想い出の最近のブログ記事

 昔、もう何十年も前ですが、わが家に大きなパキラの鉢がありました。

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 カイエンナッツとも言う、非常にポピュラーな観葉植物です。とくにやっかいな世話をするわけでもなく、たまに思い出して水をやってただけで次々に葉が出てくる手のかからない丈夫な植木でした。それが、ある時を境にだんだんと勢いがなくなり、切り戻したり植え替えたり、いろいろと手を尽くしてみたもののとうとう枯れてしまいました。

 それから何年も経って先日、パソコンで通販サイトをぼおっと眺めていたところ、パキラの種が売られてたんで、衝動買いしてしまいました。小鉢の植木を買うのではなく、種から育ててみようと思い立ったのです。

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 パキラは挿し木でも増えます。枝を切って土に差しとけば根が出て葉が出てどんどん大きくなります。花屋さんや雑貨店で売られてる小さなパキラの鉢はほとんどがこれで、種から育てた実生株はあまりありません。実生株は根元が膨らんで幹が太く育ちますが、挿し木は細いままでひょろっと伸びてあまり太くならないそうです。かつてわが家にあった鉢も、多分挿し木で増えた個体でした。

 十数個の種が届きました。さて、ネットで「パキラ 種から」でググると、たくさんの先達が詳細にスタートアップの方法を説明してくれてます。まずミズゴケにくるんで根が出るのを待つのがいいらしい。水ゴケなんてこれまでの人生で見たこともない。通販で買いましたよ。何でもそろうヨドバシ・ドットコム。

 2・3日水ゴケに漬けてたら固いカラが割れて根が出てきたので、これを1個ずつ小さな植木鉢に植え替えたところ、次々に芽がでてきました。をを!

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 よく見ると一つの種から芽が2本出てるのんがいくつかあります。このまま育ててええんやろか。まあ、双子なんやから仲良くしなさい。

 冬場なんで暖かい室内で日に当ててます。冬季は水をやりすぎないようにと注意がありましたが、発芽からしばらくは水はたっぷりの方がいいような気がして、土が乾いたらせっせと水やってます。

 発芽から10日ほどでこんな感じです。ここまでくると個体でだいぶ成長速度に差があります。早いのんは小さな小さなパキラの本葉が現れてきました。実にカワイイ。動物でも植物でも、発生段階はなんとも生命の神秘を感じます。

 ネットで得た情報によると、10年ほど育てると花が咲いて種がとれるそうです。10年かぁ...。

失われた飛鳥美人

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 好きなテレビ番組のひとつにNHKの「アナザーストーリー 運命の分岐点」があります。

 内外の歴史上の出来事について、事件に関わった多くの人々の視点に立ったエピソードで組み立てて、その出来事そのものを切り口を変えて検証していきます。10年くらい前、同じくNHKで「その時歴史が動いた」という似たコンセプトのシリーズがあり、こちらも好きでした。わたしはNHKが大嫌いでボロクソに書くことが多いのですが、これはもっぱらNHKそのものの在り方や経営方針に対する嫌悪感であって、制作している番組自体は評価しています。お金を払ってでも視たいものが実に多い、だから是非スクランブル化せよという話です。中にはくだらないものもありますが、特にこの種のドキュメンタリーはNHKの独擅場であり、民放にはとても真似ができません。20211017_020348977_iOS.jpg

 その「アナザー...」で先日、「"飛鳥美人"発見! それはパンドラの箱だったのか?」がオンエアされました。

 とうとう出たかという感じです。日本考古学史上最大の発見と言われた出来事で、ふるさと奈良県の事件でもあり、非常に興味深く視ました。

 昭和47年(1972年)。事案はリアルで覚えてます。当時私は小学生でした。発見のニュースからしばらく経って友達と遠路自転車漕いで見物に行った頃にはもう人出も一段落し、古墳周辺は閑かな雰囲気でした。もちろん古墳の中に入れるわけもなく、また小学生が考古学的知見を深めるはずもなく、あまり意味のないお出かけではあったものの、楽しいサイクリングの一日として思い出に残ってます。せっかくやからと明日香村をぐるっと散策、めずらしく写真も撮ってました。

 それはそうと「パンドラの箱」です。番組の意図は、発見はいいとしてその後の国や学会の対応が適切であったのかという視点です。これはわが意を得たりという思いでした。当時の関係者、今にいたる保存の責任者たちは、やってはいけないことをやってしまったのです。

nyoninzou.jpg 発見と同時に、壁画の劣化がスタートしました。1300年以上の間、鎌倉時代に盗掘にあったことを除いて石室内は静かな時が経過し、壁画もその姿を変えることはありませんでした。しかし、愚かな発掘担当者と学者が石室に足を踏み入れた瞬間から壁画の破壊が始まったのです。

 番組を視て知ったのですが、壁画を保存するためと称して時の著名な日本画家たちが石室内に「ひとり30分」マスクもつけず立ち入って壁画を模写したんやとか。その後入れ替わり立ち代わり多くの愚か者たちが点検、修理と称して、1300年間変わることのなかった石室内部の状態を破壊し続けました。その結果、文化庁が「適切に保存されている」とウソを発信し続けた壁画は平成13年(2001年)、とうとう大量のカビの発生により解体保存やむなしという羽目に陥りました。日本の文化財保存の意識、技術はこれほどまでにお粗末であったのです。法隆寺の壁画焼失に匹敵する大失態です。

 平成20年(2008年)、文化庁が解体した石室と壁画を公開するというので、私は抽選に応募、当選して懐かしい明日香村に足を運びました。そして保存施設でガラス越しに、バラバラにされた石室とそこに描かれた壁画の実物を初めて見ることができました。感動の初対面。ところが、子供のころから思い描いてきた壁画の、あまりに変わり果てた姿に言葉を失いました。あの飛鳥美人はもういません。永遠に失われてしまったのです。

 横でガイド役の文化庁の役人が「ほらほら、女人像の足元のスカートのとこなんか、まだシマシマに色が残ってるでしょ...」一瞬、殴ったろかと思いましたよ。「こんな不始末を仕出かしてしまい誠にあいすみません」というべきとこやろ。なに偉そうに自慢してんねん。

 「もし見つかってなかったら、今でも極彩色のままやったんやね」と、皮肉をかましたところ「さあ、それはなんとも...」実に役人らしい担当者でした。

 宮内庁が「陵墓の静謐」維持のため、天皇陵および陵墓参考地等の発掘調査を認めないことは、陵墓の指定そのものに科学的根拠が希薄であるため不適切である旨のことをかつて書きました。しかし、「高松塚古墳世紀の大失態」をみていると、考古学関連の技術、意識がもっと成熟するまで宮内庁の意向に従うのもやむなしかと思ってしまいます。まあ、わたしが生きてる間はムリでしょね。

しゃぶしゃぶの思い出

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 菅総理の長男による、総務省幹部への接待疑惑が取り沙汰されてます。

 長男は東北新社という放送事業会社の部長さんやそうで、事業に対する便宜を図ってもらう見返りに高額の接待を行ったという構図で、ようは贈収賄の汚職事件です。この会社の創業者が菅首相の支援者で多額の献金をしているとかで、総理とはズブズブの関係なんやとか。

 東北新社に限らず放送関連会社は、政治家の子女を社員として採用することで、その政治家のチカラを利用して監督官庁との折衝を有利に動かすことは常識とされているそうです。業界では「東北新社は運が悪かった」とか「あれくらいのことでなぜ?」ぐらいの認識しかないらしい。そういえば、もっぱら首相と政府の悪口を垂れ流すことで視聴率を稼いでいるTBSの「サンデーモーニング」などもこの事件に関しては妙に大人しいのはなぜか。某財務大臣の甥はTBSの社員やし、小渕元総理の娘の小渕優子元特命大臣もそうでした。分かりやすくてよろしい。

 ところで、官僚による汚職事件といえば、前世紀末の大蔵省での前代未聞のスキャンダル、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」を思い出します。

 当時の大蔵省は銀行や証券会社に対する強大な許認可権をもち厳しい検査を実施していたところ、多くの銀行等から賄賂を貰って見返りに検査日程や内容をもらしてたというとんでもない事件でした。贈賄の方法として使われたのが、新宿歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店での接待で、大蔵の役人の側から「あそこに連れていけ」という希望があったんやとか。

shabushabu.jpg 事件が発覚し、責任をとって時の大蔵大臣が辞任に追い込まれ、官僚にも大量の懲戒処分者を出し、霞が関の歴史上最大の汚点となりました。この不祥事の結果、財政管理と金融機関指導の権能の分離が進み、大蔵省は財務省と金融庁に分割編成されました。奈良時代以来1300年使われてきた「大蔵省」の名前を葬り去ったことからも、当時の国民の批判の厳しさと影響の大きさが見て取れます。

 この事件、個人的にもほんの少し関わりがあったんでよく覚えてるんです。と言ってももちろん、そのしゃぶしゃぶ屋さんにわたしもいましたなんて話ではありません。

 事件が発覚し、いち国民として大いに憤慨した若き日のわたしは「責任とるのは看板にすぎない大臣ではなくて実務トップの事務次官やろ」と朝日新聞に投書したわけです。すると朝日から「明日の朝刊に掲載します」と電話がありました。うっほー!

 ところが翌日の朝刊みても載ってません。「あり?今日と違ごたんかな」と思っていたところ、その日の夕方再び電話がありました。「貴方が言ったとおりになりましたんで、掲載やめました」どっひー!

 実は最初の電話があったまさにその日の夕刻、日銀総裁に栄転していた事件当時の大蔵事務次官が、大臣に続いて責任とって総裁を電撃辞任したのでした。

 辞任がせめてもう一日遅かったら、拙文が掲載されてたのにと悔しい思いをしたことで、23年経った今でもこの事件のことをよく覚えているというわけです。

 同様にこのしゃぶしゃぶ事件を契機として、国家公務員倫理法が整備されたので、役人が接待、饗応を受けることは一切禁止されたと思っていたところ、なんのことはない今回「誘われたら断らない女」を自認する高級官僚がひとり7万円以上もの接待を平気で受けていたというから呆れてしまいます。

 今回は首相の身内が関係者やったことで大騒ぎになりましたが、おそらく氷山の一角なんでしょう。多くの官僚が「ほとぼりが冷めるまでしばらくの間は、甘い汁は我慢やな」と舌打ちしていると思います。「人民は弱し官吏は強し」は星新一の名作のタイトルですが、現在では「人民は強(したた)か官吏は卑(いや)し」とでも言い換えるべきでしょう。

E.T.

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 なんと、今日から師走です。ついこのあいだ「新年おめでとう」と言ったばかりのような気がするのに、1年過ぎ去るのが何と早いことか。
 なぜに12月の別名を師走というのかは、偉い坊さん(師)が東西に馳せてお経をあげるから「師馳す(しはす)」となった説が有力らしいですが、「年果つ(としはつ)」説や、四季が終わるから「四果つ(しはつ)」など諸説あるそうです。現代では「先生も走るほど忙しい月」という解釈でみな納得してます。ともあれ、なんとなく焦ってしまう、いつもながらの師走のスタートです。

 さて、「E.T.」といえば、昭和の終わりに大ヒットしたS.スティルバーグ監督のSFファンタジー映画で、全世界で興行収入ナンバーワン(当時)の記録を更新した傑作です。最近、その続編ができたらしい。と言っても完全な映画作品ではなくて、ストリーミングサービスの会社がプロモーション用に作成した4~5分のショートムービーです。ET.jpg

 最近の実写版サザエさんと似た感じで、映画の主人公エリオットが成長し家庭を持った37年後の設定でE.T.との再会を描いてます。成長した俳優がそのまま演じてます。公開当時からなんと37年も経ったということに愕然とします。エリオットもアラフィフの立派なおっさんですわ。

 「E.T.」の続編作ったと聞いてはじめ大丈夫かいなと思いましたよ。映画の続編はなかなか難しくて、成功する例が少ないのです。ましてや稀代の名作映画「E.T.」の続編となれば、よほど出来がよくないと観衆は納得しない。まあ、これくらいのショートムービーなら大丈夫か。4分ちょっとのシャクです。ネットで観ましたが、作品の雰囲気がよく出ててうまくまとめてると思いました。当時の感動がよみがえります。

 今ならほぼ全編にわたってCGが駆使されて簡単に作れるんでしょけど、当時はE.T.そのものも人形というか、作り物の実写です。あらためて、よく作ったと思います。今や日本のアニメが世界中を席巻してますが、E.T.を観たときに、こんな新しくて大胆な着想と技術は日本ではまずムリやな、さすがハリウッド、と思ったもんです。

 映画館で公開を観たのは大学時代でした。一人で観に行きました。クライマックスでは不覚にも涙し、一人で来ててよかったと思ったことを覚えてます。周りの観客もみなさんハンカチを使ってました。何年かあとにビデオデッキを初めて買ったときに、レンタルビデオで真っ先に観たのも「E.T.」であったと記憶しとります。

 The Extra-Terrestrial 宇宙人とか地球外生命体とかいう意味やそうです。この映画見るまではこんな英単語知りませんでした。宇宙人といえば「alien」やろと。昭和のお正月恒例の「芸能人新春かくし芸大会」で加藤茶が「E.Te.」(イテ)というタイトルでパロディーのコントを演じてたのも覚えてます。社会現象となるほどの大ヒットやったわけです。

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 スピルバーグは凄い。
「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディージョーンズシリーズ」「ジュラシックパークシリーズ」「ポルターガイスト」「ターミナル」「シンドラーのリスト」「プライベートライアン」...

 わたしあまり頻繁に映画を観ないんですけど、代表作を並べると、ほぼ観てます。それもテレビ放送ではなく公開に足を運んでます。エンタテインメントに徹して理屈抜きで楽しめる、映画とはかくあるべしという作品ばかり。映画は現代人の一大娯楽であって、2時間前後の現状逃避はストレス解消にはもってこいです。E.T.みたいに素直に感動できる映画がバンバンでてくれば嬉しい、とはいうものの、先生も走るほどに忙しくなるこの時期、まず映画館に行く時間を作ることからですな。

これっくらいの

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 明日は朝からお伊勢参りに出かけますので、土曜日のこんな時間にブログを更新してます。お伊勢さん、これまでも何度もお参りしてますが、今回は縁あって正式参拝の機会を得たようなわけで、1年前の桜井の大神神社への正式参拝に続いてのイベントです。気合入れて行ってまいります。
 ラグビー・ワールドカップ日本大会が終わりました。40日間にわたって日本各地で熱戦が繰り広げられ、事前の懸念を覆し過去のワールドカップの中でも最高の盛り上がりと評価されてます。確かに日本代表の健闘により、感動とともにラグビーという競技のすばらしさが改めて国民に浸透しました。ひさしぶりの爽やかなお祭り騒ぎでありました。競技1種類でこの騒ぎなんやから、オリンピックでははたしてどうなってしまうのか、楽しみであります。
 さて、そんな世間の喧騒の中、実に残念な出来事がありました。職場の職員食堂が、先月末をもって営業をやめてしまったのです。職員の福利厚生のため赤字を積み重ねながらほそぼそと営業を続けてきましたが、経費節減の一環として大ナタを振るわれたのです。
 これは一大事です。昼食難民が大量に発生しました。少し離れた位置にある大学キャンパスの学食が安くて美味しくてベストなのですが、約300m離れており、行って食べて戻ってくるだけで1時間のお昼休みが余裕のないものになってしまいます。職場周辺には手頃な飲食店がそんなに多くありません。メニューが限られるし、焼肉屋さんや台湾料理店のボリューミーな定食を毎日食べることは、熟年初老の世代には厳しいものがあります。
 自然ななりゆきとして、お弁当持参ということになるわけです。意を決して自宅で奥さんと団体交渉を行い、要求主旨をご理解いただき「しばらく作ってやる」という回答を勝ち取ってめでたく妥結に至りました。昼食代相当額お小遣いを減らされる可能性がありますが、どうやら奥さんまだそのことに気がついていない様子です。しめしめ。obentou.png
 お弁当といえば、はるか昔の小学生時代の思い出、給食設備の事情でしばらく各自弁当持参すべしとなったことがありました。当時、タッパーのような容器は無くて、弁当といえば銀色四角のアルマイト製で女の子用は蓋にキャラクターの絵が描かれてました。ごはんとおかずを積めて、ごはんの上には梅干しが一個というステレオタイプを皆が厳格に守っていました。ペットボトルもなくて水筒にお茶を入れて持ってきたもんです。そんなある日、わたしが卵やハムのサンドイッチと缶ジュースをバスケットに入れて持参したところ級友たちに「ずるい」だの「規則違反」だのさんざブーイングを浴びたのでした。
 今思い返すといったい何がずるいのかわけわからん話ですが、山間部の田舎の小さな学校では「等しからざるを憂う」独特の秩序と空気感があったのです。
 小中は給食がありましたが、高校時代には無かった。食堂はあったけどいつも満席で、結局弁当持参不可避。毎朝、母に作ってもらうことを当たり前に思ってましたが、卒業に際して「ああ、もう弁当いらんのやね」とほっとした様子の母を見てはじめて感謝の念を抱いたことも思い出です。
 時は流れて再び始まった弁当持参の日々。さて、奥さんいつまで続けてくれるでしょうか。ビクビクしながら毎日のメニューを楽しみに、この小さな幸せがいつまでも続きますようにとこいねがう、今日この頃であります。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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