爆弾低気圧が接近し、日本列島が台風並みの暴風雨に見舞われ、気象庁は「不要不急の外出はひかえましょう」と警告する中、京都に花見に出かけました。
高校時代の友人たちでいわゆるプチ同窓会とゆうのか、花見の時期や夏の納涼など機会を見つけては集う気の置けない連中です。今回は男女8人が集まりました。
さすがに桜の下でシートを広げるわけにはいかず、花の名所、疏水インクラインを素通りし、料亭のお座敷で京料理をいただきました。これは例年になく早い桜の散り具合と荒天を見越した幹事(京都在勤)のFINE PLAYでした。
南禅寺近く。この界隈は企業や社寺の別邸が多く貫禄の豪邸が軒を連ねます。今日のお店「熊魚庵本
店」さんは旧細川別邸の隣にあります。
お店2階の窓から臨むと、多くの別邸や南禅寺境内の木木の緑が強い風に揺れています。お天気がよければ陽光に映えたであろう桜の木々も今日の嵐でほぼ壊滅状態です。まあ濃い碧に降り注ぐ雨もそれなりに情緒があってよしとポジティブに捉えるのです。
さて、料理は上品な京懐石で、昼席ということもあってか極めて適量。味も申し分なし。話の盛り上がりに連れてお酒もどんどん進み、宴たけなわとなったところで今日のサプライズ、舞妓さんの登場となりました。
実は昨年も花見の時期、白川の置屋でほぼ同じメンバーの京の文化にふれる集まりがあり、これがなかなか評判よかった。そこで、
幹事が馴染みの置屋さんに密かに手配した、これは今日2つめのFINE PLAYやったのです。
この舞妓さんの話がよかった。
なんと、16歳!。東京のド真ん中出身でこの春デビューしたばっかとのこと。話し出すとなるほど女子高生世代、明るくて話題豊富。たいしたもんです。しかし、苦労して勉強したであろう京言葉、単語は祇園言葉なれど、イントネーションは明らかに標準語のそれです。このあたりこれからの課題ですね。
舞妓修行の様子など聞いていると興味は尽きず、あっという間に時間が過ぎていきました。そもそも中学校卒業して芸妓の道を志そうというその意気やよし。帰りの車の中で「あの娘たいしたもんや。きっと大成して名を成すやろ」ということで意見の一致を見ました。
彼女の話によると、京都五花街(祇園甲部、宮川町、祇園東、先斗町、上七軒)あわせて舞妓さんは60人ちょっとしかいないとのこと。芸舞妓は日本の誇るべき文化のひとつ、隆盛を願わずにいられません。
幹事氏は近く転勤で京都を離れる可能性があるとか。それは困ります。次回もわれわれの京都伝統文化理解のあくなき研鑽のため、研究の機会を提供いただくことがどうしても必要なのです。そのあたりの事情を彼の会社にかけ合ってみよかしら。
生涯初めて万年筆を手にしたのは70年代、ご多分に漏れず中学校の入学祝いで誰かにいただいたものやったと記憶してます。
いよいよ新年度に向けて慌ただしさもきわまれりという先週の忙しない最中、建築家の安藤忠雄氏の講演会があり職場の仲間と行ってきました。「大阪を元気にする会」とゆうNPOが主催する、その名のとおりのイベントです。
安藤さんといえば言わずと知れた、大阪を代表する世界的文化人の筆頭格です。実は何年か前にも氏のイベントに参加する機会がありました。その当時すでに国際的な名声はグングン上昇しており「仕事で毎月1回ほぼ世界一周している」というようなお話に圧倒されるとともに、その大阪弁丸出しの語り口やご出身が学園近くの旭区赤川だということで畏れながら親しみを覚えたものでした。
日ばかりは時間が経つのも忘れ、アゲアゲ状態のままあっという間に予定の時間が過ぎました。ホンマもんの凄さです。
有名なサミュエル・ウルマンの詩を引用し、理想がないところに進歩はない、情熱があってこそいい仕事ができる、ということを、独特の声で力強く説く安藤さんのお話、実績を残してこられただけにすごく説得力があります。国や地方公共団体など大きな権力に対して次々と奇想天外な提案を投げ続け、「変わらないことこそがよい政治なのだ」という、役人が寄って立つ頑強な行動指針に対して挑戦し続け、そして勝利してこられた。
峠道登りきったところに何年も前に廃校となった小学校の校舎がひっそりと建っています。廃墟と思いきや敷地に入ってみると、校舎も校庭もキレイに掃除されている。かつては大勢の子どもたちの歓声が峠の木木にこだましていたのでしょうが、今はひっそり閑とし鳥の鳴き声だけが聞こえてきます。35年前、中学校の同級生は177人でした。下市町全体の数です。それがいまや年間の新生児は全町で十数人だとか。当時7校あった小学校が統合、廃校でいまや下市小学校ひとつとなってしまいました。少子化と過疎化が加速度的に進んでいます。
上りとは別の近道と思しき道を見つけ急ぎ下りていく途中、ふと眺めた眼下に広がる風景に目を奪われました。強くなった雨脚にもかかわらずしばらく立ち尽くしてしまいました。この眺めはなぜか記憶にない。この道は当時からあったのでしょうけど、通学路ではないのでほとんど通ったことがなかった。広がる水田の向こう、真正面の山すそに建つのがこちらも今や廃校となった下市町立秋野小学校、私の母校です。