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オペラでくらくら

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 オペラ鑑賞してきました。

 ハンガリー国立歌劇場の日本公演。この劇場と管弦楽団、ウィーン国立歌劇場と並んでハプスブルグ帝国の2大劇場というよくわからないふれ込みですが、まあ、伝統がある一流どころということは間違いないやろってことで、とっても興味がわいて行ってみた次第です。

 声楽のコンサートで「歌劇○○より、アリアなんとか」なんてのはたまに聴く機会ありましたが、ホンマもんのオペラをフルで聴いたのはたぶんはじめての経験でした。

 結果、実によかった。感動しました。また行きたい。

FIGARO.jpg 会場は最近リピーターみたいになってるおなじみのフェスティバルホールです。バルコニーBOX席というのんがあって、巨大なホール空間の両側の壁にツバメの巣みたいにせり出した座席がいくつか張り付いてます。以前の何かのコンサートのときに珍しさから買ってみたところ、なかなか具合がよろしかったんで今回の観劇もこれにしたという次第です。二人席で小さいながらいわば個室みたいな作りです。両側の人に気を遣う必要がない。座席後ろにスペースがあって荷物が置いとける。演奏中でも行こうと思えばトイレにも立てる。そんなもったいないことしませんけど。

 ところで、この席、何とも高い。お値段のことではなく、位置の高さがとてつもなく高い。見下ろすとクラクラします。高所恐怖症の人は多分ムリでしょう。そいや電話で予約するとき「かなりの高さがありますが大丈夫ですか」という意味のことを聞かれました。しかし、上演中はもちろんステージに注目で下なんか見ないし、慣れるとどおってことなくなりました。

 演目はモーツァルトの「フィガロの結婚」です。数あるオペラの中でも実にメジャーで明快なやつです。しかし、なんせ日本でいえば歌舞伎なみのいわば伝統芸能で、しかも通しで聴くのは初めてです。きちんと理解できるやろかということで、事前にDVD買ってきて勉強してから行きました。

 ストーリーは簡単やしもちろん日本語の字幕も出るのですが、それでも事前にストーリー知っていないと、まず理解できないと思います。簡単と書きましたが、ストーリーだけやと全く値打ちがない。何それ?という感じ。およそありえない展開で、登場人物はみんなアホばっかし。吉本新喜劇でもこんなコテコテの筋はやらんやろと突っ込みたくなります。

 しかし、しかし、単なる演劇やミュージカルとは違ってすべてのセリフが「歌唱」で表現されます。この点は、独特の言い回しで話を進めていく歌舞伎によく似ています。そしてその歌唱力がなんともすさまじい超絶技巧なのです。劇中の場面場面を切り取った単品のナンバーが声楽のコンサートで歌われるなど、ひとつの声楽曲としても完成されています。MOZART.jpg

 開演後開口一番、男性歌手が歌い始めたとき、あれ、ヘッドセットマイクつけてるのかなと思いました。アーティストがダンスとかミュージカルでステージで動きながら歌うときに着けるアレです。しかしオペラグラスで見ても歌手の顔にはそれらしき様子はない。しばらく聞いていくうちに、この歌声は拡声されていないまったくの地声であると分かりました。凄い。声量とホールの音響効果によってマイクなしでもこれだけのパフォーマンスが発揮されるのです。オペラ凄い。
 

 話が進むにつれて主人公フィガロが幼少の頃に分かれた両親と再開する場面があります。あまりにもできすぎててそんなアホなと、違う意味で笑わせるところなんですが、ここでヒロインのアリアの歌詞に日本語の「お母さん」と「お父さん」が出てきたり、訳詞に「援助交際」なんて単語使ってたり、この公演向けの演出サービス凝ってて場内大いにうけてました。

 現代人を熱狂させるアイドルやバンドなんかもそれなりに価値があるからこそ人はお金払ってライブに行くしCDも買ったりするのであって、人々の心を癒しているのですからそれはそれで大いに結構なことです。しかし、今、テレビや街角で流れているナンバーのうち、100年後、200年後にもコンスタントに演奏されるものが果たしてどれだけあるでしょうか。前に歌舞伎行ったときにも書きましたが、本当に価値があるものは誰に保護されるわけでもなく自然に残っていくのです。本当の本物の凄さです。

 ひとつひとつのアリアや重唱、合唱曲がおよそ人間に可能な技量の最高域に達しています。完成された芸術の凄さを堪能しました。モーツアルトは、その他多くのクラシック音楽とともにこの世界がある限り人類の財産として受け継がれていくことでしょう。

いい音求めて

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 デジモノをひとつ買いました。今日はそのご紹介を。

 レコードプレーヤーを買ったことは以前にも書きました。

 実は、買ったはええけどあまり使ってません。聞きたいレコードがあるから買ったわけなのですが、いざ聞くとなると、レコード盤をジャケットから取り出し、スプレーをシュッシュしてクリーナーで埃をふき取り、プレーヤーのターンテーブルにセットしいざスイッチオン。ここまでかなりの手間がかかります。しかもレコードはCDよりもはるかにでっかくてしかもデリケートで、傷つけないように、ホコリや指紋付けないようにとなかなか気をつかいます。多聞にもれず昔はあたりまえやったことが、現代の便利な暮らしに慣れた身には微妙にストレスとなるのです。

IMG_3833.jpg んで、結局その手間が煩わしくて、「あのレコード聞きたいけど、めんどっちいから今はこっちのCDにしとこ」となってしまう。もちろん、どうしても聴きたい場合は手間を厭わず作業をこなすのですが、単にBGMで鳴らしたろという場合には、敬遠する傾向がでてきました。

 せっかくレコードプレーヤー買ったのに、これではもったいない。ということで、昔のレコードライブラリをデジタル化してパソコンに収納することにしました。そうすればいつでも手間かけず気軽に鳴らせる。しかもステレオコンポにつなげればさらにいい音で楽しめるやん、という欲求に基づいた今回の試みです。

 現状の環境でも、レコードをデジタルデータ化できないことはありません。プレーヤーをCDデッキ(以前、カセットテープをCD化するドタバタで買ったやつ。)に直結して、MP3形式のデジタルデータに変換し、USB端末に録音してパソコンに移動と。つまり、相当にめんどくさい。残ってるレコード、減ったといっても100枚以上あるし、この先もう聴くことないやろなぁと思うのもあるけど、縁あってわたしの手元にきた曲たちなんでやっぱり一緒に保存してあげたい。IMG_3832.jpg

 で、録音するのにレコードを実際に再生する時間は短縮できないけど、その他の作業をできるだけ省きたい。そのための道具を買ってきたわけです。パソコンの周辺機器のジャンルとしては「USBオーディオインターフェース」ということになるそうです。つまりはパソコンやスマホ、タブレットの音声を操作するための総合端末装置とでもいうのか、アナログ音声をデジ化して編集したり、デジタル信号をよりよい音で出力したりするための道具です。マイクもつながります。使わないけど。「Sound Blaster Digital Music Premium HD R2」という機種、 お値段1万円弱。

 アンプのないスピーカーに直結することもできるようですが、そこやはりアンプ介した方がええ音になるやろということで、さっそくコンポとパソコンつなげて、パソコンに保存してる曲を再生してみました。

 をを! (^^)v ~♫

 確かに音がいい。コンポはMP3データ入ったUSBメモリを刺しても再生できるのですが、それよりも音がいいような気がする。しかもパソコンから直接操作できるので、聞きたい曲をすぐ再生できる。これは大きなメリットです。選曲の操作性は、コンポステレオとパソコン画面では雲泥の差があります。

 なんとも音がいい。カセットテープから録音したデータもすぐに再生できます。これはもとの音源がテープなので音質はそれなりなのですが、そんな曲も含めて「あれ聞きたいな」と思いついたらその数秒後には部屋にその曲を流すことができます。それもわが家の環境で考えうる、最高の音質で。

 さらに、レコードプレーヤーもパソコンに直結できます。USBメモリを介して移動する手間が消えました。付属のソフトにはノイズの除去などデジ化に役立つ機能も豊富です。

 なんとも便利な世の中になったものです。今後ミュージックソフトに関しては、CDの販売数は落ちる一方でしょう。ネットでダウンロード購入してすぐに再生できます。買いに出かけなくても思い立ったらすぐに手に入る。電子信号だけやから場所をとらない。過剰包装もなくてエコ。パッケージのCD買うのはAKB48総選挙の投票券が入ってる場合だけになるのではないでしょうか。ならば投票券だけ販売すればさらにエコでいいのにとか思います。ダウンロード件数は販売枚数にカウントできないのでしょうか。

 話、それました。これからはレコード再生して、パソコンに取り込んでいくお仕事ができました。そのうち飽きてしまうかもですが、レコード1枚1枚にしみ込んだ思い出を反芻しながら、少しずつ楽しんでいくことにしましょう。

 2週連続のフェスティバル・ホール、後半のお話です。

 イングリット・フジコ・ヘミングとスロバキア国立放送交響楽団の競演で、演目が豪華。ベートーベンのP.コンチェルト「皇帝」、ドボルザークの交響曲「新世界より」、スメタナ「モルダウ」と超ポピュラーなラインナップでした。

 フジコ・ヘミングは、その波乱万丈でドラマチックな人生がテレビドラマにもなったりで、ファンが多く人気のあるピアニストです。

 スウェーデンと日本の混血で戦中からピアノの天才少女として注目されたものの、一時聴力を失いIMG_3159.jpg今でも完全に治ってはいないらしい。また、昔、日本国籍をとりそこねて留学できなかったこととか(難民として渡欧)、スウェーデンではピアノ教師の他に病院の掃除をして生活費を得てたこととか、動物愛護家で数十匹の犬・猫と暮らしてるとか(猫を養うためにピアノを弾いていると話したことがある)、奇抜なエピソードに溢れた人です。

 1999年にNHKのドキュメント番組で取り上げられたことがきっかけで日本でもブレイクし、CD売れるわ、リサイタル大入りやわ、今や確固たるブランドを確立しました。

 この日、いつもながらの独特のフジコ流ファッションのステージ衣装で登場。かつて浮浪者と間違えられたというのもわかります。これは街を歩ける衣装ではないし、フジコ以外でしたらステージで着ようとはまず考えないでしょう。オペラグラスでよく見るとモサッとした真っ黒い上っ張りの下に見えている朱色の下地部分は松竹梅の柄でした。多分、着物の生地をじぶんでアレンジ(というのか)して作ったんでしょう。

 演奏は素晴らしかった。コンチェルトは独特のテンポ感でフジコが自由に弾いて、オーケストラが何とかついていっているという感じ。さすが一流の指揮者とオケ。引きずられながらもピアノをよく盛り上げていると思いました。フジコの原点、代名詞ともなった「ラ・カンパネルラ」はさすがに圧巻の迫力でした。CDとはいくぶん違うように思いましたが、きっと進化してるんでしょう。

 演奏終了後、フェスティバルタワーの中にあるヱビスのビアレストランでコンサートの余韻に浸りながら一杯引っかけて、気分よく帰ることができました。

 フジコの演奏について、評論家やなんかから悪口を聞くことがあります。曰く、テクニックはないだのミスタッチが多いだの。また、フジコの演奏に感動する連中は、音楽そのものではなく、その人となりや伝えられるドラマに魅せられているだけや、というものです。音楽のなんたるかも分からないくせに、ミーハーはこれだから困る、というわけです。こんな評論家さんたちにかかると、国際ピアノ・コンクールで優勝し感動をよんだ、かの全盲のピアニスト辻井伸行にしても「全盲なので話題になったが、演奏家としてはまだまだ大したことない」ということになるみたいです。

FUJIKO.jpg わたしはもちろん音楽の専門家ではないし熱心なクラシック音楽マニアというわけでもなく、ただの音楽好きに過ぎません。したがって、ピアノの演奏を聴いてどこがミスタッチしたのかなんて知るよしもないし、素直にこの日のフジコの演奏は情熱的で素晴らしいと感じました。

 人それぞれ感じ方があっていいとは思いますが、コンクールでの審査ではないのですから、採点するかのごとく演奏のアラさがしをするような批評・批判はやめてほしいもんです。フジコの生きざま、人となりといった背景をも含めて音楽を感じ、素朴に感動するという聞き方があってもええやないですか。ミーハー上等ですよ。生涯素直なミーハーでいようと思います。

 わが家で探してみると、フジコのCD1枚だけありました。もっとも有名なアルバムのひとつ「憂愁のノクターン」、ノクターンやラ・カンパネルラをはじめ、誰でも知ってる有名な曲を集めたお得盤です。いつもブログ更新の朝はアップテンポなポップスを鳴らすのですが、今日は先日の感動を思い起こしつつフジコのピアノで癒されてます。

 今年もあと半月あまりとなってきました。

 スケジュールは公私ともビッシリです。師走の忙しさはいつものことですが、今年はなんだかいちだんとヒドい。どっかで段取りが狂ってるみたいですが、仕方がない。すべて自分でまいた種です。忙しい忙しいといいながら昨日、今日と一泊忘年会兼ねてのゴルフ合宿に出かけて先ほど帰ってきたというようなわけで、今時分のブログ更新となりました。

 出発前は「寒気が南下して西日本でも山間部は積雪が見込まれる」と絶望的な天気予報でした。もし雪でクローズになったら、遠い岡山県北部のコースまででかけて、宴会だけやって帰ってくる羽目になるところでした。車にタイヤチェーン積み込んで祈るような気持ちで出かけましたよ。ところが、さすがに気温低く風強く今年初めて経験する壮絶な寒さではあったものの、雪は我慢してくれました。2日目の今日に至っては寒さもじゃっかん弛み風もなく、それなりに楽しめたゴルフでした。

 さてコンサートの話ですが、どうも演奏会に出かける機会は毎回2回ずつセットで巡ってくるみたいで、今回も2週続きました。geidai.jpg

 いずれも大阪中之島のフェスティバルホールで、先週は大阪芸術大学の特別演奏会にご招待いただき、今週はフジコ・ヘミングとスロバキア放送交響楽団の共演、こちらは早くからチケット買って楽しみにしてた公演です。

 フェスティバルホールは、ちょうど2年前の杮落とし以来、行ってみたいと思いながらなかなか果たせずにいたところ、はからずも2週連チャンとなったわけで、何ともタイミングが合えばこんなもんです。

 いっしょに行ったうちの奥さんは、以前にフェス一度来たことがあるんです。STAP芸人の小保方さんとならんで、ある意味今年の顔となった佐村河内守のシンフォニー「HIROSHIMA 」の演奏会です。私も一緒に来るはずが、仕事が入ってやむなく断念したのでした。その時はのちにあんなドラマチックな展開になるなんて、思いだにしませんでしたが(^^)。

 さて芸大の演奏会。演目はフォーレのレクイエムです。数あるレクイエムの中でも人気のある曲です。曲のはじめから終わりまでホンワカした独特の雰囲気に包まれる、不思議な曲です。

 レクイエムは「死者のためのミサ曲」と訳されるけど、そいやミサ曲とレクイエムってどう違うんでしょ?まあ、どっちもキリスト教の教会音楽ってことで細かいことは気にせんとこ。お祈りの歌といえば、あと讃美歌やゴスペルなんかもあります。以前にも書きましたが、宗教は音楽の発展に大きく寄与してきました。人の心にうったえるところが大きい音楽の力を、宗教が利用してきたともいえますが。

 今回の芸大のレクイエムです。指揮者の大友直人さんがカッコイイ。長身痩躯、長髪のイケメンで実にミバがよろしい。女性ファンが多いのも道理ですね。

 肝心の演奏ですが、なかなかに見事でした。例によって音楽性に関しての難しい理屈は分かりませんが、素人の私にとっては実にすばらしい演奏でした。オーケストラもプロと遜色ない。芸大生の管弦楽団のはずが、中に明らかに学生やない、どう見ても60過ぎてるやろ、というおじさんたちがいたのはご愛嬌、多分助っ人さんでしょね。

 いつも招待チケットを手配してくれる芸大の知り合いに感謝しつつ、終演後に飲んだワインの酔いも手伝ってホンワカした心地のまま家路につきました、少し寒さの緩んだ夜でした。

 この項、続きます。

オルガンの調べ

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 今日は朝からしっかりとした雨が降ってます。市民総体で出場予定のテニスの試合が延期になってうちの奥さんは恨めしそうに空を見上げてますが、わたしはもとより完全オフを予定していた日曜日、久しぶりに朝寝を楽しみ、というか惰眠を貪った結果、昼過ぎてやっとブログ更新にかかっています。晩秋の雨は冷たさがいや増して、物悲しさと淋しさが募ってきます。こんな日はまったりと音楽に浸るのがいちばんです。

 昨日、土曜出勤した帰り、気分転換でいつもと違う住宅街を抜けるルートで地下鉄まで向かったところ、通りがかったおうちからオルガンと思しき音色が聞こえてきました。なんと懐かしい。今でもあのブカブカ足踏み式のんがあるのでしょうか。電子キーボードやシンセサイザーとは明らかに違う、この音は紛うことなき旧式のオルガンです。

 ピアノのあるお家はそこいらにありますが、オルガンも現役やったのですね。遠い記憶が甦ってきました。

 小学生の頃、田舎の山峡にあった小さな小学校にはもちろん音楽室なんてシャレたものなどなく、講堂と称してたいちばん大きな教室にいちおう舞台があり、アップライト型のピアノも置いてあって音楽室兼ねてました。壁にはお約束の作曲家の肖像がずらっと並んでたもんです。音楽の授業はここでやってたわけですが、教室にもピアノがわりのオルガンが置かれてました。

 当時、クラスメィトにはお稽古ごとでピアノを習っている女子がかなりいたように思います。赤黄バイエルとか、チェルニーとか、ブルグミュラーがどうのなどと女の子だけで盛り上がってたのを覚えてます。男子は誰も習ってません。なんせ小さな田舎町のこと、ピアノなんて女の子のものという風潮があったし私もそう思ってました。音楽の授業もどっちかというと嫌いでした。しかし後年、長ずるにしたがって音楽の楽しさ素晴らしさを知るに至り、ピアノひとつ弾けないことの悲哀を痛感し、西田敏行の歌が身に沁みていくこととなります。

 両親に「なぜに小っちゃい頃から、ピアノを習わせてくれなかったのか。あの頃習い事といえばピアノやったやん」と質したところ、「何言うてんねん。『やる?』って聞いたら、あなたが『いやや』て言うたんやないの」

 いや、諦めるの早すぎ。子供の将来を考えたら、そこで無理にでもやらせるのが昭和の情操教育というもんでしょ。どんな才能が開花したかも知れんのに、まったくもう(^^;)

 このような経緯により、歌うことは大好きながら、ピアノをはじめ楽器にはほとんど縁のない人生を歩んできました。ただ、青春時代には多聞に漏れず、ギターだけはジャカジャカやってましたが。

 ともあれ、そんなわけでオルガンといえば学校にあるピアノの代替品というイメージやったところ後年、ホンマもんのオルガンは教会やなんかにある超スケールのデカい楽器ということを知ったわけです。

img026.jpg バッハやヘンデルのオルガン曲もたくさん聴きましたが、いちばん印象強かったのが、サン=サーンスの有名な交響曲第3番「オルガン付」。オルガンの曲というわけではないのですが、シンフォニーでありながらオルガンが主役を張っています。学生時代、NHK・FMで初めてこの曲を聴いたとき、その迫力に度肝を抜かれ好きな曲のひとつとなりました。その後多くの指揮者、オーケストラの「オルガン付」を聴きましたが、一番最初に聞いたカラヤン盤がダントツに感動的です。最初に聴いたことで「この曲はこういう曲である」という摺込み現象も起こっているのでしょうけどね。

 この曲に限らず、カラヤンの演奏は何といっても分かりやすい。明快です。曲の「ここを聴け」というところを最も前面に押し出してきます。オルガン付の最大の聴きどころ、魅力は、第3楽章冒頭で満を持して突然オルガンの大音響が鳴り響くところですが、いちばん肝心なこの場面の迫力が他の盤と圧倒的に違います。クラシック音楽に詳しい人やなんかは、カラヤンの音楽は「素人受け」を狙いすぎるなんて言いますが、私は好きです。ひねくれた理論や解説は評論家にまかせておきましょう。われわれ素人はやっぱり理屈抜きで素直に感動できることが大事やと思います。

 音大に勤める知り合いからたまに、学生さんたちの発表会に招待されることがあります。発表会といっても音大生ですからまあ、プロのコンサートと遜色ありません。そのひとつで演目がかの「オルガン付」のときに出かけたことがありました。会場のザ・シンフォニーホールは本格的なパイプオルガンが設置されていることがひとつの売りになってます。これは、ぜひとも行かねばならないとイソイソと出かけたのですが、期待していたオルガンの響きが何とも貧弱で期待外れでした。生演奏の迫力をもってしても、いや、生演奏であればこそこれが限界かと感じた次第です。

 やはり生まれて初めて聴いたカラヤン指揮、コシュローのオルガン、これを超える「オルガン付」を未だ知りません。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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