空白の一日

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 今朝は涼しい。例年にない猛暑から一転、今日から一気に秋になったようです。 

20230922_090257163_iOS.jpg 気が付けば今年も自宅マンションの植え込みに鍾馗水仙が顔を出しました。初めて見つけたのはもう10年近く前、そんときは1本やったのにだんだんと家族が増えてきました。ふるさと下市ではヒガンバナの見ごろも近いことでしょう。

 さて、プロ野球パシフィック・リーグはオリックスバファローズが3連覇を達成しました。セ・パ優勝球団がCSを経てこのまま日本シリーズに進むと、関西ダービーが実現します。1964年の阪神タイガース対南海ホークスの「御堂筋シリーズ」以来です。関西人としては楽しみがいや増して募ります。今日もタイガースネタです。

 前回書いた昭和48年悪夢のV逸ののち、タイガースは昭和59年までの間、吉田義男、後藤次男、ドン・ブレーザー、中西太、安藤統男と監督さんもコロコロと変わり、後藤さんのときに史上初の最下位を経験するなど低迷が続き、「ダメ虎」の烙印は誰もが知る日本語として定着しました。当時、球団フロントは「阪神は優勝せんでもええ。負けても観客は入るし、2位でいてくれた方が選手の年俸上げんでええから助かる」という考えやったと言われてます。勝てるはずがない。

 この低迷期に勃発した忘れられない事件が、昭和53年の「江川騒動」でした。当時読売球団は勝手に球界の盟主を自称し、プロ野球界はジャイアンツ中心に回ってるとの認識のもと、ルールもマナーも無視のやりたい放題でした。他球団の主力選手をカネにものを言わせて強奪してくる伝統は今も受け継がれてるし、NPBを人気球団だけに編成し直す「新リーグ設立」なんて騒ぎもあり、その傲慢ぶりは酷い有様でした。中でも酷かったのがこの「空白の一日」の一件でした。 

 江川は読売に入りたい。読売も江川が欲しい。しかしドラフト会議ではおそらくほぼ全球団が1位指名するやろから読売が獲得する可能性は非常に低い。そこで双方結託して思いついたのがドラフト制度の盲点を突いた奇策でした。

egawa.jpg 当時の野球協約では、ドラフト指名権は翌年のドラフト会議の2日前まで効力を有しました。つまり会議前日の1日だけはどこの球団にも優先的交渉権がないことになります。ここに目を付けた悪党読売と江川が、ドラフト会議前日に「江川は読売と交渉して、今日入団に合意した」と発表したのです。さあたいへん。 

 こんなことが許されるはずがありません。せ・リーグ会長は当然この入団は無効と表明し、翌日のドラフト会議は粛々と行われ江川の指名権は阪神が獲得しました。すると、ここからが読売の凄いところ、会長の裁定に猛反発してドラフト会議をボイコットした上に「全球団が出席してへんのやから、このドラフト会議は無効」と言い出したのです。勝手にボイコットしといてこの言い草、なんという厚顔無恥ぶり。

 結局、苦慮したコミッショナーの裁定で、江川はいったん阪神に入団させて読売にトレードしたらどお?ってことで決着しました。思えばこの裁定も大アマで、本来なら読売球団をリーグから除名するべきやったところ、リーグもコミッショも当時の読売のカネと人気に逆らえなかったのです。shigeru.jpg

 江川とのトレードで阪神移籍が決まったのが当時の読売のエース、小林繁投手でした。これには読売を除くすべてのプロ野球ファンから、そして阪神ファンからも「可哀そう」との声が上がりました。ひどい話です。しかし、小林投手はトレード発表後すぐに「うち(阪神)は投手力が弱いんで、少しでも役に立ちたい」と表明し、阪神ファンの心をぐっとわしづかみにしたのです。そのシーズン、小林投手の奮戦ぶりはまさに鬼気迫るものがありました。なんとシーズン22勝を挙げ、読売相手には8勝負け無しという見事な成績を収めました。相変わらず弱かった阪神にあって小林投手のこの見事なリベンジ劇には、阪神ファンだけでなく全国民が快哉を叫んだもんです。

 このシーズン、私が特に印象深かった試合が、新人江川がいきなりプロ初登板で先発した甲子園の読売戦でした。初登板が阪神戦先発ですよ。読売という球団のいやらしさ傲慢さここに極まれりです。ところが江川は、「どのツラ下げて」の猛ブーイングを浴びながら見事なピッチングを続けます。どんな心臓してるんやと思いましたよ。「このまま負けるのか」「こいつにだけは負けたらアカン」と球場全体が悲壮な思いに包まれたそのとき、あの舶来の熱血猛虎マイク・ラインバックがスリーランホームランをたたき込み、見事に逆転勝ちを収めたのです。半世紀以上の阪神ファンとして忘れられない試合は多くありますが、この「クソッタレ江川」粉砕の試合は鮮烈に思い出に残っています。

 それにしても、読売球団の傲慢さよ。今では考えられませんがコンプライアンスなんて言葉が浸透する遥か以前の昭和の時代、こんなことがまかり通ってたのです。その後江川は「球界のヒール」の芸風を貫きたったの9年で引退に追い込まれ、生涯135勝は小林繁投手に及びませんでした。天網恢恢疎にして漏らさず、世に悪の栄えたためし無し。死して屍拾うものなし。

 話がそれた気がします。阪神タイガース優勝記念特集、次回さらに続けます。

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