2021年1月アーカイブ

節分と新型コロナ

| コメント(0) | トラックバック(0)

 いいお天気になりそうです。しかし先週は仕事が忙しく土曜日も出勤し最近になく長い勤務時間を費やしましたので、今日はおとなしく休養の日曜日といたします。

 少しずつ日が長くなり、毎朝家を出る時間の明るさが増してきました。年取るとほんとに時間の経過が早く感じられます。つい先日、年越しだかがみ餅だと騒いでたのに、あっという間に一月が今日で終わり明日から二月ですわ。二月といえば節分、豆まきです。

 節分は「季節を分ける」ので、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日すべて節分なのですが、江戸時代以降は特に立春前日つまり冬の終わりを指すようになったそうです。陰暦では一年は春に始まるので、特に重要な意味がある節分ということで定着したとか。確かに立夏前日に豆を撒いたところで様になりません。G.W.の最中でみんな出かけてて誰もいません。

20210128_213251090_iOS.jpg

 ところで今年の立春は2月3日なので、節分は2月2日やそうです。なぜに立春が1日早いかということです。

 地球が太陽の周りを1回周る間に365回と少し自転します。この「少し」が約6時間弱で、4年経つと1日ぶん余計に周ってしまうんで4年に1回うるう年入れて1日足す調節するんですけど、そうすると今度は「弱」の分(約45分)余計に足しすぎてしまうんで、積もり積もって1日分になったときに逆に引いて調節すると。それが今年にあたるとか。暦はややこしい。

 しかし、大自然の営みがすべて計算どおりにいくとは言えないわけで、例えば恐竜を絶滅に追いやった巨大隕石が地球に当たる前と後では、自転の速度も微妙に変わったはずやし、こんな大きなインパクトでなくても地殻変動や人間はじめ生物の営みによって地球の動きに多少なりとも影響はあるのではないでしょか。 いったい誰が調べて、決めてるんでしょうか。そもそも地球が太陽の周りを1周する間に365.2422回自転するなんてよくまあ調べたもんです。体感では絶~っ対に分かるはずがない。

 それを、天文学的何らかの手法でもって計算し、例えば「次に日本で皆既日食が見られるのは2035年9月2日です」と分かってって、それが誤差もなく実際にそのとおりになるのが実に不思議、もうね、見事というほかありません。東日本大震災で日本列島が何センチ動いたなんて話も聞きました。「なぜ、それが分かるのだ!」人類の真理探究の蓄積、科学の発展は実にあっぱれであります。

 しかし一方で、この1年、新型のコロナによって人類が天敵のウイルスに対しては実に脆弱であることを露呈しています。近い将来コロナ禍を克服したときにまたひとつ自然科学、社会科学的に人類は進化を遂げるわけです。一刻も早くその日がくることを希う、今日この頃であります。

 昨日、今日と大阪は雨が降ってます。コロナ禍でおうちにいなさいというお達しに従って、連休でも巣篭りの日々が続いています。で、やることといったら、読書か溜まったビデオを見るかということになりますが、気分転換で大昔読んだコミックを再び読んでみたことが今日の話題です。

 「軽井沢シンドローム」大学時代にビッグ・スピリッツの連載で読んで、たしか単行本も全巻持ってたはずがいつのまにかどっか行っちゃって、今回タダで読めるサイトでふと目について読み始めたところこれがまあ懐かしくて、ついのめり込んで一気読みしてしまいました。

karuisawa.jpg 作者たがみよしひさ氏はだいぶ以前に書いた故小山田いく氏の実弟で、長野県小諸を拠点に活躍し一世を風靡した実力派です。「軽シン」は氏の代表作で、ズバリ軽井沢を舞台にした元暴ヤンたちの青春群像を、シリアスなストーリーと秀逸なギャグで綴った傑作です。これまですっかり忘れてて、30年以上の時を経て読み返すこととなりました。

 登場人物は作者と同年代なので、わたしよりすこし上ですが、まあほぼ同じ世代といえましょう。そのため、リアルタイムで作中に自分を投影することができて共感が深まったのが、当時ハマった最大の理由と言えます。

 学生時代読んだ当時の感覚が蘇ります。最近は、以前に読んだこと忘れて同じ小説をまた買って、それもかなり読み進めないと気付かないなんてこともままあります。それが、やはり物覚えがよかった若い頃に読んだだけあって、一コマ一コマ鮮明に覚えてます。このセリフ良いな、ここはちょっと絵が雑い...コマを覚えてるというよりは、読んだ当時にどう感じたということをそのまま覚えてます。それほどに面白くてのめり込んで読んでいたということでしょう。今回、何気なく読み始めたところが、実に陶酔のひと時となりました。

 少し後のバブルの時代に世を席巻したトレンディードラマの雰囲気を先取りしており、今読み返してもまったく古さを感じません。マンガなので勢いと迫力優先で細かいところのツジツマは二の次という点も、今の多くの作品と変わりません。軽シンの時代はケータイもスマホもありませんでしたし、軽井沢には新幹線もまだきてませんでした。この場面で、もしこいつがケータイ持ってたらこのストーリー展開はなかったなとか、時代の流れを思うとともに自分も年とったなあとしみじみと思った次第です。

 ちなみに軽シンの連載スタートは1981年、40年前です。さらにその40年前というと真珠湾攻撃の年です。あの愚かな戦争を始めた暗い時代から軽シンスタートまでの日本社会の変化、発展にくらべると、その後今に至る40年はやっぱり失速感が否めません。頑張れニッポン。頑張れオレ。

 ネットの情報によると軽シンには続編があったらしいけど、読んでません。いずれ探してまたゆっくりと楽しむことといたしましょう。

 昨日、今日と大学入学共通テストが行われています。大学入試センター試験から移行した新しい制度の第1回目がコロナ禍の緊急事態下で行われるという、なんとも大変な事態となっています。

 静寂の中で粛々と行われる試験では感染リスクは限りなく低いと言われています。ところが一部マヌケな教育評論家が「緊急事態なんだから共通テストも中止すべきだ」とSNS発信して袋叩きにあったのは当然のことで、評論家とはいかに無責任で気楽な商売かということを世に知らしめました。受験生たちはこんな雑音を気にせず、もちろんコロナにも負けず、乾坤一擲の大勝負を頑張ってほしいと思います。

 さて、このたび令和2年分の確定申告を無事に終えました。

 といってもわたくし給与所得以外の収入が一切ありませんので、納めるべき税金はすでに1円残らず源泉徴収で搾られておりまして、毎年行う確定申告はもっぱら還付申告であります。e-tax.jpg

 一定の基準を満たす事業者に対する寄付金や募金は、納めるべき税額または計算の基礎となる所得から控除されます。また、1年間に支払った医療費が10万円を超えた場合も同様です。しかし、これらは給与の年末調整では計算してくれないので、自分で計算し直して取り戻す必要があるのです。

 オンライン(e-tax)でできるようになってずいぶん楽になりました。e-taxが導入されてもう何年も経ちましたが、年々システムも改善されて簡単、便利になりました。しかし、マイナンバー活用で収入の方の申告漏れは厳しく追及する一方で、取られすぎ税金の還付に関する指導、案内などはいーっさい行わない国税の仕事は相変わらずで、例の佐川事件以来、真面目な納税者の怒り、不満は緊急事態下にあっても続いています。

 基本的に税制は自営業者にユルく、サラリーマンに厳しいのです。例えば会社が、いわゆるテレワークの増加で非課税の通勤手当減らしてその分在宅勤務手当を支給したりすると、結果的に所得税と社会保険料が増えます。こんなちまちましたところもしっかり自動的に天引き、徴収されるのです。

4067916_s.jpg そいや消費税が10%に上がってもう2年以上経ち、お買い物の際に定価1割増しが当たり前になりました。軽減税率というややこしいものがありますが、買う側はレジで言われた金額払うだけなんで特に混乱なんてありません。時とともに慣れてしまうもんなのです。かつては、消費税はお金持ちもビンボな人も同じだけとられるんで不公平やという話をよく聞きました。累進課税と反対に所得が低い人ほど負担が重くなる「逆進性」という理屈です。しかし一方で、公的サービスには医療費や保育費用などお金持ちほど高くとられる仕組みがたくさんあって、課税に加えて消費の場面でもきつい負担を強いられてるという認識が拡まったことで、最近、逆進性の主張はあまり聞かなくなったように思います。

 税金計算の対象が土地から所得に替わって150年以上経ちました。税制はその時代時代に応じて改正され今に至っており、その結果極めて複雑怪奇で分かりにくくなりました。税理士という商売が成り立つ道理です。しかし、有るところから取るという趣旨は徹底していて、とことんお金持ちに有利というわけでもない、という話です。知らんけど。

 保守の論客、渡部昇一氏は生前、相続税は廃止すべきと言ってました。もともと貧しい中から一流の学者となった人やのにケッタイな話やなと思ったら、要は人間、あくせく働いてたら良いアイデアはでてこないと。カネの心配をせずにとことん学問に勤しむ階層が必要である、高等遊民こそが科学を発展させ国力を増強させる、そのために先祖代々受け継いだ財産は国が召し上げずに好きに使わせるべきやという、なんかそんな趣旨でした。高等遊民は、確定申告なんかで時間を無駄にしないというわけです。

 偉い人の考えることは、よう分からん。

 前回のエントリーでアンバランスな鏡餅のこと書きましたるところ、なんと友人が大量のシークヮーサーをわざわざ送ってくれました。鏡開きの2日前で、お餅に宿ってる歳神様が「そろそろ帰んべ」とお仕度をなさってるところに滑り込みセーフです。ありがたや。乗っけてみるとベストフィットです。残った分はビールに入れていただいてます。やっぱり持つべきものは優しい友達で、嬉しい一年のスタートとなりました。20210109_060157074_iOS.jpg

 三連休中日です。お正月休みが終わり、いきなりフル回転で溜まった仕事に立ち向かってヘロヘロんなったところにありがたい休養です。お上のお達しもあり、どこにも行かず巣ごもりします。成人の日が1月15日固定からハッピーマンデーで月曜日に移ったのはいつやったか、そのときは、連休増やして勤勉な日本人を堕落させる間違った政策やと思ったもんですが、今となっては良かったと一般には評価されてます。ただ、学校関係者にはいまだに評判が悪い。週単位のカリキュラムで月曜日配当科目の授業日数が足りなくなるからです。多くの大学で祝日の授業実施は当たり前になっています。

 コロナ発生から1年が経ちました。寒い日が続いており、ニュースや天気予報では日本中が近年にない大雪に見舞われていると伝えてます。しかし、わたしはこの冬まだ雪を見てません。テレビに映し出される雪景色をみながら、こんなにはいらんけど少しは降ってほしいなあと思ってます。大阪は本当に雪が降らないところなのです。

 さて、もう韓国関係の話はしたくもなかったのですが、またぞろわが国に対する嫌がらせがありました。なんとソウルの裁判所が元慰安婦による訴えを認めて日本政府に対する賠償を命じたのです。

20210109_091129982_iOS.jpg そもそも個人が他国を訴訟の対象とすることはできません。「訴訟免除」という国際法上の原則です。裁判所が訴訟を受理したこと自体が間違いであったところ、こともあろうにその訴えを認めてしまった。まったくとんでもない判決であるにも関わらず、それを韓国政府も韓国国民も韓国のマスコミも「おかしい」と思わないことがまったく信じられません。

 韓国は国際社会からの評価を全く無視して、自暴自棄の暴挙を続けています。とにかく日本が憎くて仕方がない。死なばもろとも、たとえ周りからどう思われようとも日本に一太刀でも傷を負わせることができたら、もはや自国がどうなってもかまわないとでも考えているようです。

 ひっきょう今後、日韓関係は破綻へと向かいます。普通なら、そうなる前に何とかしなければならないというのが外交の考え方ですが、ことこの国に関しては「何とかする」ことはもはやムリです。わが国は、戦後長く両国関係を御鏡のように丸く収める途を模索してきましたが、ことここに至ってはもうね、相手にしたくありません。本当に勘弁してもらいたい。

 日本政府は国際司法裁判所への提訴を考えているそうです。韓国側の応訴があって審理が行われれば勝訴は間違いありません。応訴が無くても国際社会へのアピールとしては有効な手段です。しかし、そんな手だてよりも、韓国が1965年の日韓基本条約や2015年の慰安婦合意をないがしろにしているわけですから、日本政府も一刻も早く条約を破棄し、それ以前の断交状態へと回帰する方向性を示してほしいと思います。

 慰安婦問題の口火を開き、韓国の日本に対する怒涛の嫌がらせを日本国内において助長してきた朝日新聞は昨日の社説で、関係悪化の最大の原因は韓国の現政権の反日姿勢にあるとするものの、「加害者である日本でも、当時の安倍首相が謙虚な態度を見せないことなどが韓国側を硬化させる一因となった」などと、まるで日本にも責任の一端があるかのようなことを書いています。とんでもない認識違いです。そもそもここまで日韓関係が拗れたのはいったい誰のせいだと思っているのか。自らの非をまったく認めないという点で、朝日と韓国は姿が重なって見えてきます。

かがみもち

| コメント(0) | トラックバック(0)

 あけましておめでとうございます。

 わたしの部屋は窓が東に向いてるので、この季節この時間カーテン開けてると上る朝日が部屋中を直撃します。起きたらすぐに朝日を浴びることは、体内時計のリセットが効いて快眠につながるそうです。お正月休みのグダグダ生活からそろそろ本格始動に向けて心身を活性化させたいところです。20201231_231053000_iOS.jpg

 さて、新しい年が始まりましたが、コロナ禍は終息の兆しが無く、緊急事態宣言の発出が検討されはじめました。

 第1波の際に緊急事態宣言出してお店全部閉めて学校も閉鎖したら、確かに感染者は減りました。ところが、もうそろそろいいかと解除したら、より大きな第2波、第3波が襲ってきました。コロナ禍対策は結局、感染防止と経済活動の抑制、どこで折り合いつけるかということに尽きます。伝染病なんやから極端な話、全国民外出禁止、電車バスも一切運行しないことにすれば多分すぐに終息に向かうでしょう。中国では、共産党の強権が人民を自在に統制しているから、いち早く感染が収束しました。しかし、人権を尊重する民主主義国家ではなかなかそんなわけにはいきません。自由経済活動の制限をどう補償するかということになります。

 この折り合いの見極めに失敗しているのが、わが国の政策の現状です。経済への影響を懸念して思い切ったことができない。アベノマスクは失政の極みとして日本史に刻まれるでしょう。小手先の対応ではあかんのです。ここはひとつ、ガースーが政治生命かけて、お正月明けから1カ月間、食料品の買い出しや通院など生命維持に必要な活動を除いて、国民全員外出禁止!その間、第2次定額給付金のひとり10万円で食いつなぎなさい、ぐらいのことやってみたらどうでしょか。治療には痛みが伴うもんです。

 そんな異例づくしの年越しの中で、今年は自分の部屋にも鏡餅を飾ってみました。

20201230_022950711_iOS.jpg 調べてみると御鏡の様式は、大小のお餅二段重ねということ、上にみかんを載せること、基本的にここだけ押さえればあとはいろんなバリエーションがあってわりと自由です。裏白があったり無かったり、昆布や干し柿をアレンジすることもあります。三宝に乗せるのが一般的ですが、お盆でもいいみたい。

 急に思いついてやってみたんでなんとも違和感満載です。SNSで公開したところ、友人から、小さいおもちにはシークヮーサーがフィットするとのアドバイスをいただきましたが、あいにくと持ち合わせてません。まあこのアンバランスさが自分らしくて良いと思います。

 年の初めに「明けましておめでとう」とお祝いするけど、そもそもお正月はなぜにめでたいかというと「歳神様をお迎えする」からです。神様が来てくれる、こんなめでたいことはありません。んで、わが家においでになった歳神様がこの「鏡餅」に宿るんやとか。

 古来日本には八百万の神様がおわします。すべてのものに神が宿るのやから日本人の生命の源であるお米、お餅に神様が宿るのは当然ちゃ当然です。鏡餅を割って、いただくことで歳神様の運気を分けてもらって一年の無病息災を願う意味があるとのことです。神様食べちゃうわけにはいかないんで、鏡開きまでにお帰りになってるんでしょう、きっと。

 鏡餅の御利益でもって、コロナ禍、少しでも早く終息に向かってほしいもんです。先が見通せない一年のスタートとなりましたが、今年もどうかよろしくお付き合いください。

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ