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どぜうが出てきて

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 三連休の初日です。明日は所用で朝から出かけますので、土曜日にブログの更新をしています。

iiidaya.jpg 先日日光に行った際のお話、東武特急乗るのに便利ということで東京での前泊は浅草にしました。この界隈に来たのは、ソラマチを訪れてスカイツリーに登らずにプラネタリウム見たとき以来ですから、ずいぶんと久しぶりです。せっかくなんで夕食は浅草名物のどじょうを味わってみることにしました。いくつかあるお店のうち、ホテルからほど近い「どぜう飯田屋」さんを予約してでかけましたよ。

 どじょうを牛蒡の笹掻きといっしょに割下で煮込んだのがどじょう鍋、親子丼みたいにタマゴでとじたのを柳川鍋と言います。両方いただきました。どちらもシンプルなお料理ですが、実に美味しい。

 どじょうの仕込みは、丸のままのんと開いて骨を抜いたものの二通りあります。丸の方は、柔らかい骨の食感が独特でいかにも川魚を食べてますって感じで美味しい。骨抜きの方は、小さなどじょうの身が束になって攻めて来る感じで、食べやすくていくらでも食べられる。柳川鍋はタマゴでとじた分ボリューミーで、濃い味付けとマイルドなタマゴのコラボが絶妙です。バリエーションそれぞれに良さがあります。dozeunabe.jpg

 お店の人「ねぎはたっぷりと、そうそんくらい入れてね」って、やはり臭みがあるのかと思いきや全然そんなことはない。まあビールが進むこと。negi.jpg

 柳川鍋を含む、どじょうの鍋料理は東京の浅草が発祥やそうで、確かにここいらにはお店がいっぱいあります。大阪では、探せばどっかにあるのかもですが知りません。普段「そや、今日はドジョウ食べに行こか」とは、まずならない。家で料理しようにも、スーパーで見たことがない。市場で「さあ今日はどじょうが安いよー」って聞いたこと無い。これはあくまで、非日常の旅路において楽しむ美味いもんなのです。

 思い起こせば前に食べたのは遥か40年以上前の高校生時代、上京して親戚のおじさんに連れてってもらった、ここ浅草でした。当時は東京の右も左も分からず「どじょうはやっぱり浅草」とか言われても「?」でした。味も覚えてなかったけど、きっと変わってないんでしょな。それ以来、どじょうを食べずに生きてきました。人はどじょうを食べずとも、人生を全うできるのです。

 浅草が発祥やのになぜに柳川鍋というのか。そういや昔仕事で九州の柳川に行った際に、「名物柳川鍋」の看板をあちこちで見たように思います。「柳川の名物やから柳川鍋」は、まあ当然で気にもしなかった。してみるとそちらが本家なのか。あさりの丼を深川めしと言うように、浅草が元祖なら何故に浅草鍋と言わないのか。実は九州が元祖なのではないか。謎が深まっていきます。

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 料理の本家争いは、こじれるとやっかいです。「肉じゃが」の発祥を争う京都府舞鶴市と広島県呉市の論争は有名なところです。どちらも強行に元祖を主張していて譲る気配が無い。そいや先週、総務省の家計調査が発表され、料理のジャンルごとの王者が決定しました。毎年注目される「ギョーザ日本一」は浜松市が宮崎市をかわし3年ぶりに王座奪還、「ラーメン日本一」は山形市が新潟市を抑えて2年連続の王者となりました。ウクライナやガザのこと考えると、日本はつくづく平和であることよと思います。

 話逸れました。柳川鍋。調べてみると、東京発祥であることにはどうやら争いが無いらしい。それゆえネーミングの疑問が募りますが、はじめたときに使った土鍋が柳川焼やったからとか、最初の店の屋号が柳川屋やったからとか例によって諸説あるそうです。つまり、よく分からない。美味しければネーミングの謎など、どうでもいいのです。

 所用があり上京したついでに、久しぶりに日光まで足を延ばし温泉に浸かってきました。

 日光には何度か行ったことがあります。最初は中学校の修学旅行でした。修学旅行ってのは友人たちと寝食を共にしてワイワイやるために行くので、行き先はどこでもいいのです。いちおう教育の一環であるとして関東の中学生たちは奈良・京都で歴史を学び関西からは東に向かいます。わたしの場合、箱根→東京→日光でした。実に楽しかったことを懐かしく思いだします。20240114_031640538_iOS.jpg

 大学時代は東京にいたので、日光・鬼怒川には何度か行きました。気の置けない友人たちとこころ行くまで麻雀をするのが目的という不健康極まる貧乏旅でした。娯楽の少なかった当時、麻雀はお金もかからない良質な娯楽のひとつでした。たまには気分を変えて温泉に浸かって、普段縁のない上品なお料理で酒を飲みながらという趣向で、これはこれで楽しいもんでした。

 それ以来の日光詣でです。まずは日光のシンボル東照宮にお参りします。しかしながらわたしは徳川家康が嫌いなので、久しぶりに見た陽明門のありがたさも中くらいといったところ。家康は、織田信長亡き後、関ヶ原の戦いと大坂夏の陣で卑劣卑怯な謀略でもって豊臣家を粉砕撃破し、まるで自分の力で天下を統一したような顔で美味しいところを持っていった悪党です。大阪人にしてみればにっくき仇敵であります。有名な方広寺鐘銘事件をはじめとする、その不埒三昧は司馬遼太郎の多くの作品によって広く世に知らしめられてます。そして先祖の悪行が子孫に祟り、報いを受けて250年後の戊辰戦争では最後の将軍慶喜が薩長軍にコテンパンに退けられたのであります。天網恢恢疎にして漏らさず。因果応報とはこのことです。東照大権現などと神様扱いで祭り上げたところで何の役にも立ちませんでした。

 話、逸れました。

20240114_075012945_iOS.jpg 境内に五重塔が立ってます。五重塔ってもともと仏舎利を納める入れ物で、本来お寺にこそ相応しい建物なのです。それがなぜ神社にあるのか。イスラム教のモスクに十字架がかかってるよなもんですが、日本人は宗教にはおおらかで、神様仏様一緒くたでもさほど気にしません。奈良東大寺の境内にも小さな神社がいっぱいあります。熊野那智大社では修験道の行者さんが那智の滝に向って般若心経を唱えてました。神社に仏塔があっても、それは名勝の賑わいとして華やかでよろしい。

 中禅寺湖はそばに聳える男体山の噴火で出た溶岩が川をせき止めてできました。横からちょろっと漏れ出したのが華厳の滝です。湖から滝に至る短い流れの途中に小さなダムがあって流れの調整をしているみたいです。雪解け前の冬の間は湖水の量が少なくて瀑布とはほど遠いチョロチョロ滝になってます。完全に枯れてしまうと観光価値的にまずいので、少しずつ小出しにしてるものと思われます。滝つぼのすぐそばまで下りるには有料エレベータに乗らねばなりません。往復570円也、なかなかのお値段ですね。20240114_044509962_iOS.jpg

 早めに着いてホテルのチェックインまで時間があったので、戦場ヶ原まで足を延ばしました。修学旅行ではここでクラスごとに集合写真を撮りました。アルバムから出してみると、電線が残念ですね。左後方によそのクラスの子が心霊みたいに映り込んでるし、当時の仕事はおおらかなもんでした。

 戦場ヶ原といっても古戦場ではありません。こんな湿地でリアルに戦なんかできない。名前の由来は例のごとく神話の世界です。男体山と赤城山が中禅寺湖を巡る領地争いで、大蛇と大ムカデに化けて戦ったという伝説があり、それにちなんで戦場ヶ原という名前になったとか。昔来た際は白樺林がキレイで高原の雰囲気満点でしたが、今回いかんせん時期が悪い。冬枯れの風景はそれなりに趣きがあるものの、殺風景でおまけにやたら寒い。早々に引き上げました。

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 ホテルは湖のすぐそば、レイクサイド。部屋からの眺めがよろしい。ゆっくりと湯に浸かり、ビールを飲み、また浸かりビールを飲み、また浸かり... 湖畔の夜は更けていくのであった。

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 東武特急スペーシアけごん号、行きは奮発して個室に乗りました。帰りは新型のスペーシアXでしたが出発時刻があやふややったんで個室が取れず、普通席でした。昨今、こういった豪華な観光特急が増えました。ゆったりと快適に目的地まで向かうことができます。歳とってくると移動で疲れにくいことはありがたい話です。若い頃は時間があってもお金がなかった。いまは多少の余裕があるけど逆に時間が限られます。人生は旅に例えられますが、リアルの旅の仕方も年齢とともに変わってきたなあと、ひしひしと感じます。spaciaX.jpg

 ともあれ、限られた日程の小旅行、思いのほかリフレッシュできたように思います。さあ、お仕事がんばろっと。

諸行無常の響き

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 なんと、今年ももう師走に突入です。これから毎週、忘年会と称する何らかの飲み会が行列を成してやってきます。コロナ期間中は肝臓も休養できてたのに、元の木阿弥というところ。コロナに加えてインフルエンザも流行しているとかで、幾多の宴席に挑むのに備えて昨日インフルのワクチン打ってきました。

 今日もいいお天気ですが寒い。すでに木枯らしが吹き、秋はその北風に乗ってどこかに行ってしまいました。冬の到来です。今年は夏が異常に暑かったしその暑さが遅くまでずうっと続いてその分秋が短くて、キンモクセイの香りもあっという間に消えてしまいました。

 恐ろしいのは、こんな夏の暑さがひょっとすると今年に限ったことではないかもということです。異常気象がもはや異常でなくなり、地球さんはこれから平均気温のキャリアハイを毎年更新し続けるのではないでしょうか。地球温暖化、日本の亜熱帯化待った無しになったのではないかと。美しい日本の秋よ永遠にと希う、初冬の朝です。

20231125_053317934_iOS.jpg さてそんな中、そうだ京都へ行こう、というわけで先々週の土曜日、久しぶりに出かけました。定期的に集まっている高校時代の仲間の集いです。夥しい外国人観光客が押し寄せた壮絶な混雑を覚悟して出立したところ、四条通は想像したほどには混んでいませんでした。この時期、やはり観光客の目当ては紅葉です。きっとインバウンドは嵐山方面へと向かい、祇園八坂界隈は穴場やったようです。

 主要産業で競争力の減退が甚だしい日本において観光産業の隆盛は喜ばしいことなんやろけど、奈良・京都をはじめ日本各地の美しい都市が、オーバーツーリズムの餌食となってイタリアのベニスのような運命を辿らなければと思います。

 京都コンシェルジュの異名をとるいつもの仲間の案内で今回は、祇園からほど近い丸山公園隣接長楽寺を見学し、その後公園内の料亭で懇親会という段取りです。

 長楽寺さんは、かの建礼門院ゆかりの古刹です。一行はちょっとした団体のテイなんで、住職さんが特別に見学のガイドをしてくれました。 

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 延歴24年(西暦805)桓武天皇の勅命により伝教大師(最澄)を開基とし延暦寺の別院として創建。その後室町時代に一遍上人の時宗に改まったんやとか。宗旨替えなんてそんな簡単にできるんかとも思います。カソリックからプロテスタントに変わるよなもんでしょ。まあ、吉野山の吉水神社みたいにもともとお寺やったのが神社に変わることもあるんやから、同じ宗教どうしなら有りか。

 建礼門院徳子といえば「平氏以外はひとでなし」と栄華を極めたのちマラリヤと思しき熱病に罹って死んだ平清盛の娘です。安徳天皇の生母としてオヤジ同様に権勢をふるったのち、平家が壇ノ浦で滅亡した際に死にそこなって京都に戻ってきました。その後大原の寂光院で生涯御仏に仕えたというイメージが強い人ですが、先にここ長楽寺でまず出家したんですと。知らなんだ。 
 ご住職、境内の鐘も突かせてくれました。ホントは1発だけのところ「わたしもー」とうわがままが出てきて団体向け出血サービスで2人目も許されました。ゴ~ン...大晦日のNHKで中継されたこともるとかで、なるほどいい音ですわ。余韻が長ーく残るこれぞ諸行無常の響きか。知らんけど。

 ちなみに平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声」って、祇園っいうから何となくどっか京都のお寺の梵鐘のことと思ってたけど、調べてみるとそうではなくどうやらインドの話らしい。これも知らなんだわー。

 長楽寺はもともと円山公園一帯を含む大っきな境内のお寺やったのがどんどん縮小して今日に至ると。わがふるさと奈良でも、東大寺や興福寺は今でも超広大な非課税の敷地で事業展開していますが、元興寺や飛鳥寺んかはその昔創建当時は広ーい領地を占めてたのに今ではしょぼーいお寺に縮小してしまいました。似てます。時代を経ていく中で、時の権力者の都合その他いろいろと大人の事情があったものと思われます。お寺の隆盛衰退に際しても盛者必衰のことわりは世の常なのです。

image_xlarge (6).jpg んなこんなで長楽寺をあとにした一行はメインイベントの懇親会へと向かいます。丸山公園内にある料亭「左阿彌」さんペリーが来た頃に創業したと言われても、その程度の老舗では京都では大きな顔はできません。「ふーん」という感じですわ。時代が下るとこのお店は川端康成や志賀直哉の小説にも出てくると女将さんから説明がありました。

 席は例によって芸舞妓さんたちの登場で盛り上がりました。わたし京都でのお座敷はほかでも年に数回はお邪魔します。しかし、今回の仲間のコンシェルジュは祇園甲部の置屋「亻(にんべん)」さんの古くからの太客で顔が効くのです。ありがたい話です。もし彼がいなかったら仲間一同はここまで京文化の神髄に触れることも無かったのです。感謝、感謝。

 この穏かな京都見学の集いが今後も続いていくことを願ってやみません

 パレスチナ情勢が緊迫しています。ハマスの攻撃とガザ地区への報復で数千人の市民が犠牲となっています。ハマスったら、こうなることは分かってるのになんだってまた無謀な攻撃を始めたのかなんて疑問おそらく平和な日本人の感覚で、パレスチナの当事者にしてみたらイスラエルに対する不信と不満と憎しみが極まり、無謀なんてそんなことは分かってるけど、自分達にも犠牲がでることは分かってるけど、それでも、それでも、もうどうしても我慢できずに暴発したというところでしょう。今、地球上でもっとも緊迫してて、もっとも解決が難しい紛争と言われるパレスチナ問題、ほんと何とかならないのかと思います。20231013_031648487_iOS.jpg

 さて、平和な日本の私は先週、仕事で東北地方の小さな温泉に行ってきました。福島県会津の山間の中之沢温泉というところです。もし今回の仕事がなければ、おそらく一生知ることも無かったし、縁は無かったであろう土地です。つらつら考えてみるに、私は全国47都道府県のうち福島県は通ったことはあっても訪れたことがない唯一の県でした。

 出張決まって往復の飛行機を予約して、さて出発前日の夜10時頃ですわ。ANAから1通のメールが届きました。

 「機体が手配できないから、出発時刻を1時間半遅らせます。ごめんね

 がびーん。航空機はこれがある。これでは現地で予定の仕事に間に合わない。えらいこっちゃ。

 仕方ないので大阪から新幹線を乗り継いで郡山まで行くことにしました。新幹線はもとより電車に乗るのに紙の切符を買わなくなって久しい。日頃しょっちゅう利用してる東海道、山陽や九州新幹線は「EX予約」で事前に座席も選べてネット決済できる上に乗車直前まで列車や座席を何回でも変更できます。便利この上ない。ところが直通運転していない東北、上越新幹線はEXでは買えません。思い返してみるに、わたしはJR東日本の新幹線はほとんど乗ったことがありません。最後に乗ったのはもう30年以上前です。当時は紙の切符でした。

 20231015_000748163_iOS.jpg調べてみると、JR西のEXに相当するJR東のサービスは「えきねっと」とゆうらしい。時刻はすでに2230分を過ぎてます。急ぎなんとか手続きしてアカウントを作成し、大阪から郡山までの座席を確保できました。やれやれ。これがひと昔前ならば、空港に着いて初めて予定通り飛ばないことが分かったわけで、それこそ途方に暮れたことでしょう。便利になったもんですてか、飛行機がきちんと飛べばこんな苦労は無かったわけで、このあたりは進歩がありません。

 いざ東京について分かったのですが、JR西のEX予約は改札を通るのに専用の「EXカード」が必要なのに対して「えきねっと」は専用のカードなんかが必要なくて、普段使ってるICカード、関西ならICOCAがあればそれに紐づけして乗り継ぎの改札を通過できます。これは便利。余分なカード1枚持つ必要がなくなります。EXもそうすればいいのに。東の勝ち。

 さて、現地で所用を済ませて宿で寝ようとした矢先、ANAからメールが届きました。

「予約いただいた福島発 - 大阪/伊丹着は、使用する飛行機の手配がつかないため欠航と...」

 先週、ふと大昔の子供の頃に読んだ雑誌の記事を思いだし、それが気になってもう一度読みたくなりました。小学館の学習雑誌に載ってた、よくある「夏の怪談、怖い話」のたぐいで、記事の内容は忘れましたが、それを読んだことでしばらく夜中にトイレに行けなくなったことを覚えてます。

 昨今、こいった怪談やなんかは「非科学的で教育上よろしくない」ことから、それをさも事実であるかのような前提、構成で書かれた記事はめっきり減ってきました。テレビ番組にしても、昭和の頃は「木曜スペシャル」あたりで「恐怖!あなたの知らない超常現象!」だの「身の毛も凍る、冬の心霊写真特集」なんかが鉄板ネタとして放送されてたのに、同様の理由で今やすっかりなくなりました。実に嘆かわしいことです。

 んで、いろんな意味でまだまだ夢が壊れてなかった、幼き日々のあの純粋な感覚を再び体験したいと、それは多分この夏の異常な暑さの中、朦朧とした意識の成せる業であったのでしょう。

 かつて読んでた「小学〇年生」は今でも手元にわりと残ってるのに、それらの中に記憶に該当する記事が載ってる号はありません。書籍ならば絶版でなければ買うなり、図書館行くなりで読むことができますが、雑誌となるとなかなかそうはいかない。「昭和何年発行の小学何年生何月号」とはっきり分かってれば、オークションサイトで探すとか手立てはあります。しかし、それすら不明である今回の事案はやっかいです。

 そこで、今回夏休みで時間があったので、探索に乗り出しました。「61歳真夏の大冒険!」です。

 わが家がある大阪府四條畷市からクルマで30分も走ったところ、京阪奈学研都市の一角に「国立国会図書館関西館」なる施設があるのです。これです。20230822_041153180_iOS.jpg

 国会図書館といえば、法令で、日本で発刊した書籍、雑誌は必ず1部以上を納めなければならないとされています。およそ、国内で過去に発行された書籍のみならず、読み捨てられてきた雑誌さえ、そのすべてを収蔵している、最強のモンスター図書館です。

 なので、ここに行って手続きさえすれば、思い出の記事に出会えるはずなのです。

 まずネットで情報収集したところ、一定の収蔵図書はネット経由でも読める中で、お目当ての学習雑誌は現地でないと閲覧できないらしい。まあ、そりゃそうでしょな。マニュアルに従って利用登録し、先週のある晴れた日に行ってきました。

 かつてバブルの頃に国が採算度外視で建設し、その後税金のムダ使いと大いに批判されてあえなく頓挫した「わたしのしごと館」の廃墟にほど近いところに、この関西館はあります。行ってみて驚いた。でかい。しごと館もそうとうバブリーでしたが、この図書館もとてつもなく大きい。まあ、収容量を考えればそうなるんでしょうけど、これは、中途半端な金持ち自治体なんかではとてもムリで、やっぱり国でないとできない事業ですわ。そもそも東京の国会図書館が溢れてしもたんで半分関西にってことででけたんやろから、大きくないといけないんでしょね。知らんけど。

 「初めてでーす」と受付に行くと丁寧に説明してもらい、手荷物をロッカーに入れて閲覧室へ。実にスムーズです。ここで、カウンターで司書さんに「これこれこおゆう雑誌を探したいんで、それらしき候補を何冊か読ませてください」と頼むつもりでいました。

20230826_000406319_iOS.jpg ところがそんな必要など無く、パソコン端末があるブースに座って自分で検索できます。そして何と、何と、候補の雑誌のすべてのページがパソコン画面で閲覧できます。腰抜かしそうになりました。何というビッグデータ。およそ日本で過去に発売された書籍のみならず、今も毎日発行されている夥しい量の様々な分野の雑誌の1ページ1ページがすべてスキャンされ、電子データとして国会図書館のデータベースに収蔵されていってるのです。そして、そのページすべてを誰もが簡単に画面で閲覧することができます。何と便利になったことか。しかもこれ、全部タダ。一切の費用が必要ないのです。この日ここでお金使ったの、お昼に食堂で食べたハンバーグカレーだけでした。

 今から40年近く前の昭和の終わり、東京で学生してた頃、1回だけ国会図書館を利用したことがあります。今回と同様に古い雑誌を調べるためでした。カウンターで読みたい本の名前をメモして出したところ「申請を受け付けたんで、〇月〇日にまた出直してきなさい。」と言われました。当時のお役所仕事なんてそんなもんでした。で、指定された日に再び行ったところ、読みたい雑誌1年分をそろえてくれてました。そんな時代からはまさに隔世の感があります。データベース化されたことで、利用者も職員も圧倒的に手間が減ってます。

 しかしですよ、いつのことかは知りませんが国会図書館がこの電子データ化を始めた時点で、それまでに発行されてた膨大な量の雑誌を、全てスキャンしていく作業があったわけです。古い雑誌は脆くなってておそらくは手作業であったと思われます。いったいどれだけの作業量であったか、どれほどの税金が費やされたかと気が遠くなります。

 まあ、その甲斐あって今回、わたしの脳裏にあった思い出の記事にも数十年ぶりに対面することができました。内容はあまりにも予想通りなチンケなもので、当時わたしはこの記事を読んで衝撃を受けたとはなんと純真な感性であったことよと、現在の汚れた精神とのギャップに慄然とした、ある暑い日の出来事でした。 

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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