あけましておめでとうございます。
おだやかにお正月が過ぎていきました。なぜにお正月はめでたいのかというと、歳神様が家に来てくれるからです。歳神様はとんど焼きなどで天に帰っていくまで、しばらくおうちに滞在します。その間の依り代として神様は鏡餅に宿る、ということはかなり前に書きました。わが家にも来てくれてるはずです。まあ、大したおかまいもできませんが、ゆっくりしてってください。
子どもの頃は嬉しかったお正月も、この歳になるともはや感慨も薄れがちです。冥途の旅の一里塚とはよく言ったもので、確実に終点は近づいてて、さらにその一里塚の間隔がだんだんと短くなってるよに感じます。ついこないだお正月が来たと思ったのに、またお正月が来ました。わが家では今年も、どこかに出かけるわけでもなくのんびりと過ごしています。これでええのです。
今年は午年、しかも60年に一度の丙午(ひのえうま)の年です。昭和の昔、丙午の年に生まれた女性は気性が激しいという迷信が蔓延してました。曰く「丙も午もいずれも火を表す」「江戸の放火魔、八百屋お七はひのえうま生まれ」というこじつけで「嫁ぎ先に災いをもたらす」「男を食い殺す」などの俗説が蔓延り、この年には女の子を産むべきではないという風聞が出来上がっていきました。
今なら、何をバカなと一笑に付すところですが、実際に日本の人口構成を見るに、60年前に国を挙げてこの年の出産を避けた傾向が見て取れるのがおもしろい。気性が激しい女の子が生まれると信じてたというより、「へぇ、丙午生まれなんや」と言われることを避けたいということでしょう。出生率がダダ下がりでそもそも出生数が減ってる現代にあっても、はたして今年、丙午現象は起こるのでしょうか。
さて、元旦には年賀状が届くわけですが、近年その数が目に見えて減ってきています。お正月ヒマなんでちょっと調べてみたところ、過去多かった頃は毎年300通近くの賀状が届いてましたが、今年はなんと100通もありません。実に3分の1近くに少なくなってます。
この変化は道理なんであって、年齢を重ねるにつれて古くからの友人、知り合いは疎遠になっていき、何年も会ってないのに年賀状のみ交換している人がいます。わたしは前年に賀状もらった人には、たとえ1年間一度も会わなくてもお出ししてますが、巷では「この人、もう出さいでもええか」ということはままあることでしょう。一方、歳とともにプライベートで新しいお付き合いが始まることは少なくなってきます。もちろん出会いが無いわけではないのですが、その新しい知り合いに年賀状を出すとなるとその方の自宅住所を把握せんといかんわけで、これが昨今なかなかに困難なのです。さらに電子メールやSNSの爆発的な普及で、新年の挨拶にしてもわざわざハガキに書く必要などなく、ちょちょっとLINEやメールで済ませることが増えました。従って、毎年交換している人に加えて新しい送付先が増えることはほとんどないことになります。
さらに昨今、年賀状終いをする人が増えてきました。上記のようなデジタル化の事情に加えて、歳とともに毎年の作業に心身のモチベーションが追い付かなくなってきたことによります。日本人が過去から連綿と当たり前のように行ってきた年賀状の風習ですが、改めて考えてみると、何十枚~何百枚もの賀状を師走の短期間に一気に書き上げる作業は、パソコン使うにせよなかなかに労力を要するもので、気力体力が落ちてくると負担に感じるというわけです。
加えて、一昨年の郵便料金値上げが年賀状じまいの流れを加速したともいわれてます。わたしが物心ついた頃の郵便料金はハガキが7円、封書が15円でした。消費税なんかなかった。それが今や年賀状1通85円。実に12倍以上になっててこの間の物価上昇率をはるかに上回っています。いっそ年賀状止めたくなるのも道理というものです。
かくして、わたしに限ったことではなく、世間の趨勢として毎年年賀状の発行枚数は減少の一途を辿っていってるのです。
去年、家のプリンタを買い替えたことを書きました。多くの家庭ではプリンタがもっとも活躍するのが、12月の年賀状作成でしょう。それが、発送件数がこうも急激に減少すると、これはCANONやEPSONも経営戦略の転換が必要でしょうな。他人事ながら心配してしまいます。
一方、仕事上の儀礼としての年賀状はいまだ健在で、職場には今年も変わらず大量の年賀状が届いていることでしょう。
早くも明日は、職場の新年会からの仕事初めです。今年は初出が月曜日で、次の休日まで1週間めいっぱいあります。お屠蘇気分を払拭し、気合入れなおしていきましょう。
どうか今年もよろしくお付き合いいただきますよう、お願いをいたします。
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