セミの声もあまり聞こえなくなりました。夏が終わっていきます。今年のセミはなんだか勢いが無かったように思います。元首相暗殺という、歴史上の大事件が起こった夏でした。責任をとって警察の最上層部が辞職し、現場の責任者も重い十字架を背負って組織を去りました。秋に行われる国葬で一応の区切りとなるのでしょう。しかし、野党と左派系反日メディアを中心に、その国葬反対の耳障りな大合唱が続いています。安倍元首相という宿敵を失った左巻きの連中は、これから先は何にすがって日々の糧を得ていくのでしょうか。
さて、そんな世相にあって私ごとですが、このたび勤務先を退職し引き続き役員として仕事を続けることになりました。やるべき仕事の内容はこれからもそんなに変わらないのですが、一応のけじめではあります。後年「いつ辞めたの」と聞かれたときに「安倍さんが亡くなった年」と答えることになります。
お疲れさんのご褒美ということで、久しぶりに奥さんと温泉に行ってきました。よく行ってそうで案外縁がなかった、ふるさと奈良県南部吉野の大山塊に抱かれた洞川温泉です。
この温泉街がある天川村は、大峰山登山の前線基地で修験道のメッカとしてその名を知られ、天河大辨財天は芸能の神様として有名で芸能人がこぞってお参りする聖地でもあります。内田康夫の「天河伝説殺人事件」の舞台にもなりました。
洞川温泉はそんな天川村の中心からさらに国道を少し上ったところにある歴史のある温泉で、わたしは幼少の頃、両親に連れられて来た記憶がかすかにあります。今回人生2回目です。
今では京阪神と奈良県も高速道路が次々とつながり、吉野山地にも長大なトンネルが作られ山奥まできれいな道路が整備され、大阪からでもあっという間にたどり着けます。奥さん「十分日帰りできるね」と言ってました。確かに便利になったもんです。
昔ながらの小さな温泉街。昭和の趣きを今に伝える実に風情ある街並です。軒を連ねる旅館に、通りに面して長い縁側があるのは、行者さんが座って装束を解くためなんやそうです。
洞川は、高度成長の時代もバブルで狂乱していた頃にも鉄筋コンクリートの大旅館が建設されることはなく今に至ります。ひとつ間違えば栃木県の鬼怒川温泉のように今や廃ビルが連なる有様となっていた可能性がありました。そうならなかったのは、やはり地元吉野のひとびとの自然を慈しむ思いと、古より修験道を今に伝え神を敬ってきた聖地を守る矜持によるものやと思います。
実はこの温泉街に至る途中、奈良県を南北に隔てる吉野川沿いの下市町という小さな町でわたしは生まれました。60年前のことです。今回の道中でもかつて住んでた家があったところを通ってきました。今ではすっかり様子が変わりましたが、過疎に悩む田舎のこと、都会ほどの変貌はなく懐かしい山河は記憶のままでした。
過疎化は、地元のひとびとにとっては実に切実な問題ではあります。しかし、例えばこの大山塊を大きく切り崩して巨大工業団地や別荘地を建設するなんてことが、まああるとは思えないけどバブルがあのまま続いていれば可能性がゼロではなかった。それを地域の発展と言えば喜ばしいことではあるんやろけど、何かそうなってほしくもないなあなんて、今回半世紀ぶりの懐かしい温泉に浸かりながら、しみじみと思ったのでした。