慶祝 阪神タイガース優勝♫

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 わが阪神タイガースが、18年ぶりのリーグ優勝を達成しました。

 マジックナンバーが驚異的なスピードで減っていったシーズンの終盤は、横綱相撲というか圧倒的な強さを見せつけました。他の球団が弱いからともいえますが、これだけ力の差を見せられるとタイガースファンでさえ「いったい、何があったんや」と戸惑います。これは現実なのかと。シーズン始まる前、WBCでサムライが優勝した際に「次は阪神タイガースや」と書いたのが昨日のこととようです。まさか、ホンマにそうなるなんて。

ARE.jpg 9月に入ってから逃げ馬のごとく連勝を重ね、まさに負ける気がしない。ファンとしては毎日が楽しい。人生航路、日々生活を続けているといろいろといやなことや心配事も当然起あります。しかし、昨日の試合を思いだし、今夜の試合のことを考えると自然と元気が湧いてきます。ありがたい話です。

 出勤の朝最寄り駅で、たまに知り合いのカープファンの市議会議員さんがいわゆる駅立ちをやってて、挨拶がてらどうしても野球の話になります。最近は顔を合わせるのが気の毒なのですが、向こうからめざとく見つけて声かけてくれます。

 「おめでとうございます」「いや、まだまだわかりまへんで」

 そう。マジックが出たくらいで「優勝決まりや!」と大騒ぎするようでは、阪神ファン素人の誹りを免れません。岡田監督が過剰に優勝を意識させないため「アレ」と言ったことがこれほど浸透したのも、阪神ファンのサガと絶妙にマッチしたからです。

 若い人は知らない話ですが、思い起こすのは50年前、昭和48年のこと。セ・リーグペナントレースの終盤、宿敵ジャイアンツの9連覇を阻むべくタイガースは最終盤にきて僅差で首位、シーズン最後の中日ドラゴンズと読売ジャイアンツとの2試合を1分け1敗でも優勝という優位に立ちました。当時小学校六年生やった私は、まさに今年と同じ気持ちでクラスメートとはしゃいでいたのを覚えています。「巨人の時代を終わらせた!」と。

 ところが名古屋で、後に監督としてタイガースをリーグ優勝に導いたドラゴンズ先発の星野仙一を打てず、あっさり負けちゃいました。中日球場は新幹線沿いにあり、甲子園での最終戦に向かう読売ナインを乗せた列車が通り過ぎる様子をカメラが捉え、実況が「ジャイアンツナインにもスコアボードが見えているでしょうか!」。なんと、シーズンの最終戦勝った方が優勝というドラマチックな展開となりました。

 で次の日ですわ。運命の最終戦、タイガースはコロっと負けたのです。もうね、実にあっさりと0-9という大敗でした。当然、試合終了後甲子園球場は怒りに燃えてなだれ込んだタイガースファンで暴動状態となり、優勝決めたジャイアンツナインは胴上げもできずに逃げ出しました。このシーズン、この試合、この「幻の優勝」は、タイガースのトホホさを象徴する、ファンにとって消せないトラウマとなりました。以来、タイガースファンは能天気にチームを信じられなくなったのです。いっとき調子よくても結局優勝はできない。ぬか喜びに終わる。絶対裏切られる。勝負は下駄を履くまで分からない。タイガースにセフティリード無し。古い阪神ファンにはそんな性根が染みついているのです。

 そしてその後、タイガースファンは長い長い苦難の時代を過ごします。「幻の優勝」の翌年、読売の10連覇を阻んだのもタイガースではなくドラゴンズでした。「ダメ虎」と揶揄され、読売ファンとの舌戦では「文句あったら優勝してみぃ」と言われると何も言い返せず悔し涙にくれること幾星霜、転機は昭和60年でした。私が大学を卒業し社会人となった記念すべき年です。ちょっと長くなりそうなので以下次回、乞御期待。

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katsuhiko

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