2018年8月アーカイブ

遥かなるSUOMI

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 八ヶ岳の麓、小海線沿いにある松原湖という湖で「フィンランドの夏祭り」開催中という記事に目が止まりました。小淵沢から小諸に至るJR小海線、さっこんは八ヶ岳高原線という愛称で呼ばれるそうですが、昔から好きな路線でこのブログでも何回かふれてます。今日はそっちではなくて、フィンランドのこと書きます。Finland.jpg

 北欧の美しき国、日本からは遠く距離を隔てているにもかかわらず、親しみと憧れを抱く日本人が多い。なぜか。

 理由はいっぱいあります。まず、人口550万人といういわば小国であるにもかかわらず一人当たりのGDPが大きい豊かな国であり、特に社会保障制度と教育インフラの水準は世界最高レベルで、結果として国民の幸福度がひじょうに高い国であるということ。有名な「東郷ビール」の例もあるように、欧州の中では比較的親日国として知られていること。オーロラが普通に見られて、サンタさんも住んでいること。どこのおうちにもサウナがあること。固有の領土をロシアに不法占拠されているという境遇が北方領土を抱えるわが国と似ていること。「森と湖の国」というキャッチコピーが日本人の琴線に触れること。

 フィンランド関係ないですが、かつてブルー・コメッツの「ブルーシャトー」とゆう歌がヒットしました。今あらためて聞くと、森ん中にある青いお城で薔薇のにおいにむせて泣いてる女がいるとか、全くわけの分からん歌なのですが、「白馬に乗った王子様」同様に西洋に憧れる日本人の情緒にうったえるところがあったのでしょう。

 そんなフィンランド、わたくしは個人的に特に親近感があるのです。海外渡航の経験が少ない中で、訪れたことがある国のひとつやというこorora.jpgと。幼少時より好きなムーミンのふるさとであるということ。

 そして、学生時代にいた合唱団でシベリウスの「フィンランディア」を歌ったことです。

 交響詩「フィンランディア」は19世紀の終り頃、ロシアの支配下にあって圧政に苦しむフィンランドの国民の士気を高め、独立運動の後押しをしたとされる名曲です。帝政ロシア政府はこの曲を演奏禁止処分にしました。その後も現代にいたるまでフィンランドはソ連、ロシアから繰り返し言いがかりといやがらせを受け続けており、何度も国家存続の危機に瀕したのですが、そんなときフィンランド国民を奮い立たせてきたのが「フィンランディア」でした。第二次大戦の時期には歌詞がつけられ、シベリウス本人が合唱用に編曲しました。フィンランドでは現在も国歌に次ぐ第二の国歌として大切にされています。



Oi, Suomi, katso, sinun paivas' koittaa,

Yon uhka karkoitettu on jo pois,

Ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa,

Kuin itse taivahan kansi sois'.

Yon vallat aamun valkeus jo voittaa,

Sun paivas' koittaa, oi synnyinmaa.

おお、スオミ 汝の夜は明け行く

闇夜の脅威は消え去り 

輝ける朝にヒバリは歌う 

それはまさに天空の歌 

夜の力は朝の光にかき消され 

汝は夜明けを迎える 祖国よ

 

 Suomi とはフィンランド人が言うところのフィンランドそのもののことで、日本人がJAPANのことをニッポンと呼ぶのと同じです。

 学生当時の私はその美しいメロディーを「ええやん」と思いはしたものの、フィンランドの苦難の歴史など深く知ることもなく、ただ歌っていました。その後縁あって仕事でかの国を訪れた際に懐かしく思い出したというわけです。ムーミン谷博物館に行ったところが閉館時刻過ぎてて入れず泣く泣く引き上げたことは、かなり前に書きました。P9121342.jpg

 フィンランドは、大国ロシアの横暴に健気に対抗しつつ、権謀術数うずまく国際情勢の中にあって絶妙なバランス感覚で独自の発展を遂げました。国民の本当の豊かさを追求してきた結果が幸福度世界ナンバーワンの実績に結実しています。戦後の世界は、特に日本にあっては、米国の大きな影響下で国づくりを行ってきました。結果として現代の繁栄をもたらしてはきたものの、その代償として少子高齢化など負の遺産もまた積み上げてきました。将来を見据えるとき日本は、米中のように覇権を狙う大国を模範としてそのミニチュア版を目指すのではなく、フィンランドをこそお手本として国民の幸せが増していく社会を作っていくべきやと思います。

 毎朝続いていたセミのギャン鳴きがその勢いを失い、代わりに夜半の虫の声が大きくなってきました。日本中が歴史に残る猛暑に席巻された今年の夏も、ようやく終わりに向かおうとしています。酷暑が続いていた頃はこのまま夏が永遠に続くのではとも思われましたが、いったい誰がどこで調節しているのでしょうか、衆愚の心配をよそに季節はやはりきちんと巡っていくのです。

 今日はいいお天気と涼しさに誘われて、仕事のついでにお盆でガラガラの状態続く水都大阪の都心に出て、八軒家の浜でくつろぎつつブログを更新しています。川沿いのテラスを吹き抜ける風は、すでにして秋の気配を運んでいます。hachikennya.jpg

 ここはその昔、大阪と京都間の淀川を行き来していた三十石船の港として栄えたところで、今でも水上バスの発着場があります。流れに沿って多くの店が軒を並べており、観光客も多い人気スポットです。

 今年のお盆の休暇は週末に挟まれるかたちで例年よりじゃっかん長くなりました。いつもより長いお休みも終わりが近づき、日常が戻ってきます。振り返ればやっぱりいつもながらの夏休みでしたが、今年は特に甲子園での高校野球が例年より目についた、というか鼻についた感じがします。

 まだ大会は終わってませんが、わが大阪府代表の大阪桐蔭高校がおそらくは優勝するでしょう。うちの奥さんをして「タイガースと入れ替え戦やったらええねん」と言わしめるその圧倒的な強さは、まさに次元が違う感じがします。しかし、どうも面白くない。なぜか。

 まず、主催の朝日新聞が騒ぎ過ぎる。100回目の記念大会というお祭り要素は分かるにしても、朝刊、夕刊あまりにも高校野球関連の記事が多過ぎる。多少でも関係ある話題ならなんでもかんでもひろってしまう。優勝旗を作った人がどうの、往年の球児の今がどうの、出場校の応援団だけでなく球児が常連の食堂の大将や、近所のおじさんの話題がどうの、はては球児の将来の夢や同級生の評判まで。果たして全国紙が紙面を割いて報道する価値が本当にあるのかと思わせるくだらない記事がてんこ盛りです。当然、それ以外の本来報じられるべきニュースは限られた紙面から追いやられるわけです。期間中朝日は、新聞ではなく高校野球の専門紙に成り果てました。ものごとには限度がある、あまりにもひどい。金返せと言いたい。koshien.jpg

 また、高校野球大会自体もこれでいいのかとも思います。大阪桐蔭、わが大阪府代表と書きましたが、これが怪しい。確かに学校は大阪府にありますが、野球部員はセレクションで全国から集めてきた生徒が多い。大阪などはまだヂモティーが多いけど、地方の強豪校などほぼ全員が外人部隊という有様で、本当に各都道府県の代表と呼べるのかという話です。

 さらに、高野連は折にふれて「高校野球はあくまで教育の一環」などと宣いますが、記録的な酷暑の炎天下、軍隊さながらに丸坊主を強要された球児たちが一糸乱れぬ行進を披露する昔ながらのスタイルに、果たして教育的配慮があるのかと思うわけです。グラウンドから見上げれば、韓国が大好きな旭日旗のできそこないのような朝日新聞の社旗がヒラヒラと風にはためいています。太平洋戦争での学徒出陣を彷彿させるこのような光景は、朝日がいっちゃん忌み嫌っていたところではなかったのか。普段もっともらしく主張している平和な社会の希求など、儲け第一主義の前にはものの数ではないということか。

 思うに、私企業である以上多少の営利の追求はいたし方ないにしても、新聞は社会の公器という一面もあるんやから、自分ちが主催しているからというだけで教育活動の一環をここまで私物化してはイカンのではないでしょうか。だから朝日はバカにされるのです。

konjaku1.jpg 「大阪くらしの今昔館」という博物館を見学してまいりました。

 現在、うちの職場にゆかりの企画展示を行っているという関係であります。しかしながら、恥ずかしいことに、こんな施設が大阪にあることを知りませんでした。ほんとの名前は「大阪市立住まいのミュージアム」やけど別名の方が通りがよくなって、今や皆がそう呼んでるそうです。変なの。

 はじめは、市がやってるということでこれまで行ったことがある東洋陶磁美術館や人権博物館などのガラガラの施設を想定してました。まあ、ゆっくりと涼んでこようかと。ところが最寄りの地下鉄天六駅を降りて直結の通路を進む間に「?」。なんだか人が多い。それも明らかに日本人以外の集団がわたしと同じ方向へと進んでいきます。konjaku2.jpg

 博物館はビルの8階~10階部分なんですが、地下のエレベータ乗るあたりから凄い混雑です。入口のある階で降りてみると、なんとエレベータから切符売り場まで長蛇の列が。そのほとんどが外国人と思しき人たちです。係の人が英語で話しかけて場内整理してる。キンキンにクーラーが効いたガラッガラの広い空間でゆっくりと過ごそうという思惑は完全に当てが外れました。あとで知ったのですが、実はここ訪日外国人の絶大な人気スポットやったのです。知らなんだがな、そんなこと。

 江戸時代から昭和に至る大阪の町と住まいの移り変わりを再現してます。再現といっても模型ではなく、映画のセットのように本当の街並みをそのままの形で作ってあるので、当時の街並みの中にタイムスリップした感覚を味わえます。これはなかなかに凄い。船場あたりの商家や裏長屋、まさに枝雀さんや米朝師匠の上方落語の舞台が忠実に再現されてます。これは本当に凄い。

 浴衣着た外国人さんたちが多いなあと思ってたら、なんと貸し出しのサービスをやっているらしい。待ってる人が列を成しており待ち人数が表示されてます。確かにこの人気は納得です。やっぱり日本に来たらキモノですわな。

20180722_022741412_iOS.jpg 8階に降りると、近代の大阪が模型で再現されています。実に見事な出来栄えです。北浜、新開地、戦後廃車になった木炭バスを並べて住居にした城北バス住宅なんてのもありました。うちの職場のすぐ近くですやん。

 すべての展示を通して、明治の初めわが国が近代国家へと変貌を遂げる過程で、当時の東京市を凌ぐ人口を擁し大大阪と呼ばれた往年の勢いが伝わってきます。殖産興業政策による発展と同時に市民の生活が当然にあったわけで、派手な科学技術の成果や高度な芸術・文化だけでなく、市民生活に光を当て、しかも単なる道具や写真で断片を見せるのではなく、当時のそのままの空気を今に再現した手法は実に見事といえます。

 また、時間があったら行ってこよ。仕事の帰り道やし。

 リニア中央新幹線について、かつてわたしは「成功するとは思わん」とネガティブなことを書きました。しかし、いつも言ってますようにわたしは何かにつけ批判するときはボロクソに言いますが、その批判精神をはるかに上回るミーハー性を自認しているのであって、「ふーん、リニア乗せてやろと思たけど、そんなこと言うんならやめた」とか言われたら「ちょ、ちょっと待って。リニア賛成です!」なんててのひら返しを平気でやってみたりするわけです。
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 試乗の抽選が始まった最初の年から応募し続けて幾星霜。ようやく競争倍率も落ちてきたと見えてこのたびめでたく当選しました。で先週、早めの夏期休暇をいただき、「JR東海 平成30年第2回超電導リニア体験乗車」行ってまいりました。今回はその総力レポートです。

 リニア中央新幹線は東京-名古屋間が2027年開業、大阪延伸は早くてその20年後といいますから、大阪まで来るのを待ってたら多分私は間に合わないでしょう。若い世代の人たちは営業運転始まってから乗ればいいのであって、つまりこの試乗のイベントはわれわれ熟年世代のためにあるのです。イベント期間が年間3回あって、それぞれ募集があります。今年2回目の今回は7月から8月にかけて10日間ほど行われます。1回に最大150人が乗れて1日6便運行されるんで、単純に数えたら延べ9,000人ほどが乗れることになります。 

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 試乗には料金がいります。1区画(2人)4,320円と結構なお値段ですが、もちろん最先端技術の先取り代としては全く高いとは思いませんし。

 さて、実験場はとんでもない田舎にあってアクセスがよくありません。試乗会が開催される日には最寄のJR中央線大月駅から臨時バスも出るそうですが、わたしはせっかくなので富士山ろくでの温泉宿など事後の移動も視野に入れ、大月駅からレンタカーにしました。実験場のそばには広大な駐車場があります。

 大阪から新幹線、新横浜から横浜線快速、八王子から特急「かいじ」を乗り継いで大月に着いたのがお昼12時半頃。食事を済ませ車借りて走り始めたら10分ほどで実験場とうちゃく。近かっ。

 開門時間まで待ってると、係の人が記念撮影してくれました。毎回大量の乗客を相手にしてるからか、もう慣れたもんです。こんなサービスも料金のうちということか。20180801_045609459_iOS.jpg 搭乗チケットを発券します。手荷物検査と金属探知ゲートがあったりで、このあたりは飛行機の搭乗口にそっくりです。なるほど、最先端技術の結晶である車両や設備はテロの標的となる恐れもあります。しかし、営業運転始まってからもこんなことやるのでしょうか。これは難しいところです。テロは怖いけど、せっかくの飛行機に代わる大量輸送手段の機動性が損なわれてしまいます。おそらく実際には手荷物検査などなくて、新幹線と同じようにもっと簡単に乗れるようになるのでしょう。

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 搭乗前に乗客全員が一部屋に集合してじゃっかんのガイダンスがあり、5分ほどのプロモーションビデオを観ました。残念ながら撮影・録音禁止でしたが、リニアの見どころ、魅力をうまく編集しててなかなか楽しめました。

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 さて、いよいよ乗車というか搭乗というか、乗り込むわけですよ。このあたりもうワクワクがピークで、興奮して鼻血出そうです。20180801_053050922_iOS.jpg

 指定の席に座ってすぐに走り出しました。知らなかったんですけど超伝導リニアは、発車のときと止まる直前はゴムのタイヤで走ります。速度が増すことでリニアモーターに誘導電流が流れて揚力と推進力が生じるのです。浮上走行に移行してタイヤが格納された瞬間にガクンと振動が無くなるのは飛行機の離陸の時の感覚に似ています。

 実験線は全長42.8kmあり、試乗はこの区間を約2往復とちょっと行ったりきたりします。ほとんどがトンネルの中で小さな窓の外はほぼ何も見えないので、前方のモニターに映る映像で確認します。走り始めて1回目の折り返しの後ずんずん加速し、とうとう夢の時速500km超えの表示が。人類の叡智を体感した感動の瞬間です。20180801_072452801_iOS.jpg

 実験線を往復する中で何度か500km走行があったのち、乗降地点に戻ってきて車両は停車しました。しばし放心の時間を経て、案内に従って降車しました。

 試乗体験はこれで終了。実験場出てからすぐそばの「リニア見学センター」に寄ってから、駐車場に戻りクルマに乗り込みました。

 同行した奥さん「運転席も見たかった」「運転手さんはいないのだよ。すべて指令センターから遠隔操作で動くのだ」「そんなん、何かあったらどうすんのよ!」

 もちろん「何か」なんて無いし、まんいちあったとしたら運転手さんがいてどうなるもんでもありません。われわれ昭和の人間には感覚的に理解が追い付かないレベルの超絶科学技術の余韻にひたりつつ、富士山の大きなシルエットを正面に眺め、小さなレンタカーは河口湖畔の今宵の宿に向かって走りだしたのであった。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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