祝 捕鯨再開

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 ほとんど何の資源ももたないアジアの小国やった日本が近代化に成功し、いったんは国際連盟の常任理事国にまで登りつめ世界の大国の仲間入りしたのもつかの間、調子こいて武力で近隣諸国を侵略した結果、太平洋戦争でボロ負けしてすべてを失い、焼野原となった国土でマイナスからのリスタートとなったわけです。

 そして、われわれの親の世代、高度経済成長期の日本国民は、敗戦のビハインドからなんとか立ち直ろうとストイックに働き続けてきました。連合国や中国朝鮮といったかつての支配下国家からの逆襲に耐えつつ今日の繁栄を築きあげるまでの日本人の努力は、それこそ筆舌に尽くしがたいものがありました。

 その過程では国際協調を旨としてきたため、諸外国に配慮して軍隊は持たないし、貿易黒字を極端に増やさないよう儲けすぎないようにとも気を使ってきました。そして、時に他国から理不尽な要求があっても耐えがたきを耐えて従ってきたのです。70年代のソ連との200海里の漁業問題もひどかったし、特に近年では韓国からの極めて理不尽な嫌がらせが激化しています。これもひとつには歴年のわが国の国際的な低姿勢が招いた事態といえます。kujira.jpg

 国際捕鯨委員会(IWC)の圧力もそのひとつでした。鯨食は日本古来の食文化で、本来ならばヨソからとやかく言われることなど無いところ、例によって国際協調のしがらみから、あろうことか捕鯨そのものが禁止されてきたのです。かつてこのブログでも「IWC脱退も視野に入れて」捕鯨を再開するべきだということを思いっきり書いたところです。

 そもそも国際捕鯨委員会という看板がウソで、その実態は「国際捕鯨禁止委員会」やったのです。こんな組織に伝統的捕鯨文化を誇るわが国が加盟していることがそも間違いやったといえます。

 そしてこのたび、とうとうめでたく脱退が成就し、日本の商業捕鯨が復活、再開しました。

 思い起こせば子供のころ、牛肉は高くて頻繁に買えなくても、鯨肉は安価でいくらでも手に入りました。ソテーでよしフライでよし鍋でよし、良質なタンパク源として実に身近な存在でした。なぜか肉屋さんではなく魚屋さんで売ってた記憶があります。それがいつのまにか店頭に並ばなくなり、いつしか食卓からは全く消えてしまいました。稀に居酒屋で供されることもありましたが、なかなかのお値段で今ではすっかり高級食材となってしまいました。ネット記事によると、捕鯨最盛期の1962年(わたしが生まれた年ですわ)約23万トンあった消費量が、2017年には約3,000トン。実に約80分の1だそうです。それもこれもすべてにっくきIWCのせいです。

harihari.jpg それがこのたび、捕鯨船が出港し近々店頭にクジラ肉が帰ってくるわけです。やったー!と喜んだのもつかの間、なんと流通業界は「需要が読みにくい」とかで販売に及び腰なんやとか。そらそうですよね。若者の多くがクジラなんてまったく食べたことがないという時代なんやから。

 しかぁし。需要はありますよ。無いというなら料理屋や居酒屋でバンバン売り出して拡大していけばよいのです。

 日本の高度経済成長をささえた、懐かしい日本人のソウルフードですよ。あればあるだけ売れるってもんです。少なくとも私は買いますよ。

 これまで日本人と日本の食文化をさんざん馬鹿にしてきた白人至上主義のIWC加盟国とグリーンピースやシーシェパードの悔しそうなマヌケづらを思い描きながら、日本酒か赤ワインで一杯やらせていただきます。一口ほおばり噛みしめると、遠い記憶の彼方から懐かしい思い出の波が押し寄せてくることでしょう。その瞬間が実に楽しみです。

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