しゃぶしゃぶの思い出

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 菅総理の長男による、総務省幹部への接待疑惑が取り沙汰されてます。

 長男は東北新社という放送事業会社の部長さんやそうで、事業に対する便宜を図ってもらう見返りに高額の接待を行ったという構図で、ようは贈収賄の汚職事件です。この会社の創業者が菅首相の支援者で多額の献金をしているとかで、総理とはズブズブの関係なんやとか。

 東北新社に限らず放送関連会社は、政治家の子女を社員として採用することで、その政治家のチカラを利用して監督官庁との折衝を有利に動かすことは常識とされているそうです。業界では「東北新社は運が悪かった」とか「あれくらいのことでなぜ?」ぐらいの認識しかないらしい。そういえば、もっぱら首相と政府の悪口を垂れ流すことで視聴率を稼いでいるTBSの「サンデーモーニング」などもこの事件に関しては妙に大人しいのはなぜか。某財務大臣の甥はTBSの社員やし、小渕元総理の娘の小渕優子元特命大臣もそうでした。分かりやすくてよろしい。

 ところで、官僚による汚職事件といえば、前世紀末の大蔵省での前代未聞のスキャンダル、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」を思い出します。

 当時の大蔵省は銀行や証券会社に対する強大な許認可権をもち厳しい検査を実施していたところ、多くの銀行等から賄賂を貰って見返りに検査日程や内容をもらしてたというとんでもない事件でした。贈賄の方法として使われたのが、新宿歌舞伎町のノーパンしゃぶしゃぶ店での接待で、大蔵の役人の側から「あそこに連れていけ」という希望があったんやとか。

shabushabu.jpg 事件が発覚し、責任をとって時の大蔵大臣が辞任に追い込まれ、官僚にも大量の懲戒処分者を出し、霞が関の歴史上最大の汚点となりました。この不祥事の結果、財政管理と金融機関指導の権能の分離が進み、大蔵省は財務省と金融庁に分割編成されました。奈良時代以来1300年使われてきた「大蔵省」の名前を葬り去ったことからも、当時の国民の批判の厳しさと影響の大きさが見て取れます。

 この事件、個人的にもほんの少し関わりがあったんでよく覚えてるんです。と言ってももちろん、そのしゃぶしゃぶ屋さんにわたしもいましたなんて話ではありません。

 事件が発覚し、いち国民として大いに憤慨した若き日のわたしは「責任とるのは看板にすぎない大臣ではなくて実務トップの事務次官やろ」と朝日新聞に投書したわけです。すると朝日から「明日の朝刊に掲載します」と電話がありました。うっほー!

 ところが翌日の朝刊みても載ってません。「あり?今日と違ごたんかな」と思っていたところ、その日の夕方再び電話がありました。「貴方が言ったとおりになりましたんで、掲載やめました」どっひー!

 実は最初の電話があったまさにその日の夕刻、日銀総裁に栄転していた事件当時の大蔵事務次官が、大臣に続いて責任とって総裁を電撃辞任したのでした。

 辞任がせめてもう一日遅かったら、拙文が掲載されてたのにと悔しい思いをしたことで、23年経った今でもこの事件のことをよく覚えているというわけです。

 同様にこのしゃぶしゃぶ事件を契機として、国家公務員倫理法が整備されたので、役人が接待、饗応を受けることは一切禁止されたと思っていたところ、なんのことはない今回「誘われたら断らない女」を自認する高級官僚がひとり7万円以上もの接待を平気で受けていたというから呆れてしまいます。

 今回は首相の身内が関係者やったことで大騒ぎになりましたが、おそらく氷山の一角なんでしょう。多くの官僚が「ほとぼりが冷めるまでしばらくの間は、甘い汁は我慢やな」と舌打ちしていると思います。「人民は弱し官吏は強し」は星新一の名作のタイトルですが、現在では「人民は強(したた)か官吏は卑(いや)し」とでも言い換えるべきでしょう。

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katsuhiko

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