2024年1月アーカイブ

フィッシング日和

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 ETCを利用してます。まあ、今やマイカーがあれば当然ですが、非常に便利です。高速道路の料金所で待つ必要がないし、割引で料金も少し安くなってポイントもたまります。社会インフラ的にも渋滞解消に効果が大きい。その昔昭和の頃は、すべての有料道路の料金所でおじさんが現金か回数券を授受してました。阪神高速の入り口周辺で、ドライバーが捨てていった領収書を拾って集めてるおじさんをよく見かけました。決してボランティアで掃除してるわけではなくて、経費としてウソの申告をする脱税、違法行為のためでしたが、そんな風景も過去のものになりました。uotduri.png

 と同時に、キャッシュレスで処理されることで、「ETC利用照会サービス」のサイトに行けば利用の記録が簡単に確認できるようにもなりました。高速道路使った記録を後日利用者が確認することなんてあまり無いわけで、本来の目的は、当局が国民の行動データを蓄積するためのものなんでしょう。まあ、利用者にとっても、もしもの場合には役に立つかも知れないし別にかまわないと思います。

 しかし、決済にクレジットカードを使ってるため、例によってフィッシングが介在する余地が生じます。これが厄介なのです。先日、道路公団から「照会サービスのサイトあんまり使わないとアカウント無くすよ」とメールが来たので、仰せの通りログインしました。

 その数日後また同じようなメールが来て、今度は「ログインして登録情報を更新してください」となってます。一瞬、あれ?こないだやったのになと思った次の瞬間、ピンときました。

ETC1.jpg サイトへのリンクが張られてますが、なんともケッタイな文字列で明らかに怪しい。おそらくここをクリックすると、正規のサイトとそっくりに偽装したフォームが現れて、アカウントとパスワードを入力させるのでしょう。さらに「確認のためクレジットカードの番号を再度入力してください」なんて仕組みになってるかも知れません。

 送られてきたメールは非常に巧緻で、即座に偽物と看過することはまず無理です。正規の手続きをした直後という、タイミングも絶妙です。これではおそらく引っかかる人がいるでしょう。恐ろしい話です。わたしのメアドがどこから漏れたのか。こないだETCのサイトにアクセスしたことが関係してるのか。考えるほどに怖くなります。

 ところで、試しにETCの利用履歴を確認すると、なんとわたしは過去1年以上高速道路走ってません。そういえばここしばらく温泉行くのは電車やったし、ゴルフに誘われても近場でないと行く気が失せるヘタレになってます。警告のメールが来るほどサイトにアクセスしてなかったということはつまり、そもそもわたしにこんなネット上のサービスは必要ないということです。

 思うに、数多蔓延る商業サイトで買い物するために「入会は無料。すぐに会員登録を!」これによってどれほどの個人情報をまき散らしてしまったことか。先日も数十年間使わずに年会費だけを延々と払い続けてたクレジットカードを解約しました。 終活の一環の意味でも、詐欺にあわないうちに、用がなくなったサービスはどんどん退会してった方がよさそうです。やれやれ。

 所用があり上京したついでに、久しぶりに日光まで足を延ばし温泉に浸かってきました。

 日光には何度か行ったことがあります。最初は中学校の修学旅行でした。修学旅行ってのは友人たちと寝食を共にしてワイワイやるために行くので、行き先はどこでもいいのです。いちおう教育の一環であるとして関東の中学生たちは奈良・京都で歴史を学び関西からは東に向かいます。わたしの場合、箱根→東京→日光でした。実に楽しかったことを懐かしく思いだします。20240114_031640538_iOS.jpg

 大学時代は東京にいたので、日光・鬼怒川には何度か行きました。気の置けない友人たちとこころ行くまで麻雀をするのが目的という不健康極まる貧乏旅でした。娯楽の少なかった当時、麻雀はお金もかからない良質な娯楽のひとつでした。たまには気分を変えて温泉に浸かって、普段縁のない上品なお料理で酒を飲みながらという趣向で、これはこれで楽しいもんでした。

 それ以来の日光詣でです。まずは日光のシンボル東照宮にお参りします。しかしながらわたしは徳川家康が嫌いなので、久しぶりに見た陽明門のありがたさも中くらいといったところ。家康は、織田信長亡き後、関ヶ原の戦いと大坂夏の陣で卑劣卑怯な謀略でもって豊臣家を粉砕撃破し、まるで自分の力で天下を統一したような顔で美味しいところを持っていった悪党です。大阪人にしてみればにっくき仇敵であります。有名な方広寺鐘銘事件をはじめとする、その不埒三昧は司馬遼太郎の多くの作品によって広く世に知らしめられてます。そして先祖の悪行が子孫に祟り、報いを受けて250年後の戊辰戦争では最後の将軍慶喜が薩長軍にコテンパンに退けられたのであります。天網恢恢疎にして漏らさず。因果応報とはこのことです。東照大権現などと神様扱いで祭り上げたところで何の役にも立ちませんでした。

 話、逸れました。

20240114_075012945_iOS.jpg 境内に五重塔が立ってます。五重塔ってもともと仏舎利を納める入れ物で、本来お寺にこそ相応しい建物なのです。それがなぜ神社にあるのか。イスラム教のモスクに十字架がかかってるよなもんですが、日本人は宗教にはおおらかで、神様仏様一緒くたでもさほど気にしません。奈良東大寺の境内にも小さな神社がいっぱいあります。熊野那智大社では修験道の行者さんが那智の滝に向って般若心経を唱えてました。神社に仏塔があっても、それは名勝の賑わいとして華やかでよろしい。

 中禅寺湖はそばに聳える男体山の噴火で出た溶岩が川をせき止めてできました。横からちょろっと漏れ出したのが華厳の滝です。湖から滝に至る短い流れの途中に小さなダムがあって流れの調整をしているみたいです。雪解け前の冬の間は湖水の量が少なくて瀑布とはほど遠いチョロチョロ滝になってます。完全に枯れてしまうと観光価値的にまずいので、少しずつ小出しにしてるものと思われます。滝つぼのすぐそばまで下りるには有料エレベータに乗らねばなりません。往復570円也、なかなかのお値段ですね。20240114_044509962_iOS.jpg

 早めに着いてホテルのチェックインまで時間があったので、戦場ヶ原まで足を延ばしました。修学旅行ではここでクラスごとに集合写真を撮りました。アルバムから出してみると、電線が残念ですね。左後方によそのクラスの子が心霊みたいに映り込んでるし、当時の仕事はおおらかなもんでした。

 戦場ヶ原といっても古戦場ではありません。こんな湿地でリアルに戦なんかできない。名前の由来は例のごとく神話の世界です。男体山と赤城山が中禅寺湖を巡る領地争いで、大蛇と大ムカデに化けて戦ったという伝説があり、それにちなんで戦場ヶ原という名前になったとか。昔来た際は白樺林がキレイで高原の雰囲気満点でしたが、今回いかんせん時期が悪い。冬枯れの風景はそれなりに趣きがあるものの、殺風景でおまけにやたら寒い。早々に引き上げました。

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 ホテルは湖のすぐそば、レイクサイド。部屋からの眺めがよろしい。ゆっくりと湯に浸かり、ビールを飲み、また浸かりビールを飲み、また浸かり... 湖畔の夜は更けていくのであった。

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 東武特急スペーシアけごん号、行きは奮発して個室に乗りました。帰りは新型のスペーシアXでしたが出発時刻があやふややったんで個室が取れず、普通席でした。昨今、こういった豪華な観光特急が増えました。ゆったりと快適に目的地まで向かうことができます。歳とってくると移動で疲れにくいことはありがたい話です。若い頃は時間があってもお金がなかった。いまは多少の余裕があるけど逆に時間が限られます。人生は旅に例えられますが、リアルの旅の仕方も年齢とともに変わってきたなあと、ひしひしと感じます。spaciaX.jpg

 ともあれ、限られた日程の小旅行、思いのほかリフレッシュできたように思います。さあ、お仕事がんばろっと。

「日本左翼史」

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 テレビで北陸の被災地の状況を視るたびに心が痛みます。復興に向けてできる支援を考えていきたいところです。あちこちで募金しています。

 さて、明日から週明けまでしばらく旅にでますので、平日のこんな時間にブログを更新しています。

 年末からお正月にかけて、こんな本を読みました。

 講談社現代新書「日本左翼史」全部で4冊。池上彰さんと佐藤優さんの対談集のかたちで、明治の始めから現代に至るまでの日本の左翼の歴史を分かりやすく解説したものです。最初のんは「真説 日本左翼史」終戦から1960年まで、2冊目が「激動 日本左翼史」1960年から1972年まで、3冊目が「漂流 日本左翼史」で1972年から現代まで、そして最後が「黎明 日本左翼史」1867年の大政奉還から終戦まで。

20231106_051300104_iOS.jpg 1巻から3巻目までは歴年に沿ってて年代順、終戦からスタートして現代に至るまでの左翼の歴史を解説し、最後にくるっと昔に返って明治時代の左翼思想・運動の誕生から終戦までの、共産党が非合法であった期間をもってきてます。

 おもしろかった。池上さんは、テレビでよく見る司会者で、現代の内外の社会情勢をおバカなタレント相手に分かりやすく解説してる物知りなおじさんというイメージがありますが、この本の内容は実に知識と教養と蘊蓄にとんでおり、素人にも実に分かりやすく書かれてます。そもそも対談なんで、話しことばで解説は進んでいきます。これがいい。

 相方の佐藤優さんは、作家ということになってますが、もともと外交官でかなり前に鈴木宗男と連座してヘタを打って、なんだかよく分からん罪で有罪になって外務省辞めた人です。改めて調べるとなんともすさまじい経歴です。現代日本に君臨する最強の論客の一人です。

 対談形式になってますが、対談した内容をそのまま書き起こしたものではないように思います。次から次にでてくる左翼関連の事件が起こった年代とその内容、関係する膨大な数の左翼活動家のひととなりや(生没年を含む)経歴、そして重要な文献や証言など、こんなんアタマに入っててソラで言えるわけがありません。もし本当に二人の対談した内容をそのまま書いたんやとするならば二人とも化け物です。きっと、あとから内容を分かりやすく精査して、それを対談の形に構成し直したのでしょう。おかげで、非常に分かりやすく明快で最後まで一気に読めました。

 左翼というものに対する日本人の一般的な理解を前提にしたうえで、あまり知られていないドラマティックなエピソードなども効果的に交え、その本質を説き明かしていきます。私も概ね知ってることが多くて興味が募り、内容の理解が深まったと思います。

 二人の説くところに一貫しているのは、日本の左翼勢力といえばすぐに共産党が思い浮かぶけど、共産党なんて実は本来の左翼運動とは異なった相いれないゲスな集団であるということです。2巻目の巻頭「はじめに」で、1巻目出したあと「共産党を宗教的に信奉する勢力以外には好意的に受け止められた」と書いています。つまり痛いところを突かれた共産党支持者からは叩かれたということでしょう。

 左翼の歴史というと、明治から終戦に至る歴史の中で活動家に対する激しい弾圧があったことが思い浮かびます。しかしそれ以上に、昭和の60年安保に始まる過激派や学生運動がもっとも印象深いところです。当時日本中の多くの学生が革命を叫び学生運動に身を投じていきました。それはさながら大規模な集団ヒステリーの様相を呈し、過激化していきました。多くの大学キャンパスは破壊され、バリケード封鎖され荒れ果てた東京大学では入学試験を中止するに至りました。まさに前代未聞の出来事です。こんなことは許されてはならないのですが、当時の世相ではそれもまたやむなしとする空気があったのです。

 今冷静に考えれば、学生を中心とする一部の新左翼がゲバ棒をふりかざして何を訴えたところで革命など成るはずもなく、社会全体にとっての迷惑以外のなにものでもなかったのです。しかし、高度経済成長によって生じた社会の歪みを実感し始めた多くの若者にとって、それはまさに違法薬物のように蔓延していったのです。

 そして、東大安田講堂の陥落によって多くの学生が目を覚まし、衰退した新左翼に対する社会のごくわずかな期待と憐憫も、先鋭化し武装した日本赤軍による一連の凶悪事件によって完全に失われ、日本の極左は完全に終焉を迎えました。「左翼史」では、それらの経緯についての詳細な分析から、今後の左翼勢力の行く末までも詳細かつ分かりやすく書いてくれてます。非常に情報量が多い。しかも分かりやすい。

 日本における左翼思想がいかにとんでもないものであるか、日本において共産党なんかがなぜにいまだに一定の支持を有し、あまつさえ国会に議席を有するのか。日本国と日本人を邪悪な共産主義勢力から守るその戦いにおいて、敵を知るために「左翼史」は非常にためになります。おすすめです。

最悪のスタート

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 穏やかな正月気分が吹き飛びました。グラッと来た時、おいおい正月早々地震かよと思ったら、どうも長い間止まらない。その割にゆーらゆーらとゆっくりとした横揺れ。これは10年前の東日本のときと同じです。直感的に「遠い」そして「大きい」と当たりをつけてテレビを点けたところ、案の定北陸、震度7の大地震でした。津波の警報が出ています。東日本の悪夢が脳裏を過りました。こんなとき人は祈ることしかできません。どうか犠牲者がでませんように。皆が逃げ切れますように。jishin.jpg

 その後被害の状況が徐々に明らかになるのつれて、東日本大震災ほどの壊滅的な巨大津波ではない様子でした。それでも多くの家屋が流され、倒壊した家屋の下敷きでで犠牲になった人の数が増えていきます。朝市の地区は消火活動ができず、空襲にあったかのように焼野原となりました。阪神淡路を思い出し心が痛みます。

 NHKのアナウンサーが絶叫に近い強い調子で繰り返し避難を訴えていました。「テレビを点けたまま、すぐに避難してください!東日本大震災を思い出してください!」これはなかなかいい仕事してるやんと思いました。

 かつて能登半島突端の一軒宿「ランプの宿」を訪れたのはもう10年以上前のことでした。今回はその真下が震源地ということでさぞかし大きな被害と思いきや、HPを見たところ奇跡的に被害は一部にとどまり、なんと営業に支障はないとのこと。震度7震源の真上で被害が無いとは、耐震設計が奏功したのか、これはなんという奇跡。ただしアクセスがズタズタで、さらに停電してて結局営業はできないらしい。そういやランプといっても今では電球が入ってたのを思い出しました。

 今日現在で死者・安否不明者は300人を超えています。阪神淡路、東日本に続き、歴史に残る大惨事となってしまいました。被災された人たちの心身の健康、そして1日も早い平穏な日常への回帰を祈らずにおれまれん。そのため日本国民は再び三度、総力を結集して支援に立ち上がらなければなりません。

 haneda.jpgそんな暗澹たる元日が過ぎた翌2日、羽田で日航の旅客機が海保機と衝突して双方炎上という大事故が起こりました。悪いことが続くといってもこれはなんとも悪すぎる。航空機事故はひとたび起こると犠牲者が多くなるところ、今回日航機の乗客は一人残らず避難して、けが人はでたものの犠牲者はいませんでした。緊急時の避難誘導訓練が徹底していたことで、クルーの仕事が称賛されています。しかし、地上で飛行機が衝突するなんて、あってはならない、あるはずがない状況です。どうやら管制官が「滑走路の停止位置まで行け」と言ったのを海保機は「滑走路に行け」つまり「離陸していいよ」と勘違いしたらしい。

 もちろん、交信上のあってはならない勘違いですが、その内容を聞くと「こんなん、ありえるやんか」と思います。大勢の人命が懸かってる極めて重大な言葉のやり取りにもかかわらず、そこに「勘違い」が介在する余地があり、それを防ぐ手立てができてない。人間は間違う動物です。日々の生存活動の中には数多くの勘違い、間違いが生じます。間違うことを前提として、それをフォローできるように社会の仕組みは成り立っていないといけません。それが人間の知恵です。昨今はクルマにしても、前にモノがあったらアクセル踏んでも進まないように進化してます。

 にも拘わらず、旅客機という現代文明の最先端技術の管理をつかさどる空港において「滑走路に同時に2機はありえない」という根本的な原則が、単純にパイロットと管制官の生身の交信のみで制御されおり、間違った際に事故を回避する仕組みが全く無かったことに愕然とします。

 悲しいかな地震の発生は避けることができませんが、飛行機事故は人類の知恵でなくすことができます。今回の事故を教訓として、今後人類は、クルマに誤発進制御が着いたように、「滑走路には一機ずつ」が徹底できる仕組みを作り上げる課題を得たことになります。単に「勘違いしないように、しっかり交信する」ではダメなのです。

 2日連続の大事故といえば、はるか昔の学生時代、東京のホテル・ニュージャパンが炎上した翌日に「機長、やめてください!」の逆噴射で日航機が羽田沖に墜落したことを思い出します。2日連続の大惨事の際には、羽田と日航機はなんかの因縁があるんやろか。

 そんなこんなで、今年は悪いことから始まってしまいました。その分、あとはいいことばっかり起こってほしい令和6年のスタートです。今年もどうかよろしくお付き合いいただきますようお願いいたします。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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