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名弔辞

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 安倍晋三元総理の国葬が無事に終わってよかったです。ごく一部の過激化した反対勢力の妨害も何ら影響なく、予定どおり想定どおりでつつがなく挙行されました。政府、警察、各方面がきっちりと仕事をした結果であって、なんだかんだ言ってもやればできる、さすが日本社会やと思います。特に警察は、歴史上最大の不祥事の後最初の汚名返上の機会であったわけです。これからも信頼回復に努めてもらうこととしましょう。kokusou.jpg

 巷間では、友人代表の菅義偉元首相の弔辞がよかったという声がしきりです。確かに、安倍さんに対する気持ちが素直に、切実に吐露されてて、聴く人の心に響く素晴らしい内容でした。期せずして葬儀では異例の拍手が起こったことも、会場を埋めた参列者の気持ちの表れとして頷けます。本当によかった。

 いまだ国葬反対を叫ぶ連中には、このように素直な人の心の機微など、おそらくは無縁なのでしょう。モーニングショーの玉川徹がごときは相変わらず「国費を使って政治的意図をこめる」などと言い募り、「(菅さんの)胸に刺さる言葉が既成事実として残るが、これこそが国葬の意図」と批判しています。人の胸に刺さるのならばそれは正しい施策であり、正しい政治であったと、なぜ素直に評価できないのでしょうか。あげくに「国葬も電通が仕切った」などとウソをつき、のちに謝罪する不細工な失態もありました。国葬なんて胡散臭いという印象を植え付けたかったのでしょうが、墓穴を掘った形です。

suga.png 国葬の意図は、卓越、突出した功績のあった故人を国民がこぞって哀悼したいという点に尽きるのです。安倍さんは神様ではないんやからそりゃ失敗もあったし、いろいろと批判もされてきたことは事実です。たとえ神様であったとしても異教徒にしてみたら弔意を表すことは躊躇われるでしょう。しかし、多数国民がその功績を素直に評価して、追悼、哀悼したいという気持ちに対して、反対のデモを企て大声で糾弾するがごときは人としてあるまじき行為と断言できます。

 反対派は、安倍さんを悼む多くの国民がいることが受け入れられないわけです。これは、自分だけが正しいと強弁する自己中心の発露で、エゴに過ぎません。嫌いなら嫌いでよろしい。冷めた目で静かに国葬を無視していればいいのです。しかし、邪魔をすることはやってはいけない。

 朝日新聞はその後も低く汚く安定してて、反日メディアを代表し連載記事まで載せて国葬批判を続けてます。成功裏に終わったことがよほど腹に据えかねるのでしょう。

 国葬に関して世論は賛成、反対真っ二つに割れました。しかし、終わった今の時点で「やってよかったか」という世論調査はどこも行っていません。菅さんの弔辞が効いて「やっぱりやってよかった」と応える人が増えるはずです。朝日はそんな調査なんてやらんのやろな、きっと。

 大阪では風もなく青空が広がっています。天気予報が無かった昔であれば、今どでかい台風が日本列島を縦断しようとしてるなんて誰も知るよしもなく突然暴風雨に襲われるわけで、そりゃあ災害の規模も大きくなるどおりです。史上最強クラスといわれる今回の台風14号、上陸時点の予想気圧が920hPaって伊勢湾台風や第ニ室戸台風に匹敵ですやん。被害が出ないことを祈ります。typhoon14.jpg

 さてこれまでもさんざ書いてきましたが、私は朝日新聞が大嫌いです。若い頃はその護憲、リベラルを旨とする一貫した主張に一定の理解を示し、社説などのオピニオン欄や読者の投書欄が他紙より充実していることから、ずっと購読してきました。しかし、近年になってその護憲、リベラルの根源は、中共や朝鮮といった特定アジアのありえない主張にくみし、日本と日本人の尊厳を貶めるためであることが露見するに至り、長年の付き合いに一定の見切りをつけようかと思っているところです。

 一方、NHKという国営ペイテレビも大嫌いです。こちらは、番組の内容に共感するとかしないとか、昨今指摘されているように偏向報道がどうとかいうコンテンツ以前の問題で、そもそも放送法という時代錯誤の悪法をたてに国民から強制的に受信料を搾取するという事業のあり方そのものが絶対に許せないのです。これもこれまで詳しく書いてきましたので繰り返しませんが、NHKという巨悪とそこに巣くう数々の利権を断罪することは、昨今取りざたされてる統一教会以上に、日本政府に課せられた喫緊の課題というべきでしょう。

 そして、面白いことに私が嫌いなこの朝日とNHKがまたお互いに仲が悪いということも書いてきました。最近、この関係は日本と南北朝鮮の関係に似てるやん、と思いつきました。私が日本、朝日が韓国、NHKが北鮮です。韓国はいちおう国の形を成してはいますが、その主張するところはむちゃくちゃで、日本人には到底受け入れられないという点で朝日にそっくり。一方、北鮮はそもそも現代の国際社会においてその存在自体があってはならないものという点で、これはNHKにぴったり嵌まります。そして三者がそれぞれ大嫌いどおしと。これを思いついたときは笑ってしまいました。

 20220917_003302863_iOS.jpg先週の社説で朝日がまたNHKのことをボロクソに書いています。NHKの番組で、オリンピック反対のデモに参加したという男の取材映像に「お金をもらって動員されていると打ち明けた」と字幕をつけたところ、ホントは逆に取材に対して「デモには行かない」と言ってて実際参加はしてなかった、というBPO事案です。つまりNHKは、五輪反対なんてのは民意ではなく一部の勢力がデモに動員かけたりしてことさらに騒いでいるだけという印象を与えたという点で、これは意図的な虚偽報道であるとされたのです。五輪反対を掲げてた朝日はこのNHKの失態に「ヤッターッ!」というわけで、社説では「取材・編集ともずさんで無責任」だの「調査報告書も問題の本質に切り込まない浅薄な内容」だの「民主主義を支える表現行為への無理解」だの、まあ言いたい放題です。敵失に乗じて完膚なきまで叩きのめすやり方は、武士の情けを尊ぶ日本人の所業とは思えません。そして、日本国民に言わせれば「そ全部朝日新聞、自分のことやん」。

 まあ、今回の事案はNHKがヘタうったことは否めず、「捏造」と指弾されても仕方がない。しかし一方で、そのオリンピックのスポンサーに名を連ねながら、連日反五輪報道を続けてきた朝日新聞はというと、先週も書いたとおり、過去多くの捏造記事を乱発しながらきちんと謝罪すらせずに開き直っているのです。目くそが鼻くそを攻撃している図です。NHKに「信頼回復 遠い道のり」というのなら、朝日新聞にはその道すらすでに失われていると知るべきです。

 立憲民主党のれんほーの頭にはブーメランがいっぱい刺さってます。こいつが何か喋れば喋るほどその数が増えていきます。朝日もまた同様に「お前が言うな」という陥穽にドテッと落っこちてるのです。

 ともあれ、これからも朝日とNHKのバトルはどちらかが消えて無くなるまで続いていくことでしょう。朝鮮半島で戦火が上がり北、南どちらかが消えるとなると日本にも何らかのとばっちりが来るでしょう。しかし、反日新聞社と国営搾取放送局、どちらが消えても国民にはメリットしかありません。その日が早く来てほしいもんです。

下鴨とビブリア

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 古本市が好きで機会があればあちこち行ってることは、何度か書いたことがあります。中でも京都の下鴨神社でお盆に開催される「納涼古本まつり」はよく行くんですけど一昨年コロナで中止、昨年は都合つかずで今回3年ぶりに行ってきました。

20220816_020702057_iOS.jpg 神社の広い境内で、左右には森が広がっており上空は張り出した巨木の枝葉が日陰を作っています。森の湿った香りとテントの会計レジで焚いてる蚊取り線香の香りと、膨大な古書が発する香りが入り交じり独特の匂いが満ちています。いつもこの香りを嗅ぐと、夏が終わっていくなあと感じます。小学生時代、地蔵盆のお祭りが過ぎると夏休みの終わりをいやでも実感しこの世の終わりのような暗澹たる気分になりました。あのときの空気感を思い出します。

 広い会場内を2時間ちかくぶらぶらしたでしょうか。目ぼしい掘り出し物も見つからず、この日は島崎藤村の「若菜集」の初版本だけを買って帰りました。家から往復2時間かけて古書1冊、買い物の成果だけみるとなんとも非効率的ではありますが、気分的には有効な時間の使い方でした。

 古書・古本業界は、作家や出版関係者にとってはあまり喜ばしい存在ではありません。古本は、客が買っても出版社や作者には1円も入らないからです。理不尽な気もしますが、書籍などの著作物(映画DVDを除く)はいったん適法に販売された時点で著作権者の譲渡権が及ばなくなるので、買った人はそれを誰かに売ろうが自由なのです。だから古本屋さんの商売が成り立つのです。

 これは消費者にとってもありがたい。書籍やCDなんかは本来、独占禁止法の規制の例外とされてて、再販制度により新刊書は日本中どこでも同じ値段です。今週号の少年ジャンプを1円でも安い店を探して買うなんてことはできません。

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 ところが譲渡権が無くなった古書はパソコンや豚コマ肉と同じで、お店はいくらで売ろうと自由になります。ボロボロの漫画本に1冊数千円から数万円のプレミア価格がついたり、人気がない文庫や新書なんかは新品同様でも1冊100円でワゴンに並べられるのです。

 わたしもよく古本買います。新刊のベストセラーやなんかは古本屋さんになかなか出てこないのでamazonやリアル本屋さんで求めますが、何かの拍子に興味がわいた本はたいてい中古を買います。安い。しかも本から得られる情報の質・量は新品と同じで、これが他の中古物品との大きな違いです。

 先日、そんな古本屋さんを舞台にした「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ、たまたま読み始めたらはまってしもて、とうとう全部読んでしまいました。いちおうミステリーなのですが、ラノベというカテゴリに入るのでしょうか、軽い文章なんで1日の通勤往復で1冊のペースで読めました。

 映画化ドラマ化もされた作品なんで「小説とはいえいくらなんでもそれは無いでしょう」的な展開はまあ、マンガ読んでると思えば納得できます。それより、作者は古書店に勤務したことがあるとかで、業界の内側が垣間見られたところがなかなかに面白かったです。全部amazonで中古を買いました。当然ですが、内容は新刊本と変わりません。この得した気分は、なかなかに小さな幸せなのです。

政治と宗教

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 安倍元首相の暗殺以来、犯人が統一教会から受けた仕打ちが安倍さんへの逆恨みとなって犯行に至った経緯が徐々に明らかになってきたことで、このカルト教団がにわかに注目を集めています。

 統一教会の悪名が一躍社会に広まったのは1980年代のこと、いわゆる霊感商法事件でした。メンタル弱い人につけこんで「あんたの先祖の霊が苦しんでいる。これを買えば治まる」ということで、高価な印鑑や壺を買わせる詐欺商法を日本中で展開し、国会でも社会問題として何度も取り上げられました。

cult_kyoudan.png その後多数の訴訟が提起され、教団の使用者責任を認める判決がいくつも確定しました。暴力団構成員が起こした事件で組長の責任が厳しく糾弾されるのと同じで「信者が勝手にやったこと」という言い訳が通用しなくなったのです。その後消費者契約法の改正(2018年)によって、被害者は霊感商法の契約をソッコー取り消すことも可能になりました。それでも、この反社カルト集団に騙されて財産を掠めとられる信者があとを絶ちません。

 二束三文の壺をン百万で売りつけた場合、常識的にありえないから違法性は明らかで簡単に詐欺が成立します。しかし、信者が献金しすぎて生活が破綻した場合などは、教団の強要ではなく被害者が自発的にやったと言われると詐欺の立証が困難です。宗教がらみの犯罪は人の内心に絡むのでやっかいなのです。いっそ「宗教団体への献金や寄付は年収の何%以下、教団はそれ以上の献金を受けたらあかん」という法律があればいいと思います。

 法律作るのは国会ですが、なんとその国会議員センセイたちも統一教会とは大の仲良しであることが次々に指摘されはじめました。

 教団が信者から巻き上げるお布施や献金は、原則的に非課税です。お寺や神社などの宗教法人は、物販で儲けても、たとえばおみくじやお守りなど参詣等の宗教的行為に付随する少額のものは課税されませんし、一千万円の壺や三千万円の教典を売りつけても、「これは無償で差し上げたものです。一千万円は別の献金です」と言えば、税務署職員はスゴスゴと帰るしかありません。宗教団体はタックスヘイブンなのです。 cult_family_shinpai.png

 そんな権益を維持していくために、都合が悪い法律を作らせない工作がいります。企業なら政治家に政治献金(=賄賂)を握らせるところですが、宗教団体はカネを出さずに人を出すのです。信者たちはなんせ洗脳されてますから、選挙の際に教祖様がひとこと「○○候補に」と号令かければ何十万人という信者は全員投票するし、さらに無給で献身的に選挙運動までやってくれるんです。政治家にとっても宗教団体は実にオイシイ存在なのです。だから、今回の事件で統一教会がふたたび社会から指弾されても、同じ穴のムジナである政治家が一緒になってやっつけるわけにはいかないのです。ずぶずぶの関係というやつです。

 経済安保大臣になった高市早苗は10年前に統一教会の月刊誌「世界日報」に対談記事が掲載されてたし、立憲の岡田元外務大臣も世界日報のロングインタビューを3回も受けてたくせに、どっちも今になって「教団の出版社とは知らなかった」なんて、誰が信じるかという話です。本当に知らなかったとしたら、それこそ底抜けのアホウと言えるでしょう。政治家なんてできるはずがない。とっとと辞めてしまいなさい。他にも教団関連の会合に出席したり祝電打ったりしてた議員はごろごろ出てきてます。皆さん「教団と関係あるなんて知らなかった」。この嘘つき野郎どもめ。むしろ「付き合いがあり選挙も手伝ってもらってた」と開き直った岸防衛大臣の方が正直でよろしい。この発言が響いたのか、防衛大臣辞めちゃったけど。

 一方今回の件で与党公明党の歯切れが悪いのは当然で、もうね、見てて可哀そうなほど。創価学会の政治部隊が公明党なんやから「政治家は宗教団体との決別を!」なんて主張できるはずがない。野党はここ奮起して攻勢を強めるべきなんやけどまあ、またいつものように、気がついたら「あれ、そいや最近テレビで統一教会のこと言わんようになったなぁ」と終息していくことになるのでしょう。

本屋さんのオーラ

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 今日も暑くなりそうです。早く目が覚めたので、近所の洗車場に行ってクルマ洗ってきました。屋外での用事は日中は避けるのです。今日もこのあと一日、おうちで冷房に浸ってまったりと過ごします。

 さて、通勤電車、バスの中ではたいがいなんか読んでます。サラリーマンになって以来、このスタイルは変わっていません。若い頃は、阪神タイガースが勝った日の翌朝は駅でスポーツ新聞を買うのが常でした。当時は実家から職場に通ってて、乗車時間が延べ1時間半以上と長かったこともあり、電車の中で実にいろんなものを読んでました。今ではスポーツ紙を買うこともなくなりました。私に限らず、朝の満員電車で新聞を広げるおじさんたちが消えて無くなり、みなさんスマホを眺めてます。あらためてじっくり観察してみると、まあなんと見事なまでにほとんどの乗客がスマホを眺めてます。まれに私みたいに文庫本を読んでる人がいます。朝夕の満員電車、車内の風景は様変わりしまた。

 で、スマホで何を見てるのかというと、これがさまざまで、ネットニュースと思しき画面を眺めてる人、LINEのやりとりしてる人、イヤホン繋いで連ドラの録画見てる人、ゲームに集中してたまにガッツポーズ決めてる人、そして電子書籍を読んでる人。

 電子書籍ですわ。amazonkindleやコミックシーモアBOOK☆WALKER、その他実にたくさんのサービスが鎬を削っています。小説、コミック、それに雑誌は今やそのほとんどがネット空間で手に入る時代になりました。本屋さんに行って買う手間がいらない。読みたいと思ったときにダウンロードして即座に読み始められます。これでは、街の本屋さんの客が減るわけです。

 kinokuniya.jpg私も実は電子書籍利用したことがありました。SONYがやってるReaderStoreというサイトでしたが、やめました。ダメなんです。どうも読みづらい使いづらい。iPhone12miniという小さいスマホなんで、スクロールがしんどくて思うように読めず、何冊か読んでやめてしまいました。kindleの専用機やiPadなどの大きめのんやったらまた違うかもですが、しばらく買う予定がありません。結局、紙の本へと回帰した次第です。

 紙の本でもほとんどネット通販で手に入ります。もうね、街の本屋さん、さらに客が減っていきます。

 でもね、それでもやっぱり私は都心の大きな本屋さんに行くのです。何冊も衝動買いしてカバンの重さで後悔しながらも、リアル本屋さんで買うのです。都心をうろついて少しでも余った時間があったら、とりあえず本屋さんを覗いてみるのです。

 子育て始めたママさんたちが、公園デビューするのはなぜかということです。壁に隔てられた室内でテレビ視るよりも、奥行き無限の屋外の方が赤ちゃんたちの五感に訴える情報の刺激が格段に大きいからです。脳の発育に役立つのです。

 それに似た理屈で、本屋さんにはネットの本棚で得られない情報が溢れているのです。何が今アップトゥデイトの話題なのか、いやでも目に入ってきます。関心が無かった分野のトレンドもプッシュされてきます。店員さん推しのポップが揺れてると思わず手にとってしまいます。ネットでの買い物は興味がないとクリックしません。いわば正面からの狭い情報ですが、本屋さんで飛び込んでくる情報は前後左右上下から攻めてきます。それは実に心地よいひとときなのです。

 全身に本のオーラを浴びるため、今日もわたしは本屋さんに寄り道してしまうのです。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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