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ふるさと納税

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IMG_3293.jpg 毎年、ふるさと納税を行っています。これまでも何回か書いたことがありますが、私のふるさとは奈良県南部の山峡にある下市町という小さな町です。

 きっかけは中学校の同窓会でした。会場に町役場のひとが来られて、ふるさと納税への協力をアピールして行かれたのです。これは、うまい。全国各地に散っていった町の出身者が帰ってくる同窓会、ただでさえ古い仲間とともに卒業当時に思いを馳せる独特の空間で「ぜひふるさとにご協力を」とか言われたらその気にならん方がおかしいというもんです。その気になりました。

 この制度は2008年に始まったそうで、正確には「納税」ではなくて「寄付」です。都道府県や市区町村にお金を寄付することでその金額が税金から控除されるしくみです。寄付するところは別に生まれた町や県でなくてもどこでもいい。まったく縁もゆかりもない、行ったことないとこでもかまいません。

 寄付の手続きして確定申告すると、寄付した金額から2,000円引いた額が所得税と住民税から控除されます。つまり、2,000円の手数料を負担するだけで住民税の一部を別の町に納められる制度といえます。制度開始当初は5,000円だったのが最近さらにおトクになりました。

img035.jpg 私が今住んでるのは大阪市近郊の衛星都市です。言ってみれば仕事を求めて都会に出てきた結果、職場に通うために住居を構えているだけで、およそなんの愛着もありません。にもかかわらずやたら高い住民税を取られてるのにそれに見合う住民サービスを享受しているとはとうてい感じられません。国民の義務として同じ納めるなら、自分を育ててくれた、世話になった故郷にというのが人情というものです。初めてもう7・8年になりますが毎年1回、ずっと続けてます。

 故郷を離れてもその地域に貢献することができます。過疎の田舎から都会に出てきた人たちにとっては、非常にうれしい制度なのです。

 が、しかし。最近このふるさと納税(寄付)制度、おかしなことになっています。

 寄付した人には各都道府県、市区町村からその地域の特産品などがお礼、記念品、特典などと称して送られます。これがくせもので、各自治体は多くの寄付を集めようと趣向を凝らしてだんだんと豪華な品物を設定するようになってきて、寄付する側もいい記念品を獲得しようとして寄付先を選ぶようになってきたのです。

 実際の寄付金額はどうせ税金でもっていかれるので、実質的な負担は2,000円だけです。これは、どこに寄付しようと変わりません。つまり、2,000円均一で全国各地の良質景品を選び放題という事態になっているのです。ネット上にはふるさと納税応援サイトも数多く出現し、どこに寄付すればどんな景品が手に入るか詳しく紹介してます。普通ではおよそ考えられない豪華商品が2,000円均一です。高級和牛2kg、コシヒカリ20kg、ノートパソコン、高級旅館宿泊券...

 ちょっと待ってよ、という話です。P3203581.jpg

 負担する2,000円と豪華記念品の実際の価額との差はどこかで補てんされているはずで、よくよく考えるとこれは住民税が控除される居住地の自治体や、所得税が控除される国が支払っていることになります。つまりは国民の税金によって賄われているのです。これはおかしい。

 ふるさと納税ってそんなもんやないでしょ。単純に、お世話になった愛着あるふるさとを応援するための制度やなかったのですか。記念品を競って地域にまったく縁のない人からの寄付を吸い寄せてみたり、記念品目的で寄付したりすることはちょっと違うでしょ。

 私も確かに記念品をいただきました。はじめのころは地元特産の椎茸や割り箸やったのが、何年か前は高級な葡萄の詰め合わせをいただきました。大した寄付金額やないのに申し訳ないなぁ、とか思いながらお礼状書いたもんです。それが近年「記念品、選べるようになりました」なんてカタログみたいな案内が届くようになりました。いりませんというのもかえって失礼かつ迷惑かと思って一応ありがたくいただいてはいますが、できればまったく無くしてもらいたいと思います。

 今は住民税所得割部分の1割が寄付額の上限ですが、来年から2割になるらしい。つまりこの制度、まだまだ拡充されていく勢いです。それはそれで大いに歓迎なのですが、制度本来の趣旨を忘れないでほしい。ふるさと納税と呼ぶ以上、ふるさと以外は対象外とすべし。そして、寄付に伴う記念品なんてすべて即刻廃止すべきやと思います。

かわいいRobi

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IMG_3285.jpg 先週、大学と地域との交流に関するあるイベントで、ロボットクリエイターの高橋智隆氏の講演を聞く機会がありました。

 ロボットのデザイン・製作をやっておられる方です。パナソニックのアルカリ乾電池のCMでグランドキャニオンに張られたロープを頂上まで登ったり、ル・マンのコースで自転車で24時間走り通したりする「エボルタ号」はこの人が作りました。ギネス、このチャレンジでの記録保持者です。もっぱらロボットの設計・製作のみをナリワイとされている人がどれほどいるのか知りませんが、おそらく第一人者といって良いでしょう。いわゆるシュッとしたイケメンで、講演の内容も実に面白かった。道を究めた人のお話は、なんにせよ面白い。

 最近の仕事として、デアゴスティーニの「週刊ロビ」について話されました。

 デアゴスティーニは、テーマ別映像のDVDコレクションなどもありますが、いわゆる「パートワーク方式」の分冊百科の出版が有名です。雑誌と一緒に付いてくる付録を全部揃えて組み立てると、フィギアなどひとつの造形が出来上がるシリーズものです。クルマ、オートバイ、蒸気機関車から甲冑、なんと3Dプリンターまで、少しづつ部品をそろえて完成させる人気のシリーズです。私のような根気のない輩にはなかなかに難しいのですが、模型などはそれぞれのクオリティーが極めて高く、コンプリートしたときの達成感たるや想像に難くありません。それゆえ根強い人気をたもっています。evolta1.jpg

 創刊号の価格を安く設定してとっかかり安くして引きずり込んでいくあたり、なかなかの策を弄しています。

 そんなデアゴの人気シリーズのひとつがロボットのロビ君で、高橋さんが作りました。ドライバー一本で組み立てられるとか。

 現在、2012年、13年に続いて第三版つまり再々発売の3回目となるそうで、ご好評にお応えしてということでしょうか、テレビCMもやっています。

 創刊号は例によって799円という低価格ですが、第2号以降は2,047円と少々お高い。しかもマイコンやセンサーなどの最精密部品が付く週はさらに高い特別価格となるそうです。全70巻そろえると14万円以上となるとか。なかなかのお値段です。

robi.jpg かわいいロボットのロビ君が毎週少しづつ出来上がっていくわけですが、高橋氏いわく、創刊号以下早いうちにロビ君の頭の部分がまず出来上がる。この「頭から」いくとこがミソで、顔を見てしまうとどうしても情が湧いてしまって「何とか完遂してやらねば」という気持ちにさせるそうなのです。で、最後まで挫折せずに続けてしまうと。なるほどね。

 この日は実物も登場してデモがあったのですが、その動きは実にスムーズ、想像以上に精巧です。そして対話の音声認識もなかなか性能がよく、声もいい。つまりは可愛い。ロボットなんてあまりじっくり見たことなかったのですが、現代のロボット技術はこんなことになっていたのか。このような人のかたちしたロボット、ヒューマノイド型とゆうそうですが、これは確かにもはやおもちゃではなく、まさにロボットです。ちょっと前にホンダやソニーがロボット作ったことは知ってましたが、いつのまにかご家庭に高性能のロボットがやってきたのです。

 高橋氏のお話、実にいろいろな示唆がありましたが、特に印象に残った点に留めます。

 かつて、技術革新はニーズを満たすための開発が行われて販売に至ることで発展してきたけど、現代の先進国型のイノベーションはそれに加えて「遊びの考案」が発端となり、新しいアイデアを発信してそれが普及していくことで用途が発生するとのこと。

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 確かにそうですよね。ロビは言ってみればニーズに応える生産的なことは何もできません。テレビのリモコンを取り込む機能があるそうですが、テレビ観たいと思ったときにまずロビの電源入れて声で命令してテレビ点けるより自分でリモコン操作した方がはるかに楽チンやし、目覚まし機能があるといっても時計やテレビ、ラジオのオンタイマーの方が簡単・確実です。でも、小さなロボットが自分の部屋でモソモソ歩いたり踊ったりしているということに、人は何かしら新しい価値を感じるのです。ロビが部屋にいる状態が普及すればそこにはきっと何かの用途が生まれてきます。

  「必要こそ発明の母」は、それはそれで真実なのですが、発明しようなどと思わず自分の好きなこと、興味のあることを突き詰めていたらこんな物ができてしまった、こんなことがやれてしまったと、未来に向けたイノベーションは案外そんな具合に拓けていくのかも知れません。

 やっぱりブレイクスルーする人の発想は一味違うなあ、と感心した一日でした。 

あの日から20年

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 阪神・淡路のあの日から昨日でちょうど20年経ちました。ついこの間のことのように思えるのですが、あの年に生まれた子らが今年成人したのです。月日の過ぎていくのが何とはやいことか。

c278.jpg あの日を境に、わが国の防災意識はギア・チェンジされたように思います。それまでは、きたるべき東海地震に備えて地震予知技術の開発を叫ぶなど、今思えばどことなく悠長な感がありました。1923年(大正12年)9月1日に起こった関東大震災を実体験として知る人はめっきり少なくなり、私たちは9月1日がなぜ防災の日とされているのかを身をもって感じることがなくなっていました。お座なりの防災訓練を毎年繰り返していました。そして関東大震災から実に72年を経た1995年1月17日、それは何の前触れもなくあまりにも突然にやってきたのです。しかもその震源は予想されていたフィリピン海プレートの南海トラフ境界ではなく、大都市圏阪神地域の直下という、これ以上ないほどの想定外の出来事でした。

 たったいちどの大災害によって、きわめて多くの人々の人生が大きく変えられてしまいました。何という神の配剤というべきか、ひとたび牙をむいた大自然の脅威の凄まじさを思い知らされた出来事でした。f085.jpg

 しかしながら、この災害によってはからずも日本人は、その底知れぬ強さと優しさを改めて世界に知らしめることとなります。地震発生直後の写真を改めて眺めてみると、当時この惨状からの復興には果たしてどれほどの歳月と苦難が必要となるのか、誰もが途方に暮れたあの当時を思いだします。しかし震災直後から行政は持てる渾身の力を振り絞って災害救助と粘り強い支援を続け、その後の復興を見事に達成しました。そして、被災した人たちは不便な避難生活の中にあっても不平不満を発することなく我慢を重ね互いに助け合って、自分ひとりだけやなく皆が一緒になって確実にもとの生活を取り戻していきました。その過程にあって全国から寄せられた支援物資と馳せ参じた延数万人におよぶボランティアの活動は日本人の心の根底に息づく、際限のない利他の精神のありようを鮮やかに示してみせました。

 壊滅的な被害を受けた大都会神戸は、ほんの数年の歳月を経て震災前にも増して美しい姿を完全に取り戻しました。この復興スピードを果たして誰が予想したでしょうか。これひとえに強さと優しさを兼ね備えた日本人のすばらしさの為せるところと言わずしてなんとするでしょうか。

 そして阪神淡路から16年経った2011年、東日本大震災の試練が再び日本に襲いかかりました。ここでは地震・火災にとどまらず、未曽有の大津波がおしよせ、さらには原子力発電所から放射性物質が拡散するという想像を絶する複合災害となったのです。

IMG_3254.jpg しかぁし、ここでも日本と日本人の底力は如何なく発揮されます。復興は実にゆっくりとではありますが着実に進められています。被災者の我慢と、国内外からの物心両面の支援のたまものです。

 先の大戦の反省から、長く日本人は自分たちが世界から嫌われているのではという変に自らを卑下した心情を抱いてきたように思います。戦後復興を遂げ経済大国となってからも奢ることなく、絶えず世界の国々への援助を続けてきたのもひとつには贖罪の意識もあったのではないでしょうか。しかし阪神淡路や東日本といった非常時には、はからずも世界の人々のわが国に対しての思いを知ることにもなります。日本と日本国民は自分たちが思う以上に世界中の人たちに、少なくはない尊敬と大いなる親しみの感情を抱いてもらってるのです。

 20年の節目というわけではないのですが、先週「自衛消防業務新規講習」というのんを受講してきました。消防法改正で、大きな建物内の事業所には自衛消防組織の設置が義務付けられ、その管理者等にはこの講習を修了したという資格が必要となったのです。2日間ビッシリのハードな講義と実践訓練でした。業務上の必要にかられての参加ではありましたが、知らなかったことも多くて、これからも災害大国日本で生きていくための防災意識の大切さを再認識するいい機会となりました。

 今後も大災害が日本を襲うことはわかっています。怠ることなく防災訓練と準備に勤しみ、万一のときには自分たちの強さと優しさを信じ、誇りをもって冷静着実、適正に対応し、引き続き世界中の人々の模範となって進んでいけるようにと思うのです。頑張らねば。

 お正月休暇がいつのまにか終わり、反動で仕事はじめ早々フル回転の状態が続きます。ちょっとバテてきたところにポッと成人式の連休が来てくれます。毎年思うのですが、これはなんともありがたい。

 ハッピーマンデー制度で体育の日や敬老の日が月日はずれて月曜日固定となってから、どれくらいたつのでしょうか。われわれ学校関係者にしてみれば授業日数の確保が難しくなって大変迷惑な制度ではあります。授業時間割は原則週単位なので、月曜日に配当の科目は授業日数の確保がどうしても難しくなってしまうのです。その結果祝日に授業やったり夏休み減らしたりと、先生たちのみならず学生さんへの影響も少なくありません。IMG_3252.jpg

 学生時代、成一という名前の友人がいました。彼曰く、彼が生まれる予定日が当時の成人の日(1月15日)やったのでご両親は「成人」という名をつけるつもりでいた。ところが、一日早く生まれたので成一という名になったとか。なもんで「俺の誕生日は成人の日の一日前と覚えとけ」と言うてましたが、それが通じなくなったわけです。彼もきっとハッピーマンデー反対やったでしょうな。

 かつて高度経済成長期、われわれの親の世代が現役の頃、日本はとにかく我武者羅に突き進んでいました。モーレツ社員たちは夜を日に継いで働いて働いて、この豊かな日本を築き上げてきたのです。そして世界中から「日本人、働き過ぎ」と批判されるとともに「ちょっとゆっくりしょうか」という風潮が出てきて週休2日が徐々に広まっていき、学校までが土曜日休むようになり、国民の祝日も増え、連休も増え「とにかく休んで金を使え」という政策が進められました。そして気が付けば21世紀のこんにち、労働時間はすっかり減ってしまい、昔の日本人のようにバリバリ勉強と労働に勤しんでいる新興諸国からの追い上げにあって慌てています。

 本当の豊かさを実現するために心にゆとりを持つことは大事やということは分かります。働くことだけが人生やないよ、貯蓄するより散財した方が経済が活性化してさらに豊かになれるよ、というのも理屈でしょう。しかし、かの「ゆとり教育」は著しく国力を落とし、今になって文科省はあわてて「脱ゆとり」やってます。人はやっぱり緊張感をもって働くことを旨とすべきなのです。休みが増えると堕落するとまでは言いませんが、労働時間の極端な削減は日本の競争力を奪っていきます。

 とはいうものの、一方で連休が増えることは労働者のひとりとして素直に嬉しい。困ったもんです。

 さて、もう朝日新聞のことはしばらく置いとこと思ってたところが新年早々動きがありましたので、また登場です。

 慰安婦報道の原因を作ったひとりである元朝日新聞記者が、自分を批判した週刊誌と大学の先生あいてに損害賠償を求めて提訴しました。

 いわく「私は捏造記者ではない」らしいですが、第三者委員会の審議によって記事には「強制的に連行されたという印象を与え、安易かつ不用意な記載があった」と結論づけられています。つまりは、彼は捏造記事を書いたのです。その後の日韓関係および国際世論に与えた影響を考えるとその責任は極めて重大です。

IMG_3251.jpg それを「捏造ではない」と強弁することは、たとえば「他人の物が欲しくなったので黙って持ち帰っただけで、決して盗んだわけではない。私は窃盗犯ではない」と言っているに等しい。

 もちろんこの記者氏やご家族に対する嫌がらせや脅迫などは絶対にあってはならないことで、そんなことをする連中は厳しく処断されるべきです。しかしそれを記者氏に対する批判記事のせいにして名誉棄損と訴えるのは、明らかにお門違いというものです。言論には言論で対峙するべきでしょう。

 これは朝日新聞社にとっても痛し痒しの事態です。せっかく第三者委員会の答申で形の上では決着つけてうやむやにできた、あとはホッカムリしておとなしくしとこと思ったのに、こんなことされてしもたらまた社の対応に世間の耳目が集まるやんか、カンベンしてよ、といったところでしょう。しかし国民は朝日の今回一連の所業、そう簡単には忘れませんよ。

 朝日新聞社はひとり記者の所為にするのではなく、今後日本の国益回復のために果たせる施策をはっきりと世に示し、真摯に対応していかねばなりません。ところが、かの委員会答申でお茶を濁して社長退陣で決着とするつもりが、新社長の木で鼻を括ったような記者会見で、「朝日に反省なし」という印象を再び社会に与えてしまいました。朝日シンパの私も「朝日よこれはマズいぞ」と思っていたところに今回の提訴です。

 今回、産経新聞はこの提訴を大きく報じ、社の見解を示して明確に論評しているのに対して、当の朝日は「従軍慰安婦」等の言葉が高校教科書から削除されることについて批判的な記事を載せ、その隣に、まるでついでのごとく論評抜きで伝えています。

 考えようによっては今回の提訴、国民が朝日の姿勢を正しく判断、評価するためのチャンスが到来したともいえます。朝日がこの記者の側に立ってふたたび世論を敵に回すのか。はたまた本当に反省してそれを行動で示し、日本のクオリティペーパーの地位を取り戻すことになるのか、しっかりと見据えていきたいと思います。

水の国

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 あけましておめでとうございます。trc_l1.jpg

 2年続けて花園ラグビー場に出向かない、静かなお正月となりました。穏やかに…と思いきや日本列島は元日から寒波に見舞われ全国的に大雪となり、なんと雪が極めて少ない大阪でも一時吹雪が舞い、うっすらと雪化粧しました。これは珍しい。地球温暖化が叫ばれて久しいですが、降るときは降るもんです。地球はまだまだ大丈夫、ということにしとこう。2015年のスタートは波乱の幕開けとなりました。

 10月にJAXAが打ち上げた気象衛星「ひまわり8号」の写真が公開されました。12月下旬に爆弾低気圧が発達したときのわが国付近の様子です。北西の季節風による雪雲がこれでもかと列島にぶつかり、壮絶な降雪をもたらしている様子がハッキリと分かります。綺麗な写真に感動、技術の進歩スゴイ。

 ゆく年くる年など年末年始の特集番組見てると、全国各地雪に覆われています。世界有数の豪雪国、日本の冬の風情満載です。雪は良い。日本の冬はやっぱりこうでないと、などと、いつもながら雪国の方々の苦労も知らず、雪を見ると無条件でワクワクしてしまいます。

 

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 思えばわがくにの国土は狭くて急峻なので大陸のような大河が発達せず、雨なんか降ったと思ったらすぐに海に流れついてしまいます。いっけん水が不足しそう。しかし、梅雨の頃には停滞した前線が降らした雨が水田に水を満たし、夏から秋にかけて台風が遥か南方から慈雨を運び、冬には冬将軍がシベリアからの寒気に乗せてドカ雪をもたらす。つまりは流失する水量を補ってあまりある豊かな降水に恵まれているのです。考えてみればこれは奇跡的な自然条件といえます。去年の夏、奈良検定の体験学習プログラムで川上村に吉野川源流を訪ねた際、ガイドの先生が「日本のように国中どこにも砂漠がなく、すべて森に覆われている国は実は珍しい」と言ってたのを思い出します。豊かな自然をはぐくむための最大の要因はやはり水なのです。

 こと「水」に限ると日本は世界有数の資源大国やそうです。たとえば、大陸には安定した良質の水源が極めて少ないため、お隣中国の実業家たちは電化製品だけでなくわが国の水資源を虎視眈々と狙っており、中華マネーが水源目当てに北海道の原野を買い漁っているとか。こんな所業は許されることではありません。

 ちょっと古いデータですが、「平成16年版「日本の水資源」(概要版)国土交通省調べ」によると、水道水がそのまま飲める国は世界に13か国しかないとか。
 ①日本 ②UAE(アラブ首長国連邦) ③ニュージーランド ④ドイツ ⑤アイスランド ⑥アイルランド ⑦オーストリア ⑧スロベニア ⑨クロアチア ⑩フィンランド⑪南アフリカ ⑫レソト ⑬モザンビーク

 豊かな水源と高度な水道技術によってもたらされるわが国の飲料水は、世界最高水準。世界中で最も水に恵まれている国といえます。普段、何気なく使ってる水道にも、もっと感謝すべきです。CP177.jpg

 水といえば四方を海に囲まれたわが国は、古来他民族からの侵略をあまり受けずに独自文化を育んできました。その領海およびEEZ(排他的経済水域)面積は世界の国のうち6番目に広いらしい。日本は海洋大国やったのです。水は資源として豊かな恵みをもたらす半面、ときに大きな災害をもたらします。自然を畏れる日本人は古来ことさらに水に対しては感謝と畏怖の情でもって向き合ってきました。

 だいぶ以前にも書きましたが、「水五訓」思い出したのでまた引用しておきます。

一、自ら活動して他を働かしむるは水なり
一、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるの
  量(はかり)あるは水なり
一、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
一、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲
  となり雪と変し霰と化し、凝っては玲ろうたる
  鏡となる、而(しか)もその性を失わざるは水なり

 今年も「水のごとく清く強くそしてしなやかに」これでいきたいと思います。
 どうかよろしくおつき合いください。

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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