国葬と左巻き新聞

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 大和西大寺駅前、安倍元首相が凶弾に倒れた現場に行ってきました。献花の列は300m以上続き献花台まで15分以上並びました。逝去から半月以上経ちましたが、いまだ各方面に影響が広がっており落ち着く気配がありません。

20220717_062923016_iOS.jpg 国葬が閣議決定され、日程や場所など具体的な内容が決まってきました。決まるにつれて、やはりというか左方向から雑音が聞こえ始めました。国会でもいくつかの反日政党が「国葬反対」を表明しています。市民団体を名乗る国籍不明の「プロ市民」たちが国葬反対の仮処分申請を行うそうです。政府はこれら極左反日勢力の醜い蠢動に顧慮することなく、われわれ国民の痛切なる思いをしっかりと汲み、粛々と準備を進めていただきたい。

 繰り返しますが、安倍氏は憲政史上最長の政権を担いその間、日本経済の再生、東日本地震からの復興を牽引しました。卓越した外交手腕でもって日米関係を強化し繰り返し押し寄せる中国および南北朝鮮からの嫌がらせに毅然と立ち向かい、わが国の国際的プレゼンスをかつてないほどに高めてきました。これらは、悪夢の民主党政権のむちゃくちゃな政策の後始末でもあったのです。多大な功績によって圧倒的多数の国民に支持され敬愛されてきた歴史的な指導者の理不尽な非業の死に際して、国を挙げて弔意を示すことは、普通に考えて至極当然のことなのです。

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 ただし、安倍元首相のことを評価しない、嫌いという国民がいることも事実であり個々人の弔意を強制するものではありません。民主国家日本ではいかなる思想信条をいだくことも憲法で保障されています。しかし、多数国民の民意が収斂した先に国葬の実施が決まったんやから、たとえそれが気に入らなくてもせめて静かに見守ることは、人として最低限の礼儀です。政治家の政策に不満があったからといって、その死に際して弔意を示すための国家行事をも否定するがごときは、今回の悲報に祝意をもって盛り上がっている特定アジアの国民と同じです。

 祝意といえば、ちょっとこれらの「川柳」見てください。
 「還らない命・幸せ無限大」 
 「疑惑あった人が国葬そんな国」
 「死してなお税金使う野辺送り」
 「忖度はどこまで続くあの世まで」
 「これでまたヤジの警備も強化され」
 「銃声が全て闇へと葬るか」
 「去る人の濁りは言わず口閉ざす」
 「銃声で浮かぶ蜜月政と教」 
 「国葬って国がお仕舞いっていうことか」

 目を覆いたいような誹謗中傷のオンパレードです。なんと、すべて今月の15日と16日、朝日新聞の川柳投稿欄に掲載されたものです。こんな投稿が日本の新聞に本当に載ったのです。両日の川柳欄は安倍首相の死を揶揄する特集のようでした。何という無礼。うそでも人ひとりが無くなった直後、このような思いを表明すること自体が著しく礼節を欠きます。たとえ本当にそう思っていたとしても、口には出さないのが人として最低限の良心ではないのでしょうか。激しい怒りを禁じえません。

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 社会の公器たる新聞がこんな非礼極まりない内容を嬉々として掲載するがごときは、まさに人でなしの所業といえるでしょう。頭のネジが一本外れてます。政府は、このような非常識な紙面に対して断固として抗議するべきです。

 当然のことながら、朝日は社説でも国葬に難癖をつけています。ところが、ここでも汚いのが「危惧を抱く」だの「弔意の強制はあってはならない」だのグジグジと嫌味を述べてはいますが、はっきりと「国葬には反対」と言葉にしていないところです。さらに社会面の、国葬に関する「街の声」という記事では、賛否両論記載の体裁をとってはいますが、最後に「安倍氏の死を悼む感情と国葬の是非は切り分けて考えるべきだ」と唐突に記しています。カッコ書きにすることで「これは街の人が言うたことやで」とソースを曖昧にして文責を転嫁しています。これは新聞がやってはいけない書き方です。

 朝日がこのタブーを犯す意図は当然、はっきりと自社の意思として「国葬反対」とは書きたくないということです。かつて「東京五輪反対」を社説で書きながら、始まってみたらその尻馬にのって連日嬉しそうに記事を掲載したことで批判され、潰れかかってた面目をさらに潰してしまった記憶が蘇ったものでしょう。

 なんにせよ、人の非業の死に際して「幸せ無限大」と揶揄する。それが朝日新聞なのです。

大いなるものに

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 安倍元首相の襲撃事件の余波は1週間経った今も収まりません。

 政府はわが国最高の勲章である大勲位菊花章頸飾の授与を決めました。戦後4人目やそうです。秋に国葬を行うことも決まりました。こちらは吉田茂以来の二人目です。いずれも当然の対応といえるでしょう。驚いたことに野党の中には国葬の実施に反対する輩がいるとか。NHKによると共産党は「国民の中で安倍氏の政治的評価は大きく分かれており、国葬を行うのは弔意の強制につながるおそれがある」などとコメントしているらしい。

 abesan.jpg「大きく分かれて」などいません。ごく一部の反日左翼勢力が誹謗中傷を繰り返しているに過ぎません。さらに「評価が分かれているから国葬は弔意の強制につながる」とは日本語としてもまったく意味不明です。憲政史上最長の政権を担い、多大な功績によって圧倒的多数の国民に支持され敬愛されてきた歴史的な功労者の理不尽な非業の死に際して、国を挙げて弔意を示すことなどはごくごく自然な流れです。国際的にもリーダーとして評価が極めて高い安倍さんに関わること、非常時の日本国民の対応には国際社会も注目しています。カッコ悪いことはできません。

 「国費を使うのはダメ」という反対意見もあるそうです。情けない話です。国家の行事は反対する人が少しでもいたら公の予算を使うことができないというのでしょうか。おおぜいの国民がいてるんやから意見の違いがあるのは当然で、満場一致でないとできないのなら公共事業は全く何もできないことになります。民主主義の基本から勉強して出直してこいという話です。

 さて、全国的に「今年はセミが遅い」と話題になってますが、友人は今の世情を予兆していたゆえの異変ではないかと言ってます。なるほど情緒豊かな彼女ならではの思いに私も賛同します。しかし実際は、梅雨前線の影響で最低気温が上がらない日が続いてる影響やそうで、そいや梅雨は早く明けたのにその後すっきりしない、蒸し暑い日が続いてます。これも日本国民の涙雨ということなんでしょう。

 自然の営みの異常を、人間社会への警鐘と感じることはよくあります。人間ごときが大自然の意思を理解したり、ましてやそれをコントロールすることなど身の程知らずにもほどがあると、つい先月書いたところです。だからせめて人間の欲望の発露や主義主張の衝突でもって生じるトラブルや争いなどは無くしていくだけの知恵を持てという話です。

 映画「天気の子」で新海誠監督は、そんな大自然の強大な意思の発露が愚かなヒトに対する警告として示されても、ヒトはヒトなりに愛と勇気でもって対応できるんやないの、なんて深遠なメッセージを打ちました。人間様がアンパンマンに負けてはいられないのです。

 かつての京都での体験として、臨済宗の高僧山田無文老師の至言「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」のことをだいぶ前に書きました。まさに今日本国民は苦難に直面していますが、負けるわけにはいかないのです。大いなるものに抱かれ支えられ叱られ励まされていることに感謝し、くじけずに難局を克服していかねばなりません。

 明日はふるさと奈良県へ、安倍元首相が命を落とした現場へと献花に行ってきます。そののち、古い友人というよりも幼馴染の面々とも旧交を温める段取りです。安倍さんへの献杯となります。安倍ロスの空気が広く日本中を包んでいます。しばらくの間は続いていくでしょう。

 安倍元首相が銃撃されて死亡しました。現代の日本でこんなテロリズムが起こるとは思っていませんでした。近年の最大の衝撃です。

 長期政権を担い、反日左翼勢力から日本を守り抜いた現代日本最大の巨星が堕ちました。

shinzoabe.jpg 安倍さんは、日本の総理大臣として歴代最長となった二度の政権において、凋落した日本経済を立て直すことを最大の目標として掲げました。ジャパン・アズ・ナンバーワンと称えられていたかつての時代のように、わが国が自信と誇りを取り戻すために奮闘してきました。悪夢の民主党政権時代にむちゃくちゃにされた日本社会を根底から立て直すために頑張ってきました。外交においても日米同盟を強化する一方で、中国、南北朝鮮の特定アジアと、今や世界の敵にして最大の蛮国であるロシアの外道大統領にもにきっちりと対峙してきました。すべて旧民主党政権の尻ぬぐいでした。旧民主の残党を始めとする野党の反日勢力は、政策ではまったく太刀打ちできないため、国会ではいわゆるモリ・カケ・サクラなど政策議論の本筋から外れた嫌がらせに腐心し、その結果、国民にバカにされ自らのさらなる凋落を招くこととなりました。

 安倍憎しを社是とした朝日新聞を始めとする極左反日メディアも、野党の尻馬に乗ったつもりが、馬ではなく実は泥船でもう今さら下りられない状態です。今回、安倍さんの急逝をどのように感じているのでしょうか。

 野党は一様に「民主主義への挑戦であって、断じて許すことができない」とコメントしています。しかし、現時点での報道をみるかぎり犯人は安倍さんの政策に不満があったわけではなく、いわば個人的な理由による逆恨みの蛮行で、過去起こった要人の暗殺とは一線を画すように思えます。

 事件の詳細が明らかになるにつれて、要人警護の在り方や、警視総監、奈良県警本部長以下関係者の責任問題など、検証すべきことがらがたくさんでてきます。よりによって、ふるさと奈良県で事件は起こりました。東京駅には浜口雄幸と原敬の暗殺現場の目印が残っています。西大寺駅前にも記念碑を設けるべきです。

 事件発生からわずか数時間以内に、衝撃のニュースが日本のみならず世界を駆け巡り、驚きと怒りと悲しみが広がっていきました。単なる訃報ではなく凶弾に倒れたということで、衝撃はさらに大きいものがあります。国連および世界各国から伝わる哀惜の情の表明は、われわれ日本人が考える以上に、安倍さんが現代世界を率いるリーダーとして大きな尊敬を得ていたことを示しています。このような事態にあって図らずも人物の偉大さをあらためて思いました。

 われわれ日本国民は、安倍元総理の功績と遺志を尊び、日本国を貶める国内外の勢力に断固として立ち向かい、この偉大な美しい国を守り抜く決意を新たにするべきです。

 しかし、いまはただ、日本と日本人の誇りを取り戻すため命を捧げた、戦後政治最大の巨星の冥福を静かに祈りたいと思います。合掌。

 お暑うございます。今日も休日出勤で先ほどまで仕事してましたので、夕刻のブログ更新です。

 この暑さ、「地獄の蓋が開いたみたい」と友人は言うてました。うまいこと言う。人の罪の蓄積がそろそろ許容量を超えるのかも知れません。事前に蜘蛛の糸を手配しておく必要があります。お釈迦様の、優先してチケット買えるファンクラブの連絡先、どなたか教えてください。

weding_women.png さて、そんな暑さで錯乱気味の今日のお話。同性婚を認めない法律は憲法違反や~!という訴えがあちこちで起こされてて、去年の3月に札幌地裁が、憲法14条(法の下の平等)に違反するという違憲判断を示しました。そして先週でしたか大阪地裁が逆に、憲法違反はないと判断し賠償請求を棄却しました。主旨は、

・憲法24条(婚姻の自由)に「婚姻は両性の合意によってのみ成立する。」と書いてるやん。つまり結婚は異性間だけいうことやで。せやから同性婚を認めない民法やなんかは別に違憲とちゃいます。

・同性どおしで婚姻でけへんことで法律上の夫婦との利益の差があるっちゃあるけど、社会的にだんだんと解消、緩和されてきてるし。せやから憲法14条(法の下の平等)にも反しません。

・けど、将来的に今よりもっと社会的意識が変わってきたら、違憲と判断するかもよ。せやから国会はそれまでに法律の整備しっかりね、

 同んなじような訴訟が全国で5件起こされてて、今回の判決はそのうちの2つめで注目されてたわけですが、原告の全面敗訴です。

 ニュースやネット見てると、裁判所が全く逆の判断をしたかのような騒ぎですが、札幌地裁は何も異性婚を認めるべきと判じたわけではなく、同性カップルと異性夫婦とで利益の格差があるのが不合理、としただけです。婚姻は異性間でするもんやと憲法24条で決まってると判断した点は、今回の大阪地裁と同じなんです。weding_men.png

 にもかかわらず、同性婚推進派の団体や一部の憲法学者までもが、札幌地裁の判断から後退して残念、などと言ってます。これはあたかも「札幌では同性婚認めたのに大阪は反対した」という勘違い、もしくはわざと曲解した世論誘導です。

 同性婚が法律上初めて認められたのは2001年のオランダです。21年前。それから欧米で同性婚を認める国が増え、2019年にアジアで初めて台湾で法制化されました。

 わが国では保守層を中心に根強い反対意見があります。自民党の議員やなんかは、今回の判決に「よかった」と言ってるらしいけど、これもまた認識不足です。今回の判決からは「国会、ちゃんと仕事しろよ」という警鐘をしっかり受けとらんといけません。

 多様性を重視する意識が浸透してきた21世紀の現在、もはや同性婚を認め、同性カップルが享受すべき利益を異性夫婦と同じ法令の規定にすべきという、もうね、この社会的認識の成熟は止めようがありません。

 だ・か・ら、憲法24条の改正が必要なんです。「両性の合意」のところを単に「ふたりの自然人の合意」とか何とか、要は性別は関係ないよと変えればいいだけです。そうすれば、民法その他、男女でしか婚姻を認めない法律は即座に違憲となって、裁判所が国会の不作為を質す必要も無くなるのです。

 同性婚を求める勢力は「違憲だから法律改正」なんて提訴すれば負けるに決まってます。今のままでは同性婚を認める法律こそが「違憲」なのです。残り3件の裁判も同様の結果が見えてます。同性婚を合法化したければ、法律の違憲判断なんて求めずに、憲法改正でもって挑めば道は拓けるのです。

 さっこん、個人情報保護に対する認識が広く社会に浸透し、取り扱いはますます厳しさを増してます。昭和の頃は、情報の流出事件が起こっても国民はさほど関心がなく、ニュースにもならなかったように思います。しかし最近は、国や地方公共団体、企業等の事業体から個人情報が流失したとなると、事案としてひどく叩かれます。国民の権利意識が強くなったことに加えて、そも、集積される個人情報が質・量ともに桁違いに大きくなっていることが原因です。いわゆるビッグデータというやつです。そしてAIの進歩に伴ってデータサイエンス分野の発展も著しく、莫大なデータをいろんな分野で活用する方法も急速に発展しているため、個々の個人情報の価値が飛躍的に大きくなってるのです。 

 それに従って、個人情報を守る方法も進歩を続けます。ちょっとやそっとでは破られないいろんなセキュリティの枠組みが登場し、法令の整備もいわゆる個人情報保護法が何度も改正を重ね、ガッチガチに規制されてます。

party_yoitsubure_man.png さように意識が浸透し規制が厳しくなっても流出を止めることはできないようで、先週、とてつもない規模の流出事案が発生しました。

 兵庫県尼崎市がコロナの給付金関係の作業を委託した業者が紛失したUSBメモリーには、なんと尼崎市の市民の住民基本台帳情報、住民税情報36万件、非課税世帯や生活保護受給世帯など8万2千件の給付対象世帯情報、生活保護および児童手当受給世帯の銀行口座情報約8万6千件が含まれていたといいますから凄まじい。まさに質・量ともに超メガトン級の流出事案です。メモリスティックを入れたカバンを飲み屋で失くしたと報じられたときは、まあよく聞く話やなと思いましたが、その後、実は泥酔して道端で2,3時間爆睡している間にカバンを持ち去られたという真実が伝わりました。信じられない話です。

 なぜに超絶センシティブなデータを外部に持ち出す必要があったのか。持ち出さざるを得ない事情があったとして、なぜにクラウドに上げずUSBメモリを使ったのか。なぜにそんな危険なものを携えて酒を飲みに行く気になれたのか。

 不始末はこれに終わらず、市の関係者がカッコ悪い謝罪会見した際に「データは暗号化されてて今のところ悪用された形跡はない。13桁のパスワードがかかってるので解読は難しい」と、パス解読のための重大なヒントを公開してしまった。もうね、尼崎市役所、救いようがないバカ野郎です。しかし、こんなマヌケな社員が13桁のパスなんて覚えられるわけがないわけで、会見での失言がなくても、盗まれたカバンの中にはパスワードを書いたメモが一緒に入っていたと考えるべきでしょう。

 その後、バカが寝ていた近くでカバンもメモリスティックも発見されました。しかし、形がある財物なればそれが回収されれば一見落着ですが、電子データはそうではない。USBメモリが戻ったところでなんの意味もありません。複製が容易なので、一度占有・管理下を離れた時点で、もはや取り返しがつかないのです。データが市中に出回り被害が出た場合、この会社と市はどう落とし前をつけるつもりでしょうか。2カ月前に4千万円の誤送金事案がありましたが、被害の規模はこっちのが遥かに大きい。shinshi.jpg

 個人情報管理が緩やかな昭和の頃には「紳士録」なる出版物があって、毎年改訂版が発行され続けてました。有名人やいわゆる名士のリストで、名前、住所、電話番号は言うにおよばず、職業、勤務先、その役職、家族構成とその名前やなんかまで掲載されてて、一目で丸裸です。今から思うととんでもない話ですが、当時はここに掲載されることが一種のスティタスとなってたんやから、まあ時代を感じます。当然、今では消えて無くなりました。マンガ雑誌には欄外に「ファンレターを送ろう」と漫画家の住所が載ってたし、究極は電話帳でしょう。日本の紙の全消費量の1%を占め、インターネットの無い時代には重宝された電話帳(ハローページ)も、とうとう役目を終えて昨年廃止されたそうです。時代の流れです。

 国民の意識がすっかり変化し、今では懸賞応募の際にハガキに住所氏名を書くことさえ憚られます。ネット応募でも同様です。できたら捨てメアドで応募して「当たったら連絡ください」としたいところですが、それでは「関心のある消費者リスト」を入手したくて賞品を提供している側にとっては何のメリットもありません。個人情報を集めたい事業者と、出したくない個々の国民の駆け引きが続いていきます。

 果たして、いろんなところに記録されている、名前をはじめとする私の個人情報はいったいどれくらい積み上がっているのでしょうか。もはや見当もつきません。悪用しようと思えばいくらでもできるんでしょね。神様に頼んで、すべて消し去ってもらいたいもんです。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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