先週、ダメと思ってたこの鉢の貧弱なアサガオが、小さな小さな花をつけました。ペチュニアよりも小さなムラサキ色の可憐な花です。これには少し感動しました。

 伸びないから日当たりも悪い。撒いた時期が遅いから気温も低く、何より肝心の土の質が粗悪で、成長する条件は極めて劣悪であるにも関わらず、持てる力を振り絞って花を着けた。与えられた条件の中で、可能な限り限界まで力を発揮し、生命の本分を全うしたのです。

 自分を顧みて、運が悪いとか条件が悪いとか何かと理屈をつけて勝負を避け、気力を失うことが無かったか。条件が悪くても、力が小さくても、与件の中で自分のやるべきことに力を尽くしてきたか、小さなアサガオに問われた思いがしました。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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