2019年12月アーカイブ

年の瀬に思うこと

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 年の瀬を迎え、今年最後のブログ更新です。

 一年過ぎ去るのが早い。それも毎年毎年早くなっていく。この分だとあと10年もすると1年がひと月程度で終わってしまうのでは、などと錯乱気味の年末です。そもそも「瀬」とは川や海の水が急流となって流れているところという意味で、年末は一年でもっとも慌ただしく、時間が早く過ぎ去る時期だから年の瀬と呼ぶようになったとか。分かる分かる。

 今年は公私ともいつになく忙しく、とうとう恒例の第九の演奏会にも行けずに年を越すことになりました。

P1200161.jpg 令和改元の歴史的慶事があった今年いちねん振り返ってみると、ラグビーワールドカップが盛り上がったのが一番の明るい話題でしょうね。残念ながらわたしは直接の観戦は叶いませんでしたが、日本代表の予想以上の健闘に国民が勇気をもらったことは、来年の東京オリンピックにも大きなはずみになったと思います。ちなみに、東京オリンピックの観戦チケット、二次抽選も全滅でした、トホホ。

 個人的には、ひとまず大過なく過ごした年ではありました。しかし、師走に入って突然親しい友人の一人が亡くなり、悲しみに浸るといったこともありました。肝心の仕事に関しては、大きな成果は残せなかったものの、無難に過ぎ去った年と言えます。いつもながら、多くの方々のおかげであったなあとしみじみ思うのです。

 さて、今、めずらしく時代小説を読んでるのですが、登場人物のひとりの隠居した老人、お殿様から「じい」と呼ばれている侍の年齢がなんと五十代後半という設定です。わたしが江戸時代に生きてたなら、すでに老人で、隠居した爺さんということになります。「齢五十路に至り人生の終い支度を調えるべき...」なんてくだりまであります。

 調べてみると、日本人の平均寿命は2018年で男性81.25歳、女性は87.32歳。過去最高を更新したそうです。日本人は昔からこんなに長生きやったのかというとさにあらず、平均寿命が50歳を超えたのが戦後まもなくで、ついこのあいだ、なんと1952年まで50歳代だったのです。江戸時代はずっと30歳代やったとか。びっくり。

 もっともこれは、新生児の死亡が多かったことが影響しており、成人した人の多くが30歳前後で亡くなっていたというわけではありません。それでも一般的に人々の寿命は今よりずっと短かくて、長生きするお年寄りは少なかったことがうかがえます。50代で隠居もさもありなん。

 歴史に名を遺す偉人の多くが10代、20代で大きな仕事を成してます。それらと自分を比べると、いかに馬齢を重ねてきたかという思いに苛まれます。近年、年越しという節目のイベントに際して特に感じます。

 もとより、そんなに大したことができるとは心得てはいませんが、仕事でも私生活でも、限られた力量の範囲で精いっぱいやってはいきたい。

 そのためには、努力すること、最大限の力を尽くすことはもちろん前提です。その上で、自分の力量などたかが知れているのだから、他人の力なしでは何も成しえないことを知ること。だから人と人との絆を信じ、どんな場合でも感謝を忘れず誠意をもって人と接すること。来年も、こんなことを考えながら事に当たっていきたいと思ってます。

 来る年2020年はオリンピックイヤーです。4年に一度の世紀のイベントが日本で行われます。国民全体が元気を得ることで今年以上に盛り上がることを期待してもバチは当たらないでしょう。わが国は少子化が進み、将来の持続可能な発展には必ずしも楽観を許さない現実があります。そんな中でも日本と日本国民は、国民相互の絆を武器ととして力強く邁進していくのです。

 今年一年ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。来る年令和2年が、皆さまにとってさらに良い年となりますようお祈りいたします。

ひとり多い

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 今年もあと10日。えらいこっちゃ、年賀状書いてない...

 それはそれとして、今日は最近読んだ本のことを少し。

 綾辻行人の「Another

 「今ごろかいっ!」という突っ込みがいくつか聞こえてきましたが、まあ待ってください。ちょっと言い訳がありまして。

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 前にも確か書いたことがあるような気がしますが、わたし読書がわりと好きで、常に何か読んでいたいほうなので、おもしろそうと思った本は新刊でも古書でもとりあえず買っておくことにしてます。

 本に限らず、買い物は一期一会。「街なかを一回りして帰りに買おう」をやってしまうと、忘れてしまったり、売り切れてしまったり、また帰りはそのお店を通らなかったりで結局買えず後悔することが、長い人生で多々ありました。何事でも「やらずに後悔するよりやって後悔せよ」は、人生を面白くする基本です。で、こころを入れ替えて、欲しいと思ったらその瞬間のインスピレーションを大切にしてすぐに買うことにしてます。買って後悔したことは、買わずに後悔したことよりも少なかったように思います。

 するとどうなるか。そやってどんどん衝動買いするんで、買ったきり読んでない本の在庫が増えていきます。テレビの録画が溜まっていくことはなんとなく憂鬱です。しかし不思議なことに、読んでない本が増えることはなぜか安心感があって幸せなのです。

 「Another」もそういう事情で読まずに置いてました。これが言い訳その一。

 その二としまして、最近物忘れがひどくなっており、読んだ本の内容をあまり覚えていません。読んだことは覚えていても「はて、どんなストーリーやったかな」ということが多い。ひどい場合は読んだことすら忘れて同じ本をまた買って読み始めて思い出したなんてこともありました。つまり「Another」もすでに読み終えたつもりになっていたわけです。先週、書架の前でふと目につき「えっと、どんな話やったかな」と思い出せない。有名な作品なんで、さすがに忘れるはずはない。結論「買ったまま、まだ読んでない」ことが判明したのでした。

 通勤電車3日間で読み終えました。以下感想を記しますので、まだ読んでおられない方はご注意ください。

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 綾辻行人といえば、いわずと知れた本格推理の重鎮、「館」シリーズが有名です。十角館の殺人、迷路館の殺人、人形館の殺人、時計館の殺人、黒猫館の殺人...。ほぼ読みました。中でも最初にハードカバーで読んだということもあって「霧越邸殺人事件」がいちばん印象に残ってます。

 ちなみに、これらのいわゆる吹雪の山荘もの(クローズドサークル)は、いまやミステリーの王道ですよね。古くはアガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」「オリエント急行殺人事件」から、最近では東野圭吾まで。犯人はこの中にいる!果たしてどんなトリックが?どんなどんでん返しが?作者と読者のガチンコ真剣勝負なんて言われますが、勝てたためしが無いし素直に雰囲気を味わうだけでも実に楽しい。

 ちょっと話が逸れました。「Another」です。これは中学校舞台の青春ミステリーです。ちょっとホラーの要素が強い。スプラッタ気味のところもあります。

 「ひとり多い」系です。これはわたしが勝手にジャンル名をつけました。萩尾望都の「11人いる!」に通じるものですが、「Another」はもっと怖い。どっちかというと、ざしきわらし。怪談で何が怖いって、幽霊や妖怪なんかより生身の人間がいちばん怖い。中でも人数が合わない話は究極の不気味さという点でとどめをさします。

 いるはずのないもうひとり(Another)の謎、不可思議と秘密と悲劇とが交錯しつつ徐々に解き明かされていき、映画化したら「映え」そうな大団円へと突入していきます。

 重要な叙述トリックがラストで炸裂しますが、わたしは、これはちょっとどうかなあと思いました。また、キャストが秘密を話しだしそうな場面でわざとらしく邪魔が入るなど、ちょっと漫画チックなところがいくつかあって、これもあまり好きではない。でも、全体の雰囲気はよくて映画の原作を読んだと思えば納得の作品でした。オススメできます。

MESSIAH降臨

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 昨日はひさびさのゴルフ、仕事でいつも指導をいただいている先達お二人とのラウンドで、プレーはもとよりいろいろと有意義かつ有益なお話を縷々伺うことができ、じつに楽しい一日でした。

 さて、先週のこと、懇意にしている芸術大学の方から定期演奏会の招待券をいただき出かけてきました。演目はなんとヘンデルの「メサイア」です。MESSIAH.jpg

 キリストの偉業を讃えるオラトリオ形式の宗教曲なので、クリスマス近い年末に演奏されることが多い曲です。とはいうものの日本の年末は何といっても第九なんで、なかなか機会がなかったところ、今回久しぶりに聴く機会を得たのです。全曲通しとなるとたっぷり2時間半はかかるんで、演奏会ではたいがい省略されます。この日も省略というよりも「ダイジェスト版」で、ハレルヤコーラスなど出色の有名な部分を集めた短い構成でした。

 実はわたし、学生時代に合唱団で歌ったことがあるので、個人的に思い入れが強い曲です。特にハレルヤなんて40年近く経った今でも多分、譜面なしで歌えますよ。

 この日の演奏、出来栄えはまあ、学生さんの発表会ということなんでこんなもんでしょねというところでした。

 合唱団がとにかく大編成です。ひとりふたり...と数えてみると120人以上はいます。大音響大迫力の演奏です。これは、ちょっとイメージと違う。第九の演奏なら力技の迫力で魅せるところもあるでしょけど、メサイアは違いますよ。多くても50人くらいで迫力よりも繊細なハーモニーと表現力で勝負してほしかった。まあ、しっかり練習した成果を見せたいのはみなさん同じということを思うと「とにかく全員登壇」もやむなしか。

 それよりも気になったこと、合唱団みんな譜面を持って歌ってる。暗譜できてないんです。はばかりながら、学業にアルバイトにといろいろ多忙な学生時代の課外活動で練習したわたしでもしっかり全曲覚えましたよ。ましてや音楽専攻の諸君が歌うのはいわば本業やないですか。ダイジェスト版の短い暗譜すらできないとは、昨今の学生諸君、所詮はこんなもんかと少しがっかり。さらになんとこの合唱団、自分が歌っていないときは椅子に座ってます。わずか1時間ちょっとの間くらい立ってられないのかと。つい自分のことと比べてしまうけど、かつて第九歌ったときでも第1楽章から最後までずっと立ってましたよ。老人たちの市民合唱団ならまだしも、人生で一番体力がある世代に、これはちょっと情けない。

 あと、昔はメサイヤの演奏会では、かの「ハレルヤコーラス」は聴衆も全員立ち上がって聴いたもんですが、この日はその時になって客席見渡しても立ってる人なんて誰ひとりいません。こんな中でわたしひとり立ち上がる勇気はなく、そんなことしたら逆に大顰蹙となるでしょう。これもなんとなく寂しく思いましたよ。

 とはいうものの、ひさびさのメサイア。聴いてると懐かしさがこみあげてきました。口パクで、もちろん声出さずに歌ってると隣で聴いてたうちの奥さんが「一緒に歌いだすんやないかとヒヤヒヤした」と。そんな迷惑なことしませんって。

遥かなるアフガンで

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 衝撃のニュースが来信しました。

 NGO「ペシャワール会」の医師、中村哲先生が銃撃により亡くなられたとのこと。悲しくて、残念で言葉がありません。

 医師としてパキスタンからアフガンに赴任し30年以上現地で医療活動のかたわら、井戸を掘りまた用水路の建設を進めてこられました。2006年までにおよそ1600本の飲料用の井戸と13本の灌漑井戸を掘ったとか。アフガニスタンでは干ばつが悪化し、水不足による栄養失調や感染症が急増していたことから「医療だけでは難民は救えない」との思いからの活動であったと言われてます。

 先生の活動によって、これまでに1万6500ヘクタールで灌漑が行われ、65万人の生活が維持されているとのこと。「将来子どもたちによいアフガニスタンを残すことがいちばんの課題であって、できるだけ砂漠を緑化し、人々が暮らせる空間を広げていきたい」と語っておられたとか。

 nakamuratetsu.jpg信念の人でした。人間は信念を持つとここまで利他的に行動できるのか。お医者さんだったので、もっと楽に儲けて楽に生活しようと思えばいくらでもできるのに、そうはしなかった。遥か遠くの縁もゆかりもない土地に赴き、現地主義を貫き、先頭に立って重機を操作し用水路を掘り進めました。

 はじめてテレビで視たとき「この人、吉本新喜劇の山田花子に似てる」が第一印象でした。それが、その功績を知るにつれて「なんなのだ、この人は」という驚きとともに尊崇の念が沸々と湧いてきました。

 わたし、勤務先の職員研修で若い人たちに向かって話をすることがしばしばあります。基礎的な業務の取り組み姿勢で、いかに仕事のモチベーションを上げるかというありがちなくだりでよく引き合いに出すのが、いわゆる「マズローの欲求5段階説」です。端折って結論だけ言うと、人の究極の欲求は、自己実現をも超え目的の遂行・達成「だけ」を純粋に求めるという領域で、見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態ということです。

 そして、「例えば、アフガンで井戸掘ってるお医者さん、いるでしょ。あの人、なんでまたわざわざ治安の悪い国に行って、儲かりもしないのにであんな辛いことやってると思う?」と受講者に聞くわけです。「売名行為でもなければ、他人に感謝され崇められたくてやってるわけでもない。自分の信念に基づいて目的に没頭し、使命を果たすためにやってんのよ。究極のモチベーションとはそういうもの」そして「みんなも自分の仕事を自己実現欲求を果たす手段と認識できれば、超モチベーション上がって楽しくなるよ。」とつなげます。中村先生を仕事上で勝手に引き合いに出してたわけですが、それほどのリスペクトを抱いていたのです。

 アフガンは中村先生のおかげで飢餓から解放され、先生は、日本とアフガンとの絆を築いた恩人として、これからもずっとアフガンとともにあると多くの人が思っていました。人の運命のなんと過酷なことか。多くの日本人アフガン人そして世界の人々が、強烈にそう感じたことでしょう。なんとも残念で仕方がない。地球上に生きる人類のひとりとして深甚なる感謝をささげるとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。

E.T.

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 なんと、今日から師走です。ついこのあいだ「新年おめでとう」と言ったばかりのような気がするのに、1年過ぎ去るのが何と早いことか。
 なぜに12月の別名を師走というのかは、偉い坊さん(師)が東西に馳せてお経をあげるから「師馳す(しはす)」となった説が有力らしいですが、「年果つ(としはつ)」説や、四季が終わるから「四果つ(しはつ)」など諸説あるそうです。現代では「先生も走るほど忙しい月」という解釈でみな納得してます。ともあれ、なんとなく焦ってしまう、いつもながらの師走のスタートです。

 さて、「E.T.」といえば、昭和の終わりに大ヒットしたS.スティルバーグ監督のSFファンタジー映画で、全世界で興行収入ナンバーワン(当時)の記録を更新した傑作です。最近、その続編ができたらしい。と言っても完全な映画作品ではなくて、ストリーミングサービスの会社がプロモーション用に作成した4~5分のショートムービーです。ET.jpg

 最近の実写版サザエさんと似た感じで、映画の主人公エリオットが成長し家庭を持った37年後の設定でE.T.との再会を描いてます。成長した俳優がそのまま演じてます。公開当時からなんと37年も経ったということに愕然とします。エリオットもアラフィフの立派なおっさんですわ。

 「E.T.」の続編作ったと聞いてはじめ大丈夫かいなと思いましたよ。映画の続編はなかなか難しくて、成功する例が少ないのです。ましてや稀代の名作映画「E.T.」の続編となれば、よほど出来がよくないと観衆は納得しない。まあ、これくらいのショートムービーなら大丈夫か。4分ちょっとのシャクです。ネットで観ましたが、作品の雰囲気がよく出ててうまくまとめてると思いました。当時の感動がよみがえります。

 今ならほぼ全編にわたってCGが駆使されて簡単に作れるんでしょけど、当時はE.T.そのものも人形というか、作り物の実写です。あらためて、よく作ったと思います。今や日本のアニメが世界中を席巻してますが、E.T.を観たときに、こんな新しくて大胆な着想と技術は日本ではまずムリやな、さすがハリウッド、と思ったもんです。

 映画館で公開を観たのは大学時代でした。一人で観に行きました。クライマックスでは不覚にも涙し、一人で来ててよかったと思ったことを覚えてます。周りの観客もみなさんハンカチを使ってました。何年かあとにビデオデッキを初めて買ったときに、レンタルビデオで真っ先に観たのも「E.T.」であったと記憶しとります。

 The Extra-Terrestrial 宇宙人とか地球外生命体とかいう意味やそうです。この映画見るまではこんな英単語知りませんでした。宇宙人といえば「alien」やろと。昭和のお正月恒例の「芸能人新春かくし芸大会」で加藤茶が「E.Te.」(イテ)というタイトルでパロディーのコントを演じてたのも覚えてます。社会現象となるほどの大ヒットやったわけです。

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 スピルバーグは凄い。
「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディージョーンズシリーズ」「ジュラシックパークシリーズ」「ポルターガイスト」「ターミナル」「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」...

 わたしあまり頻繁に映画を観ないんですけど、代表作を並べると、ほぼ観てます。それもテレビ放送ではなく公開に足を運んでます。エンタテインメントに徹して理屈抜きで楽しめる、映画とはかくあるべしという作品ばかり。映画は現代人の一大娯楽であって、2時間前後の現状逃避はストレス解消にはもってこいです。E.T.みたいに素直に感動できる映画がバンバンでてくれば嬉しい、とはいうものの、先生も走るほどに忙しくなるこの時期、まず映画館に行く時間を作ることからですな。

WELCOME

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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