お出かけの記録の最近のブログ記事

 リニア中央新幹線について、かつてわたしは「成功するとは思わん」とネガティブなことを書きました。しかし、いつも言ってますようにわたしは何かにつけ批判するときはボロクソに言いますが、その批判精神をはるかに上回るミーハー性を自認しているのであって、「ふーん、リニア乗せてやろと思たけど、そんなこと言うんならやめた」とか言われたら「ちょ、ちょっと待って。リニア賛成です!」なんててのひら返しを平気でやってみたりするわけです。
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 試乗の抽選が始まった最初の年から応募し続けて幾星霜。ようやく競争倍率も落ちてきたと見えてこのたびめでたく当選しました。で先週、早めの夏期休暇をいただき、「JR東海 平成30年第2回超電導リニア体験乗車」行ってまいりました。今回はその総力レポートです。

 リニア中央新幹線は東京-名古屋間が2027年開業、大阪延伸は早くてその20年後といいますから、大阪まで来るのを待ってたら多分私は間に合わないでしょう。若い世代の人たちは営業運転始まってから乗ればいいのであって、つまりこの試乗のイベントはわれわれ熟年世代のためにあるのです。イベント期間が年間3回あって、それぞれ募集があります。今年2回目の今回は7月から8月にかけて10日間ほど行われます。1回に最大150人が乗れて1日6便運行されるんで、単純に数えたら延べ9,000人ほどが乗れることになります。 

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 試乗には料金がいります。1区画(2人)4,320円と結構なお値段ですが、もちろん最先端技術の先取り代としては全く高いとは思いませんし。

 さて、実験場はとんでもない田舎にあってアクセスがよくありません。試乗会が開催される日には最寄のJR中央線大月駅から臨時バスも出るそうですが、わたしはせっかくなので富士山ろくでの温泉宿など事後の移動も視野に入れ、大月駅からレンタカーにしました。実験場のそばには広大な駐車場があります。

 大阪から新幹線、新横浜から横浜線快速、八王子から特急「かいじ」を乗り継いで大月に着いたのがお昼12時半頃。食事を済ませ車借りて走り始めたら10分ほどで実験場とうちゃく。近かっ。

 開門時間まで待ってると、係の人が記念撮影してくれました。毎回大量の乗客を相手にしてるからか、もう慣れたもんです。こんなサービスも料金のうちということか。20180801_045609459_iOS.jpg 搭乗チケットを発券します。手荷物検査と金属探知ゲートがあったりで、このあたりは飛行機の搭乗口にそっくりです。なるほど、最先端技術の結晶である車両や設備はテロの標的となる恐れもあります。しかし、営業運転始まってからもこんなことやるのでしょうか。これは難しいところです。テロは怖いけど、せっかくの飛行機に代わる大量輸送手段の機動性が損なわれてしまいます。おそらく実際には手荷物検査などなくて、新幹線と同じようにもっと簡単に乗れるようになるのでしょう。

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 搭乗前に乗客全員が一部屋に集合してじゃっかんのガイダンスがあり、5分ほどのプロモーションビデオを観ました。残念ながら撮影・録音禁止でしたが、リニアの見どころ、魅力をうまく編集しててなかなか楽しめました。

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 さて、いよいよ乗車というか搭乗というか、乗り込むわけですよ。このあたりもうワクワクがピークで、興奮して鼻血出そうです。20180801_053050922_iOS.jpg

 指定の席に座ってすぐに走り出しました。知らなかったんですけど超伝導リニアは、発車のときと止まる直前はゴムのタイヤで走ります。速度が増すことでリニアモーターに誘導電流が流れて揚力と推進力が生じるのです。浮上走行に移行してタイヤが格納された瞬間にガクンと振動が無くなるのは飛行機の離陸の時の感覚に似ています。

 実験線は全長42.8kmあり、試乗はこの区間を約2往復とちょっと行ったりきたりします。ほとんどがトンネルの中で小さな窓の外はほぼ何も見えないので、前方のモニターに映る映像で確認します。走り始めて1回目の折り返しの後ずんずん加速し、とうとう夢の時速500km超えの表示が。人類の叡智を体感した感動の瞬間です。20180801_072452801_iOS.jpg

 実験線を往復する中で何度か500km走行があったのち、乗降地点に戻ってきて車両は停車しました。しばし放心の時間を経て、案内に従って降車しました。

 試乗体験はこれで終了。実験場出てからすぐそばの「リニア見学センター」に寄ってから、駐車場に戻りクルマに乗り込みました。

 同行した奥さん「運転席も見たかった」「運転手さんはいないのだよ。すべて指令センターから遠隔操作で動くのだ」「そんなん、何かあったらどうすんのよ!」

 もちろん「何か」なんて無いし、まんいちあったとしたら運転手さんがいてどうなるもんでもありません。われわれ昭和の人間には感覚的に理解が追い付かないレベルの超絶科学技術の余韻にひたりつつ、富士山の大きなシルエットを正面に眺め、小さなレンタカーは河口湖畔の今宵の宿に向かって走りだしたのであった。

 ちょっと事情がありまして、力仕事をしてまいりました。

 さきの西日本豪雨で土砂崩れの膨大な泥がキャンパスに流れ込み、未曾有の被害を受けた大学でその泥を運び出す作業を応援に今日行ってまいりまして、今時分のブログ更新となった次第です。20180715_011330971_iOS.jpg

 この、山から流れ落ちてきた土砂というのが実にくせ者で、「真砂土」という、粒子がとても細かくて土木工事や園芸で使うのには非常に適した粘土質の土なんですが、望まないカタチで堆積してしまうと何とも厄介なのです。重くて、乾くとまるでレンガを重ねたように硬く固まってしまいます。スコップで掘り返すのは相当な重労働なのです。

 もちろん土砂撤去の主たる作業は大型の重機でガガガッとやってしまうのですが、細かな部分はどうしても人の手でやる必要があります。写真のような駐車場のブロックの隅なんかは遺跡発掘よろしくシャベルでちまちまとやるわけです。

 ところで、この「スコップ」と「シャベル」どっちがどうよということは長年の論争を経て決着がついていません。邪馬台国みたいなもんです。ググってみると公式なJIS規格では、足をかける部分があるものを「シャベル(ショベル)」、ないものを「スコップ」というそうでどっちも大きいのんを指すそうです。で、片手で持って使う例の小さいやつは「移植ゴテ」というそうです。へー、そうなんや知らんかった。けど、関東と関西では大小の呼び名が逆とかも言われてますし、わたしはというとこれまで「スコップの大きいやつ」と「小さいやつ」で意思疎通を図ってきました。「移植ゴテ」なんて聞いたことない。専門的な医療器具かと思てまうわ。img_0-min-1.jpg

 さて、普段力仕事などまったくしない上に気温が体温を上回る記録的な猛暑の中ということもあり、終わったあとは文字通りヘロヘロんなってしまいました。

 おびただしい量の土砂を押し流し人の生活を破壊するのも自然の営みならば、それを跳ね返す意欲と智力と体力を人に与えたのもまた自然の意思やということは、考えてみればおもしろい。さらに、ガテン系のお兄さんたちはこんなことを毎日やったはるわけで、わたしといえども慣れれば連日でできるように...ならんやろなぁ。

ひさしぶりの楽聖

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20180407_040356841_iOS.jpg 昨日、今シーズン初めての甲子園球場に行ってきたものの、宿敵ジャイアンツ相手に1点も取れずいいところなしで負けてしまったようなわけで、何故にお金払ってストレスだけ背負いこんでこなければならないのかと、全く憤懣やるかたない切ない週末であります。トホホ...

 さてここしばらく国会や反体制マスコミへの憤懣ばっかし書いてましたので、すこし心安らいだことを記してみます。年度初めの喧騒の中、忙中閑の憩いを求めて、ひさしぶりにベートーベンのダイナミックな音楽を聴きたいということで先日演奏会行ってきました。交響曲第5番ハ短調、日本では「運命」と呼ばれてます。それとピアノコンチェルト第5番「皇帝」の二本立て。いずれもポピュラーな曲目で気軽に楽しめる公演です。

 コンチェルトのピアノ、清水和音さんは生で聴くの初めてです。「彗星のごとくデビュー!」と騒がれたのは私が学生の頃で30年以上も昔のこと、クラシックの演奏家なんてまったく気にもしなかったのに、当時購読してた「FMレコパル」や「FM-fan」でその名前を最初に知って、「ああ、ご両親とも音楽家で、生まれたときすでにして演奏家になることを運命づけられてたんやなぁ、かわいそうに」と思ったことから覚えてました。この日ご本人を初めて見て、記憶にある写真とずいぶん違うことに気づき、「なるほど、やっぱりすべての人間は太るようにできてるんやな」と納得した次第です。

20180422_012630571_iOS.jpg ベートーベンの「皇帝」というと交響曲第3番「英雄(エロイカ)」を連想させます。エロイカの方はベートーベンが心酔していたナポレオンに献上するために作曲されたところ、ナポレオンが皇帝に即位したことに腹を立てたベートーベンが「俗物め」と楽譜に書いた献辞を破り捨てたというエピソードが有名です。一方コンチェルトの「皇帝」の方はナポレオンとは関係なくて、その壮大な雰囲気から後世の人がそう呼んだのが定着したらしい。そういえばベートーベンの9つの交響曲にしても自分でつけた名前は6番の「田園」だけやそうです。あとの3番「英雄」5番「運命」9番「合唱付」はのちの世の人が勝手にそう呼んだだけやとか。なんだかありそうな話。

 さて、この日の演奏、例によって素人の私にその出来栄えなど細かいことはおよそ分かりませんが、力強くて時に繊細で素晴らしい演奏やと思いました。素直に人類の至宝ともいうべき「楽聖」ベートーベンの音楽を、プロの大迫力の生演奏で聴いて陶酔のひとときを楽しんだという次第です。

印象操作再び

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P4087046.jpg 恒例の「京文化研究会」今年も行ってきました。これまでも春になると繰り返し書いてきましたが、かつて京都在勤であった友人の計らいで行われる、芸妓さんつきの宴会です。

 今年は桜が早く散ってしまって、祇園円山公園をはじめ数ある京都の桜の名所を楽しんでというわけにはいきませんでした。木屋町通の川辺にわずかに残った桜に外国人が大挙群がっていました。なに、花があろうとなかろうとわれわれの目的は宴会と芸妓であってなんら支障はありません。ふだんあまり会うこともない友人たちとの、いつもながらの楽しいひとときでありました。

 さて、相変わらず国会が騒々しい。

 森友で財務省の書類改変スクープが出て「やたー!これで安倍政権も終わりや!」と意気込んだ野党、マスコミでしたが、佐川前理財局長の証人喚問やったところ思ったような効果もなくて、世論ももういい加減飽きてきて「モリ・カケ、もうええよ」感が漂ってきました。そこで焦ったマスコミが「モリがダメならもいっかいカケでいこう」というわけで「首相案件」の大合唱が始まってます。

maiko.jpg 加計学園の経済特区申請に際して首相秘書官が愛媛県の担当者に対して「これは首相案件」と発言しましたと。はて?

 経済特区の話ですから、はじめから首相案件に決まってます。安倍首相が中心となって、既存の権益を排除し自由で活発な経済活動を創設・支援するため岩盤規制を突破する画期的な政策が経済特区です。「首相案件ですよ。それが何か?」という感じですが、朝日新聞をはじめとする反政権勢力は何かそれがいかがわしいことのように大見出しを打って印象操作を行っているのです。テレビにしても、朝日新聞の劣化コピーのようなテレビ朝日「報道ステーション」のこのはしゃぎっぶりをご覧ください。嬉々としてセット設えたんでしょうね。バカかと。

 朝日は社説で「真相解明に後ろ向きな政権の姿勢が、事態の混迷を招いている」としてますが、そうではない。事態の混迷はひとえにマスコミの不適切な印象操作とその尻馬に乗った野党の無用のドタバタの結果です。森友にしても加計にしてもまったく問題がない、またはあっても騒ぐ必要もない些末な事柄をさも世紀の大スキャンダルのように騒ぎ立てて政権攻撃の材料に仮装しているわけです。やりかたが実に下品でみっともない。情けない。housute.jpg

 野党も実はそのへん分かってて、安倍さんのクビが取れるなんて、これっぽっちも考えてません。それより後半国会もモリ・カケで時間を使い果たして、他の重要法案は成立させないという魂胆なんでしょう。正々堂々と論戦を挑んだら総理にはとても敵わないから、審議すべき案件とは関係の無い話でお茶を濁してしまおうと。こちらもまあ情けない話であって、こんな野党の国会議員たちにも血税から歳費が与えられていることを思うにつれ暗澹たる気分になります。

 私は別に安倍さんの支持者でもなければ、自民党を積極的に支持するつもりもありません。しかし、本来国会で行うべき審議、論戦に真剣に取り組まず、政敵の揚げ足取りだけに腐心するクソッタレ野党の姿を見せつけられるにつれて、もうほんまにええかげんにしろよという思いが募ってきてるわけです。同じ思いの国民は多いのではないでしょうか。

 少しずつ暖かくなってきてんのかいなと思てたら爆弾低気圧が北日本を通過し、数十年ぶりの猛吹雪に見舞われたのが先週のこと。うって変わって今日はずいぶんと暖かくなりました。ところが今週はまた寒くなるとかで、三寒四温の時期を経て本格的な春の訪れはもう少し先のようです。

20180304_015744606_iOS.jpg さて、大阪市は今、2025年の万国博覧会の開催地招致活動を進めています。それに関連して、「2025万博『大阪・関西に来てや!』プロジェクト in 千林商店街」という企画が昨日ありまして、これに参加してまいりました。大阪商工会議所と千林商店街の共催です。

 オリンピックの開催都市を国際オリンピック委員会が決定するように、万博を「次、どこでやろっかな~」と決めるのは博覧会国際事務局(BIE)という団体やそうです。パリに本部があるとかで、このBIEが今回の候補地の視察のため大阪に来るってことになってて、そのタイミングに合わせてイベントを開催し、「大阪、こんなに盛り上がってまっせ~!」をアピールするために、昨日のイベントは行われたのです。

 2025年の万博には大阪のほかロシアのエカテリンブルグとアゼルバイジャンのバクーが立候補してます。バクーは大きな油田があることを高校時代に習いました。実はフランスのパリも手を上げてたんですが、懐具合が厳しいとかで先日立候補を取り下げました。パリは2020年東京五輪の次、2024年のオリンピック開催が決まってるんでまあ、確かに2年続けてはしんどいのかと思います。これで大阪の当選確率がグッと上がりました。

 さて、イベントは決起集会に続いてマーチングバンドのパレードが商店街を進み、誘致ムードというよりお祭りムードがいやがうえにもは盛り上がり、想定通りの効果があったように思います。同時に100円均一の商品をたくさん特売する「100円商店街」などの企画も実施しました。商店街としては、7年先の万博による経済効果もさることながら、今日の盛り上がりで商売繁盛をという思惑です。大変な人出でみなさんホクホクでした。20180304_025540528_iOS.jpg

 このパレードでは、1970年の大阪万博の際にパビリオンのコンパニオン(当時は「ホステス」と呼んでました)が実際に着ていたコスチュームを着たモデルたちも行進しました。レプリカではなく実物やそうです。公式な保存資料ではなく、ある万博グッズコレクターが保存していた逸品なのですが、よくまあ残ってたと思います。この方、全部で40着ほど所持しているそうです。スゴ。

 前回の大阪万博といえば、48年前ですからリアルタイムで知ってる人は50代後半以上の熟年層だけということになります。わたし8歳、小学校3年生のときでした。行きましたよ、母に連れられて。阪急電車が千里丘陵の万博会場に近づくにつれて車窓に現れた巨大なパビリオン群を目の当りにし、胸ときめいたものです。開場内そこここで見かけた当時珍しかった外国人の姿、アメリカ館、ソ連館入場待ちの長蛇の列。今でも鮮明に覚えています。最近は新しいことを全然覚えないのに、やはり幼き日々の記憶はすごいと思います。

 昨日、会場での主催者あいさつにもあったのですが、70年の大阪万博の頃わが国は高度経済成長の真っただ中、日本中にワクワク感が満ち溢れてとてつもなく元気な時代でした。インターネットもスマホもない時代を国民みなが何らの不自由を感じずに、決して豊かではないけど充実した日々を送っていたのです。そんな頃に、素晴らしい未来の生活を彷彿させるEXPO'70という実にタイムリーな、それも世界規模の大イベントが絶妙のタイミングで開催されたことになります。当然のように日本中の人が万博会場にわれもわれもと押し寄せ、結果的に半年間の会期でのべ入場者数実に6,400万人という、日本史上空前にして絶後のイベントとなったのです。20180304_025614582_iOS.jpg

 その後もわが国は1985年つくば科学万博、1990年大阪花と緑博、2005年愛知万博と国際博覧会を経験してきました。どれもそれなりに盛り上がって成功裡に終わってはいるものの、やはりそのインパクトにおいて「1970年のコンニチワ」には比べるべくもありません。

 仮に2025年、首尾よく大阪開催に決まったとして、「連れてって~」とせがむ子供たちの数が70年当時の半分以下に減っており、また今や娯楽の選択肢も当時の比ではないので、再び日本国民の半数以上が会場に足を運ぶような事態にはならないとは思います。しかし、あの元気がよかった70年代の社会に満ち溢れた高揚感が得られるとするならば、今の日本の閉そく感を打ち破ってくれる期待もまた大きいのです。

「東京でオリンピック、大阪で万博」の夢よ再び。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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