突然ですが、焼きそばが好きです。
食べ物はあまり好き嫌いなくなんでも美味しくいただく私ですが、それでも好きなジャンルはいろいろあります。なかでも焼きそばにはこだわりがあります。
いわゆるB級グルメに分類されるメニューですが、本当に美味しい。最初考えた人に国民栄誉賞をあげたいと思います。コナモン王国の大阪では鉄板でじゅうじゅう調理するスタイルが発展を遂げてきました。焼きそばも、厨房で調理してお皿に盛って、さあどうぞと出てくるよりも、やはり眼前の大きな鉄板のステージで調理が展開されるのが良い。巨大なコテを操る調理人の職人芸
によりもうもうと湯気を上げ、素材が熱エネルギーを得て様々な化学反応を起こし、最終的に客の前にでぇんっ!と盛り付けられた瞬間、ビッグバンにより創生された大宇宙の悠久の歴史が再現されたかのような神秘的な感動を覚えるのです。焼きそばはこうでないといけない。
単純な調理のように見えますが、麺の形状、太さ、硬さ、具材のチョイス、質と量により無限のバリエーションとクオリティが実現します。そして極めつけはソースで、これが最終的に出来不出来を決定します。また、上に目玉焼きがのっているかどうかは重要なポイントとなります。
わが国では高度成長期以降社会が発展するにつれて食生活も豊かになり、美味しいものが手軽にたのしめるようになってきたと思います。しかし一方でかつては普通に食べられたものが今では入手が困難または不可能なんて食べ物もあるのです。クジラなんてその典型でしょう。悲しい話です。それと似た話で「昔はもっと美味しかった」食材、料理もあります。わたしにとって焼きそばがそれにあたります。
ホテルのレストランなどで提供されるエビやホタテなど高級具材を使ったものは、それはそれで楽しめますが、わたしが求めているところではありません。記憶に残る最高の焼そばは、高校時代、学校最寄り駅前にあったスーパーの5階、いまでいうフードコートのような食堂フロアの鉄板カウンターで食べてたそれです。麺の太さ硬さ、ソースの味付けその他、当時はそれを当たり前の味として食していたのに、爾来、あの味を超える焼きそばには巡り合っていません。脳内で拡大再生産されているという点は否めないにしても、あちこちで焼きそば食べるたびに懐かしく思いだすのです。
さて、職場のあるスタッフのこと。彼は恐妻家で、結婚するに際して「家事いっさいは自分がやる」と宣言してゴールインしたそうです。結婚当初は共働きやし、いろんな事情もあるやろし、まあそんなことがあってもいいかなと思ってました。しかし、その後月日は流れ子どもができ奥さんはめでたく専業主婦となったにもかかわらず、彼は結婚当初の約束を忠実に履行し、いまでも洗濯、掃除などは彼の仕事なんやとか。何かおかしい気もしますが、本人が楽しそうなんでまあええかと。
言うまでもなく、国語辞典の最高峰、最高権威の名をほしいままにする岩波書店のフラッグシップ的出版物です。「広辞苑に載っているか」が日本語として正しいか否かの判断基準になります。日本語を勉強する外国人にとっては広辞苑を使うことが憧れであり、使えることが日本語習得上のひとつの評価基準とされているそうです。日本の知の集積
ファッション要素もあります。機能よりもアクセサリーとしてのリストウォッチ。かつてSEIKO
最近になってmacbook proを買ったわけですが、使用頻度は圧倒的にメインの母艦機の方が多い。仕事半分遊び半分で、ネット、Office、音楽、写真の管理、買い物などはば広く使ってて、ここ数年はブログの更新も楽しみな時間となってます。ゲームなどはやりません。のめりこみやすい性格なので、貴重な時間が非生産的な作業に費やされることは避けたいのです。