先日、仕事中にamazonからメールが来ました。商品を玄関先に置いといたのでよろしくねーというお話でした。書籍やなんかは大概ポストに入るけど、今回買った本は大判で、初めての「置き配」という体験でした。玄関前ポーチの室外機の上に置かれている様が確認できます。
昨今わたしは、お店でリアル買い物をする機会が減ってきました。家内をはじめ世の奥様方のように日々スーパーで買い物することも無いし、書籍はamazon、その他の日用品やなんかはヨドバシの通販が多い。どっちも送料無料で届きます。急ぐ場合はそれなりの料金を追加すればいいけど、わたしの買い物で急に入用なんてことはまずありません。自然、通販が多くなってきます。同じような人は多いのではないでしょうか。
昭和の頃と比較するとネット通販が爆発的に普及しました。これまでお店で買ってたものが家に居ながらにして極めて手軽に、購入、決済から配送の手配まで一瞬の「ポチ」で済んでしまいます。実物を手に取って吟味する必要が無いのなら、消費者にとっては実に便利な世の中になったもんです。
そして、それとともに宅配事業も拡大し、配送ドライバーさんの激務も話題になりました。それを解決するために社会が編み出した知恵が「置き配」です。
コペルニクス的発想の転換といえるでしょう。
古来、商品の受け渡しは対面で行うのが当然、ハンコ貰って「渡した、受け取った」のエビデンスをしっかりと残すことが必要でした。しかし、あるときある場所で「いちいち本人に渡してハンコ貰うの、時間と労力の無駄じゃね?」と考えた人が現れたのです。最初に火を使えるようになった原始人類のようなもんです。
それまで置き配という制度が無かった最大の理由は、盗難の懸念です。「置いたよ」「いや、置いてないやん」のトラブルが想定されてたからです。しかし、日本社会の治安の良さに加えて、宅配ボックスやガスメータ箱の利用など置き場所を工夫することで紛失の危険を回避し、さらにスマホの普及で証拠の写真をメール送信するなどの対応が可能となり、置き配はさらに普及しました。amazonの配送は、ポストに入らない商品は「置き配をデフォルト(基本)とする」としています。対面での受け渡しを希望する場合は、購入の際にそう言ってねってことです。置き配で万一事故があって届かなかった場合、すぐに代替品を送れる巨大企業の体力を示しています。
置き配により、配送する側は不在で再配達という手間が減り、受け取る側も帰宅と同時に確実に受け取れるし、在宅であっても玄関での対面応対が無くなりました。一人暮らしや共働き世帯ではメリットが大きいといえます。
今日もうちのマンションでは、配送の人たちが縦横無尽に行きかい、夕方帰宅すると、多くのお宅の玄関先に配送物品がたくさん置かれているのです。