2014年3月アーカイブ

 目覚めてみると、ひさびさに大雨が降ってます。

 城北公園ではモクレンが散りはじめサクラは満開近く、そろそろ花見客の出動も本格化という矢先に文字通りの冷水ですが、わたしは年度末の喧騒の中、昨日今日と出かけることもせず完全休養を決め込んでいます。昨日はゴルフのお誘いを断ってしまいました。最近、WORKの反対がPLAYではなくRESTになっています。どうもこれではいけないとは思いながらも、繁忙期を乗り切るために体調を整えることに腐心しています。今朝は最近の話題に関して思いついたことを綴ってみます。IMG_2125.jpg

 政治には金がかかる、というより政治家という商売は金がかかるということでしょう。

 政党の代表が選挙時期に他人から8億円借りたけど、これは個人的な借金で選挙資金とはちゃいますと言い張っているそうです。熊手買うのに使ったとか。誰が信じるかという話です。貸した人は「選挙用って話やったよ」と言ってるそうで、そうやとしたら政治資金収支報告書に書いてなかったんで公職選挙法違反になるらしい。昭和に起こった幾多の疑獄事件当時ならいざ知らず、法律違反する人は選良としてふさわしくありません。

 前東京都知事のときとまったく同じ構図で、金額もケタが違う。これはおそらくアウトでしょう。いずれさんざ叩かれて議員辞職することになるんやから、早いうちにとっとと辞めてしまった方がいいのは過去の例からも明らかなんですけど、みなさん何故かこっから粘るんですよね。

 現在、個人の政治献金は原則として禁止されてるけど、政治団体を通じて行う分にはOKやそうです。また、企業献金は、一切禁止されてます。

 政治献金なんていいますけど、ようはワイロです。企業にしても個人にしても何の見返りもなく赤の他人にポンとお金をあげるはずがない。自分に都合のいい政策を期待して政治に金を出すということは、つまりは賄賂、マイナイ、袖の下とまったく同じです。非常に分かりやすい。政治団体に対してならいいとか、政治資金報告書がどうとか、持ってまわってわかりにくくしていますが、政治家たちが合法的にワイロをもらえる仕組みを作り上げてきたわけです。

P3303632.jpg 悪ではあるけど必要である、という考え方が根底にあります。公営ギャンブルと同じ理屈です。お上が認める分にはええけど、隠れてやるのは許さん。正義に反する、悪いこととは分かってるけど、完全にダメとしちゃうと困る人も多いからムニャムニャ…そんならまぁ、ここまではええとしましょかと。こんな仕組みがそもそもアカンのです。

 政治団体に対する個人献金や企業団体献金もひっくるめて完全に禁止するべきでしょう。誰が必要としようと悪は悪、絶対に許さんという姿勢が必要やと思います。

 もひとつ、大きな冤罪事件が話題になってます。

 最近は取り調べの可視化なんていわれてて警察の犯罪捜査も大変やろと思いますが、袴田事件の頃は、被疑者の人権が今よりよほど軽視されていたということでしょう。そして国家権力が一度決めたことを「間違いでした。ごめんなさい」と認めることがいかに困難であることかを示してます。そういう事情が冤罪を産んでいます。

 もちろん、毎年生じる膨大な刑法犯の司法手続きの中にあっては極めてまれな、特異な例ではあるでしょう。しかし、絶対にあってはならないことです。ましてや本件は拷問によって自白が得られ、あまつさえ警察が証拠をねつ造したということです。特別公務員暴行陵虐罪および証拠隠滅、虚偽有印公文書作成・同行使という刑法上の犯罪です。しかし当時の担当刑事たちはとっくに死んじゃってて、今さらどうしようもないとか。ひどい話です。

 誰の責任を追及するということではなく、冤罪事件でも、金権政治家の狼藉であっても、権威に縛られず「これ、やっちゃったかなぁ」と思ったときは素直に間違いを認めて謝ること。それが早ければ早いほど影響は少なく、後になるほどだんだんとどうしようもなくなる。何のことはない、世間一般仕事のルールとおんなじですわ。絶対に間違ってはならないなんて意気込んでるからこんなことになってしもた。警察は絶対に間違わないなんて、今や誰もそんなこと思ってませんて。

 人間は間違うようにできてます。間違ったとき、失敗したとき、そのあとが大事なんです。エライ人ほどしっかりしてほしいもんです。

懐かしのプチプチ

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P3203511.jpg 春分の日ともなると故郷下市の広橋梅林も見ごろを過ぎ、代わって桜前線がどんどん北上してきます。巷では消費税アップに向けた駆け込み需要が喧しい。大阪駅の窓口では定期券を求める長蛇の列。いつもは1日で届くドリップコーヒーの通販が、発注後10日経ってもまだ来ない。「ご好評をいただいてまして…」なんて言い訳してたけど何のことはない消費増税特需で生産と発送が間に合ってないだけでしょう。まぁ、しっかり稼いでください。

 そんな春の喧騒とワクワク感の中、昨日、わが学園の一角、大阪工業大学で学位記授与式が執り行われました。工大の卒業式は例年なぜかお天気が悪いという印象があるのですが今年は何とも心地よい晴天に恵まれました。若人の門出を寿ぐにふさわしく厳粛な中にも艶やかな式典の挙行を見守るうち、いつもながら学園関係者としてのよろこびを思い、巣立つ卒業生・修了生諸君の活躍を心から祈った次第です。

 さて今日のタイトル、暇つぶしに梱包のクッション材をつぶす話ではありません。LPレコードのスクラッチノイズのことです。そうなのです。以前、わけあってカセットデッキを新たに買った顛末を記しましたが、このたびその第helico.jpg2弾としてレコードのライブラリーを復活させるべく、ついにプレーヤーを購入しました。

 CDが世に出たのは30年とちょっと前と記憶しとります。それまではレコードの時代。貧乏学生やったわたしなどはレコードを1枚買うこともなかなかに難しく、音楽を楽しむためにSONYの小さなシステムコンポをフル活用し、レンタルレコードのカセットテープへの録音とFM放送のエア・チェックに日夜勤しんでいた時代でした。

 初めてCDの再生音を聞いたときの衝撃はいまだに忘れられません。レコード再生のスクラッチノイズやテープ再生のヒスノイズから解放された、完全に雑音の無い世界。これは大変なことになると思ったそのとおり、オーディオシーンは激変しました。坂道を少しずつ上るように進歩してきたオーディオ機器が、アナログからデジタルへの移行という革命的なイノベーションにより、レコードはあっという間に駆逐され、CDにとって代わられました。当時、レコード針のシェアトップやった「ナガオカ」の売り上げが100分の1に激減したと聞き、さもありなんと思ったもんです。企業存亡の事態やったでしょう。

 以来30年、レコードは完全なオワコンとなり、音楽に限らずカメラやホームビデオやなんかもすっかりデジタルにとって代わられました。技術革新は世の中をどこまでも便利にしていきます。

 わたしも多聞に漏れず今日まで、簡単便利で高品質なデジタルサウンドを満喫してきたわけです。しかし最近になって、先日のカセットテープ同様に、もう一度聴いてみたいレコードがあるということに思い至ったのが今回のプレーヤー購入の動機でした。IMG_2115.jpg

 ヨドバシの通販をのぞくと、プレーヤーは先日のカセットデッキのときよりもはるかにニーズがあるようで、何ともリーズナブルな価格の製品がいくつも並んでいます。SONYのんにしました。カセットデッキはすでに生産終了しているSONYがレコードプレーヤーはいまだ作ってるということが、世の風潮を示唆しています。

 もっぱらクラシックを聴いておられる職場の大先輩がいるのですが、以前「レコードなんてまだ売ってるんですか!?」なんて聞いて怒られたことがあります。梅田周辺でも中古レコード店は健在です。

 発注した次の日に届きました。便利な時代になったもんです。早速押し入れにしまってあったLPレコードを引っ張り出してくるわけですが、まずホコリを払って持ち運べる状態にすることから始めねばならない。奥さんがぼやくこと(^^)。

 レコード眺めるとその1枚1枚、買ったときのことわりと覚えてるもんですね。この子供向けクラシックオムニバスは小学生のとき父に買ってもらったとか、このサントラは高校時代、学校の帰りに友人と一緒に買ったものやとか。

 さっそく中の1枚を選んでかけてみました。ジャケットから取り出してクリーナーでホコリを拭い取ってターンテーブルにセットし針を下ろす、といった30年以上ぶりに行う一連の所作自体がなんとも懐かしい。そして響きはじめたレコードの音。…なんだ、この雑音は? プチプチプチとホコリや傷による雑音が多い。ああそうそう、レコードはこうやったなあ、と妙に納得しました。レコードの経年劣化によって当時よりも雑音が増えてはいるのでしょう。しかし、CDに慣れた今の耳には、そのプチプチがかえって新鮮に思えます。音自体もデジタルの澄みきった硬質な響きとは明らかに違う、これはこれでなかなかに趣が感じられます。

 昭和の頃まで音楽の隆盛を支えてきたアナログのレコードという技術と製品、CDに比べて音質の点でも扱いやすさの点でも明らかに劣るのに今なおその需要が絶えないのは、簡単にはいい音を鳴らせないアナログならではの奥の深さに価値を見出すファンがいるからやろと思います。レコードはもう新品が供給されることはありませんが、これからは中古レコード店、わたしもたまに覗いてみようと思てます。

お葬式のこと

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 一月は行く。二月は逃げる。三月は去る。

 早いもんで、年度末3月も半分去っていきました。今冬は列島が大雪に翻弄された冬らしい冬でしたが、春分の日お彼岸が近づくにつれて、ピリッとした冷気は残っていても明るさを増す日差しは春の訪れをたしかに感じさせます。ご近所の庭に今年も先陣切って寒桜が満開となり、あちこちから花見の挙行に向けて相談の連絡も入りはじめました。

 いよいよ春が来たのです。

IMG_2078.jpg 日本の春は別れと出会いの季節です。欧米ではサマーバケーションを挟んで年度が替わりますが、常若を寿ぐわが国では古来、旧暦正月を新春、年の出発としてきました。学年のスタートも春から。従って新卒新入社員のスタートも春から。会計年度も4月から3月まで。少し前に東京大学が何をトチ狂ったか9月入学を導入するなんて言い出しましたが、日本人の身体と意識に染み着いた自然と社会のサイクルに抗うことはできません。欧米のマネしていいこともありますが、これはやめた方がええでしょ。

 さて、明日はまた朝から帰省するので久しぶりに土曜日にブログを更新しています。同級生の親父さんが亡くなられたのでお葬式に参列するのです。どういうわけか昨年からご葬儀参列が増えてます。そういう年代になってきたということでしょうね。いっぽう、当然ながら結婚式への出席はめっきりと減りました。友人たちの適齢期はすでに遠い過去となり、そろそろ子供たちの世代が婚礼のピークをむかえてますが、昨今は仲人を立てる婚礼もめっきりと減ってきたそうで、オヤジたちの出番が減るのも道理です。

 お葬式は、ひとそれぞれこの世に生を受けていらい辿ってきた長い旅の終わりに執り行われる、最後のセレモニーです。とはいってもご当人はすでに亡くなられてるので、最後の式典の様子を伺い知ることはできません。故人ではなく、あとに残った人たちの儀式といえるでしょうね。

 数えきれないほどのご葬儀に参列してきましたが、実にさまざまな型式があるもんやと思います。だいたいが仏式でしたが、まれに神式やキリスト教の教会にも行きました。仏式といっても、真宗、真言宗、浄土宗など宗派さまざま、実に種類が多い。先月参ったご葬儀は「融通念仏宗」という宗旨、これはたぶん初めてでした。

 とまどったのが創価学会の友人葬とかいうご葬儀。お寺のお坊さんではなく、普通に略礼服着た人が導師を務め、いちばん前でお経をあげます。式場内はお題目の大合唱。最初はあっけにとられておろおろしましたが、何回か行くうちにだんだん様子が分かってきました。普通、個々の参列者にとっては、お焼香が参列中の最も重要な所作になるのですが、堂内一同みなで声をそろえて唱題というのも、お別れの儀式としてはなかなかええもんやとも思います。宗派によってお経やお題目が違いますが、最近雰囲気でなんとなくわかるようになってきました。実際に声を出せるのは「南無阿弥陀仏」だけですが。

 これから参列の機会がますます増えそうな気がします。ご遺族のお気持ちを慈しみ、こころしずかにお参りをさせていただきます。

いい音に包まれて

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 昔のテレビCMのコピーに「もしウイスキーと音楽がなかったら心がグシャグシャになってしまう」というのがありました。私はビールがあったらウイスキーは別になくてもええんですけど、音楽についてはまさに同感。家にいるときは、ずっと音楽聴いてます。癒されます。あ、電車の中でもiPodで聴いてるけど。

 クラシックが多いのですが、フォーク、ロック、ジャズなどその日の気分に合わせて1日中何らかの音楽が流れてます。リビングにはちゃんとしたオーディオセットがあるのですが、うちの奥さんがテレビをご覧になってるそばで鳴らすわけにはいきません。というより、自宅にいるときは自分の机に向かっている時間がいちばん長いので、聴くのはもっぱら書斎でということになります。ところがだいぶ前に愛用のCDラジカセが壊れて、それ以降というもの書斎にまともなオーディオ機器がなくなってしまいました。

 で、どうしてたかというと、CDウォークマンに20年ほど前に初めて買ったパソコンに付いてたスピーカーをつないで鳴らしてました。何という貧弱な音であることよ。しばらく我慢してましたが、せっかくの寛ぎの時間の充実を図るため「よおし、新しいミニコンポ買うべ」と思い立ち、さっそくヨドバシ梅田に出かけた次第です。

IMG_2076.jpg クルマでもテレビでも耐久消費財は何でもそうですが、そうたびたび買うものではないので、その時点の新製品となると前回買ったときと比べて格段の進歩を遂げてます。今回もそうでした。売り場に並ぶ製品はほとんどがiPodやiPhoneをそのままつないで再生する機能があります。USBメモリに入れた圧縮音源も聴ける。なるほどこれが昨今の主流なのかと納得しつつ、ポップやカタログを読み読み勉強しながら長時間かけて吟味し、見つけました。

 小さなスピーカーの筐体が重厚な木製で、なんとコーンまで紙ではなく木でできてる。楽器の多くが木であることに習い、楽器のように音を鳴らすというコンセプトやそうです。よくわかりませんが、理屈はどうあれ聴いてみて、なるほどいい音してる。

 またこのスピーカー、形がいい、サイズがいい。小さな小さな部屋の中で、デスクの上にチンと置いて聴くのに最も適した逸品です。お値段も手ごろ。一発で気に入り、これッ!と決めて買っちゃいました。

 ダウンサイジングの世の中、つくづくこの大きさが何とも良い。大学時代、友人の多くが小さなアパートや下宿ででっかいコンポネント・ステレオを畳の上に置いてたのを思い出します。当時もオーディオは趣味の王道で、彼らも苦労して何十万円もする製品を買ったはいいけど、アンプのボリュームを最少の「1」の目盛りまで上げようもんなら、大音響が部屋中に響きわたり、ご近所迷惑この上ない。夜はもっぱらヘッドホン。大出力のスピーカーなんて結局無用の長物やったのです。

 このたびわが書斎ににやってきた新しいコンポ、さっそく聴いてみると期待どおりの実にクリアな音。ヨドバシの売り場で鳴ってたレベルまでボリュームを上げると自宅ではとても許容できない大音量となります。この環境の違いがクセモノで、果たしてわが書斎で小さい音でどう鳴ってくれるかに一抹の不安がありました。しかし合唱曲など音の強弱の幅が大きい曲でも見事に再生されます。これはアタリです。うれしい(^^)v

 iPhoneをじかに接続するドックもありますが、つながなくてもwi-fiネットワーク機能で手元で再生できます。やってみるとCDと比べてもまるで遜色ない綺麗な音。デジタル技術、恐るべし。知らず知らずの間に世の中は何と進歩していることか。

 以前より少し音量上げて、いい音に包まれる小さな幸せを満喫しています。

式辞と五賢帝

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 早いもんで弥生三月、卒業式シーズンが始まり、さっそく昨日、高等学校の卒業式に出席しました。

 入学式、卒業式というと当事者である学生・生徒、保護者の皆さんはそう何度も参列することはないわけですが、わたしは学園関係者・来賓として、毎年春の時期には学園で挙行されるたくさんの式に出させてもらってます。卒業式は、学校のもっとも重要なセレモニーであり、主役の生徒にとっても3年間の高校生活成就のけじめとして、その人生においても思い出に残る大切な日となることは、いつの世も変わりません。

 今年も校長先生の式辞がよかった。IMG_2072.jpg

 卒業生の中にひとり、入学時から足が不自由で3年間車椅子で通った生徒がいます。なんと彼は一日も休むことなく出席を続け、式の中で皆勤賞の表彰を受けたうちのひとりでした。校長先生は式辞の中でそんな彼のことと、同様に一日も休むことなく彼の車椅子を押して送迎したお母さんのことを紹介し、彼のがんばりを讃えお母さんの苦労をねぎらいました。彼の卒業をこころから祝福し、また、その将来に幸多かれと祈らざるをえません。

 私自身の卒業式も、小・中・高と3回あったはずです。大学も間違いなく卒業したのですが、事情あって卒業式には出席しませんでした。

 その3回の式典でも、昨日同様に校長先生の式辞があり、巣立ちのハナムケとして感動的なお話を聞かせてもらったはずですが・・・覚えてない。もし今聞いたならきっと薀蓄に富んだすばらしい話として昨日同様に感動して心に残ったものであったろうと思いますが、結局身につかなかったわけです。もっとちゃんと聞いとけばよかった。式辞に限らず、自分にとって価値のある知恵や情報を吸収するチャンスが限りなくあったのに、そのほとんどをスルーしてきたことをあらためて思います。これが人生というものか。

 似たような話。先日、高校の日常の授業を見学するというある企画で寄せてもらったのが日本史の授業でした。室町時代でしたが、先生の話、とても面白い。興味深い。教室の後に座ってフンフンと楽しく聞いているうちあっという間に時間が過ぎていきました。ところが生徒たちはと見ると、熱心にノートをとっている子もいますが、大半は苦行に耐えているといった様子で寝落ち寸前。中には耐えきれず机に突っ伏して討ち死にする子もチラホラとでています。すると先生は、そばを通ったときに教科書でツンツン突きながら淡々と授業を進めていくのです。

 せっかくの、こんな面白い話をなぜちゃんと聞こうとしないのかと思いつつ、自分も高校生時代こんなやったよなぁ、と気がついた次第です。IMG_2064.jpg

 学生時代、特に中学・高校の授業は受験に特化した知識の詰め込みが多いことは否めません。高校時代の友人と飲むときに「俺、今でもスマトラ島の油田の名前、北から順に言えるよ」と言えば友人は「私なんか、ローマの五賢帝言えるもんね~」

 これまでの、またこれからの人生で果たして何の役に立つのかという話です。

 知識そのものに大して意味はなくても、学力を鍛えるツールと割り切って覚えるしかなかったあの頃。脳内から無駄な記憶を一掃できれば、その空いたスペースでもっと大切なことが覚えられてたかも、なんて思う今日この頃です。油田の名前を生涯忘れない私と、車椅子で皆勤通した彼、比較する必要もないのですが、「教育の成果とは」ということを考えてしまいました。

 そうそう、無駄な知識といえば、先月受検した「奈良まほろばソムリエ検定1級」合格通知来ましたよ。自己採点ピッタシ100満点の75点でした。これこそ「何の役に立つの?」の極みですが、知識欲を満たす趣味の領域として、これはこれでいいのです。友人たちからお褒めいただいたこともあり、調子にのってソムリエ取得を目指すこととします。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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