読んだ本のことの最近のブログ記事

 ドタバタの様相を呈してたアメリカの大統領選挙、どうやらバイデンさんに決まりのようですね。投票直後の速報でトランプ優勢の州を全部足すと過半数超えるんで、これもうトランプで決まりやん、と思ってたところが開票が進むにつれて逆転するという、投票締め切りと同時に当確が打たれる日本の選挙ではありえない展開でした。トランプは負けを認めず悪あがきするみたいです。これが、圧倒的とはいかないまでも明らかな大差であればあきらめもつくんでしょうけど、あまりに僅差ゆえのドタバタです。大阪都構想の住民投票も本当に僅差でしたが「数え直せ」なんて騒ぎにはならず、維新は潔く負けを認めました。選挙に対する信頼の差といえましょう。

 アメリカは見事に二大政党制による政治監視体制ができあがってます。ここまでに真っ二つに割れるもんかいなと思ってしまいます。政権の交代が起きやすいことから、長期政権による腐敗防止や公約に基づく大胆な政策転換を行いやすくなってて、これはアメリカが民主主義の盟主として世界の自由主義陣営を引っ張る原動力といえます。

 翻ってわが日本はというと、いっときあの民主党が政権を盗り「お、これはアメリカなみの二大政党制の実現か」と期待が高まったところが、あえなく自滅しました。今となっては「あの悪夢のような民主党政権」と揶揄され、その後の社会の停滞の原因となってます。残党の立憲民主党はその後、政策の批判しかできないクレーム集団に成り下がり、政府に対して何を言っても、民主党政権時代を忘れない国民からは「おまえらが言うなよ」と言われて終わりです。結局、日本では自民党の一党支配が今後も続いていくのです。

 さて、先週、新聞投稿の謝礼で貰った図書カードで文庫本をまとめ買いしたうちのひとつ、今邑彩の「そして誰もいなくなる」。はでなポップにひかれて買いました。daremo.jpg

 聞いたようなタイトルで、多分なんか関係あるんやろなと思って手に取ったところまさにそのとおりで、ミステリーの古典、A.クリスティの「そして誰もいなくなった」のオマージュ作品です。

 何とも軽い小説でした。「ラノベ」のノリです。マンガを読んでる感覚に似てます。あらすじみたいにストーリーがどんどん進み、会話が多いけど気の利いたセリフのひとつもない。400ページを超えるそれなりの長編ですが、出退勤の電車の中、お昼休み、寝る前と、平日の1日で読み終わりました。

 女子高を舞台とする連続殺人事件で、宣伝文には「ミステリー」とありますが、作者と読者とが犯人当てで勝負するいわゆる推理小説ではありません。事件のエピソードと真相が後出しで出てきて「なんじゃ、そら」という結末です。伏線も無いので読んでる途中で犯人を当てることは不可能です。これは、火サスの台本と思えばよろしい。1日で済んだので読んで損したとまでは言いませんが、この作者を今後読むことはないでしょう。

cristy.jpg 本家の「そして誰もいなくなった」を読んだのは中学生のときでした。浜村淳さんが、ラジオの深夜放送でこの作品の魅力を滔滔と語るのを聴いて買ったことを覚えています。クリスティの作品を次々と読むことになるきっかけになりました。

 孤島に集められた10人のいわくつきの面々が童謡になぞらえて次々と殺されていき、最後に残ったひとりも誰かに殺され結局生き残りがひとりもいなくなるというありえない展開ののちに、最後には驚くべき真実が判明します。

 傑作です。超ベストセラーでwikipediaによると1億冊以上出版され、2009年時点で「聖書」を1位とするすべての書籍の中で6番目に多く販売された作品やそうです。すご。映画化され舞台化されTVドラマ化され、オマージュ作品も次々と作られ、つい最近も舞台を日本に設定したドラマを視た気がします。

 その後クリスティは「オリエント急行の殺人」「アクロイド殺害事件」など次々に膨大な数の傑作を世に送りだし、今なおミステリーの女王と称されています。クリスティが推理小説を書き始めたのは、誰かと話してるときに「女性には書けない」と言われて「それなら書いてみよう」と始めた、というのは有名なエピソードです。誰かは知りませんがクリスティを奮起させたその人に感謝すべきでしょう。

 大統領選挙は、よくも悪くも民主、共和それぞれの支持者から強い支持を受けて候補者が立ちます。わが日本では先日総理大臣の交替劇がありましたが、菅総理以外に有力な対抗馬がいなかったためトップの交替という重要なイベントにもかかわらず盛り上がりに欠けました。犯人がいなくなったら物語としては盛り上がりますが、総理適任者が誰もいなくなったなんて事態は日本にとって不幸です。菅総理がリーダーにふさわしくないなんて言いませんが、アメリカの大統領選挙をみてて、日本でもこんな熱狂的な支持を得た強力なリーダーを出す仕組みがあればなぁとつらつらと思いました。

 4連休です。本来ならば東京オリンピックが開幕し、日本中いや世界中が興奮に包まれていたはずでした。しかし、まあ予定どおり行われてたら開会式は土砂降りの雨やったということで、ポジティブに考えましょう。

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 この連休初日はなんとかお天気がもって、今年初めての甲子園球場観戦してきました。藤浪晋太郎が久しぶりの登板。試合途中まではなんとか踏ん張ってましたが、逆点満塁弾を浴びてあえなく沈没。まあ初登板はこんなもんでしょ。これからに期待しましょう。観客は普段の10分の一、しかも大声禁止ということで、球場は実に静か。座席の前後左右に人がいないので、実にゆったりと観戦できました。勝てばなお良かったのですが、野球は筋書きのないドラマ、勝つと分かってても面白くないしって強がってみる。

 その後は雨とコロナでどこにも行けず、部屋で読書三昧です。んで、ひさしぶりに、最近読んだ中からよかった本のことを書きます。筋書きのあるドラマです。

「カササギ殺人事件」 アンソニー・ホロヴィッツ 作 山田蘭

 本屋大賞(翻訳小説部門)1位  宝島社「このミステリーがすごい!!」 1位  週刊文春「ミステリー・ベスト10」 1位  原書房「年間本格ミステリーベスト10」 1位  ハヤカワミステリマガジン「ミステリが読みたい!」 1位

 1位だらけです。つまり、ものすごく評価されたベストセラーというわけです。「ベストセラーなんか読まない」という人もまれにおられますが私はミーハーであって、つまりベストセラーに飛びつくタイプですから、これだけの推しがあるとこれはもうね、読まないわけにはいきませんでした。20200722_021356265_iOS.jpg

 フーダニットの本格推理です。作品の構成に特徴があり、二つの事件が劇中劇として進行する、一粒で二度おいしい構成になってます。これは、ありそうでなかった試みでなかなかおもしろい。どちらの事件も、登場人物みなが容疑者として行列を成して進んでくるような重厚なつくりで、ミステリ好きを唸らせます。謎解きの醍醐味とともに純文学のような人間関係の綾が描かれ、決してハッピーエンドではなく、読み終わると切なさが残ります。小説とはこうあるべきです。

 推理小説というと、何か新しいトリックをひとつ思いつき、それを中心に据えて肉付けしてひとつの物語に仕上げるベタな構成が多く、つじつま合わせにきゅうきゅうとして、気の利いたセリフのひとつもなく、ようは文学作品として楽しめません。1~2ページにまとめられたあらすじを読んだのと読後感がほぼ変わらず、時間だけを無駄にした、そんな駄作が多い中、今回ひさしぶりにミステリ分野の文学作品を読んだと感じました。

 推理小説の女王、アガサ・クリスティへのオマージュあり、アナグラムの言葉遊びあり、細かなディテールも満載です。特に主人公の名探偵の名前がですね...、おっとやめときましょう。

 ミステリなのであらすじや、ましてや結末を書くことはしませんが、1位だらけという評価は素直にうなずけます。今年これまで読んだ本の中では、ミステリーに限らなくても文句なしの1位です。

下巻の悲劇

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 昨日、今日と大学入試センター試験が行われています。来年から「大学入学共通テスト」に移行するため、この制度の試験は今年が最後です。幸いにして今日はいいお天気になりました。いろいろと批判もありますが、大学入試はいくつかある人生の関門のひとつであることは歴然とした現実です。受験生の皆さんは悔いの残らないように最大限の力を発揮してほしいと思います。

 さて、前にも書いたことがあるように思いますがわたしは、文庫や新書をみさかいなくホイホイ買ってしまうほうで、出張なんかの際にも時間があれば駅や街の本屋さんに入って、ぶらぶらしてるうちに衝動買いしてしまうことがよくあります。

 先日、新大阪駅で新幹線の待ち時間に書店に入ったところ、まだ読んでないミステリーがあったので、つい手に取ってレジに持ってったところ、店員さんが「下巻でよろしいんですね」と。

 「え、下巻?ちょ、ちょっと待って。」

 本があったところに戻ってみると、上下巻並んで平積みされてた上巻の上に違う本が置きっぱにされてたのです。そいでわたしは1冊完結と勘違いしたと。よくみれば表紙タイトルの下に「下巻」て書いてあったのに見落としてました。

 この際、レジの店員さんのひとことで事なきを得たわけです。

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 思い出すのは、もう30年も前になりますかなあ、シドニィ・シェルダンの超訳シリーズの小説を買ったときのこと、上下巻買うべきところ、間違えて下巻を2冊買ってしまったという事件がありました。間違えたとしても、上巻を2冊ならまだ読み始めることができます。しかし「両方とも下巻」は最悪です。

 「レジの人、言ってよお、普通わかるやろ」と、みずからの不注意を棚に上げて愚痴ってみてもあとの祭りです。レシート持って交換に行く手間と時間を考えたら、最寄りの書店で買い直した方がいいと判断したことを覚えてます。書架には上巻1冊と下巻が2冊、いまだに鎮座しています。

 客が意図とは違う買い物をしようとしている可能性がある場合、売る側は念入りに確認すべきです。ほんの少しの気遣いで顧客満足は高まり、店は後のクレーム対応を避けることができます。電器量販店などではこの点、徹底されてます。

 似た話で先日友人が、ネット通販で2019年版の手帳を買ってしもたと泣き叫んでました。ポチった際の本人の不注意なんで、しかたないっちゃない。けど、今年になってから買ったということで、これはもう、そもそも売ってはいけない商品ではなかったかとも思います。

 ひょっとして勘違い購入を意図して、あえて売れ残りを出品してたのでしょうか。だとしたら悪質。

ひとり多い

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 今年もあと10日。えらいこっちゃ、年賀状書いてない...

 それはそれとして、今日は最近読んだ本のことを少し。

 綾辻行人の「Another

 「今ごろかいっ!」という突っ込みがいくつか聞こえてきましたが、まあ待ってください。ちょっと言い訳がありまして。

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 前にも確か書いたことがあるような気がしますが、わたし読書がわりと好きで、常に何か読んでいたいほうなので、おもしろそうと思った本は新刊でも古書でもとりあえず買っておくことにしてます。

 本に限らず、買い物は一期一会。「街なかを一回りして帰りに買おう」をやってしまうと、忘れてしまったり、売り切れてしまったり、また帰りはそのお店を通らなかったりで結局買えず後悔することが、長い人生で多々ありました。何事でも「やらずに後悔するよりやって後悔せよ」は、人生を面白くする基本です。で、こころを入れ替えて、欲しいと思ったらその瞬間のインスピレーションを大切にしてすぐに買うことにしてます。買って後悔したことは、買わずに後悔したことよりも少なかったように思います。

 するとどうなるか。そやってどんどん衝動買いするんで、買ったきり読んでない本の在庫が増えていきます。テレビの録画が溜まっていくことはなんとなく憂鬱です。しかし不思議なことに、読んでない本が増えることはなぜか安心感があって幸せなのです。

 「Another」もそういう事情で読まずに置いてました。これが言い訳その一。

 その二としまして、最近物忘れがひどくなっており、読んだ本の内容をあまり覚えていません。読んだことは覚えていても「はて、どんなストーリーやったかな」ということが多い。ひどい場合は読んだことすら忘れて同じ本をまた買って読み始めて思い出したなんてこともありました。つまり「Another」もすでに読み終えたつもりになっていたわけです。先週、書架の前でふと目につき「えっと、どんな話やったかな」と思い出せない。有名な作品なんで、さすがに忘れるはずはない。結論「買ったまま、まだ読んでない」ことが判明したのでした。

 通勤電車3日間で読み終えました。以下感想を記しますので、まだ読んでおられない方はご注意ください。

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 綾辻行人といえば、いわずと知れた本格推理の重鎮、「館」シリーズが有名です。十角館の殺人、迷路館の殺人、人形館の殺人、時計館の殺人、黒猫館の殺人...。ほぼ読みました。中でも最初にハードカバーで読んだということもあって「霧越邸殺人事件」がいちばん印象に残ってます。

 ちなみに、これらのいわゆる吹雪の山荘もの(クローズドサークル)は、いまやミステリーの王道ですよね。古くはアガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」から、最近では東野圭吾まで。犯人はこの中にいる!果たしてどんなトリックが?どんなどんでん返しが?作者と読者のガチンコ真剣勝負なんて言われますが、勝てたためしが無いし素直に雰囲気を味わうだけでも実に楽しい。

 ちょっと話が逸れました。「Another」です。これは中学校舞台の青春ミステリーです。ちょっとホラーの要素が強い。スプラッタ気味のところもあります。

 「ひとり多い」系です。これはわたしが勝手にジャンル名をつけました。萩尾望都の「11人いる!」に通じるものですが、「Another」はもっと怖い。どっちかというと、ざしきわらし。怪談で何が怖いって、幽霊や妖怪なんかより生身の人間がいちばん怖い。中でも人数が合わない話は究極の不気味さという点でとどめをさします。

 いるはずのないもうひとり(Another)の謎、不可思議と秘密と悲劇とが交錯しつつ徐々に解き明かされていき、映画化したら「映え」そうな大団円へと突入していきます。

 重要な叙述トリックがラストで炸裂しますが、わたしは、これはちょっとどうかなあと思いました。また、キャストが秘密を話しだしそうな場面でわざとらしく邪魔が入るなど、ちょっと漫画チックなところがいくつかあって、これもあまり好きではない。でも、全体の雰囲気はよくて映画の原作を読んだと思えば納得の作品でした。オススメできます。

ノストラダムスの思い出

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 昨日、高校の同窓会に出席してまいりました。

 といっても同級生が多数集まり懐かしさに胸弾ませる、いわゆるところの同窓会ではなくて、地域支部のひとつとしての組織です。同じ高校を卒業したというだけの、年代もバラバラの集まりで、出席者の年齢層は私よりはるかに上で、私はほぼ最年少でした。知ってる人もほぼ皆無。ある知り合いから是非にと誘われて行ってはみたものの、なんだか不思議な集まりでした。しかしなんと高校時代の恩師がゲストではなくで同窓生の一人として来られており、この再会は嬉しかった。

20190601_233101901_iOS.jpg さて、先々週のエントリーで、現代人は超常現象を次々に科学的に解明し夢を奪うことで、キツネ・タヌキからも見放された嘆かわしい状況のことを書きました。NHKの幻解超常ファイルはじめ最近のテレビ番組は、数多の超常現象はUFOやメアリー・セレスト号、麦畑のミステリー・サークルも、妖精の写真も、ネッシーやツチノコでさえ、すべて物理的、常識的に説明できる事象または「ウソ」であったことを次々に解き明かしてきたのです。これはいかんと。

 そんなことを書いてるうちに書架の奥の方からこんな児童書を見つけました。小学生の頃におこづかいで買っていたシリーズです。当時の趣向がバレバレで気恥ずかしいですが同時に懐かしくもあります。

 そのうちの一冊「世界のなぞ世界のふしぎ」、この本には上記のネッシーはもちろん、メアリー・セレスト号なども謎を謎のままに掲載しており、科学的な解明など微塵もありません。これによって純真な少年の好奇心を大いに満たしてくれていたわけです。20190601_233302972_iOS.jpg

 中でも特に興味深い記事があります。いわゆるノストラダムスの予言のことが書かれているのですが、この本の出版は1971年。かの五島勉氏が著した「ノストラダムスの大予言」が祥伝社から発行され空前のノストラダムスブームが始まったのが1973年ですから、それ以前にもノストラダムスのことは児童書に登場するほどに知られていたことになります。ただ、この本では1999年の予言を「宇宙から侵略者がやって来るが、地球人がこれを防ぐ」と記載しており、ブームとなった「恐怖の大王による人類滅亡」とは違った解釈をしているのが面白い。

 ところで、その1999年の予言の記載の横に鉛筆で「40さい」と書き込みがあります。覚えていませんけど、もちろんわたしが書いたのでしょう。この年に自分が何歳になるかを数えることで、謎に対する興味を膨らましていたんやろけど、実は1999年、わたしは37歳でした。つまりは数え間違えていたわけで、幼いころから算数が苦手やったということをこんなところからも思い知らされます。ある意味、典型的文系人間として成長するその後の人生を暗示しているともいえ、予言のひとつの形であったと考えると、これ、当たってるやん。 

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

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雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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