お出かけの記録の最近のブログ記事

 今日は朝からしとしと雨が降ってます。コロナ禍の閉塞感が本格化してから1年と少し。感染者数は下げ止まってますが、ワクチン接種も広がり続ける中、終息に向けて少し明かりが見えてきたというところでしょうか。やはり人類は大したもんです。しかし、東京五輪に間に合うかというと見通しは暗い。先週とうとう、海外からの観客を諦めました。検討始まって以来の大きな後退が決定したことになります。五輪の先行きはまだまだ混沌としています。

 さて、これまでにも何回か書いてますが、わたしの故郷は奈良県南部山あいの下市町という小さな町です。隣接する吉野町は日本一の桜の名所かつ日本史にたびたび登場することで全国的に知名度抜群なのに比べると、下市町のネームバリューはかなり劣ります。20210313_014041054_iOS.jpg

 奈良県は邪馬台国論争の舞台であり、有名な古墳が多数点在する考古学的にも重要なエリアですが、その中にあっても下市には先史時代の史跡もほとんどありません。そんな中で唯一「岡峯古墳」という古墳がありまして、私も子供のころからよく知ってましたが、しっかりと施錠、管理されており中に入ったことも覗いたこともありませんでした。死ぬまでには一度入ってみたいと思い続けて幾星霜、なんとこのたび思わずその機会が訪れました。

 たまたま見つけたマニアックな「古墳探訪ツアー」になんと、かの岡峯古墳の名があるではありませんか。千載一遇のチャンスと心得、先週喜び勇んで参加してまいりました。

20210313_013353508_iOS.jpg やまとびとツアーズという会社の企画で、普段あまり注目されない、吉野川沿いにある古墳のいくつかを巡るというものです。実は岡峯古墳はその形状から学術的には重要な、知る人ぞ知る存在なんやそうです。

 ガイドの先生とツアー社員さんのほか、参加者は10名ほど。いずれも、泥だらけになって玄室へと這い入っていくことにこの上ない喜びを感じる古墳フリークたちですわ。先生は8年前、奈良県まほろばソムリエ検定の体験学習「榛原と大宇陀・阿騎野コース」に参加したときにお世話になった方です。久々にお会いしました。

 駅に集合したのち最初に歩いて向かったのが、私にとっては今回最大の眼目である岡峯古墳です。あいにくの小雨降る中、懐かしの故郷の街をてくてくと進んでいきます。そいや、前に帰ってきたのはいつやったか。 

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 現地に到着すると、管理者である町の教育委員会の方が待っててくれました。入口のカギを開けてもらい、いざ古墳内部へ。初めて見る中の様子。玄室正面に石棺、羨道のわきにはその蓋とおぼしき板石、そして石棺の上には県内3カ所しか発見されていないという「石棚」が聴いていたとおり確認できました。積年の宿題を一つクリアした、興奮の瞬間でした。

 教育委員会の方とは共通の知り合いもいたりで話が弾みました。ふるさとはやっぱりいいものです。

 このあと一行は、吉野川河岸段丘沿いに連なるるいくつかの古墳を巡りました。古墳の小さな入り口に殺到し、興味津々でのぞき込む一行の姿がなんとも面白い。かなり「密」になってるけど大丈夫かいな。

 道中ではタクシーも使いましたが、かなりの距離を歩きました。帰ってアイホンの万歩計見ると15㎞以上歩いてました。最初の岡峯古墳以外はほとんど興味がなかった私ですが、先生の説明をつらつらと聴くうちに、わが国の歴史の黎明に思いを馳せる古墳探訪の新たな魅力を確かに感じました。来月、同様のツアーを葛城方面で予定しているらしい。この際、もう一度参加してみよかなっと。

 今日から11月。いいお天気の朝です。コロナで巣ごもりはじめてからそろそろ8カ月が経とうとしています。日本はともかく、世界中の第2波の猛威とこれから冬に向かう時候を考えると、来年に延びた東京オリンピックの実施もなんだか厳しいようにも思えてきます。20201016_052156817_iOS.jpg

 そんな中、大人数での宴会は相変わらず封印していますが、いわゆるGo Toキャンペーンで移動が自粛どころか推奨されはじめた社会状況を鑑み、このたび長らくご無沙汰の温泉旅行に出かけ、沈滞する日本経済に活力を与えてきました。

 近場で気楽にということで、岐阜県の養老温泉1泊2日、先月クルマを買い替えたこともあり、慣らしを兼ねて出かけた次第です。

 養老の滝は「日本の滝百選」および「名水百選」に選ばれている名瀑、名水であります。居酒屋チェーンの名前にもなりました。

 有名な伝説があります。親孝行な若者が山で道に迷って滑り落ち、気がつくと滝のほとり。落ちてくる水を飲むとなんとこれがお酒で、持って帰って父親に飲ませることができました。父親曰く「親孝行のご褒美に神様が授けてくださったのだ」この話が奈良の都に伝わり、ときの帝はこの若者にご褒美を遣わし、年号を「養老」にあらためたとさ。めでたしめでたし。

 養老年間は西暦で717年といいますから奈良時代です。透明の、いわゆる清酒が発明されたのは江戸時代の初めやから養老時代の酒は当然「にごり酒」であったわけで、滝の水を飲んでみると酒やったというのは、ちょっと苦しい。

20201016_215706098_iOS.jpg まあ、昔ばなしというのはそんなもんでしょ。現代であればその若者は、その滝一帯の山林の権利を取得し清酒の工場を建設して莫大な富を築いたところ、二代目社長の代になって、なんと清酒が枯れ普通の水に戻ってしまい、一族は衰退、没落へと向かうことになるのでしょう。

 ちなみに透明な酒を発明したのは大坂の鴻池家といわれてます。不良使用人がお店からトンズラする際、旦那に対する腹いせに酒樽の中に火鉢の灰を放り込んで逃げたところ、なんと活性炭効果で酒の濁りが消えて清酒になったと。この発明により鴻池家は巨万の富を築いたとされてますが、これもなんだかホンマかいなって話です。

 さて、温泉は滝のすぐ近くにある宿で、部屋にある温泉露天風呂は温度管理がしっかりしてて、実に快適でした。あいにくの雨空でしたが、雨中の露天風呂というのも情緒があってよろしい。

 GoToトラベルのキャンペーンでは宿泊費が割引かれる上に、「地域共通クーポン券」なるものも貰えて実にお得であります。「滝ビール」なる地ビールをたくさん買い込んで帰りました。

 そして昨日は秋空の下ひさしぶりのゴルフ、奈良市の山奥のコースにでかけました。コロナ自粛の運動不足が少しは解消され、こちらも実にストレス解消となりました。20201030_035211574_iOS.jpg

 ゴルフは今時分の日よりがベストで、もう少し経つと寒さが身に染みてきます。やはり高原は都会より季節がはやく、大阪市内ではまだ緑が残る桜の木も紅葉がすでに終わりかけてます。コースの途中に植えられている満天星躑躅(ドウダンツツジ)の攻撃的な紅葉が見事でした。

 ところで、大阪では今日、例の大阪都構想、2回目の住民投票投開票があります。前回も接戦でしたが、今回は公明党の組織票が賛成に回る一方で、自民党の徹底したネガキャンがどこまで奏功するか、さらに接戦になりそうで実に面白い。

 賛否を聴かれるとわたしは賛成です。住民サービスがどう変わるかが結局は最大の判断基準とされてますが、過去にも書いたようにわたしはもともと住民サービスなんてほとんど受けていないわけで、無いものが増えようが減ろうが自分自身の損得にはまったく関係がありません。滝の水を酒に変えるような大きな変革は期待できないなら、持ち前の本能的なミーハー精神から「大阪都の方がカッコええやん。明治以降連綿と続いてきた地方自治の形をいっぺん変えてみるのもええんちゃう?西にも『都』を構えて東京に対抗するべ」程度のノリなわけです。

 いずれにせよ、大阪府民であっても大阪市民ではないわたしに投票権はなく、前回同様蚊帳の外から静観するしかありません。さあ、どうなることでしょう。

コロナ禍の釣果

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 秋になりました。20200922_211925796_iOS.jpg

 自宅マンションの植え込みに毎年顔を出す黄色い鍾馗水仙、今年は少し遅れたようです。聞けば故郷の下市でもヒガンバナが少し遅れているらしい。なるほど同じ種類なんやなと思います。しかし去年までは1本やったのに今年はなんと3本に増えてます。種の保存と繁栄の実態を見た思いがします。

 さて、先週の連休、久しぶりに釣りに連れてってもらいました。同じ職場のベテラン釣り師と、同じく同僚のごく親しい友人と3人で、淡路島某所の釣りスポットにまだ夜も明けやらぬうちから向かいましたよ。

 私は釣りはまったくの素人、初心者で、いつもこの日帯同したベテランのお師匠さんに教えを請いながらの修行中なのです。コロナ禍の厳戒の中、マスクと日焼け止めの完全武装です。

 紀州釣りという、ヌカ団子の撒餌でエサを包み込み投げこんで釣る手法です。団子を作っては杓(しゃく)に乗せて遠くに向けて「ていっっ!」と投げ込み、エサを盗られて針だけになって、という作業を延々と繰り返していきます。思うように20200920_040725169.jpgアタリが来ない。師匠ともうひとりは実に手慣れたもんで、この日もチヌ(クロダイ)やグレ(メジナ)など大物を次々と釣りあげていきます。やっていることは同じなのに、ウキ下の調整や合わせのタイミングなどやはりベテランと初心者では差が生じるのです。

 夜明けから日没までたっぷり12時間近く釣り続けて、時折師匠の指導を受けながら、小さなサバやベラ、食べられないフグなどがやたらかかる中、なんとか良型のアイゴを1尾上げました(写真)。この日唯一の収穫です。ウレシイ。

 お天気は曇りで現地に着くまでにパラパラと小雨もありましたが、結果的に一日中曇りときどき晴れの絶好のコンディションで、実に楽しめました。20200920_230838586_iOS.jpg

 大きなチヌをはじめとする師匠が釣り上げた多くの釣果をいただき、もうひとりと山分けし持ち帰りました。何という弟子思いの師匠でありましょう。いただいたチヌは〆て血抜きし、ウロコ・内蔵をとるところまでの作業を師匠が現地でやってくれてます。あとは奥さんがサクにさばいて冷蔵庫で寝かし、ウマミが出た3日目にお刺身でいただくという段取りです。同行の二人に感謝しつつ、美味しくいただきました。

 釣れるようになると実に面白い。ただ座っているだけに見えますが、団子を適当な大きさ硬さに握ってエサに巻き付けるのは、延々繰り返すとなかなかしんどい作業です。じょじょに握力が失せていきます。座って団子を遠くに投げる動作も然り。座り続ける姿勢とともに丸一日やってると普段使わない筋肉を使うことで、次の日は全身に痛みと疲労が残ります。それはゴルフの比ではありません。歳とって体力も落ちてるんで、連休で次の日休める日でないとちょっとしんどい。続けてやってると徐々に慣れてくるのでしょうか。

 また行きたいなあ。

伊勢神宮特別参拝

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 今日もいいお天気であります。ブログの更新が済んだら、高校ラグビー大阪府予選の決勝戦3試合を観戦に行ってきます。大阪府は高校ラグビーに関しては全国都道府県の中でも際立ってレベルが高いことから花園の全国大会出場に3校の枠があります。その3地区の決勝戦が今日花園ラグビー場で、せーので一気に実施されます。全国大会決勝戦レベルの熱戦が3試合も観られるお得な日なのです。

 さて、今年の秋は短かった、というより残暑が長く続きました。あっという間にキンモクセイが咲いて散り、木枯らしが吹いて、巷はすっかり冬の佇まいを呈してきました。そんな季節の変わり目、前回エントリーで書いたとおり先週、伊勢神宮の正式参拝に行ってきました。

 お伊勢参りには過去数えきれないくらい行ってて、ブログでも何回かアップしてます。ここ何年かは温泉旅行のついで、または職場の同期会永年勤続ご褒美旅行にかこつけてといった不埒な動機が多かったわけですが、今回は県人会の行事で参拝そのものを目的としたものです。IMG_2872.jpg

 日本晴れのもと大阪をバスで出発。わたしをこの会に引きずり込んだ高校時代からの古い友人とあれやこれやずっと話しているうち、あっという間に伊勢神宮とうちゃく。外宮→内宮のオーソドックスな順番です。

 外宮では各自勝手にお参りし、内宮では特別にお神楽の奉納も鑑賞できました。「神楽殿」というお社で全員整列、畳に座って約30分。足を崩してても痺れてきました。日本人は生活様式の変化に伴い床に直に座ることがほとんどなくなってきており、わたしも例にもれず、これはいささかきつい。すぐ前に座ってた友人は、なんと正座したまま微動だにしません。さすがと思って後で聞くと「ねてた」と。これはこれですごい。

 そして、いよいよ正式参拝へと。正式といっても1年前の大神神社のときのように拝殿の中に入って神職さんがチリはたきの親玉みたいなのを左右に振って、お神酒をいただくというような所作ではなく、参拝の場所が一般の場合からワンレベルアップするだけのお話です。正式参拝というより特別参拝というべきか。

 正殿は4重の玉垣(塀)に囲われてて、通常の参拝は一番外側の塀のみ入れます。今回は、もうひとつだけ塀を抜けて中に入れます。それでも正殿は屋根しか見えません。ほかの人よりすこしだけ神様に近づいてお参りできるというわけです。

 神職さんの先導について、一般人は入れない神域へと入っていきます。こぶし大の玉砂利はすごく歩きにくい。整列して、二礼二拍一礼と。最後の一礼の瞬間、軽く足が攣りました。これはバス降りてからの長距離慣れない玉砂利を革靴で歩いたせいであって、決してお参りに対する神様からのリアクションではありません。正宮では神様へのお願いはしません。ただただありがとうございますという気持ちで祈ります。今日、神様にお参りできる、日本人としてこれ以上の幸せはない、その感謝をひたすら伝えることが神宮参拝なのです。

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 伊勢神宮は、正しくは単に「神宮」といいます。日本中に超たくさんある神社の中でも○○神宮を名乗るのは、明治神宮、熱田神宮、橿原神宮、石上神宮、吉野神宮など30社もありません。歴史があり、格式が高いのです。「大社」という呼称をいただく神社もあります。春日大社、出雲大社など、こちらも30社弱。同様に格式が高いのです。

 それら諸神社のなかで頂点に君臨するキングオブ神社が伊勢神宮です。外宮(正式には豊受大神宮)・内宮(正式には皇大神宮)が「正宮」としてその中心をなし、伊勢地方に点在する別宮、摂社、末社、所管社、合わせて125の神社の総称が「神宮」、いわゆる伊勢神宮なのです。 

 こんなことわたしが知ってるわけないんであって、この日ついて回ってくれたガイドのおじさんの説明の受け売りであります。お参りを無事に終えて、日の丸を高く掲げて進む一行から離れて御朱印をいただきました。

 神道は果たして宗教かということの考察については以前にも書いたので端折りますが、今回の参拝でもやっぱりそう思いました。近年のわが国を取り巻く状況を憂い、国際社会への迎合や邪悪な反日勢力の攻勢に屈して、悠久の古来より受けつがれてきた日本人の日本人たる精神の在り方を変えてしまうことはあってはならない。そんな思いを新たにした、晩秋の楽しい一日でした。

ピース大阪

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 日に日に涼しくなってはいるものの、ポッと蒸し暑い日がもどってきたりで、どうも体調の管理に気を使うこの頃です。

 先日、県人会の社会見学会で「大阪国際平和センター」の見学に行ってまいりました。通称「ピースおおさか」。

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 大阪大空襲をテーマにした展示で、「戦争の記憶を風化させることなく、次の世代に戦争の悲惨さと、平和の大切さを伝えていく」ことを目的とした施設やそうです。戦時下の生活雑貨、当時の実物や復元を展示してます。召集令状、千人針、爆弾の模型、防空壕の実物大復元まであります。

 メインの展示となる、大空襲の様子をジオラマとプロジェクションマッピングで見せる演出はなかなか迫力があり、空襲の怖さをうまく伝えてます。ほかにも戦時下の窮屈で悲惨な市民生活の姿や、関東大震災後東京市を凌ぎ日本最大の人口を擁し「大大阪」といわれた繁栄の時期から、空襲で焼け野原になるまでの悲惨な歴史の様子がじょうずに展示されてて、なかなか見ごたえがありました。

 広島の原爆資料館の大阪版といった施設です。展示の中には、太平洋戦争末期の大阪大空襲の少し前には大阪に「模擬原爆」なるものが落とされて大きな(その後の空襲に比べると小さな)被害がでたそうです。こんなこと知らなんだわ。終戦間近のアメリカは余裕しゃくしゃくやったんや。アメリカにサイパン・グアム取られたあたりでさっさと降参しとけば、沖縄戦も原爆もなかったのにと思うと、日本はどんだけマヌケやったんやと思わずにいられません。アメリカは太平洋戦争が始まるやただちに戦後処理20190904_062341540_iOS.jpgの計画に着手していたわけで、国力の圧倒的な差を度外視した開戦は、今思えば本当に「無謀」の一語に尽きます。歴史にタラレバは禁物ですが、なんともやり切れませんわ。

 この施設の目的は冒頭あったとおり「戦争の悲惨さ」を後世に伝えることです。戦争なんかやったらこんなひどい有様になるねんぞー、だからうかつに戦争なんか始めたらダメよ、というわけです。

 非常によくできてて興味深く見ることができたのですが、なぜかどうも、何とも言えない違和感がある。館内見てまわるうちにそれはどんどん募っていく。さて、これはいったい。

 展示の一角には、なぜ日本が悲惨な戦争に突き進んでいったかを小学生にもわかりやすく説明するビデオが上映されてます。3・15事件、2・26事件など、戦時下のいろんな重要なできごとを説明しますが、その評価、解説がありません。張作霖爆殺事件や盧溝橋事件などについても、侵略のための日本軍の謀略やったという説明はなく、ただこんな事件が起こりましたということだけを淡々と伝えます。「大恐慌からの不況で経済が苦しくなった日本は、大陸に活路を見出しました」まるでそれが当たり前の自然現象のように。

 つまり、そこに、侵略された大陸や朝鮮半島の被害者の視点がまったく反映されていないのです。それが違和感の正体でした。大陸に活路を見出したのはもっぱら日本の理屈で、見出された方はたまったもんではありません。侵略はやってはいけないことだったという視点、反省がここには展示されていません。「ここはそういう趣旨の施設ではない」と言われればそれまでですが、戦争の悲惨さを伝えるのが目的ならば、かつて日本の軍国主義が大陸のひとびとにどんな非人道的な行為を行ったかを合わせて伝えなければ片手落ちでは、という話です。20190904_055430995_iOS.jpg

 思うに、ピース大阪にせよ原爆資料館にせよ、同じ趣旨の記念館を建てるのはすべて被害者です。「こんなに被害を被った」ことを中心に訴える施設なのです。加害者は作りません。アメリカ国内で原爆被害者の写真展やろうとすると退役軍人会などから嫌がらせがあり実現しません。日本で南京虐殺展をやろうとするとおそらく右翼団体の妨害があるでしょう。どっちも、後ろ暗いところがあるからです。

 かといって、中国の南京虐殺記念館や韓国の独立記念館なんてのは、誇張した煽情的な展示で加害者に対する憎悪の念を極限まで引き出す、反日教育施設に過ぎません。こんなのはやりすぎです。

 ピース大阪ではさすがに、大阪大空襲という虐殺事件での米軍の蛮行を糾弾するなどという、不毛な趣旨は前面に出してはいません。あくまで平和を希求することが目的の展示だからです。このあたりは中国や朝鮮ではなくて良識ある日本の仕事やと思います。

 であるなら、単に被害者目線一辺倒ではなく、日本の軍国主義によって、大阪市民以上に悲惨な目にあったひとびとが世界中にいたことをもう少し展示に反映してほしいところです。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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