春爛漫、一気に初夏の雰囲気さえただよう、穏やかな日曜日の朝です。春の使者、桜が去っていきます。さっときてさっと去る、その儚さ、刹那の美学こそが日本人の琴線に触れ古来より大切にされてきた所以と言えます。
桜を詠んだ名歌のひとつに、本居宣長の「敷島のやまと心を人とはば朝日に匂ふ山さくら花」があります。先祖代々連綿と受け継がれてきた日本人としての感性と矜持がまさに「大和心」であり、春の桜はそのことを思い起こさせてくれます。お花見は単に「綺麗、美味い、楽しい」だけでなく、静かに大和心を感じるひとときにしたいものです。
さて今日の話、関西私学の雄、同志社において、平和活動という名の洗脳教育が行われている実態が暴露されつつあります。
沖縄県辺野古の米軍基地反対運動といえば、いまやかつての三里塚闘争を彷彿させる極左反日集団の活動拠点となっています。そんなきな臭い現場に、こともあろうに京都の同志社国際高校が研修旅行と称して高校生を連れていき、抗議活動で使っている船に乗せていることが判明しました。
現地の活動家の船長が違法に操業する抗議船が転覆し、当の船長とともに高校の女子生徒一人が死亡するという事件が発生したことでその全容を社会が知ることとなりました。痛ましい事件が発生するまで、このような反日活動に教育機関である同志社が加担していたことに驚きを禁じえません。
今回の事件の捜査が進むにつれて、抗議船の違法な運航を継続的に行っている団体「ヘリ基地反対協議会」に日本共産党がその運営組織として関わっていたことや、同志社国際高校が過去の研修旅行のしおりに、この団体による抗議活動(いわゆる「座り込み」)への参加を呼びかける文章を掲載していたことなどが次々に明るみに出ました。
なんとも言語道断の話です。反日左翼活動家が確信犯として反政府、反日本国の活動を行うことは、周囲に迷惑を及ぼさない限り自由です。民主主義国家の日本においては憲法によって思想良心の自由や表現の自由が保障されてるからです。悪魔を崇拝しようが、地球は四角いと主張しようが、政府打倒を叫ぼうがまったくお咎めはありません。自分がバカにされるだけで済むのです。しかし、今回のように法令に違反して高校生の命を奪うという蛇蝎のごとき行為は絶対に許されるものではありません。
日本共産党は自らを「平和の党」などと詐称喧伝していますが、その「平和」のためと称する活動によって将来ある高校生の命を奪ったのです。共産党が常々「人殺し集団」と揶揄し目の敵にしている自衛隊は、結成以来人のただのひとりの命も奪ったことはありません。なにが平和の党か、国民にどう説明するのか。人としての普通の感覚があれば、解党して責任を取るのが当然と思うが、いかがでしょうか。
また、共犯の同志社国際高校は、ホームページに「沖縄修学旅行中の事故に関するお詫びとご報告」と題する内容を掲載しています。
...当日は波浪注意報が発令されており、学校といたしましては当時の安全確認体制や出航の判断が適切であったかについて極めて重く受け止めております...
お詫びすべきはそこではなく、何故に反日左翼団体の抗議活動に使われるような船に生徒を乗せたのかということでしょう。その点については何ら言及することなく、今回の事件はあくまで不慮の事故であったとの前提の言い訳で、まるで他人事のような主張に怒りを覚えます。さらに、これまで同志社と共産党はどのような関係にあったのか、教職員に共産党の活動家は潜んでいないのか、そして今回の事件によって今後共産党との関係をどう考えるのかなど、国民が知りたいことが何ひとつ書かれていません。あまつさえ、
...亡くなられた生徒のご遺族ならびに、心身に深い傷を負った生徒たちの静養を第一に考え、報道機関の皆様におかれましても格段のご配慮を賜りますよう、切にお願い申し上げます。
などと、共産党との癒着については追及しないでほしいとでも言いたいかのような、得手勝手な要求を忘れずに記載しています。生徒たちの「心身に深い傷」を負わせたのは誰か、「格段のご配慮」を行うべきはいったいどこの誰なのかという話です。
被害者のご遺族は今回"note"で発信を行い、かけがえのないわが子を突然奪われた悲痛な思いとともに、高校の杜撰な管理体制に対する怒りを縷々述べておられます。同志社と共産党は納得のいく説明を行うとともに、どう責任をとるのかをはっきりさせる必要があります。刑事事件として捜査が進む一方で、事態を重く見た文科省は設置母体の学校法人同志社に対して直接調査に入ることを発表しました。通常、高校の所管は都道府県ですが、同志社は京都府の調査に対してぐずぐずとらちが明かない説明しか行わないことに業を煮やしての措置です。
一方、これほどの大事件であったにも拘わらず、メディアはほとんど取り上げていません。ゆいいつ産経新聞のみが検証を続けていますが、他紙は言い訳程度にベタ記事の扱いです。朝日新聞などは当初デジタル版で、「亡くなった生徒は抗議活動のために乗船していた」と、ウソの発信を行ってました。さらに、当初船長について実名報道せず、「ヘリ基地反対協議会」についても単に「市民団体」と書いていました。共産党への忖度が滲みます。その後抗議を受けてウソ記事は削除されましたが、遺族や関係者の神経を逆なでする愚行です。朝日新聞は、相変わらずの安定運航といえます。
先月、統一教会という巨悪に宗教法人取消・解散命令という鉄槌がくだされましたが、そこに至るまでに、安倍晋三元首相が殺害されるという悲劇が起こりました。今回、沖縄で無残に奪われた尊い命を無駄にしないためにも、この事件が契機となり、反日、反平和活動を繰り返す日本共産党という暴力集団が根絶されることを願ってやみません。

押収拒絶権も同様です。押収されて困ることがあるから権利を行使するのであって、言い換えればこの権利行使で田久保は、件の卒業証書がニセものであることを認めたことになり、さらにニセモノであることを認識しながら19.2秒見せた、ということを認めることになります。
ん。そこいらじゅうに人がいます。そんな中で見つからずに大阪市内まで到達できるとは到底思えません。つまり、結論として、彼は奈良公園から来たのではありません。
テレビで映像コンテンツを好きなときに楽しむ方法として、放送を録画しておくことがかつての消費者の鉄板行動でした。ホームビデオが爆発的に普及し始めた頃、アナログの磁気テープに録画することでテレビの楽しみは飛躍的に向上しました。しかし、部屋にはやたら場所をとる大きなVHFテープのライブラリが増殖し、たださえ狭い日本家屋の貴重な空間を圧迫していきました。その後ビデオはテープからディスクへと進化を遂げ、音楽はCD、映像はDVDというデジタルディスク時代が到来しました。
