ハイキングの最近のブログ記事

IMG_2360.jpg 「こゝろノート」届きました。新聞屋さんが夕刊といっしょに3冊持ってきてくれました。わーい。

 A4横版40ページ。縦罫26行。

 「使い方」その2、連載中の「こゝろ」を書き写してみる。→1日分がとても1ページに収まりませんし、そんな時間はまずありません。

 「使い方」その3、連載中の「こゝろ」の感想を書いてみる。→なかなかそそられますが、そこまでの思い入れはありません。

 「使い方」その4、連載中の「こゝろ」にふさわしい、さし絵を考えて描いてみる。→絵ごころがありません。

 「使い方」その5、苦悩など胸の内を記し、自分だけの「こゝろ」を創作する。→なかなかそそられますが、おかげさまで大した苦悩もなく日々を送っています。日記など記すと心象回廊に書くことがなくなってしまいます。当分こっちの方でと思ってます。

 したがって「使い方」その1、連載中の「こゝろ」を切り抜いて1ページずつ貼る、ということにします。ていうか、初めからそのつもりでした(^^)。IMG_2358.jpg

 1ページ目は「使い方」が書いてあるので、使えるのは39ページ。「こゝろ」の連載が全110回と聞いてるのでちょうど収まる。太っ腹3冊の意味がわかりました。朝日新聞なかなかやるやん。

 さて、昨日のこと。いいお天気の休日やったのですが、朝寝坊したので遠くまで出かけるには少し遅い。で、また近くの飯盛山に登ってきました。来月のあたまには職場の健康診断もあるので、ムダな抵抗とは思いつつも多少は運動不足を解消しておこうという思惑もこれあり、散歩の延長ということでてくてくと歩き始めました。

 この街に越してきてから約20年になりますが、爾来、飯盛山何回登ったやろ?出発から帰宅まで3時間とちょっと。裏山感覚で、歩きたいけど行先のあてがないというときのお手軽ハイキングのパターンです。

P5244645.jpg 近くといっても山は山。日頃あまり運動しない、鈍ったカラダにはちょうどよい喝となります。

 もう通いなれた、いつもの急坂道をひたすらのぼり、あっという間に頂上にとうちゃく。反対側に降りて最寄り2駅となりの駅から電車に乗って帰ってくるのもいつもどおりです。

 途中、野外活動センターという施設を通ります。池には大きなスイレンがたくさん咲いてました。スイレンといえば水面にプカッと浮かんでるイメージがあるのですが、ここのんは花も葉もまるでハスのように水上高く突き出てます。栄養が行き届いてるのか、単に池が浅いからなのか。小さなカメが1匹葉の間から顔を出し、哲学的な面持ちでこちらを睨んでいます。

 山頂から見はるかす大阪平野の眺め。何度も登ってるうちに当然ながら少しずつ変わっていってます。一番目立つのは北東からななめ一直線に延々と伸びる第二京阪高速道路。初めて登った頃にはありませんでした。片側3車線オール高架、超ハイ規格の近代的ハイウェイです。できた当時はガラガラで、たまに走ったときは「こんな道路、造ったらあかんやろ」とか思ったもんですが、出来てから最寄り駅駅前交差点の交通量がかなり減りました。それなりに経済効果があるのでしょう。P5244614.jpg

 アベノミクス以来建築業界も上向きとか。梅田都心に林立するビル影もだんだんと増えてきましたが、何といっても目につくのは阿倍野ハルカスです。我が家のベランダからもよく見えますが、高所から眺めるとその高さが際立ってます。「数時間待ち」にウンザリして、まだ展望フロアには登ったことがありません。空いてきたらと思いながら果たせずにいます。
 

 漱石が「こころ」書いてから100年。長いようですが、人類の歴史からみるとほんの一瞬にすぎません。この間に戦争あり大災害あり、まさに歴史を凝縮したような時代を日本人は生きてきて今日の繁栄の中にあります。今日の朝刊には北陸新幹線の長野・金沢間のレール、最後のボルトを締めるセレモニーのことが載ってました。どんどん夢を実現していく一方でまた、原発事故や台頭した近隣国からの執拗な挑発など過去未経験の事態も次々生じています。

 次第に人口が減っていく次の100年、果たして日本はどんな国になっていくのでしょうか。リニア新幹線が縦横に行き交う未来社会はいいけれど、願わくば強さと優しさをともに備えた日本人固有の「こころ」は無くさずにいてほしいと思います。

石楠花の寺

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 室生寺に行ってきました。P5034527.jpg

 奈良の個性ゆたかな多くのお寺の中でも、「女人高野」のふたつ名とともにホンワカした印象があって超有名なお寺ですが、例によってまだ行ったことなかった。行きたい、行きたいと思っているうちに五重塔が台風で損壊したのが6年前。修繕が終わって、さあ行こう行こうと思いつつ月日は流れ、やっと今回念願叶ってお参りできたのです。

 奈良の多くのお寺とは違って、奈良盆地から東に遠く離れた山の中にあります。最寄駅は近鉄大阪線の室生口大野。バスも出てますがハイキングルートがあり、一部は東海自然歩道になってます。せっかくやから歩くこととにしましょう。GWの最中でしたが、時間が早いことから周囲にハイカーの姿はまったく無し。

P5034548.jpg 駅から歩き始めて、駅名にもある大野寺という古刹の前を過ぎると室生川沿いの道になります。対岸の山の岩壁に「大野寺磨崖仏」が彫られています。

 このあたり道路工事中で、ガードマンのおじさん「今日は天気ようて、ええですな~」そのとおり、まさに森林浴日和。

 国道の橋を渡ってしばらく行くと「東海自然歩道入口」の看板が。ここからは山道に入り門森峠という峠までひたすら古道を登っていきます。ところがこの道、歩きにくい。大きな石がゴロゴロ転がっててちょっと気を抜くと浮石を踏んで足首をひねってしまいそう。ところどころ石畳になっているのですが、それはそれで落葉が湿ってると滑ってしまいそう。

P5034563.jpg なんとも歩きにくい道をひーひーと登りきり、峠を越えるとまた急な下り道、石がごろごろ、滑る!文句をタラタラと言いながら2時間くらい歩き続けてなんとか山道を抜け、室生の里に辿りつき目指す室生寺が見えてきました。

 ここまでくるとバスで上ってきた人たちも多くいて、まだ午前中ですがしっかりと休日の観光地の様相を呈してます。

 太鼓橋を渡っていよいよ室生寺の境内へと進みます。拝観料600円ですが前の人に倣ってJAFの会員証見せると100円負けてくれました。帰ってから調べてみると、なんと奈良県内のお寺はJAFの優待効くところがたくさんあります。円成寺や元興寺など、これまでに参ったことあるお寺も含まれてるやないですか。これはしまった。無知なるがゆえこれまでに大損をしていたことに気づきました。(--;)

 境内に入るといたるところに石楠花(シャクナゲ)が咲いています。あちこちで多くの人が三脚を据えて大きなカメラで撮影してます。そおいえば室生寺は奈良検定のテキストの「花の寺」の項で石楠花の寺と載ってました。気づかずに来たのですが石楠花はこの時期満開やそうで、確かに見事な眺めでした。無知なるがゆえに、想定外の感動の風景を楽しめました。

 P5034567.jpg大きな石段をゆっくりと登っていくとシンボルの五重塔が現れました。西暦800年頃創建といいますから奈良時代から平安のはじめ頃で、今に残る五重塔としては法隆寺のんに次いで古いそうです。知らんかった。文句なしの国宝。高さ16mは法隆寺の半分、興福寺の1/3というちんまりした姿。淡い彩色が周囲の杉木立の中に映えて、とってもきれい。また、石段から見上げる塔に石楠花の花がなんとよく似合うことか。梅にウグイス竹にトラ、富士には月見草、長谷寺に牡丹、蔵王堂は千本桜、大仏殿にはシカ。(^^)

 拝観終えてすこし早めの昼食は、太鼓橋のたもとの「橋本屋」さんで山菜とろろ蕎麦をいただきました。これは美味しかった。ヤマイモのとろろが逆さにしても落ちないくらい濃厚で、蕎麦つゆに入れるとプカプカ浮いてしまうので、つゆの方をとろろのスリバチに入れるように言われました。なるほど。

 室生口大野駅までバスに乗って大阪へと戻ったのですが、さすがにGW期間中、電車は予想外の満員でずっと立ったままでした。1時間歩くより、同じ時間電車で立っているほうが疲れるのはなぜでしょうか。ともあれ、好天に恵まれ永年の宿願のひとつを果たすことができた、初夏のうららかな一日でした。

千本桜再び

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P4134471.jpg 吉野山に花見に行ってきました。

 昨年に続いて超オンシーズンに出かける気になったのは、うちの奥さんにせがまれたからです。

 私自身、幼少の頃よりその壮絶な人出混雑を知っているのでシーズン中はまず訪れることはなかったのですが、近年になって機会が増えてきました。古い友人たちとの交流の中で背中を押されたり、世界遺産登録を機にあらためてふるさとの良さを見直すためもありました。ようは歳をとってきたということでしょうか(^^;)

P4134452.jpg それはさておき、うちの奥さんは花粉症で毎年春先はグシュグシュいっており、この時期に山中に出向くことなどできませんでした。ましてや名高い吉野杉が文字通り林立し花粉放出の源泉である吉野山に、それも放出のピーク時期にのこのこと入っていくことなど、話をしただけでも目が痒くなるみたいです。ところが、私がここ何年か春になるとウキウキいそいそと帰省も兼ねて吉野山に出かけ、さらにその素晴らしさをコンコンと話して聞かせるもんやから、とうとう今年は「行く」と言いだしたのです。

 アレルギーは大丈夫なのかと聴くと「最近はクスリがよくなってきて、ずいぶん楽になった」らしい。
 
 ひとたび「行けるかも」と思うと我慢できないみたいで、
「行きたい、行きたい、行きたい、行きたーーい!ヽ(>Д<)ノ」

 というわけで、先週の日曜日、京都に続いて今年2回目の花見に出かけた次第です。P4134458.jpg

 クルマはムリです。壮絶な渋滞が見込まれるし、花の下でお酒が飲めなければ花見の意味がない。近鉄電車やと大阪阿部野橋から吉野山までいっちょくせんですが、なんせわがままな奥さん、満員の普通列車で約1時間半も立ったままなんて、とても許してもらえません。事前に近鉄特急「さくらライナー」往復の座席をなんとか確保しました。

 吉野駅に降り立ってみると、予想どおり大変な混雑。なんだか去年よりも人混みが増えています。バスとロープウェイ乗車待ちの行列は延々どこまでも続いてるので、いつものように七曲り坂をてくてくと歩いて登りました。山上のメイン通りも心斎橋筋なみの壮絶な混雑で、道幅が狭くなったところはまさに満員電車状態で動けなくなるほど。そんな中をゆっくりと中千本付近、五郎兵衛茶屋といういつもの展望エリアまで登り、世界遺産の風景を楽しみながらゆっくりとお弁当をいただきました。今年は開花から満開までの期間が少し早くて一気にきたので、満開時期をちょっとだけ過ぎた感じでしたが、それでも山全体を薄ピンクに染め上げる様はやはり見事の一語でした。

P4134460.jpg このあたりはまだ山の入り口付近、吉野山の魅力はさらに登って上千本花矢倉展望台から奥千本へと続いていくのですが、今日一日ではとても無理です。電車の時刻に合わせて人混みをかき分けて下山する途中、ここだけは押さえるべしと吉水神社からの「一目千本」に立ち寄りました。その圧巻の絶景に奥さんも満足いただけた様子。

 天気予報では雨もありかもやったので心配しましたが、快晴とはいかないまでも1日中曇り空で、まあよかった。

 それにしても人の多さ。日本人はなんとも桜大好き民族であることよと、いつもながら思った1日でした。

放たれた虎

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PB024079.jpg 吉野山ウロウロの続きです。

 西行庵をあとにし、青根ケ峰に登り奥千本一帯をぐるっとひと周りした後、バスで登ってきたドライブウェイではなく、いまにも崩れそうな細い林道をてくてく下っていきます。路面に丸っこいシカのフンがたくさん転がってます。

 夏にお参りした吉野水分神社の傍らを過ぎ、上千本まで下りたところでメインストリートを逸れて、喜佐谷から宮田遺跡を目指しました。

 いちにちの行程を大っきく言うと、馬の背状に突き出した吉野山の尾根を先端から真っ直ぐ登って左に下りるかたちになります。降りて行く小径はハイキングコースとして整備されてます。森の中を「象の小川」という渓流に沿って続いており、その昔は吉野と伊勢を繋ぐ要路やったとか。この小川が吉野川に注ぐところに宮滝の遺跡はあります。

 吉野山は日本PB024084.jpgの古代史と南北朝の中世史で歴史の舞台となりました。中世のヒーロー後醍醐天皇の活躍というかやんちゃぶりは、足利尊氏とからめてよく小説、ドラマで描かれてきました。一方、古代の方はあまり題材にされてないように思います。壬申の乱なんて古代史上最大の戦乱、大スペクタクルなんやから、大河ドラマの題材としてはもってこいやと思うのですが、未だ企画されません。黒岩重吾の「天の川の太陽」とか恰好の原作やと思うけどなぁ。やっぱりよく言われているように国営放送としては天皇のご先祖様を主人公にすることはタブーなんでしょうか。

 壬申の乱は大海女皇子と大友皇子の皇位継承をめぐる大げんかです。天智天皇10年(671年)、死期を悟った天智天皇が弟の大海女皇子を呼んで「オレのあと継いで即位してね」 と頼んだところ、大海女さんは 「今即位なんかしたら、大友皇子を担ぐ現大王派の連中に、そっこー殺されちゃうやん。じょーだんやないわい」 とすぐにこれを断り、出家・断髪して吉野へすたこら。IMG_1112.jpg

 これを天智帝が許したってんで、時の都・近江大津宮の人たちびっくりして 「大海女、逃がしちゃったの!? んなことしたら虎に羽着けて放したよなもんやんか」 とか噂し、これがその年の流行語大賞を受賞したたらしい。

 都人たちの懸念は現実のものとなり、翌年大海女は吉野を脱出して美濃までまわって一気に挙兵。琵琶湖の東岸で大友皇子軍をさんざ蹴散らして都に攻め込みます。破れた大友皇子はあえなく自殺。大海女皇子は飛鳥に戻って即位します(天武天皇)。天武帝、もともと統治能力には長けており、天皇として日本の政治機構、宗教、歴史、文化の原型をいっきに築いていき、その事業は奥さん(持統天皇)へと引き継がれていくのです。白鳳文化が一気に花開いた時代です。

 宮滝に向かう象の小径が舗装道路に合流し、さらに少し下ったところ谷あいに「桜木神社」というわりと大きな神社が忽然と現れました。案内の看板によると、大海女さん、近江から引きこもってきたとはいえ大友派に命を狙われていることに変わりはなく、あるときここに隠れてあやうく難を逃れたことがあったとか。で、以来、この神社を大事に奉り、今に至るということらしい。お参りしてみると、お社は朱塗りも鮮やかでわりと新しい感じがしましたが、境内に立つ杉の巨木が歴史を感じさせます。誰もいない。ひっそりとしています。傍らに大海女皇子に因んだ碑が建ってます。PB130122.jpg

 さらに少し下ると目的地、宮滝遺跡が見えてきました。吉野川は宮滝をさかいにしてその表情を一変させます。上流は大きな岩がごろごろした渓流、宮滝を過ぎると川幅が徐々に広がり大河の様相を呈していきます。遺跡付近はところどころ薄緑色に透き通った水をたたえた淀となっています。これほどの大河でこれほどの透明度があるところはほかにみたことがありません。世界有数の降水量を誇る大台ヶ原を源流とし天然の浄水器みたいな森の中を一気に流れ下りてきた清流なればこその景観です。縄文の太古から人が居住し、古代には朝廷の吉野離宮が営まれ、万葉歌人の山部赤人が「み吉野の象山の際の木末にはここだも騒ぐ鳥の声かも」と詠んだその閑かさのままに現代に至る空間です。

 あとはバスに乗って駅へと向かうだけ。再び現代文明の中へと引き戻される接点です。今日の漂泊はここまで。

 深まりゆく秋の気配をいっぱいに感じながら、吉野を拠点として権謀術数うずまく政争を勝ち抜いた、古代のスーパーヒーローに思いをいたしたいちにちでした。 

漂泊への誘い

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PB024031.jpg 前回、宇陀松山と歌人柿本人麻呂のことを書きましたが、その前日、実は吉野山に登ってきたのです。

 故郷に近い吉野は馴染み深いところです。人はそれぞれ故郷というと何かうまく説明できない親しみや畏怖の念、感謝の思いやなんかを感じると思います。たとえそれが日本中どこであっても、その人にとって超特別な空間であることは間違いないでしょう。わたしの場合は生まれ育った土地が奈良、吉野という、実はそれぞれ世界遺産に選定されるほどの有名なエリアであったわけですが、ふるさとという意味では他の人となんら変わりはありません。両親はじめ親戚・縁者もたくさん住んでるし、多くの幼なじみや友人もいます。年に何回かの帰省はやはり楽しいもんです。

 そんな故郷にほど近い吉野山ではありますが、最奥部のいわゆる「奥千本」といわれる一帯、実はこれまで行ったことなかったので、所用あって実家に帰るついでに訪れてみたという次第です。今年の夏、同様に用事ができて実家に帰った際に上千本に吉野水分神社を訪ねたのに続いての吉野山ハイキングとなりました。

 今回は時間を短縮し、最深部の奥千本に至るまでの道はバスを利用しました。奥千本バス停に降り立ち、まず金峯神社に参詣してから目指す西行庵に向けて出発。休日とはいえ紅葉には若干早い霜月初旬ですが、同じようなハイカーがチラホラ。外国人のグループも。中でも、ひとりで歩いている若い女性が目立ちます。わたしのような親父だけでなく吉野の魅力は万人にうったえるものがあるということでしょう。

 細い山道を辿って行くにつれて、あたりは山奥の静寂につつまれていきます。静かさが襲ってくるような感覚を覚えます。こんなのは久しぶり。都会で感じる静かさ、たとえば深夜にひとり部屋に居る時の静かさとはまったく違う、しいてたとえれば雪が降り積もった朝の情況に似ています。街中にくらべて人工的な音を発するものが圧倒的に少ない空間が拡がるとこんな雰囲気になるのでしょうね。「静かさ」ではなく「閑かさ」がピッタリとはまります。森林浴といえば樹木が発散する何とかいう化学物質の効果が人体に作用するそうですが、そんなものなくても、日常あり得ないこの閑かさの中に身を置くだけで心身が癒されていく気がします。

 杉の林を抜けて行きます。名高い吉野杉の美林です。見上げると一本一本がどこまでも真っ直ぐに天を指しています。風雪の妨げもあるやろうに、なんと見事に伸びるもんやと感心します。これもまた自然の凄いチカラか。などと考えてるうちに、西行庵にたどり着きました。PB024041.jpg

 平安末期から鎌倉時代、西行は20代で出家して心のおもむくまま諸国を巡る漂泊の旅に出て、ときにあちこちに草庵を結び、多くの和歌を残したといいます。「願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月のころ」と詠んだそのとおりに、73歳の春、入寂したとか。放浪の人生、あくせくした現代人からすると何とも羨ましい限りの生きざまではありませんか。平安のスナフキン。是非ともあやかりたいもんです。

 けど、いったいどやって食べてたんやろ、とか考える時点で、わたしはもう漂泊の歌人にはきっとなれないのでしょう(^^)

 この小さな小屋、西行の庵とされてますが、まさかホントに西行の時代からそのままここにあるはずがないのであって、おそらく江戸時代か明治期か、はたまた戦前戦後かわかりませんが後年になって造られたもんでしょう。傍らに立つ看板にはそのあたりの説明はありません。しかし、かつて月と花をこよなく愛でる西行という風流歌人が森の深奥でこういうわび住まいをしていた、というイメージを現すものとして大いに価値があると思います。

 前に立つ一本のモミジの樹から、庵に向かって枝が一本伸びていました。おそらく今頃はこの枝が真っ赤に染まり庵の風情もいや増して、それこそ絵画のごとく観る人を魅了していることでしょう。見上げると周囲の山々も一面の紅葉に彩られ、桜の頃に劣らぬ絶景を呈しているはずです。ただ、そのぶん訪れる人も数十倍に増えているわけで、それでも庵の谷のあの閑かさは感じられるのでしょうか。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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