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名古屋発ひのとり

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 遅かった梅雨入り、入ったら入ったでいきなり本番開始で、今週いっぱい降り続くそうです。ジメジメの日曜日の朝、まったりと自宅で休日を満喫します。

 名古屋の話します。先週久しぶりに仕事で訪れたからです。

 名古屋と書くと、このブログではいいイメージがありません。愛知選出の国会議員がつぎつぎと不祥事を起こしてくれるからです。税金滞納や国会での虚偽答弁に関して文春砲で撃沈した神田憲次という代議士しかり、参議院議員では「住宅手当」が読めず「テトウ麻衣子爆誕!」とネット上に新鮮上物のネタを提供してくれた田島麻衣子しかり、ちょっと前になりますが、ガソリン代疑惑とダブル不倫で議員を辞めたガソリーヌこと山尾志桜里しかり。極めつけが、東京五輪金メダリストを呼びつけてそのメダルに噛りついた名古屋市の変態市長です。いまでもgoogleの検索で「河村市長」と入力すると予測変換で「メダル」と付与されます。ネット空間では一度しくじるとなかなか忘れてもらえず、ずっと生き恥をさらしていく覚悟が必要です。まあ、そんくらいの恥知らずでないと、はなから議員や市長なんて務まらないということなんでしょう。わたしには到底無理です。nagoyajo.jpg

 さて、名古屋。大都市です。大トヨタを近隣に従え、日本の製造業の玄関という看板を掲げて発展を続けてます。万博の効果にも疑念が呈されてるジリ貧の大阪に替わって、日本№2都市圏の座を虎視眈々と窺っています。リニアも東京と名古屋を結んで、大阪はまだしばらく蚊帳の外です。

 大阪、関西が今に至ってもそれなりの地位を保ってるのは、明治開闢まで日本の中心、首都であったいきおいによるものです。関西は江戸時代まで天子様が鎮座しており、新興開発都市の江戸にとっては敬うべき「上方」の位置づけでした。その余勢と矜持が関西発展の原泉やったわけです。明治維新直後、大阪は「大大阪、東洋のマンチェスター」と称され、その人口は東京を上回っており、関西圏は世界最大の都市圏やったといわれてます。

 それがですよ、明治政府から続く東京一極集中政策によって、日本の政治・経済・文化活動が東京へ東京へと集まって、それとともに人も東京に集まって、日本人の10人にひとりが東京都民という人口の偏在が起こってしまいました。

 それでも「上方」は日本でゆいいつ東京に対抗できるライバルとしてその地位を存置してきたのですが、日本全体が人口減少に転じると首都圏一強の構図が強まり、地域経済圏のプレゼンスが「いかに東京に近いか」で評価されるようになります。リニアで名古屋が首都圏の通勤圏内となり、人はさらに東へ東へ東京へと流れ、上方はさらに置いていかれることになります。

 現在、大都市圏の人口はもちろん首都圏がダントツで、関西圏はその半分、さらにその半分が中京圏という状態です。しかし、将来的には関西が中京に抜かれてしまうのではと危惧します。

 わたしが名古屋を初めて訪れたのは、小学校の修学旅行でした。近畿一円の子供たちは修学旅行といえば奈良、京都や伊勢が定番やろけど、われわれ奈良県の小学生は1泊2日で名古屋に出かけたのでした。名古屋城やトヨタの工場や明治村を見学したのを覚えてます。子供の頃は泊りがけで遠方まで旅行することなどほとんど無く、しかも多くの友人と一緒にすごした2日間、実に楽しかった。いい思い出です。

 その後、わたしにとって名古屋は、東京から帰省する際の乗り継ぎ駅としての機能しかなくなり、社会に出てからもしょっちゅう通過するけど降り立つことはほとんどありませんでした。長い仕事人生振り返っても、10回も無かったと思います。それが先週、久しぶりに出向いたのです。hintori.jpg

 新幹線の車中で友人とLINEしてたところ、その友人が以前に名古屋高速でオービスの餌食になった話になりました。こちらはすっかり忘れてたのに自ら言及するとは。きっと彼女にとっては消せない黒歴史なのでしょう。お気の毒です。まあ、わたしはここまでくるのにクルマを使うことはないでしょう。

 仕事、所用済ませて帰りは近鉄の名阪特急「ひのとり」にしました。最近増えてきた近鉄の豪華観光特急の最新鋭車両、話のタネに一度乗っとこうというわけで、デラックス車両ですよ。この日、仕事先の人との話の中で「ひのとりはなかなか取れない。デラックスから売れていくそうです」と聞いてたのに、ラッキーでした。

 乗ってみると、なるほど豪華。これはいい。

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 何がいいって、3列配置の座席の広さもさることながらリクライニングが秀逸です。後ろに倒れるだけでなく、座面が前に滑るように動いて後ろのシートの空間に影響しません。新幹線のように後ろの人に気を遣う必要が無いのです。さらにフットレスト(オットマン)も上がってくる。まるで航空機のファーストクラス(乗ったことないけど)。しかしこの仕組みを実現するためにはシート前後の間隔によほど余裕がないとあきません。このためデラックス車両はレギュラーの約半分、わずか3×7席しかありません。なんと贅沢であることよ。

 学生時代の帰省の際に楽しみにしてた、沿線の巨樹「長大の大楠」この日もよく見えました。ちょっと葉の繁りが減ってるように見えたのは、今がクスノキの落葉の季節やからでしょう。

 じつにラクチンな2時間でした。大阪ー名古屋間、時間は新幹線の2倍以上かかりますが、これからも時間に余裕があるときにはこちらを選ぶかも。まあ、名古屋に行くことはあまりないかなあ。

 緊急事態宣言が出て、都府県は独自に緊急事態措置としていろんなところに自粛要請を発令しました。公共施設は閉鎖され、大小小売店、飲食店は軒並み閉店、学校も休業状態です。未曽有の異常事態です。コンサート、ライブはすべて中止、延期となっています。アーティストは言うにおよばず、公演の関係者も過去経験のない大打撃をこうむっています。

20200407_104711589_iOS.jpg 来週土曜日に行くつもりしてたフェスティバルホールでのコンサートもやはりというか、延期になりました。延期と言っても1年近く先のしかも平日ということで、「チケットはそのままでご入場いただけます」と言われても、これはもう多分行けません。しゃあないんで払戻ししてもらうことにして先週、ホールまで行ってきました。またコロナ収まったら改めて買うことにします。

 イベントの無い日に劇場に来ることなどまず無いわけで、普段にぎやかなだけに、逆にひっそり閑として実に淋しい。この大階段とホワイエが観客で溢れる日は、いったいいつになるのでしょうか。

 政府は人との接触7~8割減らせと求めてますが、仕事によってはそんなわけにはいかないことも多々あると思います。わたしも今週から在宅勤務となりました。こんな不自由な状態で何とか頑張っていくことが、コロナとの闘いそのものであると奮起して勤しむことといたしましょう。

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 テレワークは以前にもやったことがあります。そのときは、働き方改革の推進の一環ととしての試行でしたが今回はいわば本番です。職場から配給のノートパソコンにも自分のmacbookにもカメラとマイクは付いてるんで、自宅に限らずどこにいてもノートで会議など顔見て話すことができます。しかし、やはり慣れたデスクトップパソコンの方が仕事は捗ります。そこで書斎の母艦機にwebカメラとマイクを取り付けてテレワーク環境を構築しようと思い立ったのが先週のはじめ。マイクはあるけどカメラが無いので、早速買おうということで通販サイト...って、無い、無いやんか。なんと、webカメラどこも売り切れてるやないですか。

 今、日本のほぼすべての大学でまともに授業ができていません。学生さんたちは自宅でパソコンに向かって遠隔授業を受講しています。20200411_091952423_iOS.jpg

 そう、皆さん考えることは同じで、一斉にテレワークの必要が高まり、さらに学生・生徒諸君のオンライン授業にも必要ということで、webカメラの需要が一気に高まったのです。マスク、消毒グッズの次はテレワークグッズというわけです。大衆の消費行動の何と分かり易いことか。

 通販サイトは軒並み在庫切れ。あっても海外から発送で納期が数カ月先なんてのばっかり。やむなくオークションサイトで未開封新品の型落ち品を探し出し、何とか購入できました。

 テレワークでも、やるべき仕事の量はあまり変わりません。環境を変えることで何か変わったアイデアでも発掘できるれば儲けもんです。わざわい転じて福となるよう、ポジティブ思考でいくことにしましょう。

 ちょっと事情がありまして、力仕事をしてまいりました。

 さきの西日本豪雨で土砂崩れの膨大な泥がキャンパスに流れ込み、未曾有の被害を受けた大学でその泥を運び出す作業を応援に今日行ってまいりまして、今時分のブログ更新となった次第です。20180715_011330971_iOS.jpg

 この、山から流れ落ちてきた土砂というのが実にくせ者で、「真砂土」という、粒子がとても細かくて土木工事や園芸で使うのには非常に適した粘土質の土なんですが、望まないカタチで堆積してしまうと何とも厄介なのです。重くて、乾くとまるでレンガを重ねたように硬く固まってしまいます。スコップで掘り返すのは相当な重労働なのです。

 もちろん土砂撤去の主たる作業は大型の重機でガガガッとやってしまうのですが、細かな部分はどうしても人の手でやる必要があります。写真のような駐車場のブロックの隅なんかは遺跡発掘よろしくシャベルでちまちまとやるわけです。

 ところで、この「スコップ」と「シャベル」どっちがどうよということは長年の論争を経て決着がついていません。邪馬台国みたいなもんです。ググってみると公式なJIS規格では、足をかける部分があるものを「シャベル(ショベル)」、ないものを「スコップ」というそうでどっちも大きいのんを指すそうです。で、片手で持って使う例の小さいやつは「移植ゴテ」というそうです。へー、そうなんや知らんかった。けど、関東と関西では大小の呼び名が逆とかも言われてますし、わたしはというとこれまで「スコップの大きいやつ」と「小さいやつ」で意思疎通を図ってきました。「移植ゴテ」なんて聞いたことない。専門的な医療器具かと思てまうわ。img_0-min-1.jpg

 さて、普段力仕事などまったくしない上に気温が体温を上回る記録的な猛暑の中ということもあり、終わったあとは文字通りヘロヘロんなってしまいました。

 おびただしい量の土砂を押し流し人の生活を破壊するのも自然の営みならば、それを跳ね返す意欲と智力と体力を人に与えたのもまた自然の意思やということは、考えてみればおもしろい。さらに、ガテン系のお兄さんたちはこんなことを毎日やったはるわけで、わたしといえども慣れれば連日でできるように...ならんやろなぁ。

 少しずつ暖かくなってきてんのかいなと思てたら爆弾低気圧が北日本を通過し、数十年ぶりの猛吹雪に見舞われたのが先週のこと。うって変わって今日はずいぶんと暖かくなりました。ところが今週はまた寒くなるとかで、三寒四温の時期を経て本格的な春の訪れはもう少し先のようです。

20180304_015744606_iOS.jpg さて、大阪市は今、2025年の万国博覧会の開催地招致活動を進めています。それに関連して、「2025万博『大阪・関西に来てや!』プロジェクト in 千林商店街」という企画が昨日ありまして、これに参加してまいりました。大阪商工会議所と千林商店街の共催です。

 オリンピックの開催都市を国際オリンピック委員会が決定するように、万博を「次、どこでやろっかな~」と決めるのは博覧会国際事務局(BIE)という団体やそうです。パリに本部があるとかで、このBIEが今回の候補地の視察のため大阪に来るってことになってて、そのタイミングに合わせてイベントを開催し、「大阪、こんなに盛り上がってまっせ~!」をアピールするために、昨日のイベントは行われたのです。

 2025年の万博には大阪のほかロシアのエカテリンブルグとアゼルバイジャンのバクーが立候補してます。バクーは大きな油田があることを高校時代に習いました。実はフランスのパリも手を上げてたんですが、懐具合が厳しいとかで先日立候補を取り下げました。パリは2020年東京五輪の次、2024年のオリンピック開催が決まってるんでまあ、確かに2年続けてはしんどいのかと思います。これで大阪の当選確率がグッと上がりました。

 さて、イベントは決起集会に続いてマーチングバンドのパレードが商店街を進み、誘致ムードというよりお祭りムードがいやがうえにもは盛り上がり、想定通りの効果があったように思います。同時に100円均一の商品をたくさん特売する「100円商店街」などの企画も実施しました。商店街としては、7年先の万博による経済効果もさることながら、今日の盛り上がりで商売繁盛をという思惑です。大変な人出でみなさんホクホクでした。20180304_025540528_iOS.jpg

 このパレードでは、1970年の大阪万博の際にパビリオンのコンパニオン(当時は「ホステス」と呼んでました)が実際に着ていたコスチュームを着たモデルたちも行進しました。レプリカではなく実物やそうです。公式な保存資料ではなく、ある万博グッズコレクターが保存していた逸品なのですが、よくまあ残ってたと思います。この方、全部で40着ほど所持しているそうです。スゴ。

 前回の大阪万博といえば、48年前ですからリアルタイムで知ってる人は50代後半以上の熟年層だけということになります。わたし8歳、小学校3年生のときでした。行きましたよ、母に連れられて。阪急電車が千里丘陵の万博会場に近づくにつれて車窓に現れた巨大なパビリオン群を目の当りにし、胸ときめいたものです。開場内そこここで見かけた当時珍しかった外国人の姿、アメリカ館、ソ連館入場待ちの長蛇の列。今でも鮮明に覚えています。最近は新しいことを全然覚えないのに、やはり幼き日々の記憶はすごいと思います。

 昨日、会場での主催者あいさつにもあったのですが、70年の大阪万博の頃わが国は高度経済成長の真っただ中、日本中にワクワク感が満ち溢れてとてつもなく元気な時代でした。インターネットもスマホもない時代を国民みなが何らの不自由を感じずに、決して豊かではないけど充実した日々を送っていたのです。そんな頃に、素晴らしい未来の生活を彷彿させるEXPO'70という実にタイムリーな、それも世界規模の大イベントが絶妙のタイミングで開催されたことになります。当然のように日本中の人が万博会場にわれもわれもと押し寄せ、結果的に半年間の会期でのべ入場者数実に6,400万人という、日本史上空前にして絶後のイベントとなったのです。20180304_025614582_iOS.jpg

 その後もわが国は1985年つくば科学万博、1990年大阪花と緑博、2005年愛知万博と国際博覧会を経験してきました。どれもそれなりに盛り上がって成功裡に終わってはいるものの、やはりそのインパクトにおいて「1970年のコンニチワ」には比べるべくもありません。

 仮に2025年、首尾よく大阪開催に決まったとして、「連れてって~」とせがむ子供たちの数が70年当時の半分以下に減っており、また今や娯楽の選択肢も当時の比ではないので、再び日本国民の半数以上が会場に足を運ぶような事態にはならないとは思います。しかし、あの元気がよかった70年代の社会に満ち溢れた高揚感が得られるとするならば、今の日本の閉そく感を打ち破ってくれる期待もまた大きいのです。

「東京でオリンピック、大阪で万博」の夢よ再び。

 今日は朝から所用あり、散歩かねて近所に出かけたり、なんだかんだやってるうちにブログの更新がこんな時間になってしまいました。最近仕事が忙しく、アフタファイブのお付き合いも連なりで連日帰宅が遅くなって、気をつけてはいたのにどうやらちょっと風邪意味でもあります。なもんで、せっかくの週末ではありますが、お天気が悪いこともあり自宅でおとなしくしていたようなわけです。
 
 さて、昨日のこと。某政治家の政治資金パーティーに参加してまいりました。
 
 わたし自身は別にその方の支持者でもなんでもないのですが、例によって仕事上のいろんなしがらみがあったわけなんです。pirty.jpg
 
 戦後、自民党政権が長く続き、政治とカネの問題が取りざたされて以降、政治献金については多少は是正されてきました。したがって「政治資金パーティー」なんていかにも胡散臭さ満点の響きですが、なんと政治資金規正法で規定されたれっきとした政治用語、法律用語なのです。法令で厳しく禁止されているのかと思いきや、規制法は「政治資金パーティー(略)…は、政治団体によつて開催されるようにしなければならない。 」と定めてます。つまり禁止されているどころか、「やってもいいよ」という積極的な根拠があるのです。
 
 やってることは、政治献金集めのための方便であって、政治家がただ「寄附してください」なんていうとあまりに露骨でまた気が引けることもあるので、有料のパーティーにお誘いする体にして参加費と実施経費の差額をふところに入れるという仕組みで、まあ実に下品なやり方といえます。それがなんと法律で認められており、はばかることなく堂々と行えるわけでなんです。
 
 かくして政治屋さんたちは「パーティー券買ってくださ~い」なんて企業に頭を下げて回ることになります。以前にも書きましたが、企業・団体の政治献金なんて言ってみれば賄賂ですから、賄賂の集金方法について国がお墨付きを与えていることになります。
 
 有権者の個々人が本当に政治家の主義・主張・政策に感銘し素直に応援したいということであれば、政治献金大いに結構です。募金・寄附の文化を醸成していくことは社会の成熟と正義の実現に向けて効果的であると思います。しかし、企業が自社に都合のいい政策を誘導するために決定権者にカネを差し出すことは、どんな理屈を捏ねてみてもそれは薄汚い賄賂以外のなにものでもありません。こんなことやってちゃいつまでたっても日本の政治はよくなりません。
 
 企業・団体献金を全面的に禁止する政党があればぜひとも応援したいところですが、今のところ日本共産党しか知りません。共産党は政党交付金も受け取らず、機関紙(赤旗)の売り上げと党員の会費だけで賄ってるそうで、それはそれで大したもんやとは思うものの、お上にたてつくことが身上の暴力革命集団としては至極当然のことともいえます。残念ながらその思想・信条は日本人のひとりとして到底支持できるものではありません。
 
 自分もそのパーティーに参加しておきながらなにを言う~、とのツッコミが聞こえてきそうですので、これくらいにしておきます
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WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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