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故郷の梅

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 用があって田舎に帰りました。奈良県中部、吉野の大山塊への入り口に位置する下市町という小さな町がわたしの故郷です。
 
 所用済ませたのち、観梅に出かけました。広橋梅林といって月ヶ瀬、賀名生(あのう)とともに奈良県の三大梅林に数えられる景勝地です。タイミングよく帰郷したのでせっかくやからとひとりで出かけたわけです。
 
 広橋というところは、峠道にそって古くに成立した集落です。中世に南朝に仕えた広橋氏の居城があったのだとか。今は集落というほどの戸数はなく、梅林が広がる山肌にぽつんぽつんとおうちが建っている。なぜにわざわざこんな急斜面にと思うのですが、ご先祖より受けつがれてきたということでしょう。日本の里山の風景です。
 
 峠ふもとの下市温泉秋津荘にクルマを停め、歩いて頂上を目指しました。この温泉施設のある岩森という地区、実は私が生まれ育ったまさにふるさとなのです。しかしここから歩いて広橋峠を極めた記憶はありません。
 
 広橋は他の梅林のように一箇所にギュッとまとまって植わっているのではなく、山肌のあちこちに梅の木が固まっているところがあるという感じです。その数約5,000本。ゼイゼイ言いながら登る道すがら次々に姿を現す紅梅、白梅、ほぼ満開、やはり見事。峠に広がっているので、頂上付近から見晴るかすと、梅林越しに下市の街並みから遥か遠くに金剛、葛城の稜線がウッスラと見えます。晴れていればさらに良い眺めであったでしょう。
 
P3203533.jpg 峠道登りきったところに何年も前に廃校となった小学校の校舎がひっそりと建っています。廃墟と思いきや敷地に入ってみると、校舎も校庭もキレイに掃除されている。かつては大勢の子どもたちの歓声が峠の木木にこだましていたのでしょうが、今はひっそり閑とし鳥の鳴き声だけが聞こえてきます。35年前、中学校の同級生は177人でした。下市町全体の数です。それがいまや年間の新生児は全町で十数人だとか。当時7校あった小学校が統合、廃校でいまや下市小学校ひとつとなってしまいました。少子化と過疎化が加速度的に進んでいます。P3203555.JPG
 
 頂上付近の城跡にある小さな神社(というより祠みたいな)にお参りして、山道を下りはじめたころから空は雨模様。降らないうちにクルマまで戻らねばと道を急ぎます。途中、小さい頃よく遊んだ鎮守のお宮さんに何十年ぶりかに立ち寄り、来し方の報告と息災の感謝をこめて参拝した頃には、とうとうポツポツと降り始めました。
 
P3203578.jpg 上りとは別の近道と思しき道を見つけ急ぎ下りていく途中、ふと眺めた眼下に広がる風景に目を奪われました。強くなった雨脚にもかかわらずしばらく立ち尽くしてしまいました。この眺めはなぜか記憶にない。この道は当時からあったのでしょうけど、通学路ではないのでほとんど通ったことがなかった。広がる水田の向こう、真正面の山すそに建つのがこちらも今や廃校となった下市町立秋野小学校、私の母校です。

 はじめてのアングルで見る原風景に強烈な懐かしさがこみ上げ、思わず泣きそうになりました。
 これまで全国の、世界中の景勝地で、素晴らしい風景に感動することは多々ありました。しかしこれに勝るものはありません。日本中どこにでもあるよな、どうってことのないこの田舎の眺めが、マイNo.1。

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 今朝、目覚めるとお天気がいい。出かけました。
 
 山辺の道と並び称される奈良のハイキングコース「滝坂の道」を歩いてきました。奈良市内から円成寺を経て柳生に続く古道です。
 
 先週の奈良検定受検に続いての奈良お出かけです。運動不足解消と、行ったことのない円成寺に大日如来を訪ねるのが目的です。
 
 この仏像、古都のはずれの小さなお寺にあるのに何故か非常に人気がある。「奈良の仏像ベスト10」なんかあると、ほぼ顔を出します。一度観ておく必要があるということで思い立ったわけです。
 
 奈良に向かう近鉄電車の中は土曜日というのに大勢の高校生たちが一心に参考書とにらめっこしてます。そうか、今日は大学入試センター試験やった。去年はトラブル続きやったそうですが、どうか無事に済みますように。

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 ネットで調べると、近鉄奈良駅から円成寺のある忍辱山まではバスの便が非常に少ない。市内から滝坂を歩いて円成寺にお参りして帰ってくるつもりでしたが、これでは帰りのバスが不安。そこでまず円成寺までバスで行ってから逆に辿ってくることにしました。これでは下り道の方が多くなりカロリー消費は減りますが、まぁいいとしましょ。

 バスに揺られること約30分、朝未きの忍辱山に降り立ち早速境内に向かいます。大日如来様は多宝塔の中に安置されてて外から丸見えですが、入り口がガラスで隔てられてます。国宝を守るには致し方ないところか。忍者みたいに印を結んでおり、畏れながらなかなか愛嬌があります。1次会済んで出てきた酔っぱらいが「すんませんが私はここでドロンさせていただきます(^^)」と言っている図、みたいな。この親しみやすさが人気の秘密なのか。違うか(^^;)P1193248.jpg
 
 さて、お参り済ませて山道に向かいます。土曜とはいえ早朝、最寄りバス停に降り立った参拝者は私を入れてわずか5人。ハイカーは私ひとり。てくてく石畳の坂道を登っていきます。バス通りから続く石畳の道には数日前に降った雪がたっぷり残ってます。積もった雪を見たのはこの冬初めて。完全なオフシーズンで前後に人影はまったく無し。静かな山道に私ひとりの、凍った雪と霜柱を踏む音だけが響きます。
 
 35、6年も前、センター試験の前身「共通一次試験」を受けたのでした。2回(^^)v。まさにこの山のふもとの奈良教育大学で受験していたあの日も、ひょっとしたら誰か暇なオヤジハイカーがこの道を歩いていたかも知れんなぁ、なんて、つらつら考えながら雪道をサクサク。
 途中、峠の茶屋の店先で親父さんに声かけられて、ちょっと休憩。甘酒をいただきました。美味しかった。P1193278.jpg

 麓まで下ると先日も訪れた高畑界隈。ちょっと歩き足りなかったので、春日大社から手向山八幡宮、東大寺をぶらついてみました。奈良公園はあいかわらずの賑わい。鹿さんたちも相変わらず観光客の手元に狙いを定めて、ペコペコしてます。春日大社では、縄に結ばれたオミクジを食べて神職さんに追い払われてる鹿がいたり、東大寺境内では不用意に拡げた地図を下からバンビにハグハグ食べられて悲鳴あげてる外国人観光客がいたり。ひさびさの奈良公園の風景でした。

箸墓幻想

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 職場の同期にSとゆうのがいて、こいつ、何の役にも立たない雑学・知識に関してはわたしにひけをとらないのですが、何年か前に「大阪検定1級」合格したというので大騒ぎしたことがあります。自慢するだけあって、合格率わずか数パーセント、実際なかなかの難関なのですよ。立派です。

 で、対抗心がメラムラしてきたのですが、如何せん大阪では外様のわたし(^^;)どうにも分が悪い。ならばというので、このたび「奈良検定」にチャレンジすることにしました。調べてみると「奈良通2級、1級」ときて、最上位相当が「まほろばソムリエ」とゆうそうです。「それっ!」と思ったところが、なんといきなりはムリぽくて、2級、1級と順に合格してからでないとチャレンジできないらしい。ケチっ。3年以上かかるやん。

 しかたないので今回、のっけの「2級」とゆうのんに申請しました。来月受検します。PC233161.jpg

 いちおう受検勉強ということでもないのですが、今日久しぶりに奈良に出かけ、山辺の道を南から歩いてきました。近鉄電車桜井駅に降り立ち、てくてく北上。まず大神(おおみわ)神社にお参りです。天皇誕生日、今上陛下のご健勝と御皇室の弥栄を、さらには世界平和と家内安全、年末ジャンボ・有馬記念的中まで、しめて100円分お願いしたのちに、さぁ出発。

 このルートは前にも辿ったことがあるので、今日は天理・奈良の終点まで完遂するつもりはありません。それよか大和(おおやまと)古墳群をじっくりと見てみたいというのが目的で、特に「倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)陵大市墓」いわゆる箸墓古墳を訪れるのが最大の眼目でした。

 三輪神社出たときはいいお天気やったのですが、北上するうちに雲が厚くなり、箸墓に辿りついた頃にはとうとう降り始めました。天気予報を信じたわたしがバカでした。

 それはそれとして、念願の箸墓。
 IMG_0258.jpgまだ小学生のころ、教室の壁に貼ってあった日本史年表には弥生時代と飛鳥時代の間に「大和時代」というのんがあったとはっきり記憶していますが、最近あまり聞きません。「古墳時代」とゆう呼称がトレンドみたいです。我が国にはその頃のはっきりとした正式の記録がない。ゆいいつ古墳という遺構のみが当時を語ります。ところが幕末から明治にかけて日本政府は大きな古墳に「ナントカ天皇陵」とか勝手に名前をつけて 「皇室ゆかりのお墓やから立ち入り禁止ね♪」 とゆうことにしてしまった。発掘調査はおろか、入ることさえ厳禁としてます。我が国の考古学レベルからして、ちゃんと調べられたら邪馬台国がどこにあったかなんて簡単に分かってしまうのに、と誠に残念に思うのです。

 さて箸墓。初めて来ました。卑弥呼の墓とちゃうん?とか言われてます。その真偽はおくとして、太古、日本はこのあたりからスタートしたわけで、シンボリックなポイントには違いありません。魂に響くパワーを感じます。

 写真は上から順に、山辺の道ルートを外れてやや下ったところから撮った箸墓古墳。遠くに大和三山の耳成山と畝傍山。 2枚目、隣接する箸中大池から箸墓古墳の眺め。 そして最寄りのJR巻向駅。駅舎、こんだけですよ。なんとラブリーな(^^) 

天空の城

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PB243050.jpg 人生のゴールはまだまだ遥か遠くカスミがかかってますが、齢50を越えるとそろそろ宿題も気になってきます。定年を待っていたのでは間に合わない。

 そんな大層な話ではないのですが、すぐ近くでいつでも行けると思っているうちに、結局行けずじまいということがあります。溜まった宿題のひとつです。今日はそんな話。

 わたしの場合のこれに類する話として、大学の最寄り駅は京王線の多摩動物公園駅でそれこそ毎日前を通っていたのに、結局この動物園入ったことがない。入学当時オーストラリアから初めてコアラが贈られたということで話題になってました。駅前広場のインターロッキングがコアラの絵になっていたのを覚えてます。

 しかし、結局縁がないまま卒業して西に帰ってまいりました。

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  そしてもうひとつ。故郷の奈良県吉野郡と奈良盆地は、龍門岳、高取山から芦原に至る山塊で隔てられており、高校時代は橿原市の八木界隈までこの峰々をぐるっと迂回する近鉄吉野線で通学していたわけです。ところがふと気がつくとこの高取山にある日本有数の山城「高取城」まだ訪れたことがない。

 そこで今日、何十年の宿願を果たすべく、紅葉狩りかねてハイキング行ってきました。

PB243027.jpg 近鉄壷阪山駅に降り立ち、土佐街道を南へ。人影も少ない静かな街並みを抜け、城跡に向かう町外れで地元のおじさんに挨拶して、しばし立ち話したところ、昨日 「たかとり城まつり」 というイベントがあり、豪雨にもかかわらず大層な人出だったとか。よかった、人が多い日は避けたい。

 進むにつれてだんだんと坂がきつくなっていきます。そうとうな山道ですよ、これは。山の上にお城があって麓に城下町があったということは、お城と麓の街にはそれなりの往来があったことになります。街の人が「ちょっとお城まで行って来ます」とか、お侍が「ちょっと買い物に麓まで下りてくるでござる」 なんて、このロケーションではそう簡単にはできないでしょ。いったい昔の人はどれほど健脚やったのか、なんてことをつらつら考えながらゼイゼイ言って登るうちに両脇の木々が開けてきました。お城近し。
 
 天守台が近づくにつれて道のそばに石垣が現PB243013.jpgれてきます。大坂城みたいなバカでかい石はないのですが、それでも重機もなしに山のてっぺんにこれだけの石垣を構築し、さらにそこにでっかいお城を造るという、その労力たるや想像を絶します。

 なんと路傍に猿石が。あの明日香のんとおんなじやないですか。傍らの立札によると。やっぱしもとは明日香で掘り出されたみたいですよ。高取城造る際に「石垣にしよーや」って明日香から運んでたところ、途中で「あ"ー重てー、もうやってれっか!」と、ここに捨ててったらしい。気持ちよく分かります。
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 城跡にはおおぜいの人が。小さな子どもたちやワンコも。例によって近くまでクルマで来ることができるのです。少し遅いかなと思ったけど紅葉はまだまだ見頃でした。

 位置からして展望がよい。南に吉野・大峰の大山塊、西に金剛葛城の峰から二上山。北側の国中(大和平野)にはぽつぽつとおなじみの大和三山が。お陽さまがも少しあったらきっと抜群の眺望やったでしょう。
 
 ずっと曇り空で少し寒かったけど、けっこう楽しめました。いつもながら「昔の人はスゴイ!」を実感した晩秋の一日でありました。

ホンモノの迫力

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 信貴山に登ってきました。
 
 先週半ばに職場の職員研修の一環、体力鍛錬で摩耶山に登ったのに続いてのハイキングですが、実はその前の日曜日にも摩耶山の練習しようと近所の飯森山に登ったので、週3連チャンの山歩きです。カラダあちこち痛みはありますが、年間で最も気候がよい時期、休日家にいるのがもったいない。
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 近鉄大阪線の恩智駅スタートで、同じく生駒線の信貴山下駅がゴール。大阪から登って奈良に下ります。途中山腹の朝護孫子寺に目指す国宝があります。

 恩智神社から「恩智越」峠を越え信貴生駒スカイラインに至る整備されたハイキングコースは、思いの外高度差があってしんどかった。 

←なんだかいろんなものが出てくるそうで、微妙にワイルドな感じでした(^^)。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 今日の目当ては信貴山の朝護孫子寺(信貴山寺)にある国宝の「信貴山縁起絵巻」です。
 
 以前、浮世絵のことを書きました。切手少年だったわたしは最初「浮世絵」といえば記念切手の「国際文通週間シリーズ」の原画として知識を得たというお話ですが、国宝やなんかの文化財についても同じことがいえます。

 昭和の高度成長期、切手蒐集がブームだった頃「国宝シリーズ」は一世を風靡した超人気の記念切手で、第3次まで企画されました。その第1次シリーズの第3集「平安時代」に取り上げられたのが「信貴山縁起絵巻」で、他の素材と同様に「切手になった国宝」として少年の頭脳にインプットされました。

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 ところが今に至るまでホンモノは観たことがなかった。で、今日から2週間特別公開されるってことなんで、思い立って行ってきたわけです。
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 初めて訪れた朝護孫子寺は思ったよりもずっと大きなお寺でした。

 今昔物語によると、命蓮という坊さんがこの寺を中興したと伝えられ、このとき「朝廟安穏、守護国土、子孫長久」を願い、後醍醐天皇の病気平癒を祈願し、天皇の病気が治ったので朝護孫子寺の寺名が起こったらしい。ややこしい名前だこと。

 境内には何の法要か読経の声が拡声されて響き渡ってます。いろんなことを祈願するのにお布施を納めたり寄進したりで、人々はそのときだけ信者になり、お寺は潤います。

 こと宗教に関して日本人は実に節操がない。初詣は神社、結婚式は教会、お葬式は仏式。なんでもあり。で、聞いてみると多くの人が「わたし無宗教です」と答える。八百万(やおよろず)の神々を崇めてきたDNAの為せるワザでしょうか。

 この朝護孫子寺塔頭にも小さなお寺や神社がいくつかあります。神仏習合で「お寺に鳥居」はあちこちで見ますが、宗教に対して寛大であることは人類の平和にとって必要なんでしょね。「和」を排除する宗教はカルトです。信仰は、あくまで他者の存在を認めた上に成り立つべきやと思います。

 さて、国宝。霊宝館という建物で公開されています。当然写真はNGです。

 訪れる人も案外少なく、じっくりと鑑賞できました。ホンモノの国宝やという先入観があるのかもしれませんが、やっぱりスゴイ。「源氏物語絵巻」、「鳥獣人物戯画」、「伴大納言絵詞」とともに四大絵巻物の1つと称される(ウィキペより)だけあって、緻密な描写、線がキレイ。迫力があります。

 さらに保存が見事。わが家にとってある子供のころの雑誌はもはやボロボロですが、この絵巻は平安時代から現在に至るまで伝わるも、あまり痛みも見られない。日本古来の木造建築は千数百年を経て残ってますが、近代建築の鉄筋コンクリートは100年保たない。先人の叡智を感じます。

 境内をのんびりと見物したあとは、生駒線の駅に向かってひたすら下るだけ。近鉄信貴山下駅から王寺駅でJRに乗り換えて天王寺へ。短期間の集中登山でさすがに疲れていたのか、寝入ってしまいあやうく乗り越しそうになりました。

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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