貧乏旅行その後

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 先日の清里彷徨の想い出の続きを書いておきます。写真17.jpg

 奈良県で生まれ育ちました。唐突ですが(^^)。

 奈良県民の大半が住んでいる北部の大和平野(戸籍上の名は「奈良盆地」といいます)では、近鉄の線路網が発達しているため、県民が電車といえば近鉄のことで、JR、かつての国鉄は非常に馴染みが薄い。わたしも幼少期はほとんど乗ったことがなく、「国鉄」なんて、あの超特急新幹線を運行しているらしい、どこか遠い遠い存在に過ぎませんでした。bullettrain

 高校生になって県南部の五條市(近鉄がなくJRが通る、県では希有な市)から通う友人や、国鉄桜井線沿線から通ってくる友人を見て、「国鉄ってホンマにあるんや」 とか思ったもんです。

 「特急」といえば近鉄特急のことでした。ちなみに奈良県はJRの定期運行の特急が全く走っていない唯一の都道府県やそうです(沖縄県を除く)。 なもんやから、東京にいた大学時代、新幹線以外の国鉄の特急電車に乗るのが嬉しくて。 

 で、話は清里に戻るのですが、飯森山を下りたあと、清里駅から小海線の鈍行列車で小諸まで行って一泊しました。そのあとが大変。

 軽井沢から上野までの切符は買っていたのですが、小諸の旅館を出たところで所持金がほぼ底をつきました Σ(゚д゚lll) ガーン。 今思うと信じられない、なんしか貧乏旅行でした。昨今のようにそこいらのコンビニにATMがあるわけではなく、銀行の店舗がないと預金を引き出せない。小諸に都銀はない。

 bus軽井沢行きのバスに乗りました。なぜ信越線に乗らなかったのか思い出せませんが、多分時間的に列車が無かったか、運賃が高かったからでしょう。なんせ当時の国鉄です。

 しかし所持金は軽井沢までのバス代にも到底足りません。バス車内前方で上がり続ける運賃メーターと財布の残額を交互に眺めつつ、もはやこれまで!というところでバスを降りました。あとは歩くしかありません。浅間山の噴煙を眺めながら、てくてくてくてく・・・

 10kmも歩いたでしょうか。やっと辿りついた軽井沢駅。へろへろの状態で乗ったのが「白山」とゆう特急列車でした。何とか東京に帰れる・・・゚(゚´Д`゚)゚。 

 以来何十年間、公私にわたり全国津々浦々を行き交うに特急列車はお世話になってますが、赤貧の学生時代、貧乏旅行の最後に乗った白山号は、ことさら想い出に残ってます。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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