ハイキングの最近のブログ記事

ダムと古墳

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P1081858.jpg 野暮用あって、久しぶりに奈良市に住む伯母宅を訪ねました。奈良市といっても北のはずれ、なだらかな丘陵に田園風景広がる山陵町、別名「津風呂町」というところです。この集落、ちょっとしたドラマがあるのです。

 伯母夫婦はその昔、吉野町の津風呂という地区に住んでいました。ところが戦後、国の事業で国中(「くんなか」奈良盆地のこと)の水不足解消のために「吉野川から水引いてきたらええやん、ダム造ろうや、ダム」ってことになりました。いわゆる「吉野川分水」構想です。そして建設場所とされたのが吉野川支流の津風呂川でした。川沿いに住む人たちは移転を余儀なくされたわけです。各戸、散ってしまうのではなく、お寺や神社もひっくるめて集落全体が集団移転でやってきたのが、奈良市の山陵地区で、同じ「津風呂」という町を築き上げたのです。昭和30年代のことでした。

 十津川の北海道移転にも似た話です。集落の入り口には記念碑が建てられ、往時の苦労が忍ばれます。書いてみますね。

津風呂町由緒
そもそも津風呂の地名は遠く萬葉集に見る 「津布呂」津振として古くより歌に詠まれた地で南北朝の頃 津風呂筑後守従五位上平朝臣光季入道覚佛によって治水産業を拓かれ 五十三戸 田地十六町歩畑地十一町歩山林二百町歩の自給自足の平和な村であった 然るに 昭和二十一年十津川紀之川綜合開発事業に依る津風呂ダム建設のためこの津風呂部落は水没し 裏面に銘記の二十戸がこの地に集団移住し第二の故郷津風呂町を創設し昭和三十五年四月二十八日 鎮守の春日の森から御神体を奉還し安楽山阿弥陀寺薬師寺を安置し我々は昭和三拾三年から移住を始め爾後汗と涙で町造の大事業に専念した 貢献された対策委員長阪口義雄氏建設委員長森中宇三郎氏開拓農協組合長乾俊一氏等を始め二十戸の家族の一致協力と加うるに土地の交渉工事の協力に専念された山陵町の中田宇之吉氏の功績も忘れることは出来ない 吉野の故郷津風呂湖に湛えられた三三〇〇万㎥の水は大和平野一万町歩の旱害を救うと共に工業用水等奈良県産業振興の為に幾久しく貢献されるであろうことを希うと共に第二の故郷津風呂町が永久に繁栄することを祈念するものである
 昭和四拾五年四月二十九日
 建設省 津風呂湖開拓農業協同組合
 文献並書 津風呂町自治会長 片岡一雄 

 さて、ご用事済ませて、久々に歩いてみることにしました。この周辺、実は「佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)」のド真ん中に位置してて、やたらでかい古墳がたくさんあるのです。

P1081861神功皇后陵.jpg神功皇后陵

 御陵はどこもなんですが、域内非常にキレイです。ゴミなんかもちろん落ちてないし、植栽やなんかも、いつみてもついさっき刈り込んだみたいに整ってます。

 宮内庁管理下の神聖なエリアということで、とにかく徹底的に整備されています。その莫大な維持費たるや、いかほどなのか見当もつきません。

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 成務天皇陵

 「御陵」と名がつく古墳はアンタッチャブルです。中にはきっと学問上貴重な史料がゴロゴロしているのに。

 調査できれば、それこそ歴史を塗り替えるような大発見がたくさんあるでしょね。邪馬台国がどこにあったかなんて、きっと簡単に分かるはず。でも、宮内庁は許しません。

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 てくてくと歩いて、平城宮跡までやってきました。

 2年前の遷都1300年祭の頃は大賑わいやったそうですが、今では閑散としてます。せんとくんはいずこに?

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 広い。やたら広い。

 忽然と復元された大極殿が淋しそう。

 この、ただ広いスペース、どうするのよ? 今は「国営凧揚げ場」として利用されています。豪気な話です。

 将来、中央リニア新幹線がきたときに駅を造るのはどうでしょう。あ、しかしこのあたり、掘れば埴輪や木簡なんかがやたら出てくるやろから、ムリか。

風の王国

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 今日は、思い立って、二上山に登ってきました。PB271573.jpg

 近鉄二上山駅から登って当麻寺に下りるオーソドックスなルートです。

 大阪平野と奈良盆地を南北真っ二つに分かつ生駒、信貴、葛城、金剛と連なる山脈の一部で、名前のとおり雄岳(517m)・雌岳(474m)のツインピークスの低山です。

 青春時代、奈良盆地南部を棲息域にしてたので、二上山はおなじみのアイテムです。高校からもよく見えてて、あって当たり前の馴染んだ風景でした。ところが見るだけで登る機会はずぅ~っとなかったのです。

 駅降りたって麓に向かっててくてく。二上山駅からのアクセスは山の真北になるので、雌岳の頂は見えず「一上山」です。登山道に至る歩道はバイパスを跨ぐ高架橋を渡っていきます。この道路ができて20年くらいになるかなぁ、県南部から大阪へのアクセスがよくなりましたが、その後有料の「南阪奈道路」の開通で、さらに便利になりました。山裾の紅葉の中を延びていきます。 PB271576.jpg

 二上山(にじょうざん「ふたかみやま」とも)は、日本古代史には頻繁に登場するステージです。時の都、飛鳥の東にある三輪山が朝日さす神の山なら、真西に位置する二上山は日の沈む死の山、浄土への入り口とされてたとか。

 五木寛之「風の王国」 30年近く前、就職した年に読んだ、好きな小説のひとつです。永年なにげに見てた二上山に秘められた事実、日本史の裏側で陽をあびることなく脈々と伝えられてきた負の側面を大胆な設定で描き上げた、五木渾身の問題作です。「青春の門」「戒厳令の夜」なんかもいいけど、わたしにとっての五木最高峰はこれです。

 登場人物の教授のセリフ 「二上山は大和のいわば奥津城なのだよ……わたしは二上山に登りたくないのだ!」

 つまり究極の神聖エリアなわけですが、何も考えなければ気楽・お手軽なハイキングコースです。登山道もやたらいっぱいあり、よく整備されてます。ふもとの香芝市や葛城市の中学生は体育の時間に走って登るとか。

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 二上山駅からだと、先に雄岳に向かうことになります。

 頂上近くに噂の大津皇子のお墓があります。この人は悲劇の皇子として名高い。

 飛鳥時代、甥の大友皇子と「壬申の乱」の大スペクタクルを展開した大海女皇子(天武天皇)の子なのですが、継母の持統天皇の陰謀で自殺させられてしまった。血なまぐさい皇位継承の争いは洋の東西問わず数多くありました。ところがその持統帝、継子とはいえやっぱり寝覚めが悪かったと見えて、二上山に皇子の立派なお墓を建立した…

 これです → 

 最近、雄岳山頂では入山料を取られる、なんてことがネットに書いてましたが、それらしき気配はありませんでした。運がよかっただけでしょか。

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 雌岳頂上から見た奈良県側の南方向。

 奈良盆地は霧に包まれており、大峰山塊の峰々が雄大な姿を横たえます。

 この付近で昼食摂ったのが11時過ぎ。登ってくる団体、家族連れが増えてきました。日曜日だけあって、子供たちもワラワラ。 引率の先生と児童と思しき団体、サッカーチーム、ビーグル犬連れた人もいます。散歩感覚。

 

 

 

 

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  反対側大阪平野山沿いの北方向。雄岳の紅葉がキレイです。

 しばらく休んでいると、ハイカーが増える増える。頂上付近は大阪駅のコンコースなみの賑わいになってきました。そろそろ退散すべし。

 雄岳・雌岳のあいだの「馬の背」から当麻寺方面へ向かいます。あとはただただ下るだけ。

  

 

 

 

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 麓まで下りてきました。

 山頂の喧噪とはうって変わってのどかな田園地帯が広がってます。

 当麻寺に向かう途中の道に、こんなお堂がありました。

 脇の説明書に 「傘堂」 となってます。柱一本のお堂でまさに傘みたい。

 

 

   

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 せっかくですから当麻寺にも立ち寄りました。

 飛鳥時代創建のユイショあるお寺で、中将姫の「蓮の曼荼羅」伝説で有名です。

 三重の塔といえば法起寺、浄瑠璃寺、そしてなんといっても薬師寺東塔が超メジャーですが、古い東塔、西塔が現存するのは当麻寺が日本唯一だそうです。そいやほかにないですよね。 

 左東塔、右西塔。どっちも国宝。 美しい。

 こんな近くまで入場料とか拝観料とかナシで近寄れます。良心的だこと。

 

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 当麻寺を後にして、近鉄当麻寺駅に向かいます。振り返れば太古より変わらない二上山の勇姿。

 大津皇子の無念を思いつつ、うららかな晩秋の一日は過ぎてゆくのであった。

 

 

邂逅

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 職員選抜研修の一貫、体力作りということで六甲山に登ってきました。

 阪急芦屋川駅からロックガーデン、魚屋道(ととやみち)から頂上を経て有馬温泉に下りる、人気のトレッキングコースです。標高差正味900mを登ります。距離も12km以上と一般向けとはいえしんどいルートでした。

 芦屋川沿いの高級住宅地の坂道、ロックガーデンまでは車道をひたすら登るのですが、さすがに行き交う車はベンツやBM、AudiなどがVitsなみの勢いで登場します。

 まずロックガーデンは岩場に貼り付いて登ります。鎖がついてたりして登山気分満点ではあるのですが、1日の登りはじめがいきなりの急坂なので、ペース配分間違うと午後までもたなくなりそう。

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 しかも、岩場中程まで登ったとき、登山道の脇からイノシシが覗いているやないですかcoldsweats02。予期せぬ邂逅。

 eye目が合ってしまいました。イノシシって走ってるイメージしかなかったんで、どう応対していいものやら分からず、とりあえず 「こんにちは」 して、記念に1枚「パチリ☆」 ウリボウに毛が生えたくらいの小さめのイノシシ君でしたが、野生のんは初めて見ました。

 後続の女性が「キャー」とか叫ぶと、スゴスゴと後ずさりして姿を消しました。バックもできるんや。

 ロックガーデン周辺ではイノシシの出現は頻繁にあって、芦屋川の住宅地まで下りてくることもしょっちゅうだとか。ハイカーが餌やったりするもんやから馴れてしもたのかな。

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 中腹「風吹岩」で休憩。ほっとひといき。

 この日は一片の雲もない超快晴sun

 そろそろみんな、あちこち痛い痛い言い出しました。

 このあたりまででペットボトル2本を空にしています。わたしは足がつりやすいのでミネラル補給のため水やお茶ではなく、もっぱらスポーツドリンクです。

    

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 野を越え、小川を渡り…

 

 

 

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  ひたすら歩く歩く。

 この辺まで来ると徐々に足が上がらなくなってきました。

 

 

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遠く神戸の街を眺めると、登ってきたなぁと実感します。

 空港から飛行機が飛んでいきますairplane

 

  

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 そしてとうとう頂上へ。

 ひとりのリタイヤもなく無事に達成です。

 お疲れ様。

  昼食タイムのあと有馬温泉まで下って spaひと風呂浴びて帰りました。

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 山頂はすでに秋深し。ススキの穂もすっかり開いてます。もうしばらくするとこの付近も紅葉に染まってくるのでしょうか。

 暑くもなく寒くもなく、いちばんいい時期、快適なトレッキングでした。研修とはいえ、真夏にやってたら大変なことになってたと思います。

 みんな、次の日は筋肉痛で苦しむことになるでしょうが、実に楽しい1日となりました。

 

 

眺める山

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PA161475.jpg 今日はお天気いい。来週、職員研修で久々の本格的トレッキング(といっても六甲山の縦断)をひかえているので、足慣らしにどこか出かけたかったのですが、風邪病み上がりで自重して家でごろごろ。ああ、もったいない。

 こんな昼下がりはモォツァルトのピアノソナタがぴったりです。

 さて、私は、山沿いというよりも、山峡(やまかい)で生まれ育ちました。家の裏は山。学校も山の中。通学路も山あいの川に沿った県道。遊び回ってたのも主に山ん中。だからかも知れませんが、近くに見上げる山があるとなんとなく安心するんです。

 今、自宅は大阪平野の東の端っこで、近くに飯盛山という山がありベランダからよく見えます。生駒・金剛の山脈の北端、西にちょっと離れてそびえる、といっても標高341mの低山です。

 

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 この山、休日寝坊して遠くに出かけるにはちょっと…というときに散歩気分で登ることがあります。なんせ家から歩いて頂上まで1時間ちょっと。運動不足の解消にちょうどよいのです。稜線の小径を歩いているとなかなか気持ちがよろしい。

 

 

 

 

 

 

 

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 頂上付近に楠木正行(まさつら)という南北朝時代の武将の銅像が建ってます。木々が冬枯れする時期にはJR学研都市線の電車から見上げてもよく見えます。

 楠木正成の子で、父正成と同様に南朝リスペクト、京都の足利尊氏方の兵相手にこの付近で戦って負けたとか。明治以降になって正当皇統である南朝関係の人たちの評価がぐぅんと上がって、正行を祭る神社まで建ってしまった(四條畷神社)。んで、ゆかりの地である山のてっぺんに銅像まで建っちゃったというわけです。

 ところが、この正行像のすぐわきに、もひとつ背広着た誰かの銅像(胸像)が建ってて、説明読むと正行像を造るのに尽力した(ようはお金を出した)人の銅像らしい。「この像ができたのはわたしのオカゲである。忘れんなよ。」ってことらしい。何だかなぁ。

 

 

 

 

 

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 頂上からは大阪平野が一望できます。実に眺めがよろしい。

 写真は先月登ったときのもので、この日は快晴。梅田のビル群を150mmズームで撮ったところ、そのときは気がつかなかったのですが、六甲山の稜線の左側になんと明石橋がウッスラと写ってた。目が悪いので肉眼では多分ムリだったと思います。

 

きのこの山

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 大阪平野のはじっこで、山の近くに住んでます。お手軽なハイキングによく行きます。

 雨降った次のお天気のいい日などに森の中に入っていくと...

 

 

 

 

 

 

 

 

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 きのこがニョキニョキと顔を出してます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 子供の頃、ある時期まで、きのこが成長して木になると思ってました。

マツタケは成長して松になるのだ、とか。

 だって「木の子」っていうくらいだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それにしても、素人目にも、万一食べたりしたら大変な事態になるであろうことが想像できるキノコばっかし。

 色んな種類があるものです。

 どなたか名前など教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P8280043.JPG これなんか素晴らしくキレイでした。

薄暗い森の中で光りを放つがごとく

「白っ!!」

さらにトゲトゲ。

近づくとただではすまさないわよっ!という気品を感じます(^^;)お気に入り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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