2022年1月アーカイブ

 先日終了した大学入試共通試験で、受験生がスマホで問題を撮影し外に送信して解答させるという大胆なカンニングをやったことを新聞テレビは連日伝えました。犯人はいわゆる仮面浪人の女子大学生で、他の大学に入学し直したいけど自信がなかったからやったんやとか。解答した東大生はハナからの共犯ではなく、共通試験の問題とは気づかず解答させられたといいますから、この犯人相当な手練れです。そんな企画力と遂行能力と度胸があるなら、大学なんて行かなくても充分に社会で成功できたのにと思ってしまいます。cunning_cheating.png

 カンニングと聞いて思い出すのは、またまた昭和のお話になりますが、青春ドラマの「飛び出せ!青春」です。わたし小学生の頃でした。最近のテレビはドラマに限らず視た内容をすぐに忘れてしまいますが、純粋無垢な子供の記憶に擦り込まれた印象は半世紀の時を経ても鮮明に覚えているのです。

 ある日の放送、サブタイトルが「やるぞ見ていろカンニング」でした。巧みなカンニングで成績トップとなったある生徒を主演の河野先生(村野武範)はことさらに咎めることをしません。自発的な改心を促すためでした。このことに反発したクラスの他の生徒たちが、そんなら俺たちもとカンニングが蔓延し様々な方法を企ててテストに臨みます。このあたりはコメディで、実に多様なカンニング手法が準備されます。そんな生徒たちに対して、河野先生は自分の教科である英語のテストに際してなんと、問題用紙と一緒に模範解答も配ります。カンニングをやりたいやつはやればいい、それならいっそ手間を省いてやるというわけです。

img_665166_33030634_0.jpg 現代のドラマなら、生徒の訴えによりテストは無効、保護者が騒ぎ出して河野先生は校長先生に怒られて謝罪の集会を...なんて展開になりそうですが、そこは昭和のコテコテ青春ドラマ、なんと最初に不正した生徒が突然改心し他の生徒に訴えます。「先生は、自分の卑劣さを自分自身が悟るまで見守っていてくれたんだ...」クラスの生徒全員が自分たちの愚かさに気づき「先生~!」あとはお決まりの感動シーンです。それまでにカンニングをした生徒たちが自発的に、サッカーのゴールでボールをぶつけられる罰を受けます。このあたりも、自発的とはいえ体罰うんぬんで現代ではNGでしょう。

 後年、発端となった生徒役のゲスト出演者がなんと若き日の水谷豊であったことを知りました。

 このドラマは「青春とはなんだ」にはじまり、「おれは男だ!」「われら青春」など名作を生んだ日テレ(関西では10ch読売テレビ)の青春ドラマシリーズの1作でした。コテコテの熱血路線の学園ドラマはこの「飛び出せ!青春」あたりがピークで、主題歌「太陽がくれた季節」はミリオンヒットとなるなど一世を風靡しました。しかし、現実にはおよそ起こらないであろうコテコテの青春賛歌は、ビートたけしに揶揄されてネタ扱いされたこともありその後廃れ、一気にリアリスティックなシリアス路線の作品へと変わっていきました。TBSの「3年B組金八先生シリーズ」などは学園ものというよりは社会派ドラマで、このあたりからわたしはドラマに興味がなくなりあまり視なくなりました。

 ところが、近年になって妻の影響もあり「ごくせん」などコミック原作非現実路線の昨今のドラマをチラ視するにつれて、電影マンガとして割り切ってみる分にはまあええか、なんて思い始めました。還暦を過ぎて、精神構造が遠き日の子ども時代に向けて退化を始めたのかもしれません。

 今からちょうど2年前、当時話題になってたコンビニオーナーの叛乱のことをブログに書きました。いわゆる「東大阪セブン・イレブン事件」です。なんとあのオーナーのおっさん、まだごねててセブン本社と裁判で争ってるそうです。本社も本社で、くだんの店舗の駐車場に新しい直営の店舗を立てて開業したといいますから、やることがえげつない。どっちもどっちで、裁判所は呆れてるんやないでしょか。LAWSON.jpg

 ちょうどこの事件が話題になってた頃、わたしの通勤経路の駅改札出たすぐ前に新しいローソンが開店しました。便利になったと喜んでたところ先日、なんと改札から反対側の道に出た正面にローソンがもうひとつ開業しました。線路を挟んで距離にして4、50mの接近遭遇です。

 大丈夫なんかなと思ってしまいます。片方がセブンかファミマなら「お、ライバル出現か」と、消費者にもメリットがある話ですが、同じローソン。いわゆるドミナント戦略というやつでしょうか。先発のオーナーさんは、心中複雑でしょね。

 コンビニは、人口1万人に1店舗がおおよその目安なんやそうです。職場がある大阪市旭区は人口約24万人、Googleマップでコンビニを検索してみると20軒あったから、ほぼそんなもんか。しかし、わたしが住んでる四條畷市は人口5万6千人に対してコンビニは22軒もありました。人口密集の都心と郊外の衛星都市ではいろいろ条件が違って、必ずしも目安どおりにはならないということでしょう。

narakennanboku.png ふるさと奈良県に目を向けると、さらに状況が違います。なんと県の真ん中を東西に流れる吉野川より南側には、3大コンビニチェーンは1店舗もありません。2カ所の道の駅にデイリーヤマザキがあるのみです。それもそのはず、川より南はほぼすべて山林で人口は約2万人。それが大阪府よりもはるかに広い面積に偏在してるんやから、1店舗に1万人の利用者が必要なコンビニが採算とれるわけありません。

 奈良県の市町村をほぼ同じ人口で南北に分けると、その線は極端に北に偏っています。赤いとこと青いとこの人口がほぼ同じです。どこの都道府県でも人口の偏在はあるでしょうけど、これほど極端なところは少ないのではないでしょうか。行政サービスはどうしても人が多い都市部に厚くなってしまってます。いわゆる奈良県の「南北格差問題」というやつです。

 過疎化が進んでいることはよく知ってたけど、コンビニ店舗数を眺めるうちに、あらためてふるさとの実態を思い知ることとなりました。

 インドネシアが首都圏の過密を緩和する抜本的対策として、首都をボルネオ島に移転するそうです。奈良県では何年か前、県南部の振興策として県庁を橿原市に移転する決議案が県議会で採択されたことがありました。しかし法的に拘束力があるわけではなく、予想通りその後立ち消えとなりました。吉野郡の住民にしてみたら、県庁が奈良市から橿原市に変わったところで何の影響もありません。どうせやるならこの際中途半端やめて、いっそ大峰山麓の山懐に県庁移してはどうでしょか。ムリか。

 大学入学共通テスト2日目の日曜日の朝です。テレビは津波のニュースを繰り返し伝えてます。岩手県には警報が出てる中「画面に日本地図出さなきゃなんないの?みにくいけどガマンしてください」サンデーモーニング司会の関口宏の暴言です。TBSは、スポーツコーナーの張本さんよりもこのオヤジの方を先に降板すべきでしたね。pachinko.jpg

 さて今日の話題。先週、ネットで視たニュースに、パチンコ・パチスロ人口が大幅に減少しているというのんがありました。ずっと減り続けてて昨年は前年比180万人減の710万人、2割ほど減ったということです。大きく減った原因はコロナ禍ですが、それでも日本の成年人口が約1億人として100人中7人がパチンコ店に出入りしていることになります。これが多いか少ないか。

 日本生産性本部の統計によると、余暇産業の市場規模はパチンコ・パチスロ業界が外食産業を僅差で制してトップで14.6兆円。かつてバブルの頃、パチンコは30兆円産業といわれてたからその頃に比べると半分以下に縮小しました。それでも日本の全国民が外食に費やすお金よりも、パチンコ屋さんで使うお金の方が多いといわれると、あらためてすごい業界やなと思います。

 わたしは日ごろギャンブルはほとんど嗜みません。年末の有馬記念を買うことがありますが、これは単に国民的イベントに参加したいというミーハー精神の為せる技であって、熟慮した結果大穴一発、一攫千金を狙っているわけではありません。しかし娯楽が少なかった貧乏学生の頃には手頃な暇つぶしとしてたまにパチンコ店に行ったことはありました。この「簡単・手頃」が曲者で、ついふらっと入ってしまいます。しかしもとよりバク才は無かったのでバイトで苦労して得たお金がみるみる消えていくのです。「これはあかんわ」とすぐにやめてしまいました。今考えるとラッキーやったと思います。なまじ貧乏やったことで、のめり込むきっかけが自然と断たれたといえます。

paachislot.jpg しかし、中には、負けると逆に熱くなって「取り返してやる」気になってさらに負けてしまう悪循環に陥る人が多いらしい。のめり込むと、お小遣いだけでは到底足りず生活費を全部つぎ込んでも足りず、なんと借金してまで通うようになり、暇つぶしどころか一日のほとんどをパチンコ屋さんで過ごすようになってしまうとか。パチンコに限らずギャンブルは麻薬と同じで、依存症になると自分の意思でやめることができない。精神疾患です。タバコは過ぎると身体を壊しますが、ギャンブルが過ぎると心を壊してしまうわけです。初めからやらないに越したことはありません。

 宝くじもいわば賭博みたいなもんです。しかし、この宝くじはギャンブルとして見ると非常に割が合わない。一枚300円の当選期待値は140円程度やそうです。競輪・競馬が70~80%を還元していることを考えるとテラ銭が高すぎます。

 人は死ぬまでに必要なお金のめどがついたら宝くじを買わなくなるらしいです。1等何億円が当たって得られる幸せと、当たらずにこのままの日常で得られる幸せとの差が埋まるからです。別に今さら大金を得たいと思わない、十分に満足して死んでいけるとなったら、宝くじの購入費用をもっと目に見えた価値に使うようになります。一方、将来が見通せず何らかの不安がある場合は、今の生活費を多少削ってもゼロではない確率に賭けてみようと考えてしまうのです。しかし、あらためて確率をじっくりと考えてみると、これはもう1枚300円分を神社仏閣でお賽銭に使った方が「夢を買う」ための投資としては、よほどご利益があるように思います。takarakuji_uriba.png

 さらに、高額当選者が必ずしも幸せにはならないという話もよく聞きます。そりゃそうよと思いますよ。幸福はあくまで人個々の心の感じ方であって、大金持ちがすべて幸福であるなんて言えません。もしヘルスメーターみたいに人の幸福度を測ることができる器械があったら、世界的な大富豪よりも高い数値を出す人は何億人もいるでしょう。

 日本も他国なみにIR(統合型リゾート)を作ろうという企みが生まれてかなり経ちます。その中心はカジノです。停滞する日本経済を立て直す起爆剤として誘致する自治体がぞくぞくと出てきてます。確かに、パチンコが外食産業を凌駕するほどの経済効果を生んでいる現状にあって、国や公共団体にとってカジノは相当魅力があります。しかしなあと思うわけですよ。

 経済効果という点から考えると、娯楽に費やされるお金は、費やす人が気持ちの向上、活性化と行動意欲を得ることで新たな生産活動につながって初めて効果があるわけで、単に胴元を儲けさせるだけで終わってしまったら意味がないのです。あまつさえ、依存症という精神疾患に罹患する人が今より間違いなく増えるという、ものすごいデメリットもあるのです。

 一攫千金の夢は確かに威力があります。しかし、あくまで夢に過ぎない夢をばらまくことが果たして本当に日本国民の幸せにつながるのかどうか、慎重に検討してほしいもんです。 

地上げの果て

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 コロナウイルス、オミクロン株の拡大で日本中が何やら騒々しい中、新年のお仕事がスタートし日常が戻ってきました。東京では大雪に見舞われ、例によって夏タイヤでスリップしての事故だの立往生で一晩車内で過ごしましただの、おなじみのニュースが伝わる中、大阪は今日も雪の気配など微塵もなくいいお天気、平和な日曜日の朝であります。

20220105_220112357_iOS.jpg さて、毎日の通勤途中、駅で降りて乗り換えるバス停に立つと道路反対側に広がってる光景です。大きな駐車場の真ん中に、ポツンと小さなお好み焼屋さんが建ってます。もちろん、誰かが駐車場の土地の一部を取得してお店を開いたわけではなくて、もとは同じような間口一間半のお店や住宅がズラッと建っていたところ周りの建物が次々と立ち退き、最後にこのお店だけが残ったということでしょう。

 梅田都心からバスで約15分、住宅地が拡がるエリアのかなりまとまった土地で、もしこのお店が無ければきっと周りに建ってるようなマンションがそっこーで建設されるものと思われます。お店には不動産デベロッパーから強烈な働きかけが続いているのではないでしょうか。

 かつてバブルの頃「地上げ屋」という言葉が登場しました。もちろんそれまでにもあったのでしょうけど、この時代特に注目されました。土地の所有者や賃借権者と交渉して立ち退きをお願いし、まとまった土地を形成して転売する不動産事業です。地上げ屋さん自体は、権利者との交渉をコツコツ続けて双方の利益を導く地道で大変なお仕事なんですけど、バブル時代に地上げ屋というと、暴力的な言動でもって脅迫し無理やり居住者を追い出す、その多くは反社勢力の仕事というイメージがありました。

 アパートに1軒だけ残った住人を追い出すために両側の空き室で大量の大型犬を飼育したり、もっと分かりやすい例では住人が出かけてるあいだにどこかから盗んできたトラックを突っ込ませたりと、やりたい放題でした。権利者は、もうたまらんということでわずかばかりの立ち退き料をつかまされ、這う這うの体で引っ越していきました。暴対法の施行で反社が弱体化した現在ではおよそ考えられない違法行為が、自由経済活動の名のもとに公然と行われ、それらはバブル経済の狂乱のはざまで見過ごされていたのです。bubble.png

 実はわたしも地上げにあったことがあります。といっても犬もトラックもありません。学生時代住んでいたアパートが、都市再開発のための新しい道路建設のため取り壊すことになり、ついてはどこかに引っ越してくださいと。交渉にきたのはサングラスにパンチパーマの強面ではなくて、制服着た市役所の人やったと記憶してます。立ち退き料として30万円弱を提示されました。まず引越費用として半額。引越が済んだら残りを支払いますと。

 貧乏学生やった私はもう、否も応もありません。これは降って湧いた僥倖。引越なんて軽トラ借りて来て友人に作業を頼めばタダ同然で済みます。即答「すぐ出ていきます」その後しばらくは、外食のグレードが上がったもんです。

 昔読んだ、ある短編小説を思い出します。辺鄙な山中に高速道路建設の計画があることを偶然知った男が、その山野の一部を事前に取得し、転売金額を吊り上げるため粘りに粘って、それがためになんと高速道路の方が別のルートを通ることに変更され、結局損をしてしまうという話でした。

 冒頭のお好み焼屋さん、条件を上げるために頑張っているのかどうかは分かりませんが、あとどれくらいもつか注目していきたいです。それまでに一度お好み焼食べに行ってみよかな。

楠公に祈る

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 20211231_230928683_iOS.jpgあけましておめでとうございます。

 2022年が始まりました。今世紀が始まって「ミレニアム」と浮かれていた頃から早くも22年経ったわけです。ついこのあいだ令和の世の中になって、既に3年半が経過しました。早い早い。時の過ぎ行く速さに愕然とする、新年の幕開けです。

 昨日元日は例年のごとく、年末からの続きでどっぷりとアルコールに浸かってました。んで、5日の仕事始めに向けて今年はひとつ正月ボケからのリハビリをいち早く始めようと初詣に出かけて先ほど帰ってきたようなわけで、その勢いにのってのブログ初めです。

 例年私は初詣は行いません。過去お参りした年にはあまり良いことがなかった経験によるものですが、もうよかろうと今年は思い立って近所の大きな神社に行ってきました。歩いて30分ほどかかりますが、お屠蘇をぬくのにいい運動になります。20220102_034022134_iOS.jpg

 四條畷神社といいます。明治23年創建の新しい神社です。明治政府によって南北朝は南朝が正当な皇統と決められたことから、南朝方の武将で「大楠公」と称された楠木正成が徐々に神格化され、その子楠木正行(まさつら)が「小楠公」として祀られたのが四條畷神社です。現在の四條畷市や大東市は、この神社の門前町として発展し今に至ることから、神社は「楠公さん」と呼ばれ親しまれてます。正行が戦死した「四條畷の戦い」ゆかりの飯森城がある近くの飯森山の頂上に正行の銅像が立っていることは、かなり以前に書きました。

 この神社が小楠公を祀るために建立されたように、他にも明治神宮は明治天皇、各地の天満宮(天神さん)は菅原道真公など、偉大な先人をお祀りするために建てられた神社がたくさんあります。なのに日本人はなぜかそこで自分の願いごとを叶えてもらうためにお参りするわけで、これは考えてみれば妙な話ですが、つまりそれぞれ祀られた人たちは亡くなってから神様となり、人を救済するお仕事が始まったことになります。おびただしい数のお願いごとを叶えなければならないんで大変ですよね。どうかひとつよろしくお願いいたします。

 20220102_060440345_iOS.jpg楠公さんは近いこともあってこれまでも何回もお参りしたことがあります。飯森山は自宅から歩いて行ける手軽なハイキングコースなんで、ついでと言うと非常に恐縮ですがまあついでにお参りしてきたわけです。いつもは山懐に抱かれた静かな境内が今日はなんとお参りの人が行列してます。こんなん初めて見ました。やはり日本人はお正月、初詣大好きなんやねーと改めて思いましたよ。厳かな雰囲気に合わせて、ウォークマンでチャイコフスキーのピアノコンチェルト聴きながら並んでたら、第1楽章終わった頃に拝殿の前まで進みました。さあ、神妙にお参りしますよ。

 コロナ禍の終息と世界平和、ご皇室の弥栄、家内安全、仕事の成功、その他もろもろお願いし、しめてお賽銭100円也。お値打ち価格でご奉仕いただきます。せっかくやからとおみくじもひいたところ「大吉」でした。なにやらいいこと起こりそうな期待に胸躍る2022年のスタートです。皆様今年もどうぞよろしくお願いします。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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