お出かけの記録の最近のブログ記事

悠久の文字物語

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 台風が今度はオーソドックスに南西の方角から列島に迫ってます。どうやら週明け月曜日は雨になりそうです。いいお天気やった今日はなんと休日出勤で、先ほど帰ってきたようなわけで、今時分のブログ更新となりました。
 
 仕事は昼過ぎに終わり時間ができたので、行こう行こうと思って果たせてなかった博物館の特別展示に行ってきました。大阪府弥生文化博物館で開催中の「世界の文字の物語」展。今日が最終日で滑り込みセーフでした。
 
 「約5000年前、西アジアに栄えた都市において、粘土の板に情報を刻み付けることを思いついた人がいた。
  その発明によって形を得た言葉は、悠久の時と遥かな距離を超えて未来へと紡がれていく。」
 
 なんという壮大なロマン。よく、人間と動物との違いは何かということが問われますが、いろいろあるうち「文字を持つ」ということはその答えのひとつと言えるのではないでしょうか。言葉というか鳴き声によるコミュニケーションはいろんな動物が行ってますが、文字をもっているのは多分人間だけでしょう。IMG_7045.jpg
 
 生物学的な人間の歴史は人がサルから進化する過程で徐々に進んでいきましたが、社会学的な人の歴史(文明と呼んでもいいかも知れません)は文字の誕生によって始まったといえます。西アジアでメソポタミア人が楔形文字を、シュメール人がウルク文字を発明し、人の行き来によって世界各国に「文字」の概念が広まるとともに、地球上のあちこちで独自の文字文化が発達を遂げ、無数の文字が生まれて消えていきました。日本には4世紀になってようやく中国から漢字が伝わり、その後かな文字としてわが国独自の発展をとげ現在に至っています。卑弥呼がいた頃に誰かが日本独自の文字を発明してくれてたら、日本史はもっとさかのぼれてたのにと思うのです。
 
 人類は、言葉を得たことで論理的思考が可能となり、他の動物と決定的に一線を画する地位を獲得しましたが、その後文字の発明によりことばを正確に記録することで、さらにダイナミックな発達を成し遂げたのです。文字は人が人であることの証なのです。
 
IMG_7047.jpg 特別展は、そんな文字の歴史をたどる展示でした。ヒエログリフ、楔形文字は当然のこと、世界中に存在する多くの文字が展示されてて、実に興味深かった。フェニキア文字、ギリシャ文字、ゴート文字、ルーン文字、キリル文字、クメール文字、タミル文字、そして漢字、かな文字。実に多くの文字があるものです。多分あるやろなと思っていたところ、やっぱりロゼッタストーンの複製も展示されてました。
 
 いろんな文字のサンプルとして展示された多くの遺物を観てると、これらを創造した大昔の人たちスゴイなあと思うとともに、書かれてる内容を解読できる人たちはさらにスゴイと思います。わたしなど親の世代に書かれた手紙の文字さえ達筆すぎて読めないことが多い。日本語ですら分からないのに、言葉も違うしもちろん文法なんか知らない、距離と時間を遥かに隔てた他国の文字を解読するなど、まさに人間技ではありません。
 
 わが国では漢字とかなの両方を使っていますが、「日本人なんやから漢字なんかやめてしまおや」という画策がいろんな時代にあったそうです。かな一辺倒にするか、あるいはいっそのこと仮名もなくしてローマ字表記だけにしたらもう漢字覚えんでもええやん、なんて運動もあったとか。やめてもらいたいもんです。
 
 漢字なくすと日本語と日本文化の発展を著しく阻害します。朝鮮・韓国ではかつて漢字ハングル混在で使ってたのに、戦後に漢字を使わなくしてしまいました。その結果、国語が貧弱化していくとともに漢字世代と若者との文化隔絶も進み、いまさら漢字教育なんてできないし、やめときゃよかったなんて言ってるそうです。
 
 表意文字の漢字があるから書いてあることの意味が一瞬で理解できるし、同音異義語も確実に正しく認識できます。いろんな標識が漢字で書いてある場合と、ローマ字の場合とを比べると、理解するまでの時間には著しい差があります。たまにEメールアカウントの名前や署名欄をローマ字表記している人がいます。アホかと。頻繁に海外とやりとりするのでなければ、自分の名前くらい漢字でかけるようにしなさいよ。相手に失礼です。
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 四国松山に行ってきたぞなもし。
 
 経済団体の研修遠足で、先進的、特徴的な経営を展開する企業や大学を訪れるシリーズものの企画です。つらつら思い起こすに、松山は多分3~4回目、前回は大学校友会関係のイベントで来たものと記憶しとります。かれこれ10年以上前のことで、それ以来になります。
 
 新幹線を岡山で特急しおかぜ号に乗り換えて3時間弱。なんとなく松山は瀬戸大橋を渡って西に少し行ったあたりという感覚があったのですが、さにあらず列車はさらに西へ西へ。四国地図の左上のふくらみをくるっと周ったところまで行かねばならないので、これは思いのほか遠い。そいやこれまではすべて飛行機で、列車でトコトコきたのは初めてです。
 
 道後温泉では本館が変わらぬ風情を醸してますが、来年から耐震改修工事となるため、千と千尋のモデルともいわれているこの全容はしばらく拝めないかもということです。
 
IMG_6894.jpg  粛々とお仕事をこなし、せっかくの機会ということで延泊して時間をつくり、かねて行ってみたかった「坂の上の雲ミュージアム」を訪れました。まだ午前9時とはいえこの夏一番の炎天下、リオ五輪の開会式の開催中ということも影響してか松山市内は人もまばら。たどり着いてみると、言われなくても「これ安藤忠雄やろ」と分かる斬新・珍妙な三角形のミュージアムに、なんと一番のりで入館しました。
 
 館内からは松山城山の南麓に立つ「萬翠荘」というカッコいい洋館がよく見えます。夜はライトアップがキレイなんやとか。大正時代、旧松山藩ゆかりの伯爵が別邸として建てたらしい。
 
 「坂の上の雲」といえばいうまでもなく司馬遼太郎の代表作のひとつで、明治の昔松山から巣立ち、近代日本の黎明期を駆け抜け歴史に名を遺した三人のヒーロー、正岡子規と秋山好古・真之兄弟の青春を通じて、日本とはなにか、日本人はどうあるべきかを問うた司馬遼渾身の傑作です。かつて少しふれたことがあるのでハショりますが、「竜馬がゆく」と「翔ぶが如く」そして「坂の上の雲」は日本人なら一度は読んでおきなさいということだけ再掲させてもらいます。IMG_6896.jpg
 
 子規が東京帝国大学を中退したということから、子規と帝大とのかかわりや東京大学の歴史を詳しく展示してある一角があり、わたしも大学関係者のはしくれということで血が騒いだんやろと思います。興味深く見入ってしまいました。列強に追いつけ追い越せ、そのためには人材の育成が何よりの急務、喫緊の課題であるというなかば焦りにも似た国家の危機感がひしひしと伝わってきます。
 
 と同時に一方国民には単純な向上心と言って片づけられない底知れないハングリー精神がにじんでいます。かつて日本にもこんな時代があったんやでということは、学校で、社会で繰り返し見聞きして理屈では分かっているけど、リアルな展示物を目の当たりにしてみると、近代日本の礎を築いてきた明治の国家と国民の精神がダイレクトに伝わってきます。
 
 そしてのち、今の時代を振り返ってみると、先の大戦で牙を抜かれてしまったとはいうけれど、強くありたい、優しくありたい、人間力を高めたいという思いは連綿と受け継がれ、その結果、現代のグローバル展開の中で日本と日本人は確固たる地位を築きあげてきたのです。
 
 坂の上の雲ミュージアムは単にいち作品の記念館ではありません。近代日本の歴史を象徴的に綴った大叙事詩への招待であり、日本人はどうあるべきか、どこに向かうべきかを導く、まさに作品のコンセプトを視覚的にあらためて訴える空間であったのです。
 
 今回に見学では、当時の時代を生きた日本人のすべてに深甚なる敬意を感じました。そして前夜、市内二番町の某お店で絶品の若鳥をいただいたときと同様に、またつくづく思うのです。日本人でよかったと。

書の趣き

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 今日もいいお天気です。ていうか天気予報では真夏日になるとか言うてます。さわやかな初夏の陽気の中、昨日は「大阪府地域防災総合演習」というのんに参加して、淀川の河川敷で土嚢積みのお稽古をやってきました。水害対策で、3年に一度やるということで訓練の内容もさることながら、前回の演習からもう3年も経ったのかということに驚いたのです。
 
 そして午後からは、大阪市立美術館で開催中の「王羲之から空海へ」という展覧会観てきました。会期は今日まで。招待券もらったので行こう行こうと思いながらなかなか思い果たせずにいました。やっと昨日の午後時間ができたのでいそいそと出かけたところ、会期末でやはりというか壮絶な混雑でした。IMG_6495.jpg
 
 絵の展覧会はよく行くけど、思い起こすに書道展は記憶にない。だいたい書道はあんまり馴染みがありません。幼少期よりお習字は習っていたものの、高校時代に芸術科目で音楽を選択したことで訣別し、以来筆を持ったことなどほぼ皆無です。したがって、私は字はヘタです。
 
 空海といえば言うまでもなく「三筆」のひとりで日本の歴史上、字がいちばん上手やった3人のうちのひとりです。あと二人誰やったかな。一方、王羲之はウィキペによると「書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として、書聖と称される」とか。西暦303年生まれと言いますから、当時世界の最先進国やった晋の時代、日本ではまだ歴史の記録など無く古墳造ったりしてた頃です。たいそう字がうまかった人ということで、私でも聞いたことはあります。
 
 残念ながらわたくしは絵画同様、書に関してもなんの素養も持ち合わせないのであって、個々の展示品の芸術性などはっきり言ってよく分かりません。今回もお目当ては空海の「風信帖」が展示されると聞きおよんだからという、そう、いつもながらの超絶ミーハー精神の発露にすぎないわけです。
 
 壮絶な人混みをかき分け、間近で見るにこの空海の真筆、みる人がみると素晴らしい筆跡ということになるのでしょうが、わたしには分かりません。自分が書けるとは絶対に言いませんが、もっと字が上手な人はいっぱいいそうな気がします。しかし、これは国宝、日本の至宝とされています。
 
 つまり字そのものよりも、歴史上超有名な弘法大師空海の手になるものという来歴がはっきりしてる、ということが大事なんでしょ、きっと。
 
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 その他の書を鑑賞しようにもとにかく大混雑で、思うように展示品に近づけない。時間を節約するため能書きに「国宝」とか「重要文化財」と書いてあるものを中心に、その他はパスしていきます。どの書も特徴があって、なかなか趣きがあり芸術性が高いようには感じるものの、やっぱりよくわからない。中には書き損じてグチャグチャと消した字があったりで、むしろそんなところに親しみを感じます。こういう部分は教科書には出てこないなあ、とか思いながらひととおりみて回りそれなりに楽しめました。suiteki.jpg
 
 一方、うちの奥さんはかつて書道をたしなんだこともあるとか言ってますが、うち中どこ探しても筆や墨は出てきませんのであやしいもんです。しかし、その片鱗というかなんというか、結婚するずっと前から変わったコレクションしているのです。 
 
 水滴といって、書道で硯に水を注いで墨を擦るときに使う道具なんやとか。かつて私が幼少の頃やってたお習字など、使う墨はもっぱら墨汁で、墨を擦ったことなど記憶にありません。したがって水滴なんて見たこともなくて、初めは「醤油さし?」とか言って怒られたことを覚えてます。
 
 お茶碗や皿と同様に陶器のコレクターズアイテムなんやとか。部屋の壁に専用の棚までつくり付けるほど熱心に集めてて、旅行したときには土地土地の「何とか焼き」の水滴買ってきてたもんです。ところが近頃ではまったく増えていません。飽きたんやと思います。この、棚に並んだ水滴たち、地震には全く無防備です。阪神・淡路のときには住んでた家が狭くて、コレクションは箱に入れて押入れにしまってたので損壊を免れたのです。次の大地震がくるまでには何とかせねばと思ってます。

文楽

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 「いもうとせやまふじょにわくん…何これ?」
 
 昨日、初めて文楽鑑賞に行ってきたのですが、うちの奥さん誘ったときの反応は、まあ予想どおりでした。
 
 正しくは、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という演目です。以前、同じ国立文楽劇場で、生まれて初めて観た歌舞伎の演目が「義経千本桜」の三段目で舞台は吉野下市村。私のふるさとです。で、今回の初めての文楽(人形浄瑠璃)もふるさと吉野が舞台となる演目を選びました。というより、ふるさとゆかりの演目がかかったので、いい機会ということで観に行ったというわけです。IMG_6372.jpg
 
 文楽とは、本来は人形浄瑠璃専門の劇場のことですが、現在では一般に人形浄瑠璃そのもののことをいうようになりました。浄瑠璃のひとつである義太夫節を太夫が語り、それに合わせて人形遣いが文楽人形を操る、簡単にいえば人形芝居のことです。大阪で生まれ江戸期から明治にかけては歌舞伎同様に隆盛を極め大変な人気があったとか。しかし、今や古典芸能として国に保護されてます。ユネスコの「世界無形遺産」にも登録されてるそうです。
 
 さて、昨日の演目「妹背山婦女庭訓」は数ある文楽の演目のうちでも実にメジャーで人気も高いそうです。しかも吉野川を挟んで対峙する妹山と背山といえば、まさにわたしの帰省先のすぐ近所です。いやまして興味が募ります。
 
 上方落語には浄瑠璃をモチーフにしたネタがいくつかあり、桂米朝師匠や枝雀さんでよく聞いてたし、特に米朝師匠は例によって分かりやすく説明しながら噺を進めてくれるので、浄瑠璃とはどういったものかということは、おぼろげながら知ってはいました。で、実際に聞いてみると想像以上に完成されたすばらしい芸術でした。
 
 およそわが国の伝統芸能は、歌い物と語り物に大別させるとか。長唄、小唄や地歌などは歌いもので、浄瑠璃や常磐津節、清元節、浪曲やなんかは語りものです。簡単に言うと物語に節をつけて話していくわけですが、言葉の長短、強弱や抑揚によって、場面場面の風情や登場人物の心情を実に巧みに語り分ける、その技量たるやなるほど能や歌舞伎同様に人間国宝を多く輩出する至高の芸事といえるでしょう。うん、すごい。
 
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 例によって様式美を愛でる伝統芸能ですので、ストーリーのつじつまや歴史考証やなんかはつっこみどころ満載です。「妹背山…」の登場人物は蘇我蝦夷子(蝦夷やなくて「えみじ」と読ませるあたり(笑))入鹿親子や天智天皇、藤原鎌足など古代の設定やのに、舞台装置や衣装やなんかは明らかに江戸時代のそれです。いってみれば、警視庁七曲署にいる大岡越前守が、パトカーに乗った十手持ちちょんまげの親分に無線で指示出してるようなもんです。
 
 さらに、実際の妹背山付近には桜なんて全くないのに、舞台の背景画は吉野川両岸満開の桜。そもそも吉野川右岸の妹山は大和の国、左岸の背山は紀伊の国で川はその国境という設定ですが、もちろんこれもウソで、ほんとはどっち側も大和です。最後の場面では、切腹した主人公が苦しんでるのに、かたわらで父親が敵対してきた家の女主人、つまりヒロインの母親との和解の情況を延々と演じ続けます。「んなことやってんと、はやいこと助けてやれよ」とは、うちの奥さんの素直な感想です。しかし、そこは言ってはいけない。あくまでフィクションであり、ファンタジーとして楽しむ必要があるのです。IMG_6394.jpg
 
 反目しあう家の男女が恋に落ち、最後にはどっちも死んじゃう悲劇ということで、この演目のストーリーは、よく「ロミオとジュリエット」に例えられます。しかし、実は見どころ違うのであって、両家の親の、子を思う実に深淵な情愛こそが主題であり、それによって圧倒的な悲劇として観るものに訴えかけてくるのです。その心情を太夫の語りと人形遣いの絶妙の至芸が見事に表現していきます。ものすごい迫力です。実際に鑑賞してそのすばらしさを満喫しました。
 
 歌舞伎もそうでしたが、休憩時間に座席でお弁当食べられるのがいいですね。コンサートやミュージカルではこうはいかない。日本の伝統芸能が市井から発展し今日に至るひとつの証左といっていい。けど、願わくばごはん休憩30分はちょっと短い。1時間あったら館内のレストランや劇場周辺のお店でゆっくりお食事できるのにとも思いました。
 
 人形浄瑠璃の演目の多くは時をたがわず歌舞伎に移植されて、こちらは人形やなくて実際に役者が演じ、セリフも太夫が語るんやなくて役者が自分の口で言うわけです。江戸時代には人気を二分した両者、平成の現代においても依然としてそれなりの人気を保っています。以前にも書きましたが、伝統芸能でも何でも、本当のホンモノは誰かがことさらに保存しなくたって残っていくものなんです。橋下改革の一環で市からの補助金が減らされた文楽ですが、今日も観客は大入り満員。大丈夫です。大阪の文楽は連綿と未来に伝えられていきます。

桜、都から山峡へ

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 今年も桜はすっかり散りゆき若葉萌えいずる季節となりました。日本はその情緒豊かな四季の中でももっとも爽やかな時節へと突入していきます。
 
P4035970.jpg そんな能天気な感傷を突き崩すように、九州で大地震が発生しました。阪神淡路のときも東日本のときもそうでしたが、いつも想定外のところで起こります。災害大国ニッポンにまた試練です。またもや日本人の叡智が試され、強さと優しさが求められる状況となりました。今はただ人的被害が少ないことを祈りつつ、そんな非常事態を横目にブログでは先日来のお出かけのことを書いていきます。
 
 年度かわって最初の休日は、恒例の京都での同窓会花見でした。いつものメンバーで疎水べりの満開の桜を愛でつつ散歩したのち、粟田口の料亭竹茂楼さんで、祇園甲部の舞妓さんの京舞接待つきで京料理を楽しみました。
 
 お天気もよく実に爽やかな楽しい一日となりました。ひとえに祇園通の仲間のおかげであって、いつもながらの差配には感謝に堪えません。聞けばこの幹事氏、この春職場を替えて新たなスタートを切ったとか。他のメンバーもそれぞれにいろんな人生経験を重ねていく様子が語られ、自分もさらに頑張らねばという思いが募っていきます。同級生の絆の賜物であり、幸せを感じる瞬間でもあります。
 
P4096097.jpg そしてさらに先週は、縁あって奈良県吉野郡川上村での観桜会に参加する機会を得ました。大阪工業大学と川上村とは連携協力協定を締結しているのです。
 
 自然豊かな同村を舞台に、木造小学校の校舎をリノベーションしたり、間伐材から作った割り箸を炭化し養生に再利用し環境循環型社会について学んだりと、そのほかにもさまざまな活動を展開しています。その関係で今回お招きいただいたという次第です。
 
 川上村といえば、わがふるさと下市町も同じ吉野郡にあり馴染みがあります。さらに、かつて例の奈良検定を受検していたころ、関連して吉野川の源流までを辿るハイキングに参加したことは以前にも書きました。あの川上村です。
 
 この日も京都のとき同様に快晴で、吉野山に向かう花見客の渋滞を見越して早めにマイクロバスで大阪を出発した一行は、途中道の駅に立ち寄るなどしてがやがやと吉野に向かい、予定よりやや早く会場の旧小学校に到着しました。校庭の脇には見事な桜の大木が屹立しています。まさに観桜交流会にふさわしいおだやかな春の雰囲気の中、村長さんはじめ、村の方々との楽しい交流、花見宴会はあっという間に過ぎ去りました。引き続き大学と村との連携、絆の強化を確かめあい、別れを惜しみつつ村をあとにしました。
 
P4096106.jpg 川上村の面積は大阪市より大きい。しかし人口は1,600人と大阪市の実に1/1,600以下です。都会の大学と、田舎、それも大山奥の大きくて小さな村との連携は何とも不思議な気がします。しかし、都会の学生が大自然の中で学ぶことは大きな意義があり、また村としても学生の活動拠点として活性化を図るという、双方大きなメリットがあります。
 
 人はふるさとをあとにし都会に出てその後の人生をかたち作っていくケースが多いわけで、故郷はまさに遠くにありて思うものというのが通り相場です。わたしの場合でも、大阪と吉野という距離的にはそんなに遠くはないけども、いわば仕事と故郷は隔絶している中で今日まできたところが、偶然、その故郷が自分の仕事の中に突如登場してきたことに、なんとも不思議なエニシを感じます。
 
 人と人の絆の力を感じます。村は多聞に漏れず過疎が進み、将来的な発展は必ずしも楽観できる状況ではないはずです。しかし、この日、満開の桜のもと美酒を酌み交わした村の方々は、村長さんはじめ皆さん一様に明るく元気かつ大らかで、それは村の明るい将来を暗示しているようでもありました。
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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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