読んだ本のことの最近のブログ記事

夢のこと

| コメント(0) | トラックバック(0)
 怖いものみたさという感覚があります。考えてみるとこれ変な話で、人間以外の動物は、怖いもの、すなわち身の危険を感じるものには近寄りません。怖いものを忌避する、生存本能というやつです。
 
 「好奇心」は動物にもあります。イルカなんて実に好奇心旺盛で、ちょっと変わったものがあるとすぐに寄ってくるそうです。しかし対象が危険なものと分かったとたん、一目散に逃げていきます。絶叫マシンなんて人間以外は絶っ対に乗ろうとしない。まあ、乗せようもないですが。
 
 ところが人間だけが怖いものに魅力を感じてそれを楽しむ、じつに不思議な感覚を備えてます。
 
 わたしも怖いもの大好きです。子供のころからテレビ番組で「怖い系」あると必ず観てました。で、そのあとしばらくはトイレに行けなくて後悔するのです。田舎のことでトイレは広い家の端っこにあって、屋外ではないもののたどり着くにはいったん履物履いて暗い中を進まねばなりませんでした。小学生には相当の試練であったのです。怖けりゃやめときゃいいのにまた怖いテレビ観る。で、トイレ行けないを繰り返して、今思えばずいぶんと「怖い」を堪能してた幼少期であったなあと思います。
 
 かつてテレビ番組でよくあった「身も凍る心霊写真・映像」のたぐいがすっかり減ってきたのは何とも淋しい。科学至上主義の社会にあって、いたずらに超自然的な現象をさも事実のように伝えることは果たしていかがなもんか、なんて、よくある放送局の大人の事情によるものとか聞きました。むしろ、PCの普及で幽霊やUFOの映像なんて素人でも簡単に合成、作成できてしまうようになった昨今、「どうみても作ってるやん」という写真や映像を流して「さあ、笑ってつっこんでくれ」という開き直りの怖い系が増えたように思います。実に悲しいことです。ここでも昭和が遠くなりました。
 
 ところで、女性は大体、怪談、怖い系苦手な人が多いと思ってました。結婚するまでは。かつて、バブルの頃、職場の皆で夜中まで残業しているうちになぜか怖い話になって、一緒にいた女性職員が「帰れない」なんて泣き出してしまって困ったことがありました。また、かつてあるTV局の公開録画に参加したとき、ゲストの一人があの稲川淳二さんで、お約束の怪談を語り始めたところ、隣に座ってた女子高生の一団が一斉に耳をふさいで下向いてしまったということもありました。「何しにきたん?」とか笑ったもんです。女性が一緒にいるときにうかつに怪談語り始めると本気で怒りだす人もいたりで、どうやら本当に怖いらしいと思ってました。ところが、うちの奥さん、私同様に怖い系大好きなんです。映画もホラー、スプラッターは必ず観るし、テレビもそれ系の番組は絶対見逃しません。怪談嫌いは女性一般の傾向と思ってましたが、そうでもない。人によるようです。
 
IMG_2322.jpg 怖い夢というのがあります。映画やテレビのバラエティで他人の体験を観るのとは違って、これは本当に怖い。みてるときは当然のこと、覚めてからもなんだか忘れられない、後を引いて怖さが残ります。
 
 数少ないですが、私も忘れられない経験があります。もう何十年も前のことですが、意外にも夏目漱石を読んだあとにとてつもなく怖い夢をみたのです。
 
 「夢十夜」という短編で、10編のアンソロジーです。漱石自身の経験なのか、完全フィクションなのかは知りませんが、「こんな夢をみた」という一文で始まる、シュールな世界を第1夜から第10夜まで描いていきます。その中の第3夜が完全に怪談話で、不条理ではあるが妙に納得してゾッとするものでした。それを読んだ日の夜にみた夢が怖かったのです。第3夜と酷似した展開、もちろん主人公は私に置き換わってて設定も私の日常に変わっており、恐怖で思わず目を覚ましたのです。こんなことはほかにあまり記憶がありません。ホラー作家などではなく歴史上の文豪の作品がきっかけやったというのも面白くて、ずっと記憶に残ってます。
 
 最近は、あまり夢を見なくなりました。睡眠時間が短くなってきたこともありますが、歳をとるにつれて、違う意味での「夢」もしぼんできたからでしょうか。これは淋しい。いつまでも青春の夢に忠実でありたいもんです。
 
 さて、G.W.も今日で終わり。中休みがあったとはいえ十分に休養しました。明日からはまた日常へと戻っていきます。がんばらねば。
 明日の日曜日、早朝よりはるか日本海まで釣りにでかけるので、タイガースの戦いを横目に見ながら土曜夕刻のブログ更新となりました。久しぶりの釣行、晴れてほしいなあ。
IMG_6238.jpg
 さて、昨日、衝撃の訃報が飛び込んできました。
 
 漫画家小山田いく氏、享年59歳。
 
 わたしは1980年頃、全盛期の少年チャンピオンに連載された氏の代表作「すくらっぷ・ブック」を読んで、ファンというよりすっかりとりこになったひとりなのです。ちょうど高校を卒業し予備校に通う、人生で最も長い1年間を過ごしてた頃でした。
 
 実に爽やかな学園青春グラフィティで、氏の出身地である信州小諸、しかも出身中学校を舞台として描かれており、全編、リアルタイムの青春を過ごす若き読者に対する作者の確固たるメッセージがあふれ、しかも散りばめられた素直なギャグがツボにきて、グイグイと引っ張られていきます。なんと、初めて読んだ日のことを今でも覚えています。「これは、ただものではない」と衝撃を受けたのです。
 
 人生で最も感性豊かな年代にありながら大学受験浪人生という不安定な状態であった当時の私は、このコミックの世界観にすっかり魅せられてしまいました。おやじとなった今、あらためて読み返すと、ややくすぐったい感じもなくはない。多感で素直で理知的でしかもかわいい、まさに理想的な中学生の在り方をこれでもかと盛り込んだ、あくまでフィクションであることは百も承知です。しかし、当時は自らの中学校時代を顧みて完全にシンクロしており、大いに共感し素直に感動できました。チャンピオン誌の発売を待ちわびたもんでした。IMG_6239.jpg
 
 よくは知りませんが、最近のコミックは短期間で突然連載が終了してしまったり、大河漫画として何十年も延々続いてたりということもふつうにあるようです。しかし「すくらっぷ・ブック」は連載2年101話、単行本11巻。ちょうど作中の登場人物の成長に合わせて中学校卒業とともに完結します。これがいい。当時は相当な人気があったので、高校を舞台とした続編やろうと思えばいくらでもやれたと思います。しかし、連載打ち切りではなく、見事に作品を「完成」させた。最終話ラストシーンでは、不覚にも涙してしまいました。マンガ本読んで泣くなんて、当時のわたしったらなんて純やったのでしょう。わが人生においてコミック最高傑作のひとつです。
 
 その後、大学生となったわたしが「ぶるうピーター」「ウッド・ノート」と、同様のさわやか青春路線の小山田作品を楽しんでいた頃、大学の同じサークルで小諸出身の友人ができ、話聞くとなんと彼、小山田いく氏の弟と知り合いで「よくいじめられた」仲やったとか。これにはビックリしました。弟といえば「軽井沢シンドローム」で有名な漫画家、たがみよしひさ氏です。
 
IMG_6240.jpg 学生の頃、よくフラフラと信州に出かけたことはかなり前に書きましたが、軽井沢から小諸に足を延ばし「すくらっぷ・ブック」に出てくる小諸城址公園や千曲川の風景を求めて、今でいう「聖地巡礼」をやったこともありました。それほど心酔していたわけです。
 
 大河コミックといえば、今に至る愛読書として別冊ビッグコミックで「ゴルゴ13」を読み続けていることも以前書きました。このコミック雑誌はひとつの号にゴルゴを何篇かとともに新人の読み切り短編が掲載されるのですが、何年か前にこのコレクションのうち昭和54年発行の古い号を読んでいるときに気がつきました。掲載されている「五百羅漢」という作品の作者名が「田上勝久」。小山田いく氏の本名です。絵のタッチもまんまです。調べてみるとなんとこれ、氏のデビュー作でした。不思議なエニシを感じたもんです。
 
 社会に出ると同時に次第に少年コミックからは距離をおくようになったので、最近の作品はあまり知りませんでしたが、59歳の逝去はあまりにも早い。なんとも残念です。
 
 青春時代、素晴らしい作品を通して大きな夢と感動をいただき、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。
 日に日に春めいてまいりました。スギの花粉飛び交うこの季節、憂鬱な人も多いそうですが、幼き頃より吉野杉の美林地帯で育ったわたしにとっては、花粉症などまったく縁のないシロモノです。アレルギーに苦しむうちの奥さんから「この野蛮人め」と罵られるのも春先の恒例となりました。代われるもんなら代わってやりたいわ、ホホホ。
 
 さて、以前、買った本を処分したことがないということを書きました。蔵書を手放せない性格が災050246072_iOS.jpgいして溜まる一方やったわけですが、このたびきっかけがあって文庫本を一斉に手放しました。
 
 職場が事業の一環として職員からも寄付金を募っており、いろいろ方法があるうちのひとつ、古書業者と連携して不用となった蔵書を売った代金を寄付に回すというキャンペーンが始まったのです。少しでも役に立つものならばと、一念発起しこの機会に処分することとしたわけです。
 
 自分で古書店などに持ち込むのは手間がかかるし、宅配便で送るにもそれなりの費用がかかりますが、これらを職場が負担してくれます。実にいい機会です。
 
 かといって、やっぱりどの蔵書もそれぞれに思い出があり、どうしても手放したくないものも多い。そこで手始めに文庫本からということで、まず家中に散在する文庫本を集めてみることにしました。
 
 押入れの中、本棚の隙間、タンスの中などあちこちからまあ、でるわでるわ。みるみる部屋の床を埋め尽くしていきます。4、5百冊はありそうです。これ全部、この狭いマンションに収まってたのか。およそ奥さんとたった二人だけで読んできたとは思えない量ですが、これまで捨てたことなかったんやから当然と言えば当然か。
 
 推理、SFから歴史、恋愛小説、実に雑多なジャンルの背表紙を眺めるに連れ、あらためて節操のない乱読ぶりが見て取れます。思えばこれだけの量の本を読むのにどれだけの充実した時間が流れていったことか。お世話になりました。中には何となくストーリー覚えているものもありますが、そうでない方が圧倒的に多い。いかに身についてないかということですわ。かといって、も一度読もうとも思わない。そんなことやりだすと、ほとんど処分できなくなります。ここは心を鬼にして、バッサリといきます。
 
 用意した段ボールに詰めてみると、9箱となりました。
105032674_iOS.jpg
 連携してる業者に連絡したところ、クロネコさんが集荷に来てくれました。着払いの伝票には荷物一個約900円の金額が記載されてるんで、送料だけで8,000円強ということになります。箱の中身はおよそ値段がつきそうにない古い文庫本ですよ。多少のお金にはなっても送料のこと考えると多分赤字ではないやろか。こちらは、スッキリと処分するきっかけとなったことで実にメリットがあったわけですが、何とも申し訳ない次第です。
 
 学生時代、新刊書は高くてあまり買えず、もっぱら文庫本買ってました。どうしても読みたい場合は図書館で借りることもあったけど、読んだ本は手元に残したい方やったんで文庫化を待って買うことが多かった。リーズナブルなお値段は貧乏学生にはありがいもんでした。小学生の頃、新刊の薄い文庫本を80円で買ったことを覚えてます。今では文庫とはいえページ数が多いと1,000円超えるのんもあったりで、この間の物価の上昇をはるかに上回る高騰といえます。もはやそれだけの価額を設定しないと出版業がたちいかないということでしょう。
 
 ネット万能で便利この上ない世の中ではありますが、じっくりと読書に耽る贅沢な時間を大切にしたいもんです。

朝日新聞の脚色

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日、ウンベルト・エーコ氏の訃報が伝わりました。
 
 小説「薔薇の名前」などの著者として知られるイタリアの作家・哲学者やそうですが、正直、これ以外の作品はまったく知りません。
baranonamae.jpg
 もう十数年前のこと、胆のう炎を患って肝機能が低下ししばらく入院したことがありました。あまり自覚症状がない元気な入院患者やったので、一日中退屈でしょうがない。したがってベッドでいっぱい本を読んだわけですが、この作品もその中のひとつでした。特異なシチュエーションで読んだ作品は、自分の思い出とともに記憶に残るもんです。
 
 14世紀いわゆるアビニョン捕囚時代のイタリアの修道院を舞台に、僧侶たちが次々死んでいく謎を主人公の修道士が解明していく、いわばミステリーです。しかし、重厚な時代背景や異端審問に関する解説が延々語られたりで、ストーリーの本筋以外の部分が非常に多くて、しっかり腰を入れて読んでいかないと、読みながら寝てしまいそうな作品です。入院中という、逃げ場のない状況でなかったら最後まで読み終えたかどうかあやしいもんです。
 
 この作品、のちにショーン・コネリー主演で映画化もされたそうです。観てませんが映画やとおそらくは余分なところ端折って純粋なサスペンスに仕上げているのでしょう。映画は観客を退屈させてはならないわけで、興味を持続できるように原作を編集、脚色することはあって当然です。
 
 しかし報道機関は脚色してはいけません。事実をありのままに伝えることが求められます。ianfuyomiuri.jpg
 
 いきなり何の話かとお思いでしょうが、先週のことです。いわゆる慰安婦問題について、日本政府は国連欧州本部ではじめて事実関係を説明したそうです。韓国の執拗な宣伝によって国際社会で認識されているような「強制連行」を裏付ける資料はない、つまりそんな事実がないことを説明するとともに、そんな現状に至った原因は、吉田清治なる人物が著書で「自分が日本軍の命令で韓国の済州島において大勢の女性狩りをした」と事実を捏造して発表したため、と指摘しました。
 
 この本の内容が「朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた」とも述べ、さらにその本に書かれていることは「複数の研究者により完全に想像の産物であったことがすでに証明されている」と明言しました。
 
 新聞各紙、詳細に伝えてますが、なんと驚いたことに朝日新聞の記事は、政府代表の説明のうち、吉田清治の捏造と朝日新聞による不適切な報道に関する説明の部分を無視して全く書いていません。
 
ianfuasahi.jpg 報道の自由には報道しない自由も含まれるということでしょうか。しかし、あるひとつの事象について、いち部分のみ隠ぺいすることは捏造にほかなりません。朝日の読者は、政府代表が国連で行った説明の半分しか知ることができないのです。
 
 こんなことはやっちゃダメです。論評はもちろん自由にやったらいいけど、報道機関である以上事実を歪曲してはいけません。自分にとって都合の悪いことについて詳しく報じたくないという気持ちは分かりますが、ウソでも新聞なんやから、事実は事実としてありのままにはっきりと伝えた上で、それに対する弁解なり謝罪なり、またいまだに反論があるなら反論するなりするべきでしょう。
 
 肝心なことは隠ぺいした上で、さらに朝日の記事は「韓国側の認識と違う日本政府の見解を国連の場で説明すれば、韓国で合意を批判する一部の市民団体やメディアを刺激しかねない。」などとピントはずれなことを書いてます。事実と異なる記事を書いて韓国国民やメディアを刺激するための大キャンペーンを展開してきたのは果たして誰であったのか。その結果として、日韓関係が戦後最悪の状態に至ったのはいったい誰のせいと思っているのか。「事実とは異なるが捏造ではない」と詭弁を弄して、謝罪しつつも未だ責任は認めず、貶められた日本と日本国民の名誉を回復するために何ら動こうとしないのはいったい誰なのか。
 
 日本政府が初めて国連の場でこうした事実関係を説明したわけですが、本当は朝日新聞こそが積極的に真実を発信していくべきなのです。全く反省していません。「サンゴの朝日」健在です。

大和は西方

| コメント(0) | トラックバック(0)
nihonshoki.jpg
 奈良県が主催して「日本書紀を語る講演会」というのんをシリーズでやってます。奈良県内の市町村において、いろんな講師が『日本書紀』の魅力を語る連続講演会(全11回)やそうです。奈良検定1級保持者の私としては来るべきまほろばソムリエ検定の受検のためにもぜひ参加しておきたいところです。と言いつつ、受検の準備はまったくさぼってて、この分ではいつになったら本腰入れて勉強を始めるのか実に心もとないという実態はあるのですが。
 
 それはさておき、そのシリーズのうちのひとつ、作家、五木寛之さんの「日本書紀の光と影」という講演に応募していたところ幸い当選したので、昨日行ってきました。
 
 大御所の人気作家ということもあって、かなりの競争倍率があったやに聞きました。ラッキー。
 
 会場は奈良県社会福祉総合センターというから、てっきり奈良市内やと思ってたところ、さあ出かけようという時間になって調べてみると橿原市やんか。近鉄電車畝傍御陵前駅前といいますから、その昔高校時代に通学していた沿線です。畝傍山がすぐ隣にそびえています。
 
 開場時間の13時ピッタリに会場に到着するよう電車で出かけたところ、やはりというかすでに入口には長蛇の列ができてました。も少し早く来れば前の方の席がとれたのに。これはしまった。しかしさほど大きなホールでもないのでまあいいとしましょう。
 
 会場のホール内はほぼ全員が中高年の人たちで占められてます。五木寛之の本と思しき書物を読んでる人もいます。80歳を過ぎてなお意欲的に著作を発表し続ける五木さんの、人気の高さを感じました。講演開始を待つ間、期待で満ちた雰囲気が募っていき、MCの紹介もそこそこに五木さんが登場すると静かな興奮はマックスへ。
IMG_5905.jpg
 
 演題「日本書紀の光と影」ということなんで、五木さんも日本書紀を研究してて学問的なお話をされるのかと思いきやそうではなく、かつて親交のあった小島憲之という国文学者の著作「ことばの重み」に関して、この中で取りあげられた「暗愁」という漢語について多くを語られました。現代ではもはやほとんど用いられなくなった言葉ですが、大正天皇や伊藤博文が漢詩を詠む中で使ってたとか。どこからともなく漂ってくる愁いというような意味なんやそうですが、確かに聞いたことがない。ネガティブな意味合いの言葉は皆があまり使わなくなって、結局は廃れてしまう例が多いと。しかし、人生には光もあれば必ず影ができる。憂いの中にいるからこそ希望や目的を求める気持ちが湧いてくるのです。そんな話でした。
 
 肝心の日本書紀については、そのものの研究ももちろん大切やけど、それとともに書紀とともに歩んできた多くの日本人、本居宣長や津田左右吉などの著名な研究者からわれわれ一般人までが、それぞれの時代や社会の中で、自らの気持ち、思いとともにどのように書紀と関わってきたかということが重要なのである、ということを繰り返し強調しておられました。IMG_5918.jpg
 
 なるほど、古事記、日本書紀は神代と歴史をつなぐ日本人の心の拠りどころであり、キリスト教徒にとっての聖書に匹敵する、いわば日本人のアイデンティティーの根源とも言えます。
 
 五木さん、ここ奈良については思い入れが強い。三輪山、大和三山は陽が上る大和でそれに対して二上・葛城・金剛の峰は大津皇子の墓があったり、峰を超えた難波の地には多くの王族が古墳を造ったりと、いわば陽が沈む大和であると。そういう意味で、大和でも西方に心惹かれるとか。そいえば前に詳しく書いた、氏の傑作「風の王国」も二上山が舞台でした。
 
 昔から好きな作家さんのひとりで、代表作はたいがい読んでます。今回、直にお話し聞けたことは実にラッキーでした。日本人とは何かという深遠な命題、また、仏教についても極めて造詣が深い五木さんのお話は、正確で美しい日本語で、語られるそのままを文章にしても何ら違和感がありません。ご高齢にも拘わらず(失礼)全くよどみなく、時に笑いをとりながら朗々と語られる、ソフトではあるけれども実に力強い口調は、聴く人人を強く魅了します。スゴイ人です。一流の人物の在りように直にふれることは実に楽しく、濃密な時間が静かに流れていきます。
 
 わたしもこんな爺さんになりたいもんや、としみじみ思いましたよ。ムリか。
前の5件 1  2  3  4  5  6  7  8  9

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ