2015年12月アーカイブ

歳末に君が代のこと

| コメント(0) | トラックバック(0)
 年末もいよいよ押し迫ってきて、おそらくは今年最後のブログ更新となりました。
 
 先週大阪で、君が代不起立処分裁判の判決がありました。公立学校の教員が卒業式の君が代斉唱の際に立たず、歌わなかったことで減給処分を受けたことが不満で、処分を取り消して慰謝料払えと訴えた、よくあるやつです。裁判所はこの教員の請求を退けました。
 
 当然の判決です。
 
 そもそもこの教員、まず自分はクリスチャンで信仰上の理由から歌わないとゴネたらしい。意味不明です。クリスチャンには国歌を歌ってはいけないなんて教義があるのでしょうか。こじつけに過ぎず、クリスチャンを愚弄する言辞です。IMG_5975.jpg
 
 次に学校側はこの教員の気持ちに配慮して式場外での受付を命じていたにも関わらず、この職務上の命令を無視してわざわざ式場内に入り込んで不起立に及んだとか。いやならそんなとこに行かなきゃいいわけで、明らかに式典の進行をことさらに妨害する意図をもってなされた犯行です。まず職務命令違反として処罰の対象となり、さらに学校行事である式典を意図的に妨害する犯罪行為として、一層重い処罰の対象となります。甲子園の阪神・巨人戦でジャイアンツファンが誰も頼みもしないのに勝手にライトスタンドに乗り込んで阪神の応援をし、精神的苦痛を受けたから慰謝料よこせと騒いでるようなもんです。
 
 入学式、卒業式で国歌斉唱の際に立たずに処分を受ける教員が後を絶たないとか。まったく何を考えているのかと思います。学校の重要な式典において、国歌を斉唱することは当然の所作です。国歌が嫌いならばそもそも公立学校の教員になどならなければよいのであって、先生という社会的地位と給料は欲しいけど、それによって生じる義務は遂行しないなどということはおよそ通用しません。これは憲法が保障する「思想・良心の自由」とは全く別問題なのです。
 
 歴史的な背景もあり、君が代が嫌いやという人もごくわずかいることは理解します。彼らが良心に従ってそのことを主張する権利は厳然と保障する必要があります。しかし、民主主義国家かつ法治国家であるわが国は、適正な手続きによって成立した法律によって、君が代を国歌と定めているのです。それを、自分が嫌いだからという理由で否定することはできません。
 
hinomaru.jpg「わたしは、人には人を殺す権利があるという思想をもっている。したがってわたしは今の刑法を認めていないから、わたしが人を殺しても思想・良心の自由に基づき逮捕されることはない」と言ってるのに等しい。そんな簡単なことを理解できない、しようとしないバカものたちがいまだに蔓延っているのです。
 
 朝日新聞は、この判決の記事において「教員への圧力がかけやすくなる。現場の萎縮が進む」と伝えています。この論旨はおかしい。式典で君が代を歌うことがなぜ「萎縮」なんでしょか。校内で「式典での国歌斉唱はやめませんか」という議論は大いにやったらいい。声を上げることに対して処分なんてするべきではないし、できるはずもない。それこそ人権問題です。しかし、組織・集団の一員である以上、自らの思いに反する決定に従わなければならない場面も当然生じてきます。それが自分の信念に反して我慢できないのならば、さっさとその組織から退場すればよいのです。自らの歪んだ心情を教育と称して将来ある生徒たちに押し付けるような行為は許されるものではありません。こんな連中は一刻も早く教育の現場から駆逐されるべきです。
 
 さて、いつもながら気が付くとあっという間に1年が過ぎ去り、また新しい年が巡ってきます。身内の不幸があったため、今年の年越しは世間の喧騒を離れ静かに過ごすこととしますが、ひとの営みがどうであろうと月日は粛然と過ぎ去っていきます。抗うことの許されない中に身を置くささやかな存在であればなおさらに、一日一日を大切に費やしていこうとあらためて感じいっている今年の歳末です。
 
 今年も大変お世話になりました。本当にありがとうございました。どうか来るべき新年がよい年となりますよう祈りながら、今年のブログおさめといたします。

びっくり判決

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日はいいお天気となりました。恒例、職場の年末ゴルフコンペ、いつもは年末休暇期間中の平日なのに、今年はなぜかまだ仕事納めも済まないうちのしかも日曜日の今日実施され、さきほど帰ってきたようなわけで今時分のブログ更新となりました。IMG_5393.jpg
 
 先週、困った隣国のことがひさびさに話題になりました。
 
 以前、詳しく書いた産経新聞の前ソウル支局長のいいがかり訴訟の件で、韓国の裁判所が判決出しました。無罪。
 
 あちこちで言われてるように、大統領がひとこと検察に「カッコ悪いから、もうやめなさい」と言えば最初からこの裁判を起こす必要もなかったのに、自分が気に入らないから起訴するなど、とても民主国家とは言えない様を世界に晒して結局大恥をかいてしまいました。
 
 起訴自体がまったく無茶苦茶な話やったので、韓国の裁判所は「朴槿恵大統領に対する名誉毀損にはならない」と、いまさらながらの常識的な見解を示し、少なくとも司法の独立の体裁を保ったという意味では評価に値します。しかし。
 
 なんと裁判所は、判決に際して「政府から日韓関係に配慮せよと申し入れがあった」などとわざわざ発表してしまった。これにはびっくりぽんです。
 
IMG_5936.jpg 行政が司法判断に影響を与えたわけです。しかも司法はその意を汲んだ判決を出した。わがくにをはじめとする三権分立の民主国家ではおよそ考えられないことです。何度も言いますが中国では共産党のメンツが法律より優先するように、半島では反日感情が法律に優先します。司法がどんな判断を示そうが日本と日本人を貶める効果があれば、それはすなわち正義とみなされます。従って今回、裁判所は当然有罪の判断をする必要があったところ、政策的意図でもって無罪とせざるをえなかった。そこで裁判所は、国民の反日感情による自らへの攻撃を恐れて「今回無罪判決出すけど、それは政府に言われたからしゃぁないんであって、裁判所に文句は言わないでね」ということを国民に訴えたわけです。何という、何っという情けない在りようか。近代民主国家の体をなしていません。以前、世界に大恥晒すよとは書きましたが、予想を上回る演出効果です。全くもって驚かされる国です。
 
 検察が控訴するかどうかで、朴大統領の反省の度合がわかります。少しは大人の対応ができるようになってほしいもんです。
 
 ところで、わが国の新聞各紙、世界中のメディアと同様に今回の判決を好意的に受け止めており、韓国の政府、検察の一連の対応が愚かであったことを一斉に論評しています。しかしやっぱり朝日新聞だけはやってくれました。社説では、
 
 「もともと公訴を提起すべきでない問題を、自ら政治問題化してしまった責任を、韓国政府は反省しなくてはならない。」
 ここまではいいとして、
 「近年の日韓関係は、政治の関係悪化により、市民交流にも暗い影が落ちている。無用ないさかいを生んで外交問題にする振る舞いは、日韓両政府とも慎むべきである。」
 
 まるで日本政府も無用ないさかいを生んで外交問題にしてきたような論調です。おそらくは靖国参拝のことをいいたいのでしょうが、それはここであげつらうべきことではないでしょう。さらに、
 
 「一方、判決は記事が取り上げた「うわさ」について、虚偽であることを前支局長は認識していたと認定した。産経側も裁判の途中からそれに異を唱えなかった。報道機関としての責任をまっとうしたとは言えまい。」
 
 これには大笑いです。朝日よ、それをおまえが言うか。忌まわしき吉田虚偽証言でもって慰安婦問題の大キャンペーンを展開し日韓関係を史上最悪の状態に至らしめ、誤りを認めつつもいまだ謝罪はせず、国際社会において貶められた日本と日本人の地位とプライドについて回復の努力を何ら行わずにいる朝日新聞が「報道機関としての責任を」を言うとは。びっくりぽんぽん。
 
 繰り返しますが私は、護憲、リベラルを旨とする朝日新聞のシンパであり、朝日以外の新聞をとったことはありません。であるからこそ間違いは間違いとして潔く認めて謝罪し、責任ある報道機関としてなすべきことを全うしてほしいのです。頼んますよ、ほんとに。

大和は西方

| コメント(0) | トラックバック(0)
nihonshoki.jpg
 奈良県が主催して「日本書紀を語る講演会」というのんをシリーズでやってます。奈良県内の市町村において、いろんな講師が『日本書紀』の魅力を語る連続講演会(全11回)やそうです。奈良検定1級保持者の私としては来るべきまほろばソムリエ検定の受検のためにもぜひ参加しておきたいところです。と言いつつ、受検の準備はまったくさぼってて、この分ではいつになったら本腰入れて勉強を始めるのか実に心もとないという実態はあるのですが。
 
 それはさておき、そのシリーズのうちのひとつ、作家、五木寛之さんの「日本書紀の光と影」という講演に応募していたところ幸い当選したので、昨日行ってきました。
 
 大御所の人気作家ということもあって、かなりの競争倍率があったやに聞きました。ラッキー。
 
 会場は奈良県社会福祉総合センターというから、てっきり奈良市内やと思ってたところ、さあ出かけようという時間になって調べてみると橿原市やんか。近鉄電車畝傍御陵前駅前といいますから、その昔高校時代に通学していた沿線です。畝傍山がすぐ隣にそびえています。
 
 開場時間の13時ピッタリに会場に到着するよう電車で出かけたところ、やはりというかすでに入口には長蛇の列ができてました。も少し早く来れば前の方の席がとれたのに。これはしまった。しかしさほど大きなホールでもないのでまあいいとしましょう。
 
 会場のホール内はほぼ全員が中高年の人たちで占められてます。五木寛之の本と思しき書物を読んでる人もいます。80歳を過ぎてなお意欲的に著作を発表し続ける五木さんの、人気の高さを感じました。講演開始を待つ間、期待で満ちた雰囲気が募っていき、MCの紹介もそこそこに五木さんが登場すると静かな興奮はマックスへ。
IMG_5905.jpg
 
 演題「日本書紀の光と影」ということなんで、五木さんも日本書紀を研究してて学問的なお話をされるのかと思いきやそうではなく、かつて親交のあった小島憲之という国文学者の著作「ことばの重み」に関して、この中で取りあげられた「暗愁」という漢語について多くを語られました。現代ではもはやほとんど用いられなくなった言葉ですが、大正天皇や伊藤博文が漢詩を詠む中で使ってたとか。どこからともなく漂ってくる愁いというような意味なんやそうですが、確かに聞いたことがない。ネガティブな意味合いの言葉は皆があまり使わなくなって、結局は廃れてしまう例が多いと。しかし、人生には光もあれば必ず影ができる。憂いの中にいるからこそ希望や目的を求める気持ちが湧いてくるのです。そんな話でした。
 
 肝心の日本書紀については、そのものの研究ももちろん大切やけど、それとともに書紀とともに歩んできた多くの日本人、本居宣長や津田左右吉などの著名な研究者からわれわれ一般人までが、それぞれの時代や社会の中で、自らの気持ち、思いとともにどのように書紀と関わってきたかということが重要なのである、ということを繰り返し強調しておられました。IMG_5918.jpg
 
 なるほど、古事記、日本書紀は神代と歴史をつなぐ日本人の心の拠りどころであり、キリスト教徒にとっての聖書に匹敵する、いわば日本人のアイデンティティーの根源とも言えます。
 
 五木さん、ここ奈良については思い入れが強い。三輪山、大和三山は陽が上る大和でそれに対して二上・葛城・金剛の峰は大津皇子の墓があったり、峰を超えた難波の地には多くの王族が古墳を造ったりと、いわば陽が沈む大和であると。そういう意味で、大和でも西方に心惹かれるとか。そいえば前に詳しく書いた、氏の傑作「風の王国」も二上山が舞台でした。
 
 昔から好きな作家さんのひとりで、代表作はたいがい読んでます。今回、直にお話し聞けたことは実にラッキーでした。日本人とは何かという深遠な命題、また、仏教についても極めて造詣が深い五木さんのお話は、正確で美しい日本語で、語られるそのままを文章にしても何ら違和感がありません。ご高齢にも拘わらず(失礼)全くよどみなく、時に笑いをとりながら朗々と語られる、ソフトではあるけれども実に力強い口調は、聴く人人を強く魅了します。スゴイ人です。一流の人物の在りように直にふれることは実に楽しく、濃密な時間が静かに流れていきます。
 
 わたしもこんな爺さんになりたいもんや、としみじみ思いましたよ。ムリか。
 先週、身内の不幸ごとが起こり、いろいろと忙殺されているうちに、基本、週1回楽しんでいたブログの更新ができず、1回とんでしまいました。
 
 身近な人との死別は実に辛いものですが、人としてこの世を生きていく以上、誰もが経験するところです。個々の事情、状況によって衝撃の大きさ辛さ、悲しみの度合いは一様ではありませんが、共通することは、みなが必ずその悲しみを乗り越えていかねばならないということです。私もしばらくは心静かに、そして徐々に復活を遂げていこうと思っております。
 
 気がつけば今年も師走に突入しています。毎年凝った年賀状を作るのでその原案作成にはいつも苦労するのです。ところが今年はわりと簡単にアイデアが閃き、あとは印刷するだけとなってました。いつもより順調に準備できたのに残念ながらここにきてお蔵入りとなってしまいました。喪中欠礼状の発送作業を急がねばなりません。
 
 さて、今日は旬の話題「マイナンバー」です。
 
 私んとこにはまだ来てません。田舎の両親のもとにはすでに届いており、カード作るから写真を撮るようなことを言ってました。母はクルマの運転免許も旅券も持ってませんし住基カードも作ってないから、初めて写真入り身分証明書を持てるということで、何だか嬉しそうなのです。
 
maina1.jpg マンションの同じ階に市役所にお勤めの人がおり、先日出会った際に聞いてみると「うちの市も含めてどうも北摂地域は遅いようですね」とのこと。郵政のHPを見てみるとなるほど私の田舎の奈良県はほとんど配送済であるのに対して、わが四條畷市は配送完了するのが12月9日予定となってます。どうやら総務省からの発行はとっくに済んでるけど、郵便局で留まってるようですね。空前の大量発送なので、まあしょうがないか。
 
 何だか、マイナンバー制度はいつの間にか決まってて、ずいぶんすんなりと導入されたなあという気がします。かつて今世紀のはじめ頃「住民基本台帳ネットワークシステム」が導入されたときには、プライバシーの侵害とセキュリティー保護に問題があるということでかなりの反対運動が展開されたように記憶してます。
 
 「国民総背番号制」「牛は10桁ヒトは11桁」などと揶揄されて、つまりは全国民一律に番号を振るなどケシカランというわけです。しかし、それまででも運転免許もひとりひとり固有の番号やし、社会保障に加入してなくて番号ない人なんてまずいないし、制度にかかわらず一律番号化しようとする改革のどこがプライバシー侵害なのか、よく理解できませんでした。自治体にも住基ネットに反対するところがあったりで、住基ネットはプライバシーの保護を保障した憲法13条違反であるとしてあちこちで裁判が起こり、最高裁まで争ったけど原告が負けて結局「住基ネットは法的にOK」ということになりました。セキュリティーのことはともかく、国民を番号で管理すること自体に何ら問題があるわけではないということで反対も徐々に尻すぼみになり、いまだに反対続けてネットに接続していない自治体もじゃっかんあるそうですが、結局は政府の思いどおりになったのです。社会がそんな経緯を経験しているからかどうか分かりませんが、今回はメディアでも「マイナンバー反対!」という声を聞くこともなく、まさに「いつの間にか」制度は成立してました。
 
 空前のシステム構築です。その整備には莫大な予算が投入され、それで大儲けしている業者達の歓喜の雄たけびが聞こえてきそうです。これも一種の経済発動で、景気回復には役に立ったということか。
 
 これだけお金使って、全国民に手を煩わしてそれに見合う効果があるのか、どうにも疑問ではあります。しかし、ここに至った以上、ただ単に政府が国民を管理しやすくするためということではなく、社会の発展と国民の幸せに寄与する上手な運用を期待したいところです。

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ