暑い。毎年どんどん暑くなる。「言うまいと思えど今日の暑さかな」という句は作者不詳なんやとか。誰の思いも一緒ということのようです。しかし、この句ができた頃の暑さと、現代の暑さはおそらくレベルが違ってるはずです。昭和の頃、エアコンの無い家がたくさんあった。うちには蔵もクーラーも無いという冗句がありました。
わたしの生家は奈良県中部の山間部、谷あいの小さな町で、あの頃も夏は確かに暑かったけど、冷房などなくても土壁の古い家は扇風機で我慢できてました。夕暮れにはヒグラシの悲しげな鳴き声が降り注ぎ、雷鳴ののちに滝のような夕立が火照った地表を冷ましてくれた。そんなことが毎日のように繰り返されてたように思います。昭和の夏は、夏らしい夏でした。その頃、夏は暑ければ暑いほどいい!なんて言ってたやつがいました。ほかならぬ私のことですが、令和になって、前言を撤回させていただきます。何事もほどほどがよろしい。
わが国では古来、旧暦7月、今の8月半ばにはご先祖様が現世に帰ってきてしばらく子孫と一緒に過ごし、15日にはあの世へ帰っていくとされてます。盂蘭盆会、いわゆるお盆の期間は、お正月と同様に非日常の期間であって、これはすなわちご先祖供養という大義名分を掲げたお祭りにほかなりません。お盆にはいわばハレとケが同居しているのであって、世間はすべて連休モードに突入します。
学校は夏休み期間ちうで、子らは永遠に続くかと思われた長い休みを堪能したのちに8月31日を暗澹たる思いで迎えるのです。もっともさっこんはお受験やらなんやらで夏休みにも本気で勉強してる子どもが増えてるとかで、まあ可哀そうなもんです。
そんな古来の非日常ウィークに、昭和20年以降に新たな意味合いが加わりました。思えば終戦の日がちょうどお盆の8月15日であったことは皮肉な話です。
大東亜戦争は、日本人の不心得によって軍の専横を許してしまい、非人道的残虐行為を続けた旧日本軍は、アジアの多くの罪なき人々の命を奪いました。結果的にボロ負けしたわが国は、国際社会でのプレゼンスを一気に失い、のちの世代に無用の苦難を強いることとなりました。そんな苦難のスタートが、お盆のさ中8月15日やったのです。ご先祖様どころではない、現代史上に起こった大戦の中で散ったわが国の300万人、全世界で数千万人の御霊を悼む、重い重い非日常期間となったのです。
さらに、昭和60年といいますからわたしが青春の謳歌を終え晴れて社会人となったその年に起こった未曽有の大惨事、日航機の墜落事故もお盆の8月12日でした。多くの遺族などによる慰霊の登山が毎年繰り返されています。
日本の夏は鎮魂の季節なのです。
テレビの番組は敗戦記念の特集が増え、NHKもここぞとばかりに連日戦争関連のネタを放送してます。ドキュメンタリーの類に関しては、やはりNHKのレベルが高く、民放の追随を許さない独擅場といえます。
テレビの調査によると現在の全国民のうち、戦争経験者は10%を切ったらしい。多くの国民にとって戦争はそのすべてが聞いた話、読んだ話なのです。半藤一利なきあと現代史評論の第一人者である保阪正康はインタビューで「先の戦争が、体験から歴史へと変わっている」と言ってました。私の母親がかろうじて終戦の年に小学生で、例の玉音放送を近所のラジオで聴いたと言ってました。
還暦を過ぎて時の流れが加速していく中で、もともと伝聞に過ぎない戦争がさらに遠くなっていきます。日清・日露戦争の体験を話せる人はもはや地球上にいません。大東亜戦争に関してもいずれそうなります。体験が歴史に替わっていき、その史実を伝えることは歴史家、研究者の領域に入ってしまいます。必ずそうなるんやから、人類は二度と戦争を起こさないないために、子孫が戦争の辛苦を味わわないために、今、可能な限り伝え継いでいくことが必要です。
コメントする