みゅーじっくの最近のブログ記事

白昼の死角

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 最近、よく物を無くすのです。数カ月前ですが、通勤用のICOCAとPiTaPa入れたパス入れを公園で落としてしまったことがありました。すっかり諦めて再発行の手続きしたところ、最寄り駅から「預かってます」と連絡がありました。親切な人が拾ってわざわざ駅まで届けてくれてたのです。お礼をせんとあかんので、どこの誰が届けてくれたのかと聞いても駅員さん「それはでけんのですわ」でした。

 また先日、長年使ってきたシャーボをどこかで落として無くしたときには誰も届けてくれませんでした。当たり前か。

 加齢によって注意力の欠如と運動能力の劣化が進んだ結果と言えます。情けない話です。

 そんな中、先週またやらかしてしまったのは、毎日通勤の往復時に使ってたSONYのWALKMANですわ。電車ん中で落としてしもたんです。20230624_135736117_iOS.jpg

 快速から各駅停車に乗り換える際、座席から立ち上がったときに落としてそのまま電車を降りてしまいました。ズボンのポケットに入れて坐ってんたんですが、まったく気付かず、音楽聴いてたので落とした音も聞こえなかったのです。降りてホームを歩くことしばし、聴いてた曲が突然ぶちッと途絶えてしまったときは「ああ、また電波の混信やな」と思いました。ワイヤレスイヤホンは満員電車や混雑する駅の構内など多くbluetoothが飛び交う場所では干渉で途切れることがよくあるのです。普通すぐに正常に戻ります。

 ところが、ぢっと待っても復活しない。「あり?」と思ってWALKMANを探ると、なんとポケットには空しく何も入っていない。「あ"ーーっ!」と思った時すでに遅く、哀れ愛用のSONYはわたしと袂を分かち、快速電車に乗って走り去っていくのであった。

 その駅の改札に行って事情を話したところ、すぐに今出た電車に連絡をとってくれました。「該当箇所には無かったみたいです。ただ、すぐ折り返して戻ってくるので一度確認してみてくださいな」藁にもすがる思いで、反対行きホームに戻ってきたさっきの車両に乗り込んで探してみたものの、座席付近には何もありません。この時点で完全に諦めました。

 念のため、通過待ちで止まってるその電車最後尾の車掌さんとこに行って聞いたところ「ああ、これでしょ」愛しのWALKMANは、あっさり私の手元に還ってきました。拾った人が車掌室に届けてくれてたのです。まあ、嬉しかったこと。

 しかしまあ、日本はなんと落としたものが返ってくる国であることよ。海外からの観光客が驚くのも無理はない、実に民度が高くモラルが行き届いています。これぞ幼いころからの道徳教育の賜物であるなあと改めて思い、感謝した次第です。

 と同時に今回は、ワイヤレスイヤホンの思わぬ弱点というか、落とし穴に気づきました。WALKMAN本体を落としたとき、有線なら間違いなく気が付きます。イヤホンは引っ張られて耳から落ちるし、もちろん音も途切れるわけです。しかし、ワイヤレスやと、数十メートル離れてしまうまで音楽は変わらず鳴り続け、電波が途切れて本体が手もとに無いことに気づいたときには、遥か遠くまで離れてしまってるのです。便利さの裏返しの弱点か、ていうか、しっかり持って落とすなよって話ですよね。

 これからはズボンのポケットには入れないようにします。はい。

片隅で聴いていた

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 新しい日銀総裁に就任した植田和男さんの会見が先週ありました。バズーカ黒田さんの金融緩和路線を継承し、当面、物価上昇2%など足元の目標達成にとりくむようです。難しい理屈は分かりませんが、初めての学者出身の総裁ということで、政治屋たちの利害に影響されない理論的かつ効果的な金融政策をお願いします。 veloci.jpg
 ところで、この植田さんを初めて見たときジュラシックパークの悪役恐竜ヴェロキラプトルに似てると思ったのは、わたしだけでしょね多分。

 さて、先週ボブ・ディランのライブに行ってきたので、今日はそのこと書きます。ノーベル賞受賞後初めての世界ツアーで、来日公演は7年ぶりやそうです。数年前に来日決まってたのにコロナ禍で中止んなったりしました。わたしにとっては初めての生ディランでした。

 神々しいライブでした。開演が少し遅れ、待ちきれない聴衆から催促のような拍手が起こる中、おもむろに登場した81歳の伝説的プロテスト・シンガーの迫力に場内はいきなりの興奮に包まれます。薄暗いステージの中央で終始ピアノに向かって動くことなく語ることもなく、ただ淡々と歌いあげていく進行は、ヘタな演出など一切なくて聴衆に媚びずに詞と曲の真髄をストレートに伝えるものでした。

20230406_074338857_iOS.jpg 2時間弱のステージで途中1回だけ立ち上がって客席の方に向かって歩きだした場面があったのですが、足元はおぼつかないように見えました。「時代の代弁者」「ロックの詩人」も、寄る年波には抗えないのです。しかし、歌は声量、質ともにまったく衰えていません。これなら80歳過ぎてなおワールド・ツアーやろかと思えるはずだわ。

 今から40年前、ガロが「学生街の喫茶店」の「片隅で聴いていた」のがボブ・ディランやったわけで、当時小学5年生のわたしは「何それ、おいしいの?」と思ったもんです。同世代では同じような人が多いのではないでしょか。しかし、もう少し上の世代にしてみれば当時30歳のディランはすでにしてプロテスト・ソングのカリスマとしてミュージックシーンに確固たる地位を築いていたのです。

 今回の機会に、ディランの沢山の曲をyoutubeで聴いてみました。じっくりと聞くとやはり心に迫るものがあります。ノーベル賞受賞というサプライズもおまけみたいなもんで、ディランはその生涯を通して(まだ生きてはるけど)時代とともにひとびとに感動を与え共感を得てきたんやなと改めて思います。

 ちなみに、ディランの受賞理由は「新たな詩的表現を創造した」ということやそうです。悦楽的な娯楽とみなされていたロックミュージックを、詩歌や小説と同じ芸術の域に昇華させた功績にノーベル賞の委員会は着目したと。まったく知らなんだけど、何年もの間候補にはなってたそうです。しかし、おそらくはディラン本人は「ロックが文学と同レベルに評価されるべく頑張ってきました」なんて、そんなつもり毛頭なかったんでしょうよ。自分の心のままにあふれる思いを言葉で表現し、感情のおもむくままにメロディーにのせて声に出したら素晴らしい楽曲となった。それを繰り返してるうちいつの間にか音楽界のレジェンドと称えられるようになったと。まあ、天才ですわな。Dylan.jpg

 今回のセットリスト、わたしが知ってる曲はありませんでした。もし何曲目かに「~How many roads must a man walk down...」なんて語るように歌いだしたら、それこそどっかーん!とさらに大受けしたんでしょうが、ディラン御大はそんなことはまったく考えません。それで良いのです。遠い日に山上路夫の詞で初めて知ったレジェンドのオーラに、40年の時を経て触れることができたのです。「間に合った」と思いました。

 最後の曲が終わったとき、脇に置いてた白い帽子をかぶると再びステージの前方へとよろよろと出てきたディラン、メンバーと横一列に並んで客席をじいっと睨んだのち一言も発せず去っていきました。アンコールを求める拍手の空しさよ。それで良いのです。

 みうらじゅんさんは「ディランのアルバムをどれか一枚聴こうと思うなら、ディランが今の自分と同い年の時に作ったアルバムを聴け」と言ってます。わたしの場合数えてみると2001年、同時多発テロの年です。探して聞いてみよ。しばらくマイブームが続きます。

電音、音響、山水

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 私は音楽に限りなく貪欲で、身近に音楽がないと生きていけない体質であることから、いい音を求めてさまざまな奮闘をしていることは、これまでにも何回か書いてきたところです。

 このたび、WALKMANで使ってたイヤホンがヘタってしまい、新しいのんを購入しました。思えばワイヤレス式のイヤホンはこれが実に4台目です。

 最初のんは、ワイヤレスとはいいながら左右のイヤホンがコードでつながってました。しばらく使ってましたが、タッチノイズ(コードが身体や衣服に擦れて起こる雑音)が気になるので完全ワイヤレスに変えました。いずれもJBLの製品で、なかなかいい音してました。何事も無ければ、このはじめての完全ワイヤレスの機種を今も使っていたはずです。ところが、iPodの電池がヘタってきたのをきっかけにSONYWALKMANに替えたところ、Bluetoothの規格が違ってJBL製のイヤホンは使えないという落とし穴に、ずっぽりとはまってしまったのです。これは想定外でした。

 そこで、急遽購入したのが、ネット上で見つけたmujiliという聞いたことがない中華メーカーのイヤホンです。これもそこそこいい音で、2年近く使ってたでしょうか。先日、片方だけ電源が入らなくなりました。かといって充電が切れたというわけではなく、しばらくたってからもいちどやると今度は何事もなかったかのように鳴ります。不定期に動かなくなる。これではとても使えません。

 イヤホンの音など「さほど違いはない」やろと思い、リーズナブルな機種を買ってきたことが災いしたかもというわけで、今回はネットで適当にポチるのではなく、いろんな機種を試聴できる日本橋電気街の大きなイヤホン専門店まで、きちんと足を運びましたよ。ずぼらな私にしてはなかなか立派な行動です。20220521_233150398_iOS.jpg

 お店で時間をかけて選んだ結果分かったことは、イヤホンの音には「さほど違いがある」ということです。お値段が立派な製品はやはりそれなりに性能が優れてて、いい音を鳴らすことが実感できました。そこで今回は奮発して、1万円以上もする国産メーカーの製品を購入したのです。をを!

 イヤホンは、耳にきっちりフィットして落とさずに使い続けられるかということも重要な要素になります。いくら音が気に入って値段の折り合いがついても、耳の形に合わないとあきらめざるを得ません。展示品の端から端まで時間をかけて比べ続けて、かれこれ1時間も経ったでしょうか。小さなお店でこんなことやってたらお店の人の顰蹙かうでしょうけど、そこは大きな専門店のメリットです。

 結局、DENONのAH-C830NCWという機種を買って帰りました。ノイズリダクションという機能がついてます。これは初めてです。お店ではその効果があまり分かりませんでしたが、街中にいるときや電車の中でオンにするとはっきりと体感できます。周囲の雑音が遮断されて、より音楽に集中して楽しめます。技術の進歩ですねー。いったいどんな仕組みになってるんでしょか。予想以上の性能で、これはいいお買い物でした。

 「周囲音ミックス機能」というのんもついてます。これはノイズリダクションと逆で、周りの音をことさらに取り込んで耳に伝える仕組みで、オンにするととたんに周囲の音が大きく聞こえてきます。イヤホンしたまま誰かとお話したり、駅でアナウンスを聞きたいときなどワンタップで切り替えできます。しかし、ハッキリ言ってこの機能はいらない。思い出すのは昭和の昔、携帯型音楽再生機器の元祖である初代ウォークマンにこの機能がついてました。本体にマイクがついてて、ボタンを押すとそのマイクが拾った音がヘッドホンに届くのです。耳を塞いだまま街を歩くという、それまで人類が経験したことがない状態を危ぶみSONYは考えたんでしょうね。しかし「こんなもんいらんわ」ということになって、それ以降ウォークマンはじめ多くの携帯プレーヤーでは一切採用されませんでした。それが今になって何故に?と思います。周りの音を聴きたいときはイヤホン外せばええのです。

 dp.jpgところで、このDENON(デノン)というメーカー、昭和の時代から高級オーディオ機器メーカーとして君臨し、アンプやレコードプレーヤー、カセットデッキ、スピーカーなど多くの名器を世に送り出してきた伝統あるブランドです。「日本電気音響(株)」がデンオンになったのですが、海外ではデンオンは発音しにくいからデノンと名乗ってたところ、何年か前にデノンに統一したらしい。知らなんだわ。

 レコード再生用のカートリッジ、いわゆるレコード針のDL-103という製品は、NHKと共同開発して1970年に発売して以来、50年以上経った今も生産し続けているそうです。今やアナログのレコードなんて知らない世代が増えてきている中で、伝統を守り続けているこだわりのメーカーであると。そう聞くと、イヤホンで聞く音楽も、いや増していい音に感じます。

 そいや先週、同じ音響機器専門の老舗メーカーのONKYOが倒産したというニュースが伝わりました。私が使ってるシステムコンポはSANSUI製ですが、このメーカーもすでに倒産して今は無く、万一故障したら修理には苦労しそうです。日本の伝統ある音響機器メーカーが次々と退場していく中、今回その製品を入手したユーザーの一人として、改めてデノンには頑張ってほしいと思います。

魔笛はコロコロ

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 今日もいいお天気です。この週末特に予定も無かったので、昨日散歩がてら総選挙の期日前投票を済ませてきました。

20211024_004010927_iOS.jpg 投票済証というのんを貰ってきました。貰ったといっても投票所の出口に置いてあってご自由にどうぞ状態やったんですけど、これ何かに使えるんやろか。裏はハガキになってます。来週日曜日は投票日です。首相が交代し突っ込みどころが無くなった野党は徒手空拳で選挙に臨むこととなり、自公政権の優位は変わらないと思います。岸田さん、今ごろはもう選挙後の特別国会から組閣に向けて考えを巡らせていることでしょう。

 さて、先週伝わった訃報、現代を代表する世界最高峰のソプラノ歌手のエディタ・グルベローヴァ氏が亡くなったそうです。親日家で毎年日本公演してたそうですが、わたしはとうとう行けずじまいでした。

 コロラトゥーラ・ソプラノという、高音域で華やかに装飾された旋律を技巧的に奏でる歌唱法です。それこそコロコロと転がすように声を操り、まるで楽器を演奏するように歌う、およそ人間業とは思えない超絶技巧です。人の持てるいろいろな能力は、知的なものでもフィジカルなものでも、まあ極めるととんでもない領域に達します。いわゆるプロフェッショナルです。野球で時速160キロ以上の豪速球を投げる人もいれば、若干19歳で将棋の4タイトルを独占する人もいます。ソプラノ歌手もそんな、神から特別な才能を与えられた存在と言えます。20211023_023224154_iOS.jpg

 代表的かつ超有名なコロラトゥーラ・ソプラノの演目として、モーツァルトの歌劇「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」があります。グルヴェローバも、1970年ウィーン国立歌劇場でこの夜の女王役に抜てきされたことでプロとして本格的に活動を開始し、その後世界的な名声を獲得していったとのことです。

 私が初めてこのアリアを聴いたのは、また例によって高校時代の音楽の授業でした。多感な時期にはこの世の森羅万象に初めて触れていろいろと影響を受けるもんですが、まあ「初」夜の女王の衝撃たるや凄まじく、超高音域で正確に音程を維持し楽譜通りに再現するその技術は、声というよりはなんか楽器の音みたいやなと思ったことを今も覚えています。こんな歌を作るなんてモーツァルトもたいがい無茶なことを演者に求めたわけですが、それを要求どおり歌いきる歌手も実際すごいもんやと思うわけです。

 20211023_023730740_iOS.jpgLPレコードはその後すぐ、まだ高校時代に買ったものと記憶してます。「魔笛」全曲盤は高くて買えず、とりあえずのお手軽な抜粋版で、若い頃から繰り返しよく聴いた盤のひとつです。夜の女王の役はグルヴェローバではありませんが、このカール・ベーム版の魔笛は今でも名盤と評価されているそうです。

 グルベローヴァのCDも持ってました。いつ買ったか覚えてないということは、最近になって大人買いしたうちのひとつと思われます。オペラアリア集でタイトルがズバリ「Queen of Coloratura」1曲目に夜の女王のアリアが収録されてます。やはり「コロラトゥーラといえばグルベローヴァ」と世界中で認知されていたのです。久しぶりに聴いてみると、やっぱりすごいの一言です。

 モーツァルトの楽曲同様に、名演も永遠に人類の財産となるのです。ご冥福をお祈りいたします。

JVCその後の失敗

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 先週のエントリーで、7年使ってきたコンポステレオが壊れて修理したことを書きました。今日はその後日談です。

 帰ってきたCDコンポ本体をさっそく動かしてみたところ、修理したCDトレイは支障なく作動します。原因はなんやったのか定かではありませんが、部品というよりトレイ周り一式交換されてたんでメカ部分の経年劣化ということでしょう。壊れる以前と同様に使えるようになって、好きなミュージックに浸る癒しの時間が戻ってきました。ところが。

 先週のある日、あるCDを聴いているとき、何番目かの曲になって突然音が出なくなりました。前後の曲は問題なく鳴ります。その曲だけがまったく再生されません。これは不思議。

 再生時間の表示は何事もなく進んでいきます。つまりトレイのメカ部分はCDから正常に音声信号をピックアップしているのに、その先のアンプかスピーカーに不具合があって音がでないわけです。しかもある特定の曲だけという奇っ怪な現象です。試しに同じCDを別のCDラジカセにかけてみると問題なく再生されます。

 数分悩んで、あることに気がつきました。「この曲『MONO音源』と書いてある」

 オムニバスCDやったんで音源はバラバラの寄せ集め。アルバムのうちのある1曲が古いモノラル録音やったのです。

speaker.jpg 試しにほかのモノラル録音のCD探してきてかけてみました。トスカニーニのベートーベン交響曲全集、やはり音はでません。フルトヴェングラーのベートーベン交響曲全集、やはり音はでません。ステレオ録音のカラヤンのベートーベン交響曲全集、音がでました。

 CD再生装置がモノラル音源のCDだけ再生できない。こんなことがあるんやろか。しばらく悩み、いろいろ触ってみて原因を突き止めました。スピーカーのケーブル接続を間違えてたのです。スピーカーは左右それぞれ+(プラス)と-(マイナス)計4本の線を繋ぎますが、ここでわたし、4カ所の接点で、左右につなぐところ間違えて上下につないでました。左のスピーカーには左のプラスと右のマイナス、右のスピーカーには左のマイナスと右のプラスの信号がそれぞれ送られてたことになります。 

 ステレオは左右が別々の信号です。モノラルは左右まったく同じ信号。詳しい理屈は分かりませんが、ケーブルの接続を間違えた状態でモノラルの信号がスピーカーに送られると音が出ない、という現象が起こったのです。正しく接続し直したところ、モノラルのCDもめでたく音が出ました。

 原因が判明し解決したのはやれやれですが、そんな間違った状態で再生されたステレオの音、わたしは特に違和感を感じずに聴いていたことになります。バカ耳。おそらく、聴く人が聴けば一発でその異常に気付いたことでしょう。

 今回、再生したCDにたまたまモノラル音源の曲があったので間違いに気づきましたが、もしそうでなかったら次回トスカニーニやフルヴェンの古い録音のCDをかけるまで、ずっと気がつかないで不完全な再生音を機嫌よく聞き続けるところでした。人生、どこに落とし穴があるか分からない。

 思うに、普段の生活で間違ったままそれに気付かずにいることは他にもたくさんあるんでしょね。それがために享受すべき恩恵を逃してたり、本来不要な苦労を背負い込んでたり。

 しかし、気づかずに間違った道を進むこともまた人生、知らないことで幸せに過ごしているなら、それもまあいいとしましょ。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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