2022年9月アーカイブ

時候に時効寸前

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 3連休✕2回という贅沢な秋の行楽日和がどちらも台風襲来でワヤになったわけですが、今朝の大阪は爽やかな秋晴れが広がっています。日に日に秋の気配が増していく今日この頃、自宅マンションの植え込みに鍾馗水仙が今年も顔を出しました。1年のうちほんの1週間足らず、毎年間違えずに存在を主張します。数年前はじめてその存在に気がついたときは1本だけでしたが、いつの間にか3本に増えてます。よく見ると奥の方に白いヒガンバナのようなのも咲いてます。生えていないあいだに地中で家族を増やしていたのかも知れません。20220921_075101011_iOS.jpg

 さて、ここに1枚の磁気カードがあります。「スルッとKANSAIカード」という、かつて存在した関西一円の交通機関共通で使えるプリペイド乗車券です。先週、カード入れの中を確認してたところ発見しました。そいや最近ICOCAやPiTaPaばっかりで磁気カードなんてめっきり見かけんくなったなと思い、そもそもまだ使えるんやろかとネットで調べてみたところ、なんと、

「2018年1月31日(水)の営業終了をもって、駅の自動改札機・バスでの共通利用を終了いたしました。」と出てるやないですか。どっひー。

 もう使えません。2,000円のカードが無駄になったかと焦った矢先、
「近鉄発行のスルッとKANSAIカードの残額につきましては、無手数料で払戻しさせていただきます。(払戻しは2023131日まで)」という記載もありました。よかった、払い戻しできるんや。しかも、その期限まで3カ月ちょっとしかありません。よくぞ今、気が付いた。

20220923_022351192_iOS.jpg しかし、使えなくなったことに気付かず、5年近くもの間カバンにいれて毎日持ち歩いていたことになります。なんという呑気な奴め。この間、もちろん発行もとの近鉄電車はじめその他の交通機関で使う機会は多々あったはずです。しかし、ICOCAとPiTaPa持ってたので磁気カードのことなどまったく思い出しもしませんでした。

 このカード、自分で買ったわけではなく貰ったものです。昭和の頃からテレホンカードやクオカード、国鉄のオレンジカードなどのプリペイド金券は、軽くて万人に喜ばれる手頃な記念品としてよく使われました。このカードは大阪のある大学の創立記念に際して作られたもので、何らかの会議に参加した際にお土産としていただいたものと思われます。いわば販促グッズのようなものです。

 2,000円相当のうちまだ1,500円ちょっとが残っていることが確認できます。いざ、これを払い戻すこととします。現在の生活・通勤圏からして近鉄の駅にはほとんど行く機会がないので、また忘れてしまわないようにせねば。

 しかし、ここでちょっと考えるのです。記念品としていただいたプリペイドカード、仮に全く使わずに忘れてたら、2,000円まるまる現金化できたことになります。ひょっとしたら課税される可能性は無いかということです。

 調べたら商品券や賞金は一時所得として課税されるけど50万円の特別控除があるみたいです。50万円超えると超えた金額の2分の1に課税されるらしい。巨悪はびこる現代社会において2,000円程度の収入でとやかく考える必要ないということなんで、胸を張って払い戻しを受けて現金を手にすることといたしましょう。

 このカード、毎年忘れた頃に現れる鍾馗水仙のように自己主張してくれたらよかったのに、持ち主がマヌケであったために乗車賃というカード本来の使命を全うできず、気の毒ではありますがこの際現金化してさらに有効に使わせていただきます。

 大阪では風もなく青空が広がっています。天気予報が無かった昔であれば、今どでかい台風が日本列島を縦断しようとしてるなんて誰も知るよしもなく突然暴風雨に襲われるわけで、そりゃあ災害の規模も大きくなるどおりです。史上最強クラスといわれる今回の台風14号、上陸時点の予想気圧が920hPaって伊勢湾台風や第ニ室戸台風に匹敵ですやん。被害が出ないことを祈ります。typhoon14.jpg

 さてこれまでもさんざ書いてきましたが、私は朝日新聞が大嫌いです。若い頃はその護憲、リベラルを旨とする一貫した主張に一定の理解を示し、社説などのオピニオン欄や読者の投書欄が他紙より充実していることから、ずっと購読してきました。しかし、近年になってその護憲、リベラルの根源は、中共や朝鮮といった特定アジアのありえない主張にくみし、日本と日本人の尊厳を貶めるためであることが露見するに至り、長年の付き合いに一定の見切りをつけようかと思っているところです。

 一方、NHKという国営ペイテレビも大嫌いです。こちらは、番組の内容に共感するとかしないとか、昨今指摘されているように偏向報道がどうとかいうコンテンツ以前の問題で、そもそも放送法という時代錯誤の悪法をたてに国民から強制的に受信料を搾取するという事業のあり方そのものが絶対に許せないのです。これもこれまで詳しく書いてきましたので繰り返しませんが、NHKという巨悪とそこに巣くう数々の利権を断罪することは、昨今取りざたされてる統一教会以上に、日本政府に課せられた喫緊の課題というべきでしょう。

 そして、面白いことに私が嫌いなこの朝日とNHKがまたお互いに仲が悪いということも書いてきました。最近、この関係は日本と南北朝鮮の関係に似てるやん、と思いつきました。私が日本、朝日が韓国、NHKが北鮮です。韓国はいちおう国の形を成してはいますが、その主張するところはむちゃくちゃで、日本人には到底受け入れられないという点で朝日にそっくり。一方、北鮮はそもそも現代の国際社会においてその存在自体があってはならないものという点で、これはNHKにぴったり嵌まります。そして三者がそれぞれ大嫌いどおしと。これを思いついたときは笑ってしまいました。

 20220917_003302863_iOS.jpg先週の社説で朝日がまたNHKのことをボロクソに書いています。NHKの番組で、オリンピック反対のデモに参加したという男の取材映像に「お金をもらって動員されていると打ち明けた」と字幕をつけたところ、ホントは逆に取材に対して「デモには行かない」と言ってて実際参加はしてなかった、というBPO事案です。つまりNHKは、五輪反対なんてのは民意ではなく一部の勢力がデモに動員かけたりしてことさらに騒いでいるだけという印象を与えたという点で、これは意図的な虚偽報道であるとされたのです。五輪反対を掲げてた朝日はこのNHKの失態に「ヤッターッ!」というわけで、社説では「取材・編集ともずさんで無責任」だの「調査報告書も問題の本質に切り込まない浅薄な内容」だの「民主主義を支える表現行為への無理解」だの、まあ言いたい放題です。敵失に乗じて完膚なきまで叩きのめすやり方は、武士の情けを尊ぶ日本人の所業とは思えません。そして、日本国民に言わせれば「そ全部朝日新聞、自分のことやん」。

 まあ、今回の事案はNHKがヘタうったことは否めず、「捏造」と指弾されても仕方がない。しかし一方で、そのオリンピックのスポンサーに名を連ねながら、連日反五輪報道を続けてきた朝日新聞はというと、先週も書いたとおり、過去多くの捏造記事を乱発しながらきちんと謝罪すらせずに開き直っているのです。目くそが鼻くそを攻撃している図です。NHKに「信頼回復 遠い道のり」というのなら、朝日新聞にはその道すらすでに失われていると知るべきです。

 立憲民主党のれんほーの頭にはブーメランがいっぱい刺さってます。こいつが何か喋れば喋るほどその数が増えていきます。朝日もまた同様に「お前が言うな」という陥穽にドテッと落っこちてるのです。

 ともあれ、これからも朝日とNHKのバトルはどちらかが消えて無くなるまで続いていくことでしょう。朝鮮半島で戦火が上がり北、南どちらかが消えるとなると日本にも何らかのとばっちりが来るでしょう。しかし、反日新聞社と国営搾取放送局、どちらが消えても国民にはメリットしかありません。その日が早く来てほしいもんです。

 近年、日本人の新聞離れがよく言われています。新聞協会のデータでは、すべての新聞の発行部数はピーク時の5400万部から昨年3300万部と4割も減ってます。

 原因はいろいろあると思いますが、ネットニュースの普及の影響が大きいのでしょう。先日も書いたように、朝晩の通勤電車の光景が如実に紙離れを物語っています。日経新聞を広げるサラリーマンがいなくなり皆さんスマホをいじくってます。その日のトップニュースはじめ主だった情報はすべて、わざわざ購読料を払わなくてもタダで手に入るのです。職場で聴いても「ネットで読めるし、新聞とってません。」という若い子たちが増えてます。shinbun.jpg

 しかし新聞はやっぱり紙で読むべきです。ネットニュースは自分が興味がある記事しか検索しないし、Yahooニュースなどのキュレーションサイトはあるものの、どうしても入ってくる情報に偏りがあります。一方紙面だと多くの記事がいやでも目に入るので、関心がなかった分野に触れるきっかけになります。総体的に得られる情報に大きな差があるのです。職場では周りに「ネットばかり見てないで新聞読め」と言っても「youtubeがあるんでテレビも必要ない」という子までいて、なかなか厳しいものがあります。なんとか紙の新聞に復権してほしいもんです。

 そんな社会一般的な新聞離れの中でも朝日新聞の発行部数はこの10年間で800万部から430万部まで落ち込んでおり、業界全体が部数を減らす中でもその減少率は群を抜いています。当然、会社の経営も悪化し、売り上げは過去最高やった2012年の4762億円から、昨年は2938億円と著しく減って経営危機に陥っています。現下、大リストラを敢行中ですが、耐えきれずに去年とうとう購読料を値上げしたことで読者離れにさらに拍車がかかっています。

 なぜに朝日がこれほどまでに落ちぶれたのか。ひとつにはトレンドに乗り遅れ、電子媒体への移行に失敗した結果といえますが、それよりも何よりも近年繰り返されたかずかずの不祥事によって読者が愛想を尽かしたということと、そもそも、一貫して日本と日本人の誇りを傷つけてきた編集方針がいよいよ国民に受け入れられなくなってきたのです。その詳細はこれまでに再三書いてきたので繰り返しませんが、まあひどいもんでした。「慰安婦」「吉田調書」「池上コラム」いずれも、日本の新聞の歴史にその名を遺す大事件でした。

20220905_051823751_iOS.jpg 先ごろ、そんな朝日新聞をリストラされた元記者が書いたその名も「朝日新聞政治部」という本が話題になってます。朝日の批判を続けるからにはその実態を知っとくべしということで、読みましたよ。1枚のページがぶ厚いのでなんだかすぐに読み終えました。量的には新書で十分なのにハードカバーで出した講談社の商売気を感じます。

 著者の元記者は「吉田調書」誤報事件の中心人物で、当初大スクープをとったと社内で大絶賛されたのに、その後一転誤報の責任を押し付けられ転落していく過程を詳しく書いています。ただ、本人は未だに誤報と認めておらず、単に記事の表現が不十分やっただけと主張しています。そして、それにも拘わらず記事全体を誤報とあっさり認めた当時の社長の事後対応がお粗末やったせいで大騒ぎになったと。なぜ自分のせいにされるのかという憎しみと怨嗟が、つまりはこの本の言いたいことなのでした。

 新聞社内部の政争の有様や、会社に盾突く記者の気骨の様子なんかはそれなりにおもしろかったけれど、そんなものは別に大きな組織ならどこでもありがちな話です。それよりも「吉田証言」に象徴される一連の慰安婦に関する反日策動によって日韓関係を戦後最悪の状態に貶めた責任について、内部の記者は果たしてどう考えてきたのか、オリンピックのスポンサーに名を連ねながら「五輪反対」を声高に叫ぶ狂態を記者はどう評価しているのか、など、知りたいことはほとんど書かれてませんでした。ただただ、「俺は悪くない、社長はじめ上層部がボンクラやったんや」という主張に終始してます。「リストラ社員の恨み節」というサブタイトルをつけるべきでしょう。

理工系作家

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 東野圭吾といえば、現代日本最大の売れっ子作家のひとりです。ガリレオシリーズや刑事加賀恭一郎シリーズなどドラマ化されたものも多く、人気絶大でいまや推理・探偵小説界の第一人者と言ってもいいでしょう。わたしも好きで、その作品はほぼすべてを読んでいます。

 デビュー作「放課後」が世に出たのが私の社会人デビューと同時期で、それ以降新刊が出るたびにずっと読み続けてきました。「実に面白い。」

 およそ推理小説では、犯人当てをめぐって作者と読者の知恵比べなんてことがよく言われます。いかに犯人ぽくない人が、いかに奇想天外な方法で犯行を成し遂げたのか。最後に意外な犯人や犯行の方法が判明し、ときに鮮やかなどんでん返しを演出し、読者にカタルシスを与えるわけです。

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 しかし、私に関していうと、これまでに何百冊という推理小説を読んできましたがこいつが犯人や!と的中したことなんてほとんどありません。情けない話ではありますがこれ、推理小説を手にする大方の読者が同様ではないでしょうか。作者と勝負しようなんてはなから考えてなくて、ただただ作者が紡ぎだす物語の進行に漫然と身を委ねているのではないかと思うのです。それはつまり推理もの以外の小説と同じです。

 単なる「犯人当てパズル」と割り切った作品もないわけではありません。しかし、そんな作品は話のツジツマを合わせるのにきゅうきゅうとしてて、気の利いたセリフのひとつもない。読み終えて「ふーん、なるほどそういうことね」で終わってしまい、ひと月もすると細かな筋書きはすっかり忘れてしまうなんてのが多い。具体的に作品名を上げたりしませんが、例えば旅情あふれるご当地トラベルミステリーなんて、中心となるトリックをひとつ据え付けて水戸黄門のごとく舞台を整えると一丁上がり、という具合です。

 これに対して東野圭吾のミステリーの魅力は、犯人捜しに加えて重厚な人間ドラマが展開されます。仮に事件が起こらなかったとして謎解き要素を取り除いたとしても文学作品として十分に読ませるのです。その多くが映画化ドラマ化されているのも頷けます。

20220901_233112635_iOS.jpg そんな東野作品でこれまで読んでなかった逸品を先週読みました。東野圭吾令和初の書下ろし「希望の糸」です。もちろんここで内容を紹介することはしませんが少しだけ概要を語ると、家族の絆、肉親の絆の大切さ難しさ素晴らしさをかすかに繋がった「糸」に喩えて訴えてくる作品です。さすがです。最後の部分でついホロっとしてしまいました。東野ワールド炸裂です。おそらくドラマ化されるんでしょうね。

 ただこの作品中、めずらしく「それはないわー」と思ったところがありました。刑事が女子高校生を高校に訪ねるんですが、校門で警備の人に用件を告げたところ「ここに名前書いてね」だけで、校内への立ち入りとクラブ活動中の生徒への面会を許します。ありえません。実際なら警備員はすぐに職員室に連絡し、先生がとんできて用件を根掘り葉掘り聞いた上で校長先生に連絡して対応をあおぎ、校長は教員委員会に連絡して前例を探させたうえで、後日あらためて保護者と教頭と担任が同席の上で事情聴取を許可することになるでしょう。警察から校長もしくは教育長あてに依頼文書を出せ、なんてことになるかも分かりません。

 しかしまあ、東野作品に関してはそんな細かな辻褄にこだわることは野暮というものです。物語をテンポよく読ませるために必要な演出ということで納得するべきです。

 ところで東野圭吾は大阪府立大学工学部出身で、卒業後は企業で技術者として勤務していたそうです。いわば理系人間であるにもかかわらず、プロの作家として名を成したわけで、才能には理系・文系関係ないんやなあなんて思います。そいやかの手塚治虫もお医者さんやったし、むしろ自然科学分野に秀でた頭脳が、緻密な物語を構成していくことに向いているのかも知れません。つまり、わたしには絶対にムリです。これからもいち読者として東野ワールドを楽しんでいこうと思います。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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