普段、テレビのドラマはほぼ全く視ませんが、同様にワイドショーの類もほとんど見ません。しかし、何を視るという目的もなくとりあえずテレビを点けると、不思議なことにたいがい何らかのワイドショーが流れてます。この大はやりは何故かということです。
テレビ局にしてみると、大した予算も時間もかけずに制作できて、簡単にシャクが埋まる便利なコンテンツです。専門家でもなんでもない知ったかぶりのコメンテータをレギュラーで並べて、視聴者が同調しそうな意見をさも専門家ぽくダラダラと喋っていればいいのですから、こんなに簡単で安上がりな番組はありません。だから、朝、昼、晩、まんべんなくワイドショーが流れます。
視聴者にしても、特別知りたい論点があって積極的に何らかの情報を得ようとして新聞のテレビ欄を精査し「よし、何時から何チャンネルで突っ込んだ解説が聴けるな」なんて動機でワイドショーを視聴する人はほとんどなくて、ただ何気なくテレビを点けたらたまたま流れてて、視るともなくだらだらと眺めてると。これが世間一般のワイドショーの視かたといえます。
番組の構図は単純でしかも一貫共通してて、まず何らかの悪事を紹介します。適当な悪人がみつからないときには、大概、政治家をその役にしたてます。そして、「この人、なんとこんな悪事を働いてたことが、われわれの取材で判明しました!」これでつかみはバッチリです。
そして出演者寄ってたかってそいつに対する悪口雑言を口々に喋ります。なぜか人は他人の悪口を言ったり聞いたりするのが大好きです。コメンテータのダラダラを聞いているうちに視聴者の心中に「なんとそいつはそんなに悪いやつなのか、許せん」という同調が出来上がっていき、「われわれは正義である」という根拠の無い団結の中でカタルシスを得ていくことになります。
視た後には何も残りません。瞬間的に憤慨した視聴者は2時間もすれば内容をほとんど忘れてしまい、本来行うべき仕事やもっと意味のある娯楽へと意識の焦点を移していくことになります。
放送局の許認可要件として、常時途切れることなく何らかの音声・映像を垂れ流してなければならないという縛りがあるそうです。かといって放送局にある、教養に富んだ国民にとって有益なコンテンツは限りがあり、小出しにする必要があります。その空隙を埋めるために、局と視聴者の利害が合って成り立っている不思議な産物がワイドショーなのです。
先日、出勤時刻が普段と違う日の朝に、たまたま点いてたテレビでワイドショーを視るともなくみてたら、住宅地隣接の雑木林でウサギがたくさん群れているのが見つかったというニュースを取り上げてました。記者が現地に取材に赴き、餌になる葉のついた小枝を差し出して「食べました!人を恐れません!」なんてやってます。これで番組ができるのです。この件は結局、多頭飼育で持て余した飼い主が遺棄したんやろということで「ペットは責任を持って飼いましょう」という正義に落ち着くという話でした。アナウンスもキャプションも「30匹」のウサギとなってて、ウサギは「30羽」と数えるという基本的な日本語を知らないスタッフが作った番組が、公共の電波に乗って全国の視聴者に伝わっていることに、少しく可笑しみと情けなさを感じた朝でした。
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