「日本のミステリー三大奇書」といわれている3つの作品があります。ミステリー大好きなわたしが、これまで「いずれ機会があれば」と思いながらこれまで読んでませんでした。

  夢野久作 「ドグラ・マグラ」20230205_004154146_iOS.jpg
  小栗虫太郎「黒死館殺人事件」
  中井英夫 「虚無への供物」

 知る人ぞ知るこの3編、先人のあまたの書評や感想を総合するに、「難解」「しんどい」「途中でやめた」等々、読書はもっぱら楽しむために行うものと拘る私をして、避けて通らしめるに十分な理由がありました。しかし、食わず嫌いはダメ、迷ったときはやってみよう、買わずに後悔よりも買って後悔すべし、好奇心とミーハー精神に抗えずとうとう挑戦を決意し、お正月からこっちですべて読んでみました。

 3編とも、殺人事件が起こって読者に犯人を考えさせるという点では、ミステリーの部類と言えます。しかし、昨今の夥しい推理小説、探偵小説、犯罪小説などを念頭に読み始めるとエライ目にあいます。

 まあ、その、なんというか、「三大奇書」の看板に偽り無し。名付けた人に敬意を表します。すごかった。ネタバレしないよう慎重に、順に感想を記してみます。まず今日は「ドグラ・マグラ」。

 長らく「読んだら精神に異常をきたす」と評されて、今なおファンが多く、発表から90年近く経った現在でも専門家の解説、論評も様々に行われてるそうです。

 20230205_005315863_iOS.jpg一人称の主人公が目を覚ますとそこは九州帝国大学付設の精神科病棟の一室であった。どうやら自分は過去の殺人事件に何らかの関与をしているらしいが、何も思い出せない...。

 ミステリーでは、まあありがちなスタートかなという感じで、このあと、くだんの事件の詳細やそこに至る経緯、秘められた様々な事情、そして主人公はじめ登場人物の人間模様が展開していく...であろうと読者は期待します。そして、果たして額面上その通りではあるのですが、えっとですね、その、ここまでです。もう少し言うと、ミステリーの通り相場は、どんでん返しで意外な犯人が明らかになることで読者はカタルシスと爽快な読後感を得るのですが残念ながらそんな展開にはならず、ストーリーのツジツマだけを念頭に読了するとモヤモヤが消えません。いったい読者に何を訴えたかったのか、読み終わって「はて?」となります。それを確かめるべく、志の高い読者は「もう一度読んでみよう」となるのでしょうけど、すんません、わたしはムリでした。

 精神疾患についての突飛な学説や、精神病患者の治療や処遇に関する理論的な考察が縷々展開されるので、作者夢野久作はその方面の専門家であったか、さもなくば相当綿密に取材と勉強を重ねて作品を仕立てたことが読み取れます。かといって患者の人権に関する課題を問うているわけでもない。難解。

 今回読んだのは角川文庫のんで現代仮名遣いに直ってたこともあり、90年前の作品の割には読みやすかった。それでも、作中に長大な論文や「キチガイ地獄外道祭文」なるこれも長大な冊子の内容が入り子の形で入っていたり、さらにお寺の縁起文書がそのまま引用されてますが、これは文語体です。はなはだ読みづらくてしかもやたら長い。ヘコタレそうになります。

 この作品、映画化されていると知って驚きました。この世界観、雰囲気をよくもまあ映像化しようと、またできると思ったもんだわ。しかも準主役級の役どころに、わたしが愛してやまない桂枝雀さんが起用されてます。原作を読み終えた今なら分かりますが、これは上手い。重要な登場人物である精神科博士の雰囲気を見事に体現しているでしょう。機会があったら観てみようかと思いますが、まあ、オンエアはないでしょうな。

2cmの狭間で

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 大阪はいいお天気の日曜の朝です。

 先週、巨大強大な寒気が南下して日本列島をすっぽり覆うとかで、10年に一度の冷え込みという触れ込みで日本中が盛り上がりました。なんだか近年、天気予報界隈では「観測史上最大」だの「数十年ぶり」だの、自然現象の歴史的な修辞が目に付きます。気象庁は、ことの重大さを訴えるために一生懸命なんやなと。で、実際に終わってみたら大したことなかった場合が多いわけですが、それでも例の車列の立ち往生や大渋滞、スリップ事故などは頻発しました。幸い大災害とはいえない影響で、事前に臨時会見までやって必死に警戒を訴えた努力が実ったというべきでしょう。気象庁、しっかり仕事してます。

 一方テレビのニュースや天気予報では、ここぞとばかりに各地の豪雪の様子を伝えてます。普段雪が降らない地域に出かけたレポーターが「すでにみぞれ混じりの雪が降りはじめました」なんて言ってますが、霙(みぞれ)って雨と雪が混在している状態のことなんで、「みぞれ混じり」なんて言葉はそもそもありません。あちこちたくさん派遣せんといかんので、お天気のことあまり知らないのんが駆り出されたのでしょう。プロなんやから最低限の勉強してから仕事しろと言いたくなります。

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 各地から大雪関連のニュースが発せられる中、例によって大阪は蚊帳の外です。さすがに今回はうっすらと積もりはしたけど大雪とは程遠い状態で、ただ寒さだけが際立ちました。関西ローカルの天気予報、積雪量を示す画面で近畿では大阪府だけスッポリ抜けてます。まるで、このエリアだけ地べたにヒーターが入っているかのようです。

 わたしが通勤に使っている電車も、JR学研都市線、おおさか東線と終日運休となりました。何かあるとすぐに止まるこの路線も、さすがに丸一日まったく動かないのは珍しい。クルマで出勤できたのは雪がない大阪なればこそです。常々雪が少ないことボヤいてますが、今回は降らないことで助かりました。

 一方、電車しか通勤・通学の手段がない人は災難でした。京都線、琵琶湖線、湖西線といえばJR西日本の中でも利用者が多いドル箱路線です。それが雪で止まってしもた。運休ではなく、走ってる途中で動かなくなったのです。何百人もの乗客が車内に7時間以上も閉じ込められ、気分が悪くなって救急搬送された人が十人以上いたというから、とんでもない話です。結局電車は動かず、乗客は7時間半経った真夜中に線路に下ろされ、あとは勝手に帰れと。

 不運にもこれら止まった電車に乗ってたひとたちは誠にお気の毒です。7時間半立ちっぱの人もいたわけで、もしも自分がと考えるとこれはもうね、絶対に許せません。

JRyuki.jpg 謝罪会見聞いて唖然としました。ポイントが雪で切り替わらなくなったことが原因という説明ですが、そもそも雪が降った際にポイントの雪を解かす設備があると。ところがその装置、10㎝積もったら動かすことにしてたけど積雪8㎝の予報やったから作動させんかった、結果沢山積もって動かんくなったということです。

 アホかと言いたい。

 天気予報で言う8㎝と10㎝、どれほどの差があるというんでしょ。「2㎝なんて誤差の範囲。念のため作動させとこ」と考える駅員が誰一人いなかったのか。8㎝で作動させたら誰が困るのか。危機管理がまったくできていない。あれほど危機意識を煽った気象庁の努力も無駄でした。

 これは、異常気象による不可抗力ではありません。会見したJR西の担当者「夜中に雪が降る中で客を降ろすのに躊躇して判断までに時間がかかった。プロセスが正しかったか検証していきたい」とか言ってました。そもそも原因となった8㎝と10㎝の件もちゃんと検証して、さらに乗ってたお客様に対してどう落とし前つけるのかということにもしっかり対応すべきです。尼崎の脱線事故同様、JR西の黒歴史として継承していくべきでしょう。

新聞離れ

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 若者の新聞離れが深刻です。「PRESIDENT Online」によると、わが国の新聞発行部数はこの25年間で5,376万部から3,084万部に減ったそうです。40%以上減ってます。続いて衝撃的な統計の紹介があります。「新聞を毎日読む大学生は1%」「全く読まない大学生は62%」「新聞を購読していない世帯は50%以上」

 朝の食卓に新聞が置かれているのは、もはや昭和を象徴する光景なんやとか。newspaper.jpg

 職場で、周りの若手スタッフの中に「新聞とってません」というコがいて、「変わった奴やな」と思ってましたが、今やそれが普通やということに衝撃を受けました。つね日ごろ「新聞を読め」なんて説教している私の方がよほど変わった奴やったわけです。ちなみに彼女「パソコンでYoutube視るから」家にテレビもないそうです。

 こんなことになった原因は、言うまでもなくスマホの爆発的な普及です。購読料払って新聞とらなくても、タダのニュースサイトがなんぼでも見られるやん、というわけです。今や朝の通勤電車で新聞紙を広げてる人なんて皆無で、みごとにほとんどの人がスマホをいぢくってます。新聞社にとっては購読料が減っていく由由しき事態です。もはや宅配の激減は止めようもなく、広告収入への依存が進み、それでも立ちいかなくなって本業以外の不動産の運用なんかで糊口をしのいでいるんやとか。

 朝日新聞も最近最終ページがテレビ欄ではなくて広告だけの日が増えてきました。昨日もそうでした。日経新聞みたいにラ・テ欄が紙面中ほどの見にくい位置に追いやられる日が増えてます。日経は最終ページも記事で埋めてますが、朝日は全面広告です。読者の利便性を犠牲にして、広告収入の増加を図っているのです。そんなことするから読者を減らすんです。

20230118_205246181_iOS.jpg そいや先週、週刊朝日とうとう休刊すると朝日新聞に載ってました。本業の新聞の部数が減ってんのに、週刊誌作ってる場合やないということでしょう。新聞にしろ雑誌にしろ、もう、紙の時代ではないということです。ちなみに、雑誌や新聞が売れなくなって廃刊するとき、なぜ「休刊」と言うんでしょね。復刊することなんてまずないのに、新聞がウソ書いちゃダメですよ。

 紙面に占める広告の割合も昔より増えたように思います。特に「全面広告」ははっきりと増えてます。テレビはじめ多くのメディアは、我慢してCMを見たらあとの番組はただで楽しめます。ところが新聞では、読者はオカネ払って広告を見せられてるわけで、あらためて考えるとおかしな話ですわ。

 その新聞社、紙から電子版への移行が進んでて、朝日新聞も宅配購読者は電子版紙面ビューワーをタダで見られます。しかし、最近の若い子たちは、紙面ビューワーよりも、テキスト版のニュースサイトの方を好むらしい。もともと紙の新聞を読むことなく育ってきたので、紙面そのままのビューワーでは記事のつながり先が分かり難いんやとか。なるほどなあ。

 しかし、ニュースサイトのコンテンツは往々にして利用者の興味指向に特化していく傾向があります。AIが発達した結果、広告と同じで閲覧した内容に関連したコンテンツがその後も表示され易くなるのです。そうすると読者は「自分がもともと興味がある記事にしか接しなくなる」という現象が生じます。

 紙の紙面だと、ばぁっと広げたときに興味があろうとなかろうと多くの記事がいっぺんに目に入ってきます。その結果自分の知らなかった世の事象に気づき視野が拡がっていきます。テキストのニュースサイトだと、これがない。

 結果として、読者の嗜好の偏向が進み、大局的な見地や違った視点からのものの考え方が養われなくなっていきます。戦後に半島国家でウソに塗れた歴史教育が進められた結果、歪んだ反日意識が国民に刷り込まれていったことに似てます。興味なくても、利害がなくても世のいろんなニュースに接している方がいいのです。

 固定電話の契約が激減しているのと同様に、社会全体のIT化が進むにつれて紙の紙面はこの先さらに衰退していくのでしょう。わたしは当面購読をやめるつもりはありませんが、そのうち宅配そのものが無くなるかも知れません。

 コロナ以来久しく映画館なんて行ってなかったんですが、大ヒットした前作も観たし、テレビのオンエア待ってられんし、しかも映画館なら大画面で眼鏡かけて3Dで観られるし、ちょうど買い物のついでもあったりで先週行ってきました。

 avatar0.jpgだいぶ前にも書いたように思うのですが、わたし映画館では頭ン中空っぽにして楽しめる娯楽大作しか観ません。シリアスで考えさせられるのんとかまっぴらゴメンです。非日常への逃避こそが映画の醍醐味であり、現世と隔絶するためにわざわざシネコンに足を運ぶのです。ビールを片手にポップコーンを頬張って、久しぶりのレガシーな正統派娯楽のひとときを楽しみました。

 SF映画といえば、宇宙人の侵略に対して人類が団結して立ち向かい最後に勝利を勝ち取るというのが通り相場です。しかし「アバター」は逆で、資源を求めて宇宙に乗りだした地球人が他の星で平和に暮らしてた知的生命体を虐殺する侵略者として描かれます。観客は、邪悪なわれら人類が返り討ちにあい、ばったばったと殺されていくクライマックスに感動しカタルシスを得るのです。これはなかなか新しくて良い。かつて昭和の頃、ヤクザさんたちは「太陽にほえろ!」みて悪役に感情移入してるんやろかという話題がありましたが、そんなことは無くて、人類はすべからく正義の味方なのです。

avatar.jpg 前作同様にとにかく映像がキレイ。近年日本のアニメもキャラクターとともにその映像の美しさが評価されてますが、ハリウッド映画の映像の仕上がりはCG技術の進化のたまものです。想像を超えたイノベーションが知らず知らず進んでいるのですね。空想の惑星「パンドラ」の世界観を圧倒的なスケールで表現しており、これは感動ものです。

 昭和の頃は、映像美が秀でた作品というと実写でのカメラワークと編集の成果であったところ、CGが出てきてレベルが格段に上がりました。この点評論家サンたちが「マンガみたいになんでも作れてしまい、映画の価値が無くなった」と批判してた時代もありましたが、昨今聞かなくなりました。大昔、トーキー映画の上映に活動写真弁士たちが猛反対したそうですが、それに似てます。技術の進歩に抗ってはいけません。実写だろうが作り物だろうが、映像のできがよくてより楽しめればそれで良いのです。avatar2.jpg

 ストーリーも練られてて、クライマックスの長大な戦闘シーンは圧巻なれどそこに至る展開よりも、結局は家族の絆の大切さ素晴らしさを全編の中心に添えています。日本で作ったらきっと、男女の純愛だの愛憎だの何らかのラブ・ストーリーを絡めてくるのが目に見えてます。このあたり、しっかりアメリカ映画やなあと思いました。

 3時間12分の大作ですが、長さをまったく感じさせない。娯楽大作とはこうあるべきというお手本のような傑作でした。

 キャメロン監督はこれ5部作にするなんて言うてるそうです。楽しみができました。

帝銀事件

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 お正月休みが終わり、仕事はじめのご挨拶その他ワチャワチャもひととおり収まり、世間は普段通りの営みへと戻ってきました。わたしも先月患ったコロナも全快し、七草粥をいただき心身ともにいきなりのフル回転の様相です。

 さて年末にNHKで久しぶりに帝銀事件を扱った番組がありました。ドラマとドキュメントで構成された、なかなか見ごたえのある内容で楽しめました。

 わたしはNHKのことを忌み嫌っており、絶対に許すことができないと常々発信しているのでよく誤解されるんですが、視る番組はNHKが圧倒的に多いのです。批判しているのは組織のあり方と受信料を搾取する事業の構造に対してであって、個々の番組の内容自体は高く評価しています。

hirasawa.jpg コンテンツはやはり民放とはレベルが全然違います。政治的偏向だとか、ドキュメント周りのやらせ疑惑なんてつつかれたこともありましたが、そんなこと言い出したら民放なんて偏向どころか、どの政治家、政治団体からいったいいくら貰ってるんやってくらいにひどい内容が大手を振ってオンエアされてます。もし、こんな内容がNHKで流れたら一発で多くの関係者が飛ばされることでしょうよ。

 仮に、巷間言われているように、晴れてNHKのスクランブル化、国営化(税金投入)が実現し視聴者が激減しても、そのときは私は喜んで受信料払って番組を楽しむことでしょう。

 さて、帝銀事件です。番組では、松本清張の推理に沿って平沢貞道はシロで真犯人は他にいるという前提で作られてました。GHQの関与や旧日本軍の陸軍731部隊の関係者が真犯人であるという説は、これまでもいろんな論考、ドラマなどで繰り返し発信されてきましたが、ここまではっきりと「平沢シロ」を打ち出した構成は無かったように思います。すでに平沢が獄死したことで、強めの主張が可能になったのでしょうか。しかし、再審請求は続いています。テレビが「シロ」と言ったからといって再審が認められる(つまり冤罪の可能性が高まる)ものでもないでしょうが、少なくとも世論はそちらに傾きます。テレビの絶大な影響力です。

 NHKは「これはあくまで松本清張サンの意見やで」という姿勢なんでしょうけど、視聴者はそうは思いませんよって。もう、GHQに守られた731の残党が真犯人やったってことでええやないですか。seicho.jpg

 戦後の混乱期、帝銀事件や、例の国鉄三大ミステリー下山事件、三鷹事件、松川事件が立て続けに起こました。いずれも全容は解明されてません。当時は科捜研に沢口靖子もいなかったし、現代と比べて科学捜査の技術はじめ犯罪捜査・防犯に関するシステムが圧倒的に未発達で、今ならすんなり真相にたどり着けてた事案も簡単に迷宮入りしたり、一応の解決に至っても世間的に「疑問が残る」状態であいまい決着しちゃってました。だから新聞・雑誌・テレビが次々とさまざまな謀略説を提起することで、私のようなミーハーを相手に視聴率と購読料を稼いできたのです。それが令和の現代になっても繰り返されてるわけです。

 月日は流れてこれらの事件は遥か昔の話になり、今後タイムマシンが発明されないうちは、その真相が明らかになることはありません。だから松本清張先生ならずとも、もう言いたい放題の状態です。これはもう歌舞伎と同様に「演目化」したとでもいえるでしょう。

 一緒に視てたうちの奥さんはそもそも「帝銀事件て?」という視聴者層で、犯人が誰かなんてどうでもよくて、松本清張役の大沢たかおがカッコ良すぎる、ミスキャストやという一点にのみ突っ込んでました。まあ、賛成です。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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