邪馬台国に至らず

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 衆議院の解散はどうやらなさそうです。野党立憲民主党、もし解散されたらどうしようとおっかなびっくりの屁っ放り腰で内閣不信任案を提出したところ、立憲と共産だけ賛成の無様な惨敗でした。怖いのなら不信任案提出なんてやめとけばいいのに、「夏の盆踊り」と揶揄されながら国会審議の大事な時間を無駄に費やす、まったく意味のない愚行です。国民はこんなことのために議員の給料を払ってるのではないのです。でも、もし解散となれば、立憲のさらなる衰退は火を見るよりも明らかで野党第一党を維新に譲ることになったでしょうから、解散でもいいかななんて少し思ってた人は私だけではないと思います。

yoshinogari.jpg さて今日のお話、4月に九州の吉野ケ里遺跡で弥生時代の石棺が見つかり、人骨や副葬品が入ってたら大発見やと期待されてたわけですが、先週その調査結果が発表されました。

 開けてみたら中にはただ土がつまってただけで、人骨はもとより副葬品などもまったく見つからなかったそうです。ただ、ひつぎ全体が赤く塗られてたので邪馬台国の時代の有力者の墓であることは分かると。そこまででした。

 「邪馬台国の女王卑弥呼ここに眠る」なんて書いたものが出てきたなんてことになったら、それこそ大発見やったわけですが、現実はなんとも空しいもんでした。

 そもそも中にみっしりと土が詰まってたなんて、ひつぎの役割なってないやんて話です。おそらく埋めたときにはきちんと密閉されてたんやろけど周りからの圧で石が割れて徐々に土が侵入し最後にはとうとう内部いっぱいが埋め尽くされてしもた。そして土に埋もれた被葬者の遺骨は徐々に溶けてしまって、まったく形を残さず消えてしまったわけです。埋葬から今に至る長い長い時間を考えると、なるほどと思います。ここが日本の考古学の限界なんですね。

 エジプトの古代遺跡なんかでは、砂に直接埋めても4000年以上前のミイラがそのまま形を残してます。ところが日本は酸性土壌なので、土に埋まると骨も簡単に溶けて分解されちゃうそうです。木の棺で土葬された遺体の骨は、100年経たないうちに棺もろとも分解されてすっかり土に返ってしまうんやとか。卑弥呼がいた弥生時代、2000年前の遺骨なんて、石棺や甕棺に密閉されてたんでなければ残ってるはずがないわけです。

himiko.jpg 土壌の問題に加えて気候の点でも、わが国は湿潤で潤いに満ちた風土で自然を愛し慈しむ日本人の豊かな感性が培われてきました。一方で古い遺物は湿気で腐りやすく、残らずに消えちゃうという宿命を負ったのです。奇跡的に残ってた遺産がかの高松塚古墳の壁画でしたが、愚かな役人と学者連中が無残にも破壊してしまった顛末は以前に書きました。

 テレビのモーニングショーを視てたら、今回調査した佐賀県の文化財保護関係の先生が「邪馬台国の誰の墓なのかは、考古学的な成果からは言及できない」なんて言ってて、これに対してスタジオのコメンテータが「邪馬台国は吉野ケ里にあったという前提で言うてるやんw」と突っ込んでたのが面白かった。なるほど、機内説論者からしたら「ちょっと待ってよ」ってなりますわな。

 九州説には吉野ケ里という強力な武器があります。この調子で掘り進んでいったら将来、邪馬台国ここに在りという証拠が何か出るかも知れない。一方機内説の方では、卑弥呼の墓とちゃうかと言われてる桜井市の箸墓古墳は「陵墓の静謐安寧犯すべからず」という宮内庁のお達しで発掘調査ができない。ハンデです。まあ、仮に箸墓掘ったとしたら多分「ひみこ」とか「邪馬台国」とか書かれた金印やら鏡やらがぞろぞろ出てきて長年の論争が決着してしまいます。宮内庁がガンコなおかげで、古代のロマンがこれからも続いていくわけです。

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