昭和歌謡の星墜つ

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 今年最後のブログ更新です。激動の2020年が終わっていきます。

 今週、中村泰士氏となかにし礼氏の訃報があいついで伝わりました。10月には筒美京平氏が世を去りました。いずれも昭和歌謡界を支えてきた巨星でした。20201225_233833053_iOS.jpg

 70~80年代の、J-POPではなく「歌謡曲」、歌手は男性も女性もヒラヒラのステージ衣装で、アイドル全盛の時代でした。1970年の紅白歌合戦は、なかにし礼作詞の楽曲が5曲あったとか。娯楽が少なかったこの時代、小中学生はテレビを点ければ彼らの作った歌を聴いていたことになります。まさに一世を風靡していました。

 筒美京平作曲 「ブルーライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「17才」「男の子女の子」「わたしの彼は左きき」「木綿のハンカチーフ」「飛んでイスタンブール」「ギンギラギンにさりげなく」「センチメンタル・ジャーニー」「仮面舞踏会」...

 中村泰士作曲 「夢は夜ひらく」 「喧嘩のあとで口づけを」「愛は傷つきやすく」 「大阪の女」「砂漠のような東京で」 「喝采」 「わたしの青い鳥」「天使も夢みる」「心のこり」「そして...めぐり逢い」「北酒場」...

 なかにし礼作詞「恋のフーガ」「今日でお別れ」「天使の誘惑」「港町ブルース」「花の首飾り」「ドリフのズンドコ節」「昭和おんなブルース」「石狩挽歌」「時には娼婦のように」「哀愁のシンフォニー」「北酒場」...

 これら珠玉の名曲、もちろんカラオケ今でも全部歌えます。戦後復興を成し遂げ高度成長を経て、日本が名実ともに先進国の地位を不動にし、バブルの絶頂に向けて発展を続けていたジャパン・アズ・ナンバーワンの時代、頑張る日本社会と日本国民を鼓舞し癒してくれた数えきれない楽曲を世に送り続けてくれました。お三方のご冥福をお祈りします。

 さて、年末のエントリーに際し振り返れば今年は、コロナ禍が日本中、世界中を席巻した一年でした。去年の今頃はまだ、2020年は輝かしいオリンピック・イヤーになると誰もが信じて疑わなかったのに、1月、ダイヤモンド・プリンセス号に端を発したわが国のコロナ禍は、あっという間に全国に伝播しました。

3960770_s.jpg 春が来ても、学校では卒業式も入学式もできない。あまつさえ閉鎖されたまま新学期が始まらず、学生・生徒・児童は登校できない。新入生は友達ができない。キャンパス閉鎖が続く大学では授業がオンラインとなり、授業料返還を求める声も出てきました。

 それよりも、感染の最大の元凶とされている宴会の禁止、自粛により、外食産業は壊滅的な打撃を被りました。マスク、消毒液の買い占め転売が社会問題化するなど消費行動も混乱しつづけたこの一年、戦後最大の経済の低迷として歴史に記録されることでしょう。

 国民一人当たり10万円の定額給付金の効果ももうひとつで、第2波、第3波と感染が拡大するにつれ政府も打つ手が尽きて、救済のため満を持して始めたgo to キャンペーンも、とうとう停止に追い込まれました。

 あらためて思い返すと、まあよほど大変な年でした。しかも感染はいまだ終息の気配無く、来る2021年も引き続きコロナ禍が継続、もしくは拡大の様相を呈しています。

 そんな、明るい見通しが無い中、今年1年ブログにお付き合いいただき、ありがとうございました。来る2021年、一刻も早くコロナ禍が終息し、盛大に実施されるオリンピックを機に日本と日本国民が再び怒涛の進撃を開始することを祈念し、今年のブログ納めといたします。

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katsuhiko

男 

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奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

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雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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