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虹と人麻呂の頃

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PA203991.jpg 今日は雨降りです。文化の日は確か晴れが多いいわゆる「特異日」やったはずですが、連休なか日に無情の雨という天気予報てきちゅう。昨日のハイキングの疲れを癒す完全休養日となりました。

 今日は、昨日のハイキングではなく、先々週のイベントのこと書きます。宇陀市、宇陀松山を歩いてきました。

 奈良検定体験学習「榛原と大宇陀・阿騎野コース」というイベントに参加したのです。

 来年、奈良検定受検予定なのですが、なんと1級受検にあたっては奈良商工会議所主催の「体験学習プログラム」に少なくとも1回参加することが条件となっているのです。県内の名所旧跡を訪ねるものや伝統工芸を体験するもの、また、お祭りに参加して見学するものなど全部で20件以上が企画されてます。それぞれがなんとも楽しそうで、ひとつといわずいっぱい参加したい。実際、そんな人も多いのです。

 そのうちの2コース「川上村源流の森を歩く」というハイキングと今回の大宇陀コースに申し込んだところ、川上村の方は台風18号の接近であえなく中止となり、結局今回1コースのみの参加となりました。しかし、これで奈良検定1級が受検できることとなった次第です。

 ところがこの日も発達した低気圧の影響で朝から土砂降りという有様で、川上村といい、どうも悪天候にたたられています。一日中傘をさしての宇陀松山散策となりました。

 「宇陀市」は宇陀郡の榛原町、大宇陀町、菟田野町、室生村が平成の大合併でひとつになってできた市です。かつての大宇陀町に位置する宇陀松山地区は、戦国時代から城下町として栄えて「宇陀松山伝統的建造物群保存地区」として奈良県下に3つしかない国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。このあたりは奈良検定の問題に頻出ということもあって体験学習のコースに指定されたのでしょう。大宇陀は幹線道路をクルマで頻繁に通るものの、素通りでじっくり見学したことはなかった。今回はまほろばソムリエが何人も同行して説明してくれるということで、期待して参加したのです。

IMG_1079.jpg この大宇陀というエリアの現状、わたしの故郷の吉野郡下市町に通じるところがあります。すなわち、明治から戦前までは地域の拠点として非常に栄えたけれど、高度成長期以降、人口の都市集中につれて鉄道路線が通っていないことが町の発展にとって構造的な欠陥となり衰退した点です。かつて、宇陀松山の繁栄から地理的にやや外れていた隣町の榛原に鉄道の駅が出現し、中心がそちらに移行したことで、現代的な利便性を欠いた大宇陀はジリ貧状態に陥ります。下市もかつて商業が非常に発達し大吉野地域の中心として栄えていたところが、近代化の時代に近鉄電車が駅を隣の大淀町に造っちゃったもんやから、それ以降衰退の一途をたどったのです。

 なもんで、宇陀松山なんとなく親しみがわきます。阿騎野という地名にしても、かつての吉野郡秋野村になんらかのユカリがあるような気がします。ちなみに私の母校は「秋野小学校」です。

 さて、バスを降りてまず阿騎野・人麻呂公園というところに向かいました。ここに万葉歌人、柿本人麻呂が馬に乗った石像が建っています。

 「東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」 万葉集48

 この歌は、阿騎野に狩猟に来たとき、東の空に曙光が立ち上り、振り返れば西の空には月かげが傾いている、といった冬の夜明け前の様子を詠んだもので、この石像がこの歌を詠んだときのイメージやということになってるそうです。

 和歌のチカラはすごいと思います。中でも特に短歌。スサノオノミコトが初めて創ったそうですけど、以来現代に至るまで57577のルールを全く変えずに連綿と続いています。ごく短い韻律制約の中でなんと見事に情景・心情を詠いあげることか。これまで何万、何億の和歌が詠われてきたのか見当もつきませんがまだまだ尽きることなく続いていきます。八百万の神とともにあり、日々使う言葉にも言霊という神を見いだす日本人なればこその至高の芸術やと思うのです。

 ところで、石像の前でソムリエ氏は人麻呂くんのことやこの公園について熱っぽく説明をしていただいてはいるのですが、いかんせん土砂降りの雨音でよく聞こえません。多分、こんなことを言っているんやろうフンフンと納得して次に向かいました。

 このあと阿紀神社を経て「かぎろひの丘」というところで休憩。雨は一向に止む気配ありませんが、丘の休憩所にはいちおう屋根があって、なんとか昼食を摂れました。午後は大宇陀高校前から古城山を仰ぎ、いよいよ宇陀松山城下のなごり、西口関門を通って松山の伝建地区に移動。旧家についての説明を聞き大願寺を経て、今朝出発した道の駅バス停に戻り無事予定終了。バスで榛原駅に戻りました。一日中傘をさしてたのに、駅についた頃に雨が上がったのは予想どおりでした。

PA204020.jpg ソムリエの皆さん、さすがによく知ってます。どこにも書いてない興味深い話など教えてもらったりで非常に参考になりました。今回のためにもちろん下見も行い、資料も自前で作られてます。なんともありがたいことです。「まほろば」に対する愛情の為せるワザでしょう。

 「体験学習」というだけあって、なるほどテキスト読んだだけの知識とは比較にならないほど印象が違います。百聞は一見にしかず。少なくともこの日に行ったところはおそらく忘れない、試験に出ても大丈夫…やと思います。いちにち楽しめたし、行ってよかった。お天気よければなお良かったのですが。

 榛原駅で空を見上げると、キレイな虹がかかってました。

誇りなき鹿

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 IMG_1022.jpg奈良の春日山を歩いてきました。

 休日の出勤が続いたので、晴れそなウィークデー振替え休日にして出かけたのです。

 今回は奈良町の散策は割愛して市内循環バスで高畑町に降り立ち、奈良公園の南端を東へてくてく。志賀直哉旧居を過ぎるあたりから森が迫ってきます。左折して春日山遊歩道に入るつもりが、なんと先日の台風の影響で歩道が通行止めに。柳生街道に迂回せよと看板が立ってます。

 しかたないのでまっすぐ進むとそのまま柳生街道(滝坂の道)につながります。この道は今年1月、反対側の円成寺方面から出発して市内まで歩いたので、今日は逆に辿っていくことになります。途中で左に折れて春日山の散策歩道に進むこととしました。天然記念物の原生林を一巡りして若草山の山頂に出る、お手軽ハイキングです。石畳の道は濡れていると案外と歩きにくいものです。うっかりすべって足を挫いたりしないように慎重に進みます。

 

 

 

 

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 「首切り地蔵」の休憩所というポイントで滝坂の道から分かれて、春日山原始林に入ります。このお地蔵様、大っきくてほぼ人の背丈ほどもあります。ちょうど首のあたりに割れ目があって、昔、荒木又右衛門という剣豪が試し斬りしたということになってます。「伊賀上野鍵屋の辻の決闘」で36人切り殺したというむちゃくちゃなお話の人です。伊賀の国出身で大和郡山藩に召し抱えられてたそうやから、柳生街道にゆかりの逸話があっても、まあ辻褄は合います。しかし、言うのは勝手ですが、何ともいいかげんな話を作ったもんです。石の地蔵を切ったりしたら刃こぼれしちゃうやないですか。写真は1月に撮ったものです。

 

 

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 しばらく進むと「奈良奥山ドライブウェィ」という有料道路に合流します。もちろん歩くぶんにはタダですが、クルマで全区間走ると普通車で1,820円もとられるとか。一方通行でほぼ全線がダートでさぞ走りづらいやろうに、ずいぶんなお値段です。きっと天然記念物の原始林保護のために、ホントはクルマなんかで入ってきてほしくないということなんでしょう。そんなら道路なんか造らんときゃええのに。よく分かりません。

 コース沿道の「鶯の滝」など観ながらてくてく。ずいぶんと視界が明るくなってきたなと思ったら、そろそろ若草山頂上の駐車場にとうちゃく。少し登ると山頂です。若草山は中学校のときに遠足で来て以来かな。

 このあたりまで来ると、こちらも天然記念物「奈良公園のシカ」がウロウロしています。ベンチに腰掛けて、いちまつの不安を抱きつつ弁当をひろげると、案の定、一頭のシカが音もなく近寄ってきました。

 「分けてくれ。」
 「ダメ。お腹すいてるんで、勘弁してください。」

 真正面から堂々とわたしの大事な柿の葉寿司を食べようとします。何という厚かましさ。

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 「おまえ、天然記念物の誇りはないのか!」 

 シカ 「知らんがな。くれ。」

 真近に大きなシカの顔。正面から見るとお前、顔の真横に目がついてるのな。そんなのでなんで前が見えるわけよ、とか感心しながら私は、短い足を伸ばして迫り来る略奪者の胸元に押し当ててその突進を必死に食い止めながら、なんとか昼食を食べ続けました。最後に根負けしてお寿司一個の半分だけ分けてあげましたよ。まったくもう。

 若草山山頂から見晴るかす奈良市街。なかなかいい眺めです。右下に見える白いハコには係のお兄さんがひとり座ってて、わたしみたいに裏の春日山から入ってくるハイカーからひとり150円の入山料を徴収しています。このお兄さんの人件費にも到底足りないような気がします。変なの。
 

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 さて若草山下りて東大寺に向かいました。

 実はこの前東大寺に来たとき、法華堂(三月堂)が修理中で拝観できなかった。また2年前にオープンした東大寺ミュージアムもまだ入ってことがないので、奈良検定受検の勉強もかねて是非もいちど観ておこうと思っていたのです。

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 平日ということで、山の中では行き交う人もまばらで原生林の自然をゆっくりと堪能できたのですが、東大寺の境内に一歩入るとなんとそこは壮絶な人の波でした。そのほとんどが修学旅行の生徒・児童たちです。休日は外国人や一般観光客で賑わう境内が、今日は旗を持ったガイドさんを先頭にずらずらっと列を成して闊歩する小中学生たちの大集団で埋め尽くされています。なるほど、奈良公園の平日はこういうことになっているのか。

 今日最大のお目当てである法華堂でも、中学生とおぼしき一団がガイドさんの説明を神妙に聞いてました。そばで立ってると専門家の貴重な解説をタダで聞くことができて、実際にお得です。10体もの仏像が文字通り一堂に会して立ってます。ちょっと前までここには有名な「日光・月光菩薩」はじめ、さらに6体もの仏像が安置されてましたがミュージアムができたのでそっちに移されたそうです。勝手に移しちゃっていいもんなんでしょか。昔からこのお堂にあってこそ何らかの宗教的な意味があるんやないかと思うのですけど。まあええか。

 しかし、ここの仏様たち、でかっ!!本尊の不空羂索観音は5メートル近い威風堂々たる姿。天平時代を代表する仏像彫刻の傑作です。ほかの脇侍たちもまぁ大きいこと。今はひる日中、大勢でわいわい拝観しているからいいけど、もし何かの都合で深夜にひとりこの場にいるような事態になったら、おそらく相当にビビってしまうこと間違いありません。もんのすごい迫力です。

 このあとミュージアムに移動し入館料500円也を支払ってじ~っくり見学しました。

 やはり日光・月光菩薩ですね~。ほんっとーに久し振りの対面ですが、やはりその存在感に圧倒されます。仏法の修行の身でありながら観る人の深奥を見透かすかのような鋭いその表情を見つめていると、しっかり自らを省みよ、と無言で語りかけているような厳しさを感じます。数ある東大寺の仏様の中でも、大仏様よりも、法華堂の御本尊よりも、愁眉の傑作やとあらためて思いました。

 う~ん。奈良はやっぱり良い!

葛城古道逍遙

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 昨日、8月15日終戦記念の日、靖国神社は遠くてお参りできません。だからというわけでもないのですが、思い立って葛城の古道を辿ってきました。

 かねて行きたかったエリアで、大和平野の南西の端、金剛葛城山脈の麓に点在する神社をハシゴで参拝します。暑さに気後れし出不精になりがちなお盆休みの運動不足解消と、奈良検定の予習を兼ねての企てです。

 近鉄御所駅からバスに乗り、起点となる「風の森」バス停に降り立ったのが午前10時。昨今いかにもありがちなネーミングですが、風の森峠は古くからある歴とした地名です。金剛山から盆地に向かって吹き下ろす強い風を鎮めるために祭られた風の森神社が近くにあります。バス停から高鴨神社に向かう途中南の方角を眺めると、なんとものどかな田園地帯が広がってます。この周辺、実は神代の昔にはじめて稲作が始まったといわれているそうです。

 

P8153819.jpg 高鴨神社。

 奈良検定の教科書やその他ネットの情報によると、ここは太古の有力豪族やった鴨一族の神社やそうです。桜井から興った大和政権に滅ぼされるまで鴨王朝は全国的に勢力を誇ったそうで、京都の上賀茂、下鴨神社はじめ日本中の「鴨」ゆかりの地名はここが発祥地だとか。知らなんだ。

 太古の昔、大王家は一枚岩ではなくあちこちに有力者が競い立ち覇権を争っていたようです。ただそのドラマチックな歴史は伝承のみで確かな記録がない。古事記や日本書紀なんてどこまでが史実でどこまでがフィクションなのか、ええかげんなもんです。誰かが、何らかのかたちできちんとした記録を残しておいてくれたらよかったのにと思います。多分どこかの古墳の中にはその辺りのことを記した石碑や金属板なんかが埋もれているはずやのにと思うと、今日陵墓の発掘を許さない宮内庁の頭の固さをあらためて残念に思うのです。

 

 

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 高天彦神社(たかまひこじんじゃ)。

 高鴨神社からてくてく田園地帯を眺めながらしばらく歩くと結界を張るようなゲートがありました。わりと近かったなと思ったところがこれがフェイントで、この門からしばらく急坂が続きます。これはきつい。汗が滝のように噴き出してくる。いったいどんな山奥にある神社かと思いながら登りきると駐車場に何台もクルマが停まっているといういつものパターンでした。やれやれ。

 このあたり一帯は高天原といって古事記でニニギノミコトが日向の高千穂へと天下ったという、いわゆる天孫降臨伝説の土地やとか。高天原は日本中あちこちにあるらしいけど、そのひとつやそうです。このあたりから見晴るかすと大和平野の南端部分が一望できます。葛城氏が大和朝廷と覇権を競っていたのは飛鳥に政体が生まれるはるか前の話。神話と歴史の接点部分に思いを馳せると高天原がこのあたりというのも何かそれらしく思えてきます。P8153829.jpg

 葛城水分(かつらぎみくまり)神社

 高天彦神社から自然歩道を麓の県道まで下りしばし北上し、奈良から大阪に抜ける幹線道路のひとつ国道309号線の側道を大阪方面に20分ほど歩いたところ、水越峠にほど近い山麓にこの小さな神社はあります。

 大和に4つある水分神社のうち先月吉野水分神社に参ったのに次いで二つ目です。思いのほか小さく、お社というより祠というべき建物でした。

 それはそうと暑い。このあたりまででペットボトルのスポーツドリンクやお茶を5本カラにしてます。大丈夫か、運動不足の俺(^^;)P8153832.jpg

 みたび麓の県道まで下りさらに北上、葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社にとうちゃく。こちらは社務所もある大きな神社でした。

 今回の葛城の道はもっと北まで足を伸ばす予定でしたが、途中あちこち寄り道したり迷ったり、さらにはこの熱気で体力が限界。加えて情けないことに足のマメが潰れてしまい万事休す。途中で断念し、駅へと向かいました。

 稲穂が出始めた水田がなんとも見事でした。稲作がこの地からはじまり、豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)として後の繁栄を築いていったわが国の、その始まりを感じたいちにちでした。

 葛城の道、この瑞穂が黄金色に染まる頃、もいちど辿ってみたいと思います。

夏の神域

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 所用あって実家を訪れたついでに、吉野山に登ってきました。

 桜の終わった吉野山はいわば完全シーズンオフですが、照りつける太陽の下、樹樹の緑が一層鮮やかなこの時期もなかなかいいものです。大阪と比べるといくぶん涼しく、湿度も低めに感じます。

 吉野川が流れる中央構造線に向かって南から馬の背中状にせり出した吉野山は、古より金峯山(きんぷせん)といわれ、霊山大峰の入り口にして超強力なパワースポットです。また歴史的にも重要な役割を担い、日本史の要所要所で登場してきます。

 今回来たのは、1月に受検予定の奈良検定1級に向けて少しお勉強をという思惑から、奈良県内に4つある水分(みくまり)神社を訪れてみようと思い立ったからです。4つのうちのひとつ吉野水分神社が、ここ吉野山上千本にあるのです。吉野山でも、水分神社から金峰神社がある上千本、さらに奥千本にかけてはまだ行ったことがありません。

P7153777.jpg 近鉄吉野駅前から七曲がりと呼ばれるつづら折りの道を上り切ると、尾根に沿って点在する数多くの寺社をつつみこむように旅館や土産物店、飲食店が軒を連ねています。幼い頃から幾度となく登ってきた馴染み深い街並みです。花見シーズンは大変な人出で、通りを歩いていても満員電車なみの混雑なのですが、この時期はひとかげもまばらで散策にはちょうどいい。吉野山のシンボル、蔵王堂がある金峰山寺に立ち寄ると、若い外国人女性4人のグループがきゃあきゃあ、歓声が境内に響き渡ってます。

 この日は雲が広がっており、ときおり陽が差すかと思うと雨がポツポツ落ちてきてはすぐに止むという妙なお天気。カンカン照りよりはよほどいい感じの日和でした。それでも目的の水分神社までたどりついたころには、頭から水かぶったごとく汗だくになってました。
 
P7153771.jpg 早速境内に入ると右手の山側にお社が鎮座しています。3棟連なったかたちのちょっと変わった造りの堂々たる社殿です。境内の雰囲気が奈良市内など平地にある多くの神社と少し違います。平地の大きな神社は、なんというかデラックスな感じで親しみやすい、そんな感じがします。一方、周囲を深い樹叢で囲まれた山中のこのような神社はどうも近寄りがたいというか、畏れをひときわ感じるのです。
 かの前登志夫先生は著書「吉野紀行」でこの神社のことを次のように記してはります。

 この社殿にいる私をすっかり安らかにさせないのは、社殿の配置と構造にばかりあるのではない。神前の優雅と、アルカイックな破壊力の交錯のせいだと思う。この神域に馴れるには、いつ来ても時間がかかるのだ。私たちの過去にもった最も艶麗な造形が、最も荒々しい風雪と呪縛によって自然に還ってゆくいたいたしい旋律かもしれぬ。

 美しい調べのような見事な文章はともかく、やはり神社は山深くにあればあるほど凄みが増すのです。

 ところで、鳥居のそばの石柱になんと 「24,000円 文部省」 と書かれている。驚いてよく見ると裏面に「大正○○年…」とあって納得。現代ではあり得ないですもんね。
 
 お参り済ませて、近くにある花矢倉展望台で弁当にしました。山全体が一望できます。「ザ・吉野山」という感じのポスターやなんかは、ここからの景観です。おにぎりをぱくつきながら眺めを堪能していると、さっき蔵王堂前にいた外国人ガールズが登ってきました。隣りでお弁当を広げはじめたので、眺めのいい場所を譲って少し話してみると、日本語の先生とその生徒さんたちやとか。
 "How are you ... Where from ?  States ?"
 "Yeah. And we've climbed on foot from the station." "Oh,really !?  Good job ! "
 そんなに息をきらした様子もない。なんと。てっきりバスか車で登ってきたと思ったのに、たいしたもんです。

 ここからさらに上、奥千本にかけては次回の楽しみとして、降るセミの声を浴びながら一気に山を下りました。紅葉の頃、また来ることといたしましょう。

毛虫と世界遺産

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P5053713.jpg 朝、目覚めるとお天気がすこぶるよろしい。でかけることとしましょう。
 
 連休真っ盛りのこどもの日、どこも人が多いやろなぁ・・・で、山に行きます。
 
 奈良盆地の西の端、生駒市から大和郡山、斑鳩町にかけて矢田丘陵というなだらかな里山がひろがっており、県下の市街地からも近く、気軽に自然を体験できるエリアとして親しまれてるそうですが、行ったことない。新緑がまぶしい今時分が野山を歩くのに今は年間でもっともいい季節でしょう。職場の健康診断に向けて少しでも運動不足を解消しておこうという思惑も手伝って、今日のハイキングとなりました。IMG_0513.jpg
 
 近鉄生駒線南生駒駅に降りたち、住宅地を抜け矢田丘陵へと向かいます。この季節、新緑はいいのですが木漏れ陽とともに木々から虫たちが糸にぶら下がって下りてくるので油断なりません。常に視線を前方に定め、緊張感とともに歩かねば、気がつけばからだのあちこちにイモ虫や毛虫が無賃乗車している、なんてことになります。これはちょっと勘弁。
 
 久し振りに長距離のハイキング、鈍った身体にはいい刺激になりました。疲れた。

 矢田丘陵は北から、矢田寺、松尾寺ときて、丘が果てた南には斑鳩の里が広がります。いわずと知れたわが国最初の世界遺産。超々メジャーな世界的観光スポットです。狭いエリアにわが日本の黎明期の貴重な文化財がてんこ盛り。量、質的ともに極めて重厚なラインアップが揃います。古来勢力を誇った奈良市内の寺社は、その勢力ゆえに時代が下るとともに平重衡、松永久秀といった愚かな武家連中の焼き討ちにあって、貴重な古の遺産がことごとく焼き払われてしまった。しかし斑鳩は政局の中心から地理的に若干の隔たりがあったことが幸いし、当時の姿が比較的よく残っているとか。特に法隆寺西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物群。現代の鉄筋コンクリートがたかが100年もつかどうかあやしいというのに、この世界最古の木造建築は、七世紀前半というから千二・三百年の間、その姿を留めていることになります。まさに人類の叡智、未来への遺産。
 
 この法隆寺は過去何回も訪れてます。中学校の遠足でも来たっけ。近くにある藤ノ木古墳は、1985年の発掘時の公開や最近の特別公開の際にも来ました。おとなり中宮寺の弥勒菩薩は好きな仏像文句なしのナンバーワンです。これは日をあらためて書くことにします。

 なんせ、今日は・・・ 疲れた。(^^;)

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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