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あの日から30年

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 先週、久しぶりに四国徳島に出張しました。

 前回徳島を訪れたのは、もう相当以前になります。今回の出張が決まった際、飛行機の手配をしようとしたところ、時刻表に伊丹‐徳島の便が見当たらない。調べると、もう10年以上前に廃止されたとか。かの明石海峡大橋が開通したことで、利用者が激減したらしい。

 大阪‐徳島は直線距離にしてわずか100kmたらず。すぐ近くなのですが、いざ行くとなるとなにぶん間に海があるためなかなかに厄介でした。のんびりフェリーに乗るか、岡山、瀬戸大橋経由ではるかに遠回りするしかなかったのです。そこで時間を惜しむ際に何回か飛行機を利用しました。航行距離が短いので離陸したと思ったらすぐに着陸。時刻表上は30分のフライトですが実際に飛んでる時間は10分ちょっとやったように思います。いつの間にか阪神‐四国が陸続きとなり、今や高速バスがバンバン行き交っています。人の移動も物流も格段に便利になっていることをあらためて感じた次第です。

IMG_3273.jpg 往路は日が暮れてたのでよく分かりませんでしたが、帰りにあらためて明石大橋眺めてみるとそのスケールのデカさに驚きます。大鳴門橋(左)と比べてみても橋脚の規模がまるで違います。さすが、ぶっちぎりの世界最長。よくこんなもの造ったもんやと、あらためて日本の土木建築技術の凄さを思いました。

 さて、徳島には学生時代をともに過ごした仲の良い友人がおり、今回の機会に一献傾けて旧交を温めることにしました。青春時代ともに苦労したなどというと彼に怒られそうです。なにせ彼は私なんかとは違って、努力して大学卒業後すぐに司法試験にパスした本当の俊才なのです。

 30年前、忘れもしない昭和60年8月12日の夜、彼と私は吉祥寺の酒場で飲んだくれて騒いでいました。彼は司法試験浪人中、私は卒業後関西に帰って就職した社会人1年生で初めてのお盆休暇を利用して友人たちに会うため上京していたのです。世間はバブル前夜の喧騒に満ちており、今思うと何か起こりそうな蒸し暑い夜でした。

 夜もふけて、ヘベレケになった彼と私は彼の自宅に向かうべくタクシーに乗り込みました。するとラジオから流れるのは音楽ではなく、アナウンサーが延々と人の名前を読み上げています。

 「う、うんてんしゅさん、なにかあったのれすか」
 「う~ん、何だかね、飛行機が落っこちたらしいよ」Boeing_747_JAL.jpg

 酔いも吹っ飛んだ彼と私はその夜、一晩中テレビにかじりついていました。次第に明らかになっていく御巣鷹山の惨状に愕然としたあの夜から、今年の夏で30年になります。彼と飲む際には必ずあの夜のことが話題になるのです。もし友人たちがあのお盆の時期に集まろうという話が無かったら、彼はあの日に徳島に帰省していたかも知れない。お盆の帰省ラッシュの混雑で羽田‐徳島便や新幹線の指定が取れなかったら、123便に搭乗していた可能性もゼロではなかった、と。

 先日は、当時の友人のひとりがすでに亡くなったことも彼から聴きました。あっという間に過ぎていった感もありますが、30年はやはり長い。

 当時の他の友人たちともまた集まろうや、連絡とってみる、ということで別れました。やはり東京でということになるのでしょう。将来、リニアが走っても大阪‐東京の航路はさすがに廃止されることはないでしょう。しかし、私は飛行機ではなく新幹線で上京することにします。

 梅雨の中休みでしょうか。昨日、今日は爽やかな朝となりました。

 さあ、間もなくサッカーワールドカップ日本代表の初戦が始まります。ブラジルは日本の真裏なんで時差12時間。ということは現地時間夜の10時キックオフってちょっとどうよと思いますが、おかげで日本ではいい時間帯に観戦できます。開始までの時間で、気もそぞろのブログ更新です。

 お天気がいい休日の朝、早起きすると実に気分がよろしい。書斎の窓は東向きで朝日がもろに入ってきます。窓を全開し雀の合唱を聴きつつ、とりあえずCDで音楽をかけるのですが、さて何を聴くか。これが厄介なのです。すっと決まればええのですが、なかなかピタッとこないことも多い。

 そんなとき、とりあえず鳴らす「朝用とりあえずのコレクション」CDを1枚焼いてあります。朝ですよ~感満載のナンバー寄せ集めです。img017.jpg

 その1曲目が、Randy Vanwarmerの"Just When I Needed You Most"。邦題「アメリカン・モーニング」(^^;)

 ものすごい邦題です。歌詞読むと「僕が一番いてほしいときに君はいない。ドアも閉めないで雨の中に消えていった。あーあ振られちゃった」沢田研二の「♪壁際に寝返りうってる間に出て行ってくれ~」に通ずる、つまりは失恋の唄なのです。ところがメロディや歌声なんかが爽やかな朝の雰囲気にピッタリってんで、大胆にも何の関係もない邦題つけて、朝の歌ですよ~って売りだしたらなんとこれが大ヒットしたと。なかなかおもしろいもんです。

 この曲の想い出があります。

 学生時代、アルバイトしてた喫茶店のこと。

 アパート最寄りの駅前商店街にあったこのお店、オーナー(社長)が会社にして何カ所か経営してるお店のうちのひとつでした。時給は460円で、当時としてもこれは破格の安さ。たんまり稼ぐのならもっと割のいいバイトは他にたくさんありましたが、この店で働いていることで友人も増えたり、わりと楽しかったりで、まったりと続けてました。

 店長も社員さんでした。たしかわたしより3つか4つ年上で、高校卒業後大きな中華料理チェーンに就職して調理師免許を取得、その後、親友の高校同級生と二人同時にオーナーに引き抜かれてこの店を任されたと聞きました。

 いい人でした。サイホンでの珈琲淹れ方から、ピラフやスパゲティーの作り方、水商売のノウハウまでいろんなことを教えてもらいました。

cafe.jpg 営業時間終わってお店閉めてから、ビールやウイスキー出してきて一緒に遅くまで飲んでいるうちに、酔いがまわった店長は語り始めます。

 スキーが好きで、いずれこいつ(親友さん)と二人でスキー場でペンションを持つつもりなんだ。そのために今は頑張っていると、おおむねそんな話でした。

 スキーは私も学生時代からやってましたが、当時はブームのハシリやったように思います。すこしあとに訪れる「バブル」に向かう時代、あちこちにスキー用品専門店"ALPEN"の青い三角が現れ、大資本が次々にスキーリゾートの開発に乗り出してました。松任谷由実の「BLIZZARD」や「サーフ天国、スキー天国 」が流行ったころです。ゲレンデは大混雑、もっぱらスキーヤーのみでボーダーはまだ現れてませんでしたが。

 ともあれスキー場は大盛況でしたから、店長さんと親友さん、夢にむかって力を合わせて過酷な勤務に耐えていたのです。はっきりとした目標を掲げ邁進する姿は傍でみていてもなかなかにかっこいいもんでした。ところがその後、その喫茶店つぶれてしもて、バイトのわたしはあえなく解雇。転職した二人とはそれっきりとなってしまいました。

 さて、その店長が好きな曲で毎朝店のBGMで流してたのが「アメリカン・モーニング」やったのです。「いいだろ、この曲。朝、ペンションのテラスで聞くときっと最高だぜ~」とよく言ってました。で、今でもこの曲聴くと、あの店長さん思い出すのです。

 今となっては知るすべもありませんが、はたして二人は夢をかなえてどこかのスキーリゾートで小さなペンションを経営しているのでしょか。その後のバブル崩壊からスキー人口の激減などの時代の流れを見るとなかなかに状況は厳しいと思いますが、二人の青春の夢、何とか実現していてほしいもんです。

寄らば楠の蔭

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 職場に隣接する城北公園には、大きなクスノキがたくさん植わってて、この時期、舗道に大量に落ち葉を降り積もらせています。落葉樹が秋に紅葉を経て葉を落とすのに対して、常緑樹のクスノキは晩春から初夏に葉を落とすのです。葉の寿命は1年ですが、古い葉を落とすとすぐに新しい葉が生えてきて入れ替わるので落葉樹のように枝に葉のない期間がありません。

 落ち葉を踏みしめながら見上げると、そこは冬木立の枝ではなく柔らかな黄緑色の葉をつけた枝が幾重にも伸び、晩春の陽光に映えています。常磐木落葉(ときわぎおちば)といって、5月の季語にもなっているそうです。秋の情緒では主役を張れる落葉も、桜の花が散り徐々に若葉が茂りはじめるこの時期には気にとめる人とて少ないのに、歳時記はしっかりと季節感を与えてます。昔の人はエライ。

 クスノキは大木になりやすく、全国の巨木ランキングでも大半をクスノキが占めてて、その多くが国や都道府県の天然記念物に指定されてます。日本最大とされている樹も鹿児島県の「蒲生(かもう)の楠」。クスノキです。NAGO.jpg

 学生時代、奈良の実家への帰省の際には名古屋で新幹線と近鉄とを乗り継いでたのですが、名阪特急往復の車窓の眺めでいつも楽しみにしていた巨樹があります。一面田んぼが広がる伊勢平野の中にただ1本悠然と屹立しているさまが走る列車から見えるのです。調べてみると「長太(なご)の大楠」という、やはり有名な巨樹やとわかりました。

 たいがいの巨木は山中や神社の境内やなんかにあって、その周りに多くの木立を従えてるものですが、このクスノキの周りは1本の高木もない。それどこか、まっ平らの田んぼの真ん中で、近くに建物など人工物もないもんやから、近鉄の線路からはおそらく4~500mはあると思いますが、それだけ離れてても実によく見えるのです。

 一度間近で見上げてみたいと思いながら、いまだ果たせずにいます。(写真はgoogle S.V.から拝借)

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 ところで、こないだの日曜日、お天気がよかったので久々に奈良を歩いてきました。これまであまり訪れることのなかった近鉄奈良駅の北側に広がるエリア「奈良きたまち」をぶらついてきたのですが、般若寺の近くに神社が一座鎮座しています。奈良検定のテキスト読むまで知らなかったのですが「奈良豆比古神社」という由緒ある神社で、ここに伝わる民俗芸能の「翁舞」は能楽の原典として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 それはさておき、ここのお社の裏に直径数十メートル、スリバチ状に凹んだ大きな窪地があり、そこに1本とてつもない巨木が立っているのです。県の天然記念物に指定されているこの巨樹もクスノキです。樹齢約1000年。根元の幹回り12m以上あり、すぐそばに立って見上げるとその迫力に圧倒されました。

 神社の周囲は閑静な住宅地で、鎮守の森とはいえこんなイビツな地形など通常ならそっこー整地、利用されてたはずですが、いにしえの地形のまま保たれてるのは天然記念物であるこの巨樹のせいやろと思います。

 樹木は地球上最長寿の生命体でしょう。もとは一粒の種子から芽吹いた命がこれほど巨大に成長を遂げる自然の神秘を思います。しかしそのためには人でいえば何世代もの長い長い年月を要します。過去、人の都合でどれほどの樹木が切り倒されてきたことか。いきなり巨木をこしらえることはできないわけで、自然災害はしかたがないとしても、少なくともいま存える名木たちは大事にしていってもらいたいもんです。

 日本最大の巨樹「蒲生の楠」も、いちど見てみたいなあ。九州出張でもあれば、足を延ばそうかと思ってます。

12月の旅人

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 あけましておめでとうございます。

 今年は全国高校ラグビーにわが学園の2高校が出場しておらず、久しぶりに花園に出かけないお正月となりました。年末の開会式には昨年の優勝旗を返還するため、主将だけが参加しました。可哀想なもんです。来年は是非とも雪辱を果たしてほしいものです。

 さて、年の瀬も押し迫った12月30日大瀧詠一氏死去のニュースが伝わりました。

 30数年前、私は1年間の大学浪人時代を終え、晴れて大学生となり希望に胸膨らませて上京したのですが、今思い出してみると、その学生生活開始の号砲となったのが、大瀧の最大ヒットであり一世を風靡した名盤 「A LONG VACATION」でありました。当時ラジオでも街中でもしょっちゅう流れていました。アルバイトしてた喫茶店でも有線放送で毎日かかってました。「君は天然色」の弾けるようなイントロを聴くと10代最後の懐かしい日々が脳裡に甦ってきます。

 アルバムの最後を飾る「さらばシベリア鉄道」ははじめ太田裕美が歌い、あとで大瀧がセルフカバーした曲です。哀愁を帯びたメロディーがなんともいいですよね。よくカラオケでも歌った大好きな曲でした。

 その後大瀧さん、ドラマの主題歌やなんか出してたそうですが、よく知りません。私が知らないだけで、いろんな音楽活動されてたのでしょうけど、やはり大瀧詠一といえば「A LONG VACATION」ですよね。青春時代の印象は強烈です。

 LPレコード持ってたような気がしてたのですが、探してもこれがない。つまり、貧乏学生生活の中ではやはり買うことができずレンタルレコード経由でカセットテープで聞いていたのでしょう。そう。その頃はCDレンタルではなく、なんとLPやEPのレコードもレンタル店があったのです。よく利用してました。発売直後の新しいレコードはいいのですが古いレコードはしだいにキズが増えていき、使用に堪えなくなるものも出てきます。返却のときに店員さんが一応チェックしますが、かたちだけやったように思います。

 音楽産業のかたちもずいぶんと変わってきました。媒体がレコードからCDへと変わり、いまではダウンロード販売が増えてきています。書籍と同じく出かけなくても好きな曲を入手できる便利な時代になりました。はたしてCDやビデオのレンタル業もこの先どうなっていくのでしょうか。

 天然色に輝いていた日々に思いを馳せ、「シベリア鉄道」あらためて聞きながらのブログはじめとなりました。

 ラグビーがなかったいつもと少し違う穏やかな正月も過ぎ去り、普段どおりの日々が戻ってきます。今日は日曜日やというのに仕事始め、経済団体恒例の賀詞交換会に出席します。

 本年もどうかよろしくおつきあいください。

小学館の憂鬱

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 東京一ツ橋の小学館ビル改築にあたって、漫画家さんたちが1階屋内の壁に落書きしたところ、それを知った人たちが見せろ見せろと大騒ぎになっています。そらそうでしょ。当世大人気の漫画家の直筆が一堂に集まっているのみならず、もうすぐ取り壊して無くなってしまうというのやから、その価値たるやプライスレス。まさに一見に値する貴重なお宝です。

 昨日、今日と一般公開されてて中に入って見られたそうですが、整理券発行で人数制限されたらしい。雨の中、多くの人たちが並んだことでしょう。行ってみたいけどどうにもムリ。わかってました。なもんで実は、先週の東京出張の際にちょっと足を伸ばして見てきたのです。

 ビルの前は平日の早朝ということもあり足を止めて見入る人もまばらですが、中にはわたし同様明らかにこれが目当てで来ましたという出で立ちで、カメラを三脚にセットしはじめる人も。

 P8203856.jpgもちろん建物内部には入れませんが、ブラインドなどもないので外からでも奥の方まで見えるようになってます。また、窓にもたくさん描かれてて、これは裏返しになるわけやけど後ろから白い紙が貼られててはっきりとよく見えます。中には外からの鑑賞に配慮してセリフを鏡文字で書いている絵もあります。小学館、これはなかなかの配慮ですわ。きっと話題作りでやってみたところ、できあがったものを見てはじめてそのとてつもない価値に気がついた、というところでしょうか。

 どうするよ、これ。本当にこのままとり壊してしまうのか。

 ところで、小学館といえば「小学館の学習雑誌」、好きでした。子どものころ、ほぼ連載マンガ目当てで買ってもらってたわけですがそれ以外の読み物や特集記事もまたおもしろく、あまり読まなかった学習ページもそれなりに興味を持てるよう工夫されてて、今思うと子ども向けの総合雑誌としては実によくできてました。学年ごとにターゲット絞れるので、読者の興味あるテーマについて突っ込んだ記事構成ができます。親は勉強ページを読ませたい。子どもは連載マンガが読みたい。ただのマンガ雑誌には無いこの凌ぎあいが長く支持されてきた要因でしょね。BENKYO.jpg

 ライバル誌は学研の「学習」と「科学」で、こちらは確か発売日に本屋さんが小学校に配達に来てたように思います。記事内容がグッと勉強モードにシフトしてて、わたしとしては「小学○年生」ほどの興味はない。ただ、こっちは付録が豪華でした。日常できない科学実験セットなんかが付いてて、これには興味津々こころときめいたもんです。つまり「グリコ商法」やったわけですな。高学年になるにつれて購読止めてしまってもっぱら小学館の方リスペクト、小学生時代懐かしのアイテムです。

  ところが時代は流れてこの小学館の学習雑誌、近年の少子化に加えて子ども達の娯楽の多様化の波に抗えず、なんとここ2、3年で「小3」「小4」「小5」「小6」あいついで休刊となり、今残っているのは「小学1年生」「小学2年生」2誌のみとなったそうです。一世を風靡した「勉強マーク」の威光も今は昔、げに恐ろしき子ども絶対数の減少です。大丈夫かニッポン。

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 わが家にも当時買った「小学○年生」何冊か残っていますが、比較的あとの時代の「小6」は1年分全部揃ってます。一部無くしてしまって近年になって古書店で入手したのも混ざってますが(^^)。今回、時代を経て発行元の小学館ビルの改築に立ち会った機会に、押し入れの奥から引っ張り出してきました。久しぶりにパラパラとページめくって見ると、驚いたことにほとんどのマンガのストーリーや記事の内容など、覚えてます。ちゃんと思い出せる。純心無垢な少年の脳には、砂漠の慈雨の如く浸透してしっかりと刻み込まれていたのです。

 これが最近やと、例えば文庫本で読んだ本のタイトルから内容を詳しく思い出せるのは、まあマレです。ミステリだと、犯人が誰やったかなんておそらくかなり読み進めないと思い出せんのやないやろか。情けないことに以前に買った同じ本を忘れててまた買ってしまったことも少なからずあります。

 これは記憶容量の飽和なのか、記憶力の衰退なのか、いずれにしてもおそろしい話・・・(^^;)

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WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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