想い出の最近のブログ記事

IMG_0301.jpg 今日は例の「奈良まほろばソムリエ検定」受検してきました。初受検につき「2級」ですが(^^)

 会場は奈良大学。仕事で何回か来たことあります。

 今回、受検というので、いちおう過去の検定問題も勉強しましたが、過去問と全く同じ問題がかなりの数出題されてました。これだけでかなりの点数が稼げます。ラッキーですよ。

 去年受検した朝日新聞・ベネッセの「語彙・読解力検定」と比べると、テキストがあるので100%ここからの出題ではないにしても、勉強しやすいといえます。あまりしなかったけど(^^;)。

 また、問題が持ち帰れるので自己採点ができます。出題100問のうち「多分正解」の問題を数えていくと、合格ライン(70%)はクリアできてるような気がしま2010E2019.jpgす。

 試験時間90分あったのですが、知らないものはいくら考えても仕方がない。さっさとあきらめて40分くらいで途中退室しました。「語彙」のときはほぼめいっぱい時間かかったので、この点でもやや余裕あり。お昼前に受検は終わりました。結果の郵送は来月25日やそうです。さて、合否やいかに。

 お昼前に済んだので、せっかくやからと久しく訪れていない、会場近くの西ノ京界隈に向かいました。薬師寺でまだ見たことのない国宝の「吉祥天女画像」が今の期間だけ本尊として公開されてるのです。このお宝も例によって記念切手の第1次国宝シリーズによって少年の日、心に刷り込まれたもののひとつです。

 この前に薬師寺に来たのがいつやったか覚えてませんが、初めての拝観は覚えてます。中学生のころ友人たちと来ました。その頃はまだ西塔はありませんでした。写真が残ってるので来たことは間違いない。しかし悪童たちがいかなるいきさつでもって奈良のお寺に参拝することになったのかは…忘れました。(写真は35年前、15歳の砌の雄姿であります。)

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 さて、今日のこと。「凍れる音楽」と讃えられる国宝の東塔は今、解体修理中で覆屋の中。残念ながら見ることはできませんがこれは想定内です。吉祥天像は金堂ご本尊のすぐ前にご開帳。も少し近くで見たかったけど生まれて初めてホンマ物みて満足ですわ。それよか金堂の薬師三尊像のお姿素晴らしいこと。特に左右脇侍の日光・月光菩薩。100%均整のとれた身体でもって、絶妙な腰の捻り。同じ国宝日光・月光菩薩でも東大寺法華堂のそれのストイックな姿の対極にある、リズミカルで生命力あふれる表現。もちろん菩薩というからには信仰の対象として造ったのでしょうが、人の手による造作として、この像はもう美の究極に至っていると思います。好きな仏像のトップ10に入ります。金堂は入り口が大きく開いてるので、外からお姿が撮影できました。

貧乏旅行その後

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 先日の清里彷徨の想い出の続きを書いておきます。写真17.jpg

 奈良県で生まれ育ちました。唐突ですが(^^)。

 奈良県民の大半が住んでいる北部の大和平野(戸籍上の名は「奈良盆地」といいます)では、近鉄の線路網が発達しているため、県民が電車といえば近鉄のことで、JR、かつての国鉄は非常に馴染みが薄い。わたしも幼少期はほとんど乗ったことがなく、「国鉄」なんて、あの超特急新幹線を運行しているらしい、どこか遠い遠い存在に過ぎませんでした。bullettrain

 高校生になって県南部の五條市(近鉄がなくJRが通る、県では希有な市)から通う友人や、国鉄桜井線沿線から通ってくる友人を見て、「国鉄ってホンマにあるんや」 とか思ったもんです。

 「特急」といえば近鉄特急のことでした。ちなみに奈良県はJRの定期運行の特急が全く走っていない唯一の都道府県やそうです(沖縄県を除く)。 なもんやから、東京にいた大学時代、新幹線以外の国鉄の特急電車に乗るのが嬉しくて。 

 で、話は清里に戻るのですが、飯森山を下りたあと、清里駅から小海線の鈍行列車で小諸まで行って一泊しました。そのあとが大変。

 軽井沢から上野までの切符は買っていたのですが、小諸の旅館を出たところで所持金がほぼ底をつきました Σ(゚д゚lll) ガーン。 今思うと信じられない、なんしか貧乏旅行でした。昨今のようにそこいらのコンビニにATMがあるわけではなく、銀行の店舗がないと預金を引き出せない。小諸に都銀はない。

 bus軽井沢行きのバスに乗りました。なぜ信越線に乗らなかったのか思い出せませんが、多分時間的に列車が無かったか、運賃が高かったからでしょう。なんせ当時の国鉄です。

 しかし所持金は軽井沢までのバス代にも到底足りません。バス車内前方で上がり続ける運賃メーターと財布の残額を交互に眺めつつ、もはやこれまで!というところでバスを降りました。あとは歩くしかありません。浅間山の噴煙を眺めながら、てくてくてくてく・・・

 10kmも歩いたでしょうか。やっと辿りついた軽井沢駅。へろへろの状態で乗ったのが「白山」とゆう特急列車でした。何とか東京に帰れる・・・゚(゚´Д`゚)゚。 

 以来何十年間、公私にわたり全国津々浦々を行き交うに特急列車はお世話になってますが、赤貧の学生時代、貧乏旅行の最後に乗った白山号は、ことさら想い出に残ってます。

甦る絶景

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 夏休みも折り返しを過ぎました。今日はよいお天気ですが特に予定なく、昼間からビールを飲みながら本を読み、まったりと過ごしました。週明けからいきなりフル回転の仕事が待ってます。そろそろリハビリしていかないと間に合いません。


 ところで、ゆうべタイガースのひどい試合の中継に嫌気さし、何気なく見た裏番組、温泉紀行で小海線の清里を取り上げてました。思わず懐かしさが湧いてきましたよ。

 東京にいた学生の頃は国鉄の鈍行に乗ってよく信州に遊んだもんです。センチメンタルジャーニーを気取って八ヶ岳の南縁、清里から野辺山までを歩いたのは確か2年生の春先でした。おもっきりオフシーズン、閑散とした清原駅に降り立った青年ひとり。

 清里は、今ではおもちゃ箱をひっくり返したような街になってしまいましたが、当時はホントに何もないただ小さな高原の駅でした。寒風の中、ハイキングコースに沿って牧場をとぼとぼと辿り、八ヶ岳に対峙する飯森山という小山を目指しました。山全体が牧場で木々がなく視界良好で、八ヶ岳の展望ルートとして整備されてます。風が強く寒い日でした。そこここに盛り上がる牛のウンチを踏まないように気をつけながら辿り着いた頂上からの眺め、眼前にひろがる八ヶ岳山塊の絶景に息を飲み、何十分も座り込んでいたことを覚えています。

 いつかもいちど登ろうと思いながらの幾星霜、未だ果たせずにいます。

 写真は最近になって、それでも10年以上前ですが、佐久甲州街道(R141)をクルマで辿ったときの野辺山での1枚。

 やっぱし、高原には列車が似合うかな。

白い列島

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 冷え込んでます…

  日本中この冬一番の大寒波に襲われ、あちこち大雪だそうです。ニュース番組では記録的積雪量だの、東京でも雪が積もっただの、九州にも降っただの、連日トップで伝えています。画面で雪国の光景見ていると、日本が世界でも有数の豪雪国やということを実感できます。

 私は雪が好きです snow

 一晩降り続いた雪が上がった朝、一面真っ白、独特の し~ん… とした雰囲気が良いのです。
 

 しかし大阪はホントに雪が少ない。今度の寒波でもときおりちらちらと舞った程度で、およそ積もったりしません。「2010E2075.jpg冬の風情に乏しい。積もるほど降らんかなぁ」雪国の方々の苦労も知らずに思ったりします。


 故郷は奈良県の南部山間、もちろん雪国ではないですがそれでもひと冬に何度も積雪がありました。朝起きて雪が積もってたら「やったぁ!」でした。そのまま大人になったような次第です。 

 雪といえばスキーですが、今のゲレンデはスノボが主流やそうですね。行かなくなってもう10ン年になります。


やめたわけではなくてチャンスがあればとは思ってますが、当時の板も靴ももう使えんでしょな。


 若い頃は、年末の仕事納め翌日に北海道に出発するのが恒例で、ひと冬に何回かは必ず行ったもんです。2010E2076.jpg

  千歳空港からニセコやルスツまで仲間で大型バスチャーターのバブリーな大名旅行でした。当時スキー旅行は滑りそのものより、仲間とのコミュニケーションと夜の宴会とを楽しむためのもので、「飲みに出かけたところにたまたまスキー場があった」などと言っておりました。リフト1日券買って1本か2本しか乗らず、ひたすら飲んでリゾート満喫、なんてこともありました。

 airplane往復の機上、上空から見渡した真っ白な日本列島は想い出の絶景のひとつです。


 長いあいだ、雪に埋もれた感覚とはご無沙汰。


 降らんかなぁ…

 

故郷のこと

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 「遠きにありて...」といっても、わりと近い。奈良県南部の山間なのですが、近年高速道路も延びてクルマで2時間もかからない。おかげさまで両親も健在、親戚も多かったりで2、3カ月に1回くらい帰ったりしてます。

 生まれてから20年近く過ごしたわけですが、もう故郷離れてからの方がはるかに長くなりました。今住んでる街は、やたら高い住民税を取られていますが、それに見合うサービスを享受している感覚は、とてもありません。

 子供の頃住んでた家はとっくに無くなりましたが、故郷の町は自分を人間として育んでくれた空間ということで、やはり限りない愛着があります。 「ふるさと納税」ずっと続けてます。せめてもの感謝の印。

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 ご多分に漏れず、過疎が進んでいます。「発展」とは言わないまでも、何とか現状を維持してもらわないと、このままのペースで人口減少が進めば、近い将来限界集落となってしまいそうです。

 自分が通っていた頃、もう半世紀近く昔ですが、町内に7つあった小学校が統合、統合でとうとうひとつだけになってしまいました。私の母校も閉校しました。

 もう子供たちの姿はありませんが、校舎は今も残っています。何年か前、同窓会があった日に、集まった同級生たちと行ってみました。

  校舎外観はほぼ当時のままです。ここで6年間、いろんなことがありました。卒業時点で人生の半分を過ごしたわけです。今の感覚ならば20年以上の長さに相当するでしょうか。

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 今はもう草むした校庭の片隅、校門のすぐそばに、当時、1本のメタセコイヤの樹が立っていました。6年間、私たちの学校生活をずっと見守ってくれてた懐かしい記念樹です。この樹はおそらく、私が生まれるずっと前から、この小学校で数え切れないほど多くの子供たちを迎え入れ、送り出してきたことでしょう。

 残念なことに、見事に切り倒されていました。管理する人がいなくなると大木は手に余るものだとは聞きますが・・・閉校になっても、この樹だけは残しておいてほしかった・・・

 今はこの切り株も朽ちて無くなってしまってるかも知れません。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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