「大東亜戦争」その後

| コメント(0) | トラックバック(0)

 大東亜戦争の呼称騒動、朝日新聞がさらに後追いしてるので、もう少し続けます。

 先週朝日は、今回の騒動を総括するかのように「大東亜戦争呼称から見えるもの」と題した記事を掲載しました。結論として朝日が言いたいことは、
①今回の自衛隊のX(旧ツイッター)投稿はけしからん。批判すべきだ。
②しかし、その批判で終わりにするのではなく自衛隊と市民社会の分断を深めてはならない。
ということです。もうね、あまりにもピントが外れてると言えます。

20240424_143103472_iOS.jpg そもそも、大東亜戦争という呼称を公に使うことがなぜ批判されるのかには触れずに、批判されて当然ということを前提として、「大東亜戦争」を用いることは「戦争の反省の上に成り立つ戦後社会を認めたくないという一つの立場表明」であり、また「思慮なく使われてしまったのは非常に残念」と勝手なことを綴ってます。

 自衛隊が朝日の言いがかりに屈してすぐに投稿を修正したことで、朝日は鬼の首を取ったとアピールしたいのやろけど、その一方で、名称として太平洋戦争が正式名称と認知されているわけでもなく異論も多々あることは認めています。

 そして「議論の積み重ねを踏まえた上で主体的に『大東亜戦争』を選び取ったなら意見のやりとりもできる」とも書いています。しかし、これは「太平洋戦争」にも同様のことは言えるわけです。「太平洋戦争」を使う人たちも、使用に至る議論の積み重ねを踏まえているわけではありません。異論を無視して使ってるのです。

 にもかかわらず「大東亜戦争」の呼称のみを目の敵とし、何度も紙面をさいてヒステリックに糾弾することに正義はあるのかと問いたい。

 また、今回自衛隊が「大東亜戦争」を用いて投稿した背景には「自衛隊には国や社会の守り手としての役割を受け継ぐ自意識がある」そして、職務遂行中に命を落とす自衛隊員を弔うことは戦没者を弔う思いと同根だ、としてます。つまり、自衛隊は、戦没者を追悼したいから太平洋戦争ではダメで大東亜戦争と言うたんやと朝日は決めつけています。戦没者は「太平洋戦争?なにそれ?われわれは大東亜戦争に従軍したんやから、大東亜戦争の英霊として祀ってほしい。」英霊はそう思ってるはず。だから今回、自衛隊は大東亜戦争の呼称を使った。すなわち、自衛隊は旧日本軍の延長と自ら認識していることになる。だからけしからんというわけです。

 まあ、なんというひねくれた曲解であることよ。誰もそんなつもりで「大東亜戦争」と称しているのではありませんよって話です。

 大事なことなんで繰り返し言いますよ。国が先の戦争の呼称を正式に決めているのであったなら、それ以外の名前で呼ぶことははっきり間違いと言えます。しかし、実際はそんなことは決まっていない。むしろ「大東亜戦争」は「太平洋戦争」なんかより地勢的にも適正で、戦争の意図や性質、意味合いを科学的に正しく表現しています。戦前の皇国史観への思慕であったり、戦後民主主義を否定する意図でもって「大東亜戦争」と言ってるわけでは全くないのです。

 朝日は、「自衛隊と市民社会の分断を深めてはならない。」などと、いけしゃあしゃあと書いてますが、日本の市民社会と自衛隊の分断を進めているのは、朝日新聞に他ならないのです。

トラックバック(0)

トラックバックURL: https://corridor0108.main.jp/mt/mt-tb.cgi/3514

コメントする

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ