明日は朝から出かけますんで、土曜の深夜にブログを更新しています。
ウクライナやガザ地区では今日も子どもたちがロシアとイスラエルの暴虐行為の犠牲となってる中、今度はイランとアメリカが戦争始めるなど、人類の人道に反する行為が続いてる中、日本では奈良公園のシカが1匹、大阪まで遠足してたことが話題になってます。平和な日本に暮らす幸せを実感します。

ニュースによると、このシカは奈良公園のシカのコミュニティの中で勢力争いに敗れ、その傷心のあまり放浪の旅に出たのではないかと紹介されてます。つまり、奈良公園のシカであることは決まったように言われてるのです。シカし、ホンマかいなって思います。
奈良公園からニュースに出てた大阪市内の毛馬の水門近くの公園まで直線で30kmはありますよ。まあ野生動物のこと、百歩譲ってそれくらいの移動はできるとしましょ。その間に生駒の山脈が横たわってます。果たしてシカに「あの山を越えていこう」という意欲が沸くでしょうか。奈良公園では敗れ去ったが、山の向うにオレを待つ新世界が拓けていると認識できたでしょうか。シカが西遊記を読んでいたとは思えません。おそらく無理でしょう。
千歩譲って、一念発起して山を越えるべく単身西に向かったとしましょう。奈良公園から生駒山までの間には広大なベッドタウンが広がってます。そんなところをテクテクとシカが歩いてたら山の麓に至るまでに通報されて保護されてしまうはずです。さらに、もし見つからずに山に入って登山を経て大阪平野に出たとしても、そこにはさらに人口が密集した住宅地が果てしなく続いているのです。山や林なんてはありませ
ん。そこいらじゅうに人がいます。そんな中で見つからずに大阪市内まで到達できるとは到底思えません。つまり、結論として、彼は奈良公園から来たのではありません。
わたしの推理では、このシカは淀川を上流から泳いで、あるいは流されて大阪市内に至ったものと思われます。そう考えれば、毛馬閘門そばの蕪村公園に突然現れたことも説明がつきます。そうとシカ考えられません。
奈良県の山下知事は「奈良公園のシカが天然記念物なのは、奈良公園にいるからであって、このシカはもはや天然記念物ではない」と、返還を拒否したそうです。実に冷たい。これが、天然記念物の保護という鎧を自ら脱ぎ捨てて勇敢に旅立った勇者に対する仕打ちかと憤懣やるかたない思いでしたが、そもそも奈良公園のシカではなかったのです。
シカの運命の今後が懸念されるところです。孤高のシカに幸多からんことを祈ります。
ところで、先週金曜日、職場隣りの大きな公園の桜広場でお昼休みのプチ花見しました。仕事中なので酒は無くてお花見弁当で食事会という、このお手軽さがよろしくて毎年恒例となってます。花は七部咲きといったところでしたが、明けて今週はずっと雨の予想で、この日シカないとこぞって出かけた次第です。例のシカが本当に奈良公園から来たとしたら、立地からしてこの公園を通ったかも知れません。
今日も日本は平和だ。
テレビで映像コンテンツを好きなときに楽しむ方法として、放送を録画しておくことがかつての消費者の鉄板行動でした。ホームビデオが爆発的に普及し始めた頃、アナログの磁気テープに録画することでテレビの楽しみは飛躍的に向上しました。しかし、部屋にはやたら場所をとる大きなVHFテープのライブラリが増殖し、たださえ狭い日本家屋の貴重な空間を圧迫していきました。その後ビデオはテープからディスクへと進化を遂げ、音楽はCD、映像はDVDというデジタルディスク時代が到来しました。


そうかこれは
上記の一般的な解釈での、涙(泣いてる)これは悲しみや苦しみの象徴です。人生に辛苦はつきものです。人誰しも多かれ少なかれ泣きたい気分になったり、また実際に涙がこぼれた経験はあるはずです。しかし、「涙流すほどの悲しい、つらい経験をする」だけで「人生のほんとうの味が分かった」となるでしょうか。やはり実際にパンを食べてることに意味があると思うのです。普通、そんな気分の時に食欲なんかないですよ。食べてる場合ちゃいますやん。つまり、泣いてる状況とは、辛い悲しいときだけか。ここがポイントです。