お出かけの記録の最近のブログ記事

天理、でかッ!

| コメント(0) | トラックバック(0)

 カラッと晴れたいい日よりの昨日、県人会の遠足で天理に行ってきましたので、そのレポートを。

 久しぶりに西名阪を走って、天理インターを降りると天理教本部まではすぐです。駐車場に車を止めて集合場所に向かうみちみち天理教の黒い法被を着た信者さんたちがたくさん。天理に来たなという感じがします。隣の市在住で会員の、親しい友人夫妻も来ました。

 天理は宗教都市です。宗教団体の名前をそのまま市区町村の名前にしているのは、おそらくここだけではないでしょうか。きわめて異例です。天理市にできた宗教やから天理教と称したのではなく、天理教の街やから天理市と名付けたのです。天理教という宗教団体がいかに市に貢献しているかを表してます。

 調べると昭和29年、昭和の大合併の際に7町村が合併し天理市として市制を敷き発足しました。市民の4分の1が教団関係者やそうです。信者の占める割合はもっと多いというこでしょう。

 市内の広範囲を広大な教団関係の施設が占めてます。宗教関連施設は固定資産税が免除されるんで、こんなにも広い土地が非課税やと市の財政はしんどいはずですが、そこは教団が市に多額の寄付をして帳尻合わせてるそうです。まさに天理教あっての天理市といったところ。かつて「宗教団体の名前を地方公共団体の名称にするのは憲法に違反する」と訴訟を起こした人がいたそうですが、あえなく敗訴しました。

 かといって、教団は市制に関与することはしません。市長選挙や市議選挙に関係者が立候補すれば100%当選しますが、そこはきっちりと線引きをしてると。創価学会が支持する公明党とえらい違いです。

 さて、昨日は、天理教教会本部、天理図書館、天理参考館の見学です。20241109_005346624_iOS.jpg

 まず、教会本部の礼拝所を参拝というか見学させてもらいました。

 私は奈良県で生まれ育ちました。奈良県民は子どもの頃に、特に天理教の信者でなくても「おぢばがえり」と称して天理教本部に参拝することがあります。「ぢば」とは教団の言葉で、人間創造の場所、世界人類のふるさとを意味するそうです。宗教行事としてではなく、単なるレクリエーションとして参加してたように思います。日本人は、仏教徒でなくてもお寺詣りするし、キリスト教の教会でクリスマスの行事を楽しんだりもするんで、おんなじようなもんです。かつて書いたように、日本人のDNAには八百万の神に対する畏敬の念が通底しており、宗教には実に寛容なのです。

 天理教教会本部、大きい。広い。ただただでかい。前庭はサッカーコートが余裕で引けます。「ぢば」を囲むように東西南北の礼拝所がありますが、それぞれがまたなんという広さであることよ。自然、建物全体も大きくなります。これはきっと、どこかの国の偵察衛星にも鮮明に捕捉されることでしょう。img004.jpg

 礼拝所に座り、ガイドの先生のお話を聞いているあいだも、後方から信者さんのおつとめ「あしきをはろうてたすけたまえてんりおうのみこと」という例の朗誦が絶え間なく聞こえてきます。なかなかのいい声です。先生の説明よりもその声に聞き入ってしまいました。

 久しぶりに正座し、足がしびれました。昔は寺のお堂など畳の部屋では当然、みなさん正座してたけど、さっこんは畳の上でも小さな椅子に座る形が普通になりました。この礼拝所でも椅子が用意してあり使ってる人もいます。無理せずに椅子を借りればよかった。けど、例の友人は同じように正座してても涼しい顔でケロッとしてます。そいや彼女、ここ天理教本部を折り返し点とする奈良マラソンを走ってます。足腰の鍛え方が違うのでしょう。

 礼拝所内は畳敷きで、回廊の床は板張りですが、これがきれい。ゴミどころか、ほこりのひとかけも見つからない。よほど念入りに掃除しているんやなと思ってたら、先生いわく「誰でも掃除できます。」見ればそこここに拭き掃除している方がいました。信仰に根差した奉仕の一環ということでしょう。これは、きれいになるはずだわ。

 礼拝所から東西の回廊は教祖殿へとつながってます。教祖殿は、中山みき教祖が今も存命で生活している場所とされてます。担当の信者が食事を運ぶなどお世話を続けているといいますから、高野山の奥の院で今も三食食べてる弘法大師とおんなじです。

 参拝は誰でもいつでも24時間できます。見学して歩いてるあいだにも信者さんたちが、ごく当たり前のなれた体で自由に礼拝所に入ってきて畳に座り、4拍手からの一連の所作でおつとめお祈りを行って、そそくさと去っていきます。日常の生活の中に自然と組み込まれてて、起きたら顔を洗うように自然と身体が動いてますよーっていう感じです。

 堅牢な木造建築の荘厳さの中で、人びとの生活の中に浸透した信仰のありようを肌で感じました。わたしは特定の宗教信者ではありませんが、どんな宗教であれ信仰心をもってる人には基本的に悪い人はいないと思ってます。信仰心がない人間は悪いことをすると刑罰に処せられますが、信仰がある人たちは悪いことをするとバチがあたるんやとかつて誰かが言ってましたが、バチなんかなくても、熱心な信仰心は人としてあるべき言動に自然とつながるもんです。

 そんなこんな、考えてるうちに見学の県人会ご一行は、本殿を後にして食事処へと向かいます。

 -以下次号-

風神雷神

| コメント(0) | トラックバック(0)

 秋が来ました。いつまで続くかと思われてた猛暑も、お彼岸を過ぎるとさすがに大人しく去っていきました。だいたい9月半ば過ぎても猛暑日があるなんておかしい、と友人も言うてました。巷間言われてるように確かに秋と春が短くなってます。そのうち日本が誇るべき四季の風情が損なわれ、いずれいちねんは冬と夏だけになってしまうなんて話が現実味を帯びてきます。皆さん、これからは息をするのを控えて、二酸化炭素を減らしましょう。

20240906_100840861_iOS.jpg さて、現下、セ界の終焉が訪れ、次の総理大臣も決まり総選挙が近づき、兵庫県知事による異次元のドタバタ劇にも進捗があり、涼風にのって社会的にも衣替えの季節到来の今日この頃。少し前のお話ですが、京都に行ったこと今日は書きます。

 暑かったころです。今も暑いけどさらに壮絶に暑かった今月初めのある日、仕事の関係で京都建仁寺の夜間拝観に招待をいただきました。

 建仁寺と言えば、京都の玄関口祇園四条駅から歩いてすぐの名刹です。過去、京都通の友人の伝手と計らいで、芸舞妓さんたちとの宴席にたびたび連れてってもらってますが、ここ建仁寺界隈の有名な料亭にも行ったことがあります。その際にも境内は歩きましたが、建物の中に入ったのは覚えてる限り初めてではなかろうかと。ただしさっこんだいぶんに脳の海馬が衰えてるので定かではありません。

 この日は、お寺と某情報通信企業とのコラボによる夜間拝観のイベント中にあって、少人数のご招待者だけ貸切、しかも通常入れないところも案内してくれるという、好奇心をくすぐるお話とあって、わくわくして出かけたわけです。

20240906_101600178_iOS.jpg

 夜間拝観といっても、ただ明かりをつけて昼間と同じように観て回るというわけでなく、アート照明とシンセサイザー音楽の現像的なイルミネーションが上映されるという催しでした。近年、奈良でも東大寺や薬師寺といった超メジャーな大寺院の境内でコンサートが盛んに行われてます。お寺という伝統の極みと現代的なイベントのマッチングに時代を感じます。

 お堂の中、仏様の両脇でデジタルアートのプロジェクション・マッピングやら、中庭でスモーク焚いたりの演出効果もあり、塔頭全体に幻想的な空間を楽しむという、どうやらそんなイベントでした。おまけで座禅体験もあり、おかげで次の日まで足が痛かった。

 まあ、趣向を凝らしたイベントはそれなりに楽しめましたが、わたしとしては堂内に置かれてる国宝、俵屋宗達の「風神雷神図屛風」に一番コーフンしましたよ。ライトアートなんかどうでもいいんで、もっとよく見える明るい時間で呼んでほしかったわと、せっかく招待してくれた人にしてみれば身もふたもない感想が正直なところでした。

 20240906_091555346_iOS.jpgところがですよ、名画拝謁の余韻にひたりながら京都を後にし、その後調べてみたところこの日置かれてた屏風は「精巧な模造品」であることが判明しました。本物は劣化防止のために京都国立博物館で厳重に保管されてて普段は誰も見ることができないんですと。そらそうですよね。そういえば、立入禁止とはいえ部屋の畳の上に無造作に置かれてて写真もOKなんて、考えてみれば至極もっともなお話です。

 座禅の効果か、本物を見極める目を養わねばと悟った、ある暑い夜の出来事でした。

名古屋発ひのとり

| コメント(0) | トラックバック(0)

 遅かった梅雨入り、入ったら入ったでいきなり本番開始で、今週いっぱい降り続くそうです。ジメジメの日曜日の朝、まったりと自宅で休日を満喫します。

 名古屋の話します。先週久しぶりに仕事で訪れたからです。

 名古屋と書くと、このブログではいいイメージがありません。愛知選出の国会議員がつぎつぎと不祥事を起こしてくれるからです。税金滞納や国会での虚偽答弁に関して文春砲で撃沈した神田憲次という代議士しかり、参議院議員では「住宅手当」が読めず「テトウ麻衣子爆誕!」とネット上に新鮮上物のネタを提供してくれた田島麻衣子しかり、ちょっと前になりますが、ガソリン代疑惑とダブル不倫で議員を辞めたガソリーヌこと山尾志桜里しかり。極めつけが、東京五輪金メダリストを呼びつけてそのメダルに噛りついた名古屋市の変態市長です。いまでもgoogleの検索で「河村市長」と入力すると予測変換で「メダル」と付与されます。ネット空間では一度しくじるとなかなか忘れてもらえず、ずっと生き恥をさらしていく覚悟が必要です。まあ、そんくらいの恥知らずでないと、はなから議員や市長なんて務まらないということなんでしょう。わたしには到底無理です。nagoyajo.jpg

 さて、名古屋。大都市です。大トヨタを近隣に従え、日本の製造業の玄関という看板を掲げて発展を続けてます。万博の効果にも疑念が呈されてるジリ貧の大阪に替わって、日本№2都市圏の座を虎視眈々と窺っています。リニアも東京と名古屋を結んで、大阪はまだしばらく蚊帳の外です。

 大阪、関西が今に至ってもそれなりの地位を保ってるのは、明治開闢まで日本の中心、首都であったいきおいによるものです。関西は江戸時代まで天子様が鎮座しており、新興開発都市の江戸にとっては敬うべき「上方」の位置づけでした。その余勢と矜持が関西発展の原泉やったわけです。明治維新直後、大阪は「大大阪、東洋のマンチェスター」と称され、その人口は東京を上回っており、関西圏は世界最大の都市圏やったといわれてます。

 それがですよ、明治政府から続く東京一極集中政策によって、日本の政治・経済・文化活動が東京へ東京へと集まって、それとともに人も東京に集まって、日本人の10人にひとりが東京都民という人口の偏在が起こってしまいました。

 それでも「上方」は日本でゆいいつ東京に対抗できるライバルとしてその地位を存置してきたのですが、日本全体が人口減少に転じると首都圏一強の構図が強まり、地域経済圏のプレゼンスが「いかに東京に近いか」で評価されるようになります。リニアで名古屋が首都圏の通勤圏内となり、人はさらに東へ東へ東京へと流れ、上方はさらに置いていかれることになります。

 現在、大都市圏の人口はもちろん首都圏がダントツで、関西圏はその半分、さらにその半分が中京圏という状態です。しかし、将来的には関西が中京に抜かれてしまうのではと危惧します。

 わたしが名古屋を初めて訪れたのは、小学校の修学旅行でした。近畿一円の子供たちは修学旅行といえば奈良、京都や伊勢が定番やろけど、われわれ奈良県の小学生は1泊2日で名古屋に出かけたのでした。名古屋城やトヨタの工場や明治村を見学したのを覚えてます。子供の頃は泊りがけで遠方まで旅行することなどほとんど無く、しかも多くの友人と一緒にすごした2日間、実に楽しかった。いい思い出です。

 その後、わたしにとって名古屋は、東京から帰省する際の乗り継ぎ駅としての機能しかなくなり、社会に出てからもしょっちゅう通過するけど降り立つことはほとんどありませんでした。長い仕事人生振り返っても、10回も無かったと思います。それが先週、久しぶりに出向いたのです。hintori.jpg

 新幹線の車中で友人とLINEしてたところ、その友人が以前に名古屋高速でオービスの餌食になった話になりました。こちらはすっかり忘れてたのに自ら言及するとは。きっと彼女にとっては消せない黒歴史なのでしょう。お気の毒です。まあ、わたしはここまでくるのにクルマを使うことはないでしょう。

 仕事、所用済ませて帰りは近鉄の名阪特急「ひのとり」にしました。最近増えてきた近鉄の豪華観光特急の最新鋭車両、話のタネに一度乗っとこうというわけで、デラックス車両ですよ。この日、仕事先の人との話の中で「ひのとりはなかなか取れない。デラックスから売れていくそうです」と聞いてたのに、ラッキーでした。

 乗ってみると、なるほど豪華。これはいい。

20240616_063807499_iOS.jpg

 何がいいって、3列配置の座席の広さもさることながらリクライニングが秀逸です。後ろに倒れるだけでなく、座面が前に滑るように動いて後ろのシートの空間に影響しません。新幹線のように後ろの人に気を遣う必要が無いのです。さらにフットレスト(オットマン)も上がってくる。まるで航空機のファーストクラス(乗ったことないけど)。しかしこの仕組みを実現するためにはシート前後の間隔によほど余裕がないとあきません。このためデラックス車両はレギュラーの約半分、わずか3×7席しかありません。なんと贅沢であることよ。

 学生時代の帰省の際に楽しみにしてた、沿線の巨樹「長大の大楠」この日もよく見えました。ちょっと葉の繁りが減ってるように見えたのは、今がクスノキの落葉の季節やからでしょう。

 じつにラクチンな2時間でした。大阪ー名古屋間、時間は新幹線の2倍以上かかりますが、これからも時間に余裕があるときにはこちらを選ぶかも。まあ、名古屋に行くことはあまりないかなあ。

 北斎の浮世絵展は過去に何回か行ったことがあります。久しぶりに大阪で特別展があり、さる筋から招待券をいただいたので、混雑をさけてG.W.突入前に出かけてきました。今回は北斎の「富嶽三十六景」と歌川広重の「東海道五拾三次之内」豪華二本立ての企画です。20240503_110646378_iOS.jpg

 会場は中之島の中之島香雪美術館。いそいそと訪れてみると平日の朝にもかかわらず入場券売り場は既にして長蛇の列。しかし、チケットを持ってたので待つことなく入れました。

 浮世絵は江戸中期以降発達した、当時の日常生活を描いた木版画や絵画です。まさに「浮世」の様を描いたものです。木版画の浮世絵は現代の雑誌のグラビアのごとく大量に刷られて、わずかなお金で買った人がしばし眺めて楽しんだ後はすぐに捨てられるか、かまどの焚き付けとなるか、襖の下張りに再利用されるなどで、そのほとんどが失われていきました。アートとしての扱いなんて受けていなかったわけです。それがですよ、奇跡的に後の世に残ったものがとんでもないことになってるのです。

 当時は誰もが作品の芸術性にそれほど気がつかなかったのに、今や、特に海外においていわゆる「ジャポニズム」の象徴として、人類の美術史上に燦然と輝く芸術作品として評価されています。

 昨年、アメリカで行われたオークションで、富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏(The Great Wave)」が276万ドル、円価にしておよそ4億円で落札されたそうです。また、先々月ニューヨークでのオークションでは、なんと富嶽三十六景の全46枚揃いが出品され、355万9千ドル、およそ5億4千万円の値がついたとか。

 富嶽三十六景は当初36種の予定で出版したところ、人気が出てよく売れたんでさらに10種追加で売り出したとか。「好評につき続編出来」は、いつの世も同んなじです。当時ハナかんで捨ててたチラシ紙が、400年の時を経てン億円以上の価値を得ているのです。おったまげー。そんな作品の数々を今回鑑賞にしに行きます。

 さて、場内は比較的空いてます。北斎は90年の長い生涯において浮世絵ばっか描いてたわけではなくて、草双紙の挿絵なんかもたくさんあります。入口からはそれらの展示がまず続きます。そしていよいよメインの富嶽三十六景の展示に至り、有名な作品を重点的にぢっくりと鑑賞しました。20240425_013140345_iOS.jpg

 どの作品にも言えることですが、鮮やかな多色刷りの印刷はほんのわずかでもズレてしまうと一巻の終わりです。それをまったく違えずに刷り上げるのはまさに超絶技巧と言えます。写真なき時代の最先端技術、すごい。

 さあ、神奈川沖浪裏...誰もが知る超有名作品、近世日本美術の最高傑作のひとつです。緊張の一瞬。過去何度も本物をみてるけど、あらためてやはりすごい。ダイナミックな構図の妙は言うまでもなく、線の鋭さ綺麗さ、細かな部分に至る繊細な配色など、実に完成されてるなと思いました。複製や写真では感じ取れない質感に、作品が紡いできた時間の重みを感じます。今目の当たりにしているこの小さな吹けば飛ぶような一枚の版画が数億円ですわ。ちなみにもうすぐ発行される新千円札の裏面にも使われてます。

 この展覧会、良かったのは「スマホなら撮影自由」やったこと。あちこちでパシャパシャ音がしてます。わたしも好きな作品を中心に撮らせてもらいました。

 残念やったのが、やっぱり入れ替え制ですな。特別展にありがちな例の、前期・後期で出展する作品を入れ替えるやり方です。いっぺんに全部出せよって話です。スペースの関係で...ってウソばっかし。工夫すればいくらでも展示できるやんか。これは、目玉の作品を出し惜しみして「全部見たかったらもう一回来てね」という策略に他なりません。神奈川...と並び称される代表作「凱風快晴」(別名「赤富士」)は、よく似た構図の「山下白雨」と並べて展示すれば、迫力満点で感動もいっそう高まるのに、今回前後期に分けて展示されます。確か以前にどこかで見た展覧会でも同じでした。これはなんとも残念。AKAFUJIKUROFUJI.jpg

 展示の後半は歌川広重です。私が子供の頃は安藤広重と言ってたように記憶してますが、いつの頃からか歌川姓が一般的になりました。こちらはなんといっても「東海道五拾三次之内」がメインです。切手にもなった有名な作品がズラッと並んでます。北斎の富嶽...と双璧を成す、珠玉の作品群です。NIHONBASHI HAKONE.jpg

 ゆっくりと歩きつつ鑑賞を進めるうちに「由井薩埵嶺」という作品を見ててふと気がつきました。

由井薩埵嶺2.jpg由井薩埵嶺2.png この風景は現代でも富士山のビューポイントとして有名なところなのですが、なんと、描かれてる旅人が富士の絶景を写メに残すべくスマホを構えてるではありませんか。なんということでありましょう、江戸時代半ばにすでにしてスマホが存在していたのです。この衝撃の事実が判明したことが、今回の美術展で得た最大の収穫でした。

どぜうが出てきて

| コメント(0) | トラックバック(0)

 三連休の初日です。明日は所用で朝から出かけますので、土曜日にブログの更新をしています。

iiidaya.jpg 先日日光に行った際のお話、東武特急乗るのに便利ということで東京での前泊は浅草にしました。この界隈に来たのは、ソラマチを訪れてスカイツリーに登らずにプラネタリウム見たとき以来ですから、ずいぶんと久しぶりです。せっかくなんで夕食は浅草名物のどじょうを味わってみることにしました。いくつかあるお店のうち、ホテルからほど近い「どぜう飯田屋」さんを予約してでかけましたよ。

 どじょうを牛蒡の笹掻きといっしょに割下で煮込んだのがどじょう鍋、親子丼みたいにタマゴでとじたのを柳川鍋と言います。両方いただきました。どちらもシンプルなお料理ですが、実に美味しい。

 どじょうの仕込みは、丸のままのんと開いて骨を抜いたものの二通りあります。丸の方は、柔らかい骨の食感が独特でいかにも川魚を食べてますって感じで美味しい。骨抜きの方は、小さなどじょうの身が束になって攻めて来る感じで、食べやすくていくらでも食べられる。柳川鍋はタマゴでとじた分ボリューミーで、濃い味付けとマイルドなタマゴのコラボが絶妙です。バリエーションそれぞれに良さがあります。dozeunabe.jpg

 お店の人「ねぎはたっぷりと、そうそんくらい入れてね」って、やはり臭みがあるのかと思いきや全然そんなことはない。まあビールが進むこと。negi.jpg

 柳川鍋を含む、どじょうの鍋料理は東京の浅草が発祥やそうで、確かにここいらにはお店がいっぱいあります。大阪では、探せばどっかにあるのかもですが知りません。普段「そや、今日はドジョウ食べに行こか」とは、まずならない。家で料理しようにも、スーパーで見たことがない。市場で「さあ今日はどじょうが安いよー」って聞いたこと無い。これはあくまで、非日常の旅路において楽しむ美味いもんなのです。

 思い起こせば前に食べたのは遥か40年以上前の高校生時代、上京して親戚のおじさんに連れてってもらった、ここ浅草でした。当時は東京の右も左も分からず「どじょうはやっぱり浅草」とか言われても「?」でした。味も覚えてなかったけど、きっと変わってないんでしょな。それ以来、どじょうを食べずに生きてきました。人はどじょうを食べずとも、人生を全うできるのです。

 浅草が発祥やのになぜに柳川鍋というのか。そういや昔仕事で九州の柳川に行った際に、「名物柳川鍋」の看板をあちこちで見たように思います。「柳川の名物やから柳川鍋」は、まあ当然で気にもしなかった。してみるとそちらが本家なのか。あさりの丼を深川めしと言うように、浅草が元祖なら何故に浅草鍋と言わないのか。実は九州が元祖なのではないか。謎が深まっていきます。

1391121.png

 料理の本家争いは、こじれるとやっかいです。「肉じゃが」の発祥を争う京都府舞鶴市と広島県呉市の論争は有名なところです。どちらも強行に元祖を主張していて譲る気配が無い。そいや先週、総務省の家計調査が発表され、料理のジャンルごとの王者が決定しました。毎年注目される「ギョーザ日本一」は浜松市が宮崎市をかわし3年ぶりに王座奪還、「ラーメン日本一」は山形市が新潟市を抑えて2年連続の王者となりました。ウクライナやガザのこと考えると、日本はつくづく平和であることよと思います。

 話逸れました。柳川鍋。調べてみると、東京発祥であることにはどうやら争いが無いらしい。それゆえネーミングの疑問が募りますが、はじめたときに使った土鍋が柳川焼やったからとか、最初の店の屋号が柳川屋やったからとか例によって諸説あるそうです。つまり、よく分からない。美味しければネーミングの謎など、どうでもいいのです。

前の5件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ