そうか、あれからもう14年も経ったのか。
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を神戸の美術館で観たのが2012年の10月。今はもう2026年に突入してるから、朝日新聞が言う14年で計算合ってます。朝日はたまにウソ書くから気を付けないといけない。ウソ書いといてバレんかったらそのまま。バレそになったらシレっと訂正してあとは知らん顔で、謝らない。追及されたら逆切れして騒ぐ。それがこの新聞の習い性です。
まあそのあたりは今更の話なんで今は置いとくとして、14年経った今年の夏に再び「少女」が来日します。大阪中之島美術館と朝日新聞一味が結託して美術展を開催すると、なんと号外まで出しての騒ぎようです。さらに先週、広告を打ちました。何というタイトルの展示イベントなのか、一緒に展示するのはどういった作品か、フェルメールは「少女」だけかなど、詳細はまだ決まってないようです。しかし、「少女」は来ると。14年ぶりに再びユーラシアの端から端まで旅をして、日本に姿を現すと。詳細決まってもいないのに異例の早さで先行告知を出しました。空前の大量観客動員を目論んで、本気出してきてます。
新聞各社の購読者数の減少がハンパないということはかつて書きました。インターネットとスマホの核爆発的普及で社会の情報インフラが根底から覆りつつある近年、そろそろ紙の新聞が自らの余命を悟り出しています。退場が近い。オールドメディアの一端を担うNHKは、シノギの軸足をインターネットに移そうと画策しています。こっちの一味は親方日の丸なんで、やりたい放題なんでもできます。放送法を都合よく改正すれば、今までどおり法令を盾に国民を脅迫して受信料を窃取できます。「これからはネットで視てもカネ払えよ。そう決めたし」。
しかし、民放や新聞社など民間のメディアはそうはいきません。お上に頼ることなどできず、自ら新しい収入源を確保していかないといずれ倒産します。新聞社は発行部数を減らし、もう購読料や広告収入のみに頼っていたのでは立ちいかない。だから経営を多角化し、イベント会社よろしく興行収入獲得に注力するようになりました。今回もその一環です。
それにしても早い。半年以上先のイベント告知に何百万円分の広告スペースを使うとは。あまつさえ大した速報性も必要ないのに号外まで発行するとは。力の入れようが分かるというもんです。
行きますよ。たとえ主催が大嫌いな朝日新聞であろうと、人類の至宝である名画をうす汚い儲け主義に利用していると分かっていても、この機会を逃すことなど考えられない。14年前に一度観てるからこそ、も一度観てみたいのです。これまでそれこそ何度も書いてますが、超ミーハーを自認してる私にとって、ホンモノの芸術作品に触れる感動と興奮に対する欲望は、朝日を批判し糾弾する正義感に勝ってしまうのです。朝日の術中に嵌ってしまう後ろめたさも「少女」の前では消し飛んでしまうことでしょう。
ホンモノの凄さを目の当たりにしたとき人は言葉を失う、ということは繰り返し書いてます。思い返せばその最初の体験は、ゴッホの「ひまわり」を初めて見たときに遡ります。

社会に出てまもなく、世間はバブルの階段を駆け上がっていたあれは確かソウルでオリンピックがあった年の夏やったと記憶しています。例によって大学時代の友人に会うべく上京したついでに、新宿の東郷青児美術館(現SOMPO美術館)に行き「ひまわり」を初めて観たのでした。前年のクリスティーズで安田火災が、58億円という当時の絵画取引史上最高額で競り落としたもので「ジャパンのソンポマネー恐るべし」と、世界にその名を轟かせたものでした。
ひと目見るやその圧倒的な黄色の波状攻撃に圧倒され、戦慄を覚えしばらく動けませんでした。これはいったい何なのだろうと。真夏のいいお天気の平日、館内はガラガラに空いてて誰はばかることなく心ゆくまで、そう20分以上も眺めてたでしょうか。
ゴッホの「ひまわり」は有名なものだけで6つあるそうです。15年前、仕事でヨーロッパを巡った際に、アムステルダムのゴッホ美術館で観たのが、わたしにとって二つ目の「ひまわり」でした。ところがですね、確かに観たはずなのに今となってはどうにも思い出せない。これは果たして、歳をとって記憶力が衰えたせいなのか、最初の「ひまわり」の印象が強すぎてあとの記憶を覆ってしもたのか。
そうすると、今度の「少女」でも、同じ現象が起こるのでしょうか。14年を経ての再会は果たしてどんな気持ちになるのか。なかなか興味深いところです。14年間に自分はどれほどの成長を遂げたか。14年間、なすべきことを行ってきたと、臆することなく「少女」と向き合えるか。自分に問いかける機会になればと思います。
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