下鴨とビブリア

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 古本市が好きで機会があればあちこち行ってることは、何度か書いたことがあります。中でも京都の下鴨神社でお盆に開催される「納涼古本まつり」はよく行くんですけど一昨年コロナで中止、昨年は都合つかずで今回3年ぶりに行ってきました。

20220816_020702057_iOS.jpg 神社の広い境内で、左右には森が広がっており上空は張り出した巨木の枝葉が日陰を作っています。森の湿った香りとテントの会計レジで焚いてる蚊取り線香の香りと、膨大な古書が発する香りが入り交じり独特の匂いが満ちています。いつもこの香りを嗅ぐと、夏が終わっていくなあと感じます。小学生時代、地蔵盆のお祭りが過ぎると夏休みの終わりをいやでも実感しこの世の終わりのような暗澹たる気分になりました。あのときの空気感を思い出します。

 広い会場内を2時間ちかくぶらぶらしたでしょうか。目ぼしい掘り出し物も見つからず、この日は島崎藤村の「若菜集」の初版本だけを買って帰りました。家から往復2時間かけて古書1冊、買い物の成果だけみるとなんとも非効率的ではありますが、気分的には有効な時間の使い方でした。

 古書・古本業界は、作家や出版関係者にとってはあまり喜ばしい存在ではありません。古本は、客が買っても出版社や作者には1円も入らないからです。理不尽な気もしますが、書籍などの著作物(映画DVDを除く)はいったん適法に販売された時点で著作権者の譲渡権が及ばなくなるので、買った人はそれを誰かに売ろうが自由なのです。だから古本屋さんの商売が成り立つのです。

 これは消費者にとってもありがたい。書籍やCDなんかは本来、独占禁止法の規制の例外とされてて、再販制度により新刊書は日本中どこでも同じ値段です。今週号の少年ジャンプを1円でも安い店を探して買うなんてことはできません。

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 ところが譲渡権が無くなった古書はパソコンや豚コマ肉と同じで、お店はいくらで売ろうと自由になります。ボロボロの漫画本に1冊数千円から数万円のプレミア価格がついたり、人気がない文庫や新書なんかは新品同様でも1冊100円でワゴンに並べられるのです。

 わたしもよく古本買います。新刊のベストセラーやなんかは古本屋さんになかなか出てこないのでamazonやリアル本屋さんで求めますが、何かの拍子に興味がわいた本はたいてい中古を買います。安い。しかも本から得られる情報の質・量は新品と同じで、これが他の中古物品との大きな違いです。

 先日、そんな古本屋さんを舞台にした「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズ、たまたま読み始めたらはまってしもて、とうとう全部読んでしまいました。いちおうミステリーなのですが、ラノベというカテゴリに入るのでしょうか、軽い文章なんで1日の通勤往復で1冊のペースで読めました。

 映画化ドラマ化もされた作品なんで「小説とはいえいくらなんでもそれは無いでしょう」的な展開はまあ、マンガ読んでると思えば納得できます。それより、作者は古書店に勤務したことがあるとかで、業界の内側が垣間見られたところがなかなかに面白かったです。全部amazonで中古を買いました。当然ですが、内容は新刊本と変わりません。この得した気分は、なかなかに小さな幸せなのです。

政治と宗教

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 安倍元首相の暗殺以来、犯人が統一教会から受けた仕打ちが安倍さんへの逆恨みとなって犯行に至った経緯が徐々に明らかになってきたことで、このカルト教団がにわかに注目を集めています。

 統一教会の悪名が一躍社会に広まったのは1980年代のこと、いわゆる霊感商法事件でした。メンタル弱い人につけこんで「あんたの先祖の霊が苦しんでいる。これを買えば治まる」ということで、高価な印鑑や壺を買わせる詐欺商法を日本中で展開し、国会でも社会問題として何度も取り上げられました。

cult_kyoudan.png その後多数の訴訟が提起され、教団の使用者責任を認める判決がいくつも確定しました。暴力団構成員が起こした事件で組長の責任が厳しく糾弾されるのと同じで「信者が勝手にやったこと」という言い訳が通用しなくなったのです。その後消費者契約法の改正(2018年)によって、被害者は霊感商法の契約をソッコー取り消すことも可能になりました。それでも、この反社カルト集団に騙されて財産を掠めとられる信者があとを絶ちません。

 二束三文の壺をン百万で売りつけた場合、常識的にありえないから違法性は明らかで簡単に詐欺が成立します。しかし、信者が献金しすぎて生活が破綻した場合などは、教団の強要ではなく被害者が自発的にやったと言われると詐欺の立証が困難です。宗教がらみの犯罪は人の内心に絡むのでやっかいなのです。いっそ「宗教団体への献金や寄付は年収の何%以下、教団はそれ以上の献金を受けたらあかん」という法律があればいいと思います。

 法律作るのは国会ですが、なんとその国会議員センセイたちも統一教会とは大の仲良しであることが次々に指摘されはじめました。

 教団が信者から巻き上げるお布施や献金は、原則的に非課税です。お寺や神社などの宗教法人は、物販で儲けても、たとえばおみくじやお守りなど参詣等の宗教的行為に付随する少額のものは課税されませんし、一千万円の壺や三千万円の教典を売りつけても、「これは無償で差し上げたものです。一千万円は別の献金です」と言えば、税務署職員はスゴスゴと帰るしかありません。宗教団体はタックスヘイブンなのです。 cult_family_shinpai.png

 そんな権益を維持していくために、都合が悪い法律を作らせない工作がいります。企業なら政治家に政治献金(=賄賂)を握らせるところですが、宗教団体はカネを出さずに人を出すのです。信者たちはなんせ洗脳されてますから、選挙の際に教祖様がひとこと「○○候補に」と号令かければ何十万人という信者は全員投票するし、さらに無給で献身的に選挙運動までやってくれるんです。政治家にとっても宗教団体は実にオイシイ存在なのです。だから、今回の事件で統一教会がふたたび社会から指弾されても、同じ穴のムジナである政治家が一緒になってやっつけるわけにはいかないのです。ずぶずぶの関係というやつです。

 経済安保大臣になった高市早苗は10年前に統一教会の月刊誌「世界日報」に対談記事が掲載されてたし、立憲の岡田元外務大臣も世界日報のロングインタビューを3回も受けてたくせに、どっちも今になって「教団の出版社とは知らなかった」なんて、誰が信じるかという話です。本当に知らなかったとしたら、それこそ底抜けのアホウと言えるでしょう。政治家なんてできるはずがない。とっとと辞めてしまいなさい。他にも教団関連の会合に出席したり祝電打ったりしてた議員はごろごろ出てきてます。皆さん「教団と関係あるなんて知らなかった」。この嘘つき野郎どもめ。むしろ「付き合いがあり選挙も手伝ってもらってた」と開き直った岸防衛大臣の方が正直でよろしい。この発言が響いたのか、防衛大臣辞めちゃったけど。

 一方今回の件で与党公明党の歯切れが悪いのは当然で、もうね、見てて可哀そうなほど。創価学会の政治部隊が公明党なんやから「政治家は宗教団体との決別を!」なんて主張できるはずがない。野党はここ奮起して攻勢を強めるべきなんやけどまあ、またいつものように、気がついたら「あれ、そいや最近テレビで統一教会のこと言わんようになったなぁ」と終息していくことになるのでしょう。

本屋さんのオーラ

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 今日も暑くなりそうです。早く目が覚めたので、近所の洗車場に行ってクルマ洗ってきました。屋外での用事は日中は避けるのです。今日もこのあと一日、おうちで冷房に浸ってまったりと過ごします。

 さて、通勤電車、バスの中ではたいがいなんか読んでます。サラリーマンになって以来、このスタイルは変わっていません。若い頃は、阪神タイガースが勝った日の翌朝は駅でスポーツ新聞を買うのが常でした。当時は実家から職場に通ってて、乗車時間が延べ1時間半以上と長かったこともあり、電車の中で実にいろんなものを読んでました。今ではスポーツ紙を買うこともなくなりました。私に限らず、朝の満員電車で新聞を広げるおじさんたちが消えて無くなり、みなさんスマホを眺めてます。あらためてじっくり観察してみると、まあなんと見事なまでにほとんどの乗客がスマホを眺めてます。まれに私みたいに文庫本を読んでる人がいます。朝夕の満員電車、車内の風景は様変わりしまた。

 で、スマホで何を見てるのかというと、これがさまざまで、ネットニュースと思しき画面を眺めてる人、LINEのやりとりしてる人、イヤホン繋いで連ドラの録画見てる人、ゲームに集中してたまにガッツポーズ決めてる人、そして電子書籍を読んでる人。

 電子書籍ですわ。amazonkindleやコミックシーモアBOOK☆WALKER、その他実にたくさんのサービスが鎬を削っています。小説、コミック、それに雑誌は今やそのほとんどがネット空間で手に入る時代になりました。本屋さんに行って買う手間がいらない。読みたいと思ったときにダウンロードして即座に読み始められます。これでは、街の本屋さんの客が減るわけです。

 kinokuniya.jpg私も実は電子書籍利用したことがありました。SONYがやってるReaderStoreというサイトでしたが、やめました。ダメなんです。どうも読みづらい使いづらい。iPhone12miniという小さいスマホなんで、スクロールがしんどくて思うように読めず、何冊か読んでやめてしまいました。kindleの専用機やiPadなどの大きめのんやったらまた違うかもですが、しばらく買う予定がありません。結局、紙の本へと回帰した次第です。

 紙の本でもほとんどネット通販で手に入ります。もうね、街の本屋さん、さらに客が減っていきます。

 でもね、それでもやっぱり私は都心の大きな本屋さんに行くのです。何冊も衝動買いしてカバンの重さで後悔しながらも、リアル本屋さんで買うのです。都心をうろついて少しでも余った時間があったら、とりあえず本屋さんを覗いてみるのです。

 子育て始めたママさんたちが、公園デビューするのはなぜかということです。壁に隔てられた室内でテレビ視るよりも、奥行き無限の屋外の方が赤ちゃんたちの五感に訴える情報の刺激が格段に大きいからです。脳の発育に役立つのです。

 それに似た理屈で、本屋さんにはネットの本棚で得られない情報が溢れているのです。何が今アップトゥデイトの話題なのか、いやでも目に入ってきます。関心が無かった分野のトレンドもプッシュされてきます。店員さん推しのポップが揺れてると思わず手にとってしまいます。ネットでの買い物は興味がないとクリックしません。いわば正面からの狭い情報ですが、本屋さんで飛び込んでくる情報は前後左右上下から攻めてきます。それは実に心地よいひとときなのです。

 全身に本のオーラを浴びるため、今日もわたしは本屋さんに寄り道してしまうのです。

黒電話とamazon

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 お暑うございます。

 今、朝の7時過ぎですが、部屋の温度はすでにして30度を超えてます。こんな日に外出するとコロナと熱波のコラボ攻撃に晒されきっと死んでしまうので、いちにちおうちで涼むこととし、ゆっくりとブログ更新などして過ごすのです。

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 さて今日の話、北海道新聞社が記事の中でたまに使ってた黒電話マークを廃止すると発表したそうです。これが何の印か分からない読者が増えたからやとか。確かに、いまや黒電話はまったく見かけなくなりました。唯一、北鮮の独裁者が頭に載せている受話器を除いて。

 電話はかつてダイヤルを回してパルス発信でかけていたことを国民は忘れつつあります。確かに、平成以降に生まれた若者たちは見たこと無いかも知れません。

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 今でもたまに「チャンネル回す」と言いますが、テレビの回るチャンネルは何十年も前に無くなりました。わたし子供の頃は、選局でガチャガチャ回しすぎてダイヤルの芯が摩耗しすっぽり抜けて、以後選局はペンチを使ってチャンネルの芯を直接回す特別仕様となった家庭があちこちにありました。リモコンが登場するはるか以前の、まだテレビが木調家具で上にレースのカバーがかけられ、木彫りのクマがのっかってた時代の話です。

 照明を点けることを今でも「電気つける」というのも昭和の名残です。戦前戦後の頃、電気が家庭に普及し始めた頃は家電製品などなくて、電気と言えば白熱電球の照明のことでした。そのころできた日本語が今に残っているのです。

 今「ケータイ」といえば携帯電話やスマホのことですが、これは逆に平成以降に新しくできた現代語です。そのケータイが家電(イエデン)を駆逐し、スマホの登場でガラケーは絶滅危惧種となり、もはや携帯電話ではなく通話機能つき小型データ端末となり、これをほとんどの国民が持ち歩く時代になりました。かつてデータの送受信はパソコン通信というマニアだけのニッチな趣味やったのが、いまやインターネットは完全にインフラ化しました。通話のみの黒電話は姿を消すわけです。

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 その効果として、知らない人との会話によるコミュニケーションがどんどん減って、会話がなくても日常生活に不自由しなくなりました。お店に出かけて店員さんとお話しなくてもネット通販で大概のものは手に入ります。わたしも特にコロナ以降、リアルのお店から足が遠のき通販を使う機会が増えました。

 そいや先週、妙なメールが届きました。amazonを名乗る詐欺メールです。おそらくこの「支払い情報を更新する」を押すと、amazonのパスワードやクレジットカード番号などを入力させるフォームが現れるのでしょう。そうはいくかいという話ですが、ロゴや雰囲気が似てて、一瞬、ほんの一瞬だけ、本当にamazonからメールが来たと錯覚しました。あぶないあぶない。

 実は、こないだうっかりamazonのプライム会員になってしまい、無料お試し期間が過ぎて解約の手続きしたところなんです。
「ホントにやめるの?」「はい」
「プライムはこんなにいいよ、それでもやめるの?」「はい」
「考え直さない?」「直しません」
といったやりとりを何回か経て、ようやく解約できました。

 そんな絶妙なタイミングで届いたこの詐欺メール、わたしとamazonとの、プライム解約をめぐる攻防が情報として洩れていたことで今回標的になったとすれば、それはそれで恐ろしい話ですやん。

 ネットの発達で生活は格段に便利になったけど、そのぶん黒電話の時代には無かった、データ漏洩や新手の詐欺の危険が増しているのです。

国葬と左巻き新聞

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 大和西大寺駅前、安倍元首相が凶弾に倒れた現場に行ってきました。献花の列は300m以上続き献花台まで15分以上並びました。逝去から半月以上経ちましたが、いまだ各方面に影響が広がっており落ち着く気配がありません。

20220717_062923016_iOS.jpg 国葬が閣議決定され、日程や場所など具体的な内容が決まってきました。決まるにつれて、やはりというか左方向から雑音が聞こえ始めました。国会でもいくつかの反日政党が「国葬反対」を表明しています。市民団体を名乗る国籍不明の「プロ市民」たちが国葬反対の仮処分申請を行うそうです。政府はこれら極左反日勢力の醜い蠢動に顧慮することなく、われわれ国民の痛切なる思いをしっかりと汲み、粛々と準備を進めていただきたい。

 繰り返しますが、安倍氏は憲政史上最長の政権を担いその間、日本経済の再生、東日本地震からの復興を牽引しました。卓越した外交手腕でもって日米関係を強化し繰り返し押し寄せる中国および南北朝鮮からの嫌がらせに毅然と立ち向かい、わが国の国際的プレゼンスをかつてないほどに高めてきました。これらは、悪夢の民主党政権のむちゃくちゃな政策の後始末でもあったのです。多大な功績によって圧倒的多数の国民に支持され敬愛されてきた歴史的な指導者の理不尽な非業の死に際して、国を挙げて弔意を示すことは、普通に考えて至極当然のことなのです。

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 ただし、安倍元首相のことを評価しない、嫌いという国民がいることも事実であり個々人の弔意を強制するものではありません。民主国家日本ではいかなる思想信条をいだくことも憲法で保障されています。しかし、多数国民の民意が収斂した先に国葬の実施が決まったんやから、たとえそれが気に入らなくてもせめて静かに見守ることは、人として最低限の礼儀です。政治家の政策に不満があったからといって、その死に際して弔意を示すための国家行事をも否定するがごときは、今回の悲報に祝意をもって盛り上がっている特定アジアの国民と同じです。

 祝意といえば、ちょっとこれらの「川柳」見てください。
 「還らない命・幸せ無限大」 
 「疑惑あった人が国葬そんな国」
 「死してなお税金使う野辺送り」
 「忖度はどこまで続くあの世まで」
 「これでまたヤジの警備も強化され」
 「銃声が全て闇へと葬るか」
 「去る人の濁りは言わず口閉ざす」
 「銃声で浮かぶ蜜月政と教」 
 「国葬って国がお仕舞いっていうことか」

 目を覆いたいような誹謗中傷のオンパレードです。なんと、すべて今月の15日と16日、朝日新聞の川柳投稿欄に掲載されたものです。こんな投稿が日本の新聞に本当に載ったのです。両日の川柳欄は安倍首相の死を揶揄する特集のようでした。何という無礼。うそでも人ひとりが無くなった直後、このような思いを表明すること自体が著しく礼節を欠きます。たとえ本当にそう思っていたとしても、口には出さないのが人として最低限の良心ではないのでしょうか。激しい怒りを禁じえません。

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 社会の公器たる新聞がこんな非礼極まりない内容を嬉々として掲載するがごときは、まさに人でなしの所業といえるでしょう。頭のネジが一本外れてます。政府は、このような非常識な紙面に対して断固として抗議するべきです。

 当然のことながら、朝日は社説でも国葬に難癖をつけています。ところが、ここでも汚いのが「危惧を抱く」だの「弔意の強制はあってはならない」だのグジグジと嫌味を述べてはいますが、はっきりと「国葬には反対」と言葉にしていないところです。さらに社会面の、国葬に関する「街の声」という記事では、賛否両論記載の体裁をとってはいますが、最後に「安倍氏の死を悼む感情と国葬の是非は切り分けて考えるべきだ」と唐突に記しています。カッコ書きにすることで「これは街の人が言うたことやで」とソースを曖昧にして文責を転嫁しています。これは新聞がやってはいけない書き方です。

 朝日がこのタブーを犯す意図は当然、はっきりと自社の意思として「国葬反対」とは書きたくないということです。かつて「東京五輪反対」を社説で書きながら、始まってみたらその尻馬にのって連日嬉しそうに記事を掲載したことで批判され、潰れかかってた面目をさらに潰してしまった記憶が蘇ったものでしょう。

 なんにせよ、人の非業の死に際して「幸せ無限大」と揶揄する。それが朝日新聞なのです。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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