2020年12月アーカイブ

昭和歌謡の星墜つ

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 今年最後のブログ更新です。激動の2020年が終わっていきます。

 今週、中村泰士氏となかにし礼氏の訃報があいついで伝わりました。10月には筒美京平氏が世を去りました。いずれも昭和歌謡界を支えてきた巨星でした。20201225_233833053_iOS.jpg

 70~80年代の、J-POPではなく「歌謡曲」、歌手は男性も女性もヒラヒラのステージ衣装で、アイドル全盛の時代でした。1970年の紅白歌合戦は、なかにし礼作詞の楽曲が5曲あったとか。娯楽が少なかったこの時代、小中学生はテレビを点ければ彼らの作った歌を聴いていたことになります。まさに一世を風靡していました。

 筒美京平作曲 「ブルーライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「17才」「男の子女の子」「わたしの彼は左きき」「木綿のハンカチーフ」「飛んでイスタンブール」「ギンギラギンにさりげなく」「センチメンタル・ジャーニー」「仮面舞踏会」...

 中村泰士作曲 「夢は夜ひらく」 「喧嘩のあとで口づけを」「愛は傷つきやすく」 「大阪の女」「砂漠のような東京で」 「喝采」 「わたしの青い鳥」「天使も夢みる」「心のこり」「そして...めぐり逢い」「北酒場」...

 なかにし礼作詞「恋のフーガ」「今日でお別れ」「天使の誘惑」「港町ブルース」「花の首飾り」「ドリフのズンドコ節」「昭和おんなブルース」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」「哀愁のシンフォニー」「北酒場」...

 これら珠玉の名曲、もちろんカラオケ今でも全部歌えます。戦後復興を成し遂げ高度成長を経て、日本が名実ともに先進国の地位を不動にし、バブルの絶頂に向けて発展を続けていたジャパン・アズ・ナンバーワンの時代、頑張る日本社会と日本国民を鼓舞し癒してくれた数えきれない楽曲を世に送り続けてくれました。お三方のご冥福をお祈りします。

 さて、年末のエントリーに際し振り返れば今年は、コロナ禍が日本中、世界中を席巻した一年でした。去年の今頃はまだ、2020年は輝かしいオリンピック・イヤーになると誰もが信じて疑わなかったのに、1月、ダイヤモンド・プリンセス号に端を発したわが国のコロナ禍は、あっという間に全国に伝播しました。

3960770_s.jpg 春が来ても、学校では卒業式も入学式もできない。あまつさえ閉鎖されたまま新学期が始まらず、学生・生徒・児童は登校できない。新入生は友達ができない。キャンパス閉鎖が続く大学では授業がオンラインとなり、授業料返還を求める声も出てきました。

 それよりも、感染の最大の元凶とされている宴会の禁止、自粛により、外食産業は壊滅的な打撃を被りました。マスク、消毒液の買い占め転売が社会問題化するなど消費行動も混乱しつづけたこの一年、戦後最大の経済の低迷として歴史に記録されることでしょう。

 国民一人当たり10万円の定額給付金の効果ももうひとつで、第2波、第3波と感染が拡大するにつれ政府も打つ手が尽きて、救済のため満を持して始めたgo to キャンペーンも、とうとう停止に追い込まれました。

 あらためて思い返すと、まあよほど大変な年でした。しかも感染はいまだ終息の気配無く、来る2021年も引き続きコロナ禍が継続、もしくは拡大の様相を呈しています。

 そんな、明るい見通しが無い中、今年1年ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。来る2021年、一刻も早くコロナ禍が終息し、盛大に実施されるオリンピックを機に日本と日本国民が再び怒涛の進撃を開始することを祈念し、今年のブログ納めといたします。

セーフ

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 寒い日が続いています。テレビのニュースは、寒気の南下で北国や日本海側が記録的なドカ雪となってる様子を伝えています。わたし明日は、奈良女子大学で行われる、ふるさと奈良県下市町関係のシンポジウムに出かけるんで、土曜の晩にブログを更新してます。

 クリスマス・ウィークです。

 部屋で夜聴く音楽も、ひっきょうキリスト教関係のものが多くなります。今日も朝からフォーレのレクイエムやバッハのクリスマス・オラトリオをずっと鳴らしてました。1日中、部屋ん中が教会みたいになってます。20201219_121906943_iOS.jpg

 音楽は宗教の発展に大きく貢献してきました。グレゴリオ聖歌の昔から教会には常に讃美歌が流れてました。神父さんがごにょごにょ説教するよりも合唱と楽奏で訴えるほうが効果が大きくて、音楽の力でもって信者を獲得し神の教えを浸透させてきたのです。また逆に、宗教が音楽の発展に大きな貢献をしてきたとも言えます。バッハの3大宗教曲「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」、モーツァルト「レクイエム」「大ミサ曲」、ベートーベン「荘厳ミサ曲」、ブラームス「ドイツ・レクイエム」、ドボルザーク「レクイエム」「スターバト・マーテル」、チャイコフスキー「晩祷」、そしてもちろんヘンデルの「メサイア」などなど。人類の至宝ともいうべき大曲だけでも枚挙にいとまがありません、小さなミサ曲やモテットなども含めると、膨大な数の宗教曲が今に伝わっています。キリスト教が無かったら、これらの仕事は生まれていませんでした。その昔、作曲家たちはもっぱら教会のために曲を書いていたのですから。

 わたしはまったく無宗教ですが、音楽の発展に貢献したという一点をもって神様に感謝しています。

 さて、コロナ。

 東京では新規感染者数が4日連続で600人超え。わが大阪でも5日連続300人超えです。全国の累計感染者19.4万人。当初、発表される感染者数にダイヤモンド・プリンセス号を含むとか含まないとか断りがついてましたが、今やそんなもん誤差の範囲となってしまいました。日本人の500人にひとり以上が感染したことになります。

 そんな状況を反映して、苦しい中で飲食店や観光地を救うために経済を回そうと始まった「Go To 」キャンペーンが、とうとう休止に追い込まれました。

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 ガースーが「宿泊を伴う旅行については、12月28日(月)から1月11日(月)までの間の宿泊を旅行日程に含む場合は、割引しないことにしたよ」と言うのを聞いたとき、「どっひー!そら、ないで」とのけぞりました。

 実は、27日から伊勢の定宿への温泉保養行を予約していたのです。「Go Toでお得に行ける。しめしめ」と思ってたのに、二日目の28日はしっかり旅程に含まれててアウトやん。

 しかし、その後詳しい公式サイトで休止の内容が明らかになるにつれて、「なお、12月28日(月)チェックアウトの場合は割引対象となります(地域共通クーポンも同日まで利用できます。)」という説明を発見しました。セーフ、ほんとに、ぎりぎりセーフ!

 これはきっと、わたしの日ごろの行いが良いから神様が救いの手を差し伸べてくれたに違いありません。これからは、素晴らしい音楽を鑑賞するだけのエエとこ取りではなく、も少し神様を畏れて感謝を捧げることとしましょうか。

湿潤にっぽん

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 冬になると風邪を引きやすい。気温が下がって抵抗力が落ちることもありますが、やはり空気が乾燥してウイルスが蔓延しやすいことが原因と言われてます。夏は気温が上がると湿度も上がり蒸し暑さが募り、冬は逆で気温も湿度も下がると。夏と冬の湿度が逆になれば一年中快適に過ごせるわけですが、そんなわけにはいきませんわな。

 さて、ここに、1枚の記念切手のシートがあります。だいぶ以前にも書きましたが、郵便切手蒐集は趣味の王道であり、わが国の高度経済成長期の切手収集ブームでは、当時全国にわんさかといた小学生の多くがこの紙切れの魅力に取りつかれ、こぞって蒐集に勤しんだものでした。ちょうどわたしたちの世代です。20201208_233509474_iOS.jpg

 時は流れてそいつらが大人になると、かつての興奮を再びと、当時のおこづかいでは買えなかった比較的高価な記念切手を思わず衝動買いしてしまうことがままあります。わたしだけかも知れませんが、年とると思い出の補填、人生の宿題を回収する行動が発現しがちなのです。この切手シートはそんなわけで近年になって手に入れたものなのですが、買ったときに気がついたことがあります。

 これらは「国際文通週間にちなむ切手」という当時非常に人気が高かったシリーズもので、現在も続いています。日本文化の神髄を世界に発信する意味から浮世絵などの日本画を題材としており、これはその初期のもので、葛飾北斎の富岳三十六景の「神奈川沖浪裏」。世界一有名な浮世絵のひとつで、欧米では「The Great Wave」という名で知られてます。

 気がついたことというのは、シリーズの他の切手シートと比べて、耳(切手の周りの白い部分)が白くて綺麗やということです。他のんはこれより発行年が遅く新しいにも関わらずやや黄ばんでおり、並べて比べると保存状態の差が歴然です。

20201208_233611365_iOS.jpg 原因は判明してまして、実はこの神奈川沖浪裏のシートは発売後すぐにカリフォルニアに送られて、ずっと現地で保存されてたものなのです。つまり、日本と加州の気候の差がこの保存状態の違いを生んだわけです。

 寒暖差はそんなに違わないんで、この際気候の差というとやはり湿度の差ということになるでしょう。西海岸はカラッとしてるけど、日本は湿っぽい。その違いが、ものの保存状態に影響してるんやと思います。

 例えば、ふるさと奈良県の飛鳥地区でそこいら中にある古墳は約2,000年から1,500年前頃に造られたお墓やけど、中から人のミイラや古文書が見つかったと聞いたことはありません。一方ピラミッドなどエジプトの墳墓は、4,000年以上前に造られたにもかかわらず、今でも埋葬当時に近い状態で王様の遺体だのパピルスに書かれた文書だのいろんな物が出土します。この違いはやっぱり湿度の差によるものです。日本にこの湿気がなかったらもっといろんなものが残ってて、壁画が消えちゃうこともなくて、卑弥呼がどこにいたかもきちんと分かったかも知れません。

 しかし一方で、この湿気を伴う気候こそ日本で四季の風情を生み、美しい風土、豊富な大地と海の恵み、そして素晴らしい文化を育んできたわけなんで、古い物が失われやすいというデメリットにはこの際目をつむらなければならんでしょう。

おかえりはやぶさ2

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 今年も残り1カ月足らずとなりましたが、いつもと違う師走のスタートです。コロナウイルスの蔓延で大阪では不要不急の外出は控えるように、と御上のお達しが出されたことにより、いいお天気にもかかわらず、再び巣ごもりの週末となっています。H2.jpg

 忘年会も軒並み中止です。無けりゃ無いで済んでしまうのですが、それでは身も蓋もありません。パァっと飲んで騒いで経済を回してこそ、一年を総括し来るべき新しい年に向けての気概も高まるというもんです。淋しいことこの上無しで、一年で最大の書入れ時がパァになる飲食店さんは本当に気の毒です。昨夜のNHKスペシャルは、コロナで職を失うのは女性が多く特に深刻である、という点に焦点を当てたドキュメントでした。本当に切実な様子を目の当たりにし、一日も早く終息しもとの元気な日本と世界に戻ることを念じてやみません。

 さて、そんな異常事態の地球に、はやぶさ2が帰ってきました。小惑星のサンプルが入ったカプセルはオーストラリアの砂漠で無事に回収されたとか。簡単に言うてますが、日本の科学技術の凄さを思い知る空前の快挙です。

 小惑星探査の予算が、悪夢の民主党政権の悪名高き事業仕分けで蓮舫にいじめられて削られそうなところに、先代の「はやぶさ」が小惑星イトカワ表面の微粒子を持って帰ってきたことで世論が味方となり、パワーアップした第2弾の「はやぶさ2」がJAXAのH-IIAロケット26号機で打ち上げられたのが6年前でした。

 打ち上げ当時、目指す遥か遠くの小惑星は「1999JU3」のコード名やったのが、はやぶさ2が旅を続ける間に「Ryugu」という立派な名前が与えられました。はやぶさ2は無事にミッションをクリアし、52億キロの宇宙の旅を続け、Ryuguのかけらを持って帰ってきたのです。

hayabusa2.jpg その間に地球上では、天皇陛下が退位され上皇様となり平成が終わり令和新時代がはじまりました。総理大臣も安倍さんから菅さんに替わり、アメリカでは大統領がオバマからトランプに替わりイギリスがEUを脱退し、中国の海洋進出が活発化し、韓国の日本に対する嫌がらせが活発化し、北海道の地震や中国地方の豪雨やいくつもの台風で甚大な被害が出、日本が国際捕鯨委員会 (IWC) を正式に脱退して商業捕鯨が再開し、リニア中央新幹線の工事が始まり、リオデジャネイロ平昌でオリンピックが開催されました。そして、世界史的規模の新型コロナウイルス感染症の大流行と世界的な経済の停滞の最中に、はやぶさ2が還ってくることとなりました。もしはやぶさ2が喋れれば「東京オリンピックはどうでした?」なんて聞きたいところでしょう。残念ながら1年延期ですワ。

 はやぶさ2は大気圏に突入し燃え尽きるのではなく、Ryuguのかけらの入ったカプセルだけをオーストラリアに落下させたのち、次の小惑星の探査へと再び長い旅に出るのやとか。なんとよく働くことか。なんというロマン溢れるプロジェクトではありませんか。

 しかし、JAXAとはやぶさ2が宇宙探査という人類の夢をちゃくちゃくと実現してきたこの6年間、いったいおまえはどれほどの進歩があったのかと問われているとすれば、これはもう、まったくもって面目ない次第です。夢と志を失わないようにとのメッセージをしっかりと受け止め、宇宙探査プロジェクトとはスケールがまるで違うけれども、日々仕事も生活も力を尽くそうと(少しだけ)意を新たにした次第です。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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